5.4 旧い神の巫女 — あなたはわが君、世界の救世主
「観念しろ、グラービ。ここが貴様の墓場だ。海を越えて日本くんだりまで来て、ご苦労な末路だな」
そう言って剣を構えるフィズナーは、すでに息が上がっている。だが、グラービも同じような状況だ。ふたりの実力は伯仲している。
「ふん。オーリア帝国であろうと、日本のどんな組織であろうと、俺は金を稼ぐだけだ」
「金の亡者か。それで魔族に魂まで売ったわけか」
「魂でも何でも売ってやろうじゃないか。いずれわが祖国、イルオール連邦が他国に蹂躙されている状況を打破できるのであればな!」
グラービがそんなことを言っても、オーリア帝国側の人々は動じてはいないようだった。ラミザノーラも、ベルディグロウも、フィズナーも――。ただの夢物語だと思っているのか、どうなのか。
ただ、リサは意外な発言に胸を打たれていた。『黒鳥の檻』は間違いなく悪の組織だ。だが、その目的は祖国の再建だ。それ自体はけっして咎められることではない。
リサはアーケモスについて何も知らないと思い知った。テレビや新聞が伝えてくれるアーケモス特番だけでは全然駄目だ。
いったい、海の向こうの大陸で何が起こっているのだろう。それを知らない限り、日本が何の余波を受けているのかさえ解らないままだ。
『総合治安部隊』、『黒鳥の檻』、『大和再興同友会』の三者の睨み合いが続く。しかし、遠くから見ていると、『大和再興同友会』だけは撤退の意志があると見える。
『同友会』会長の櫛田は高齢のため戦力外だが、波間野、依知川と言った幹部は日本刀を持って会長を護っている。しかし、じりじりと車へ戻ろうとしているのが伺える。
だが、そんなとき、『黒鳥の檻』幹部三人のうちのひとり、名前が明らかになっていないフードの男が、一歩前に出て声を張り上げる。
「わが君、リサ殿! 折り入ってお話が! それがしはヴォコス・スベリアールと申します。イルオール正統教会の元神官でございます!」
名指しで呼ばれて、出ないわけにもいかない気がしてくる。
『出てはいけません』
インカム越しの安喜少尉の声だ。そうだ。出てはいけない。リサが倉庫の屋根の上で、かなり距離をとったところに陣取っているのは、戦術的な優位を生み出しているのだから。
だが――。
ヴォコスと名乗る男がフードを外したとき、リサは思い出した。いつぞや、総合治安部隊にスカウトされる前、街で暗躍していたので廃墟で追い回した異邦人の男だ。
「安喜さん、ごめんね」
『逢川さん! 命令無視は許されません!』
「確かめたいことがあるんです。ちゃんと埋め合わせるから」
『ちょっと!』
安喜少尉の抗議を置き去りにして、リサは倉庫の屋根の上から飛び降りる。そして、睨み合っている三つの陣営の中心へとずんずん歩いて行く。
ヴォコスが祈るように両膝を地面につき、リサの到着を迎える。
「おお、わが君。アーケモスの救世主よ」
「やっぱり。前に追い掛けた怪しいやつだ。あのとき何してたの、あれ」
「それがしは……その、『黒鳥の檻』の魔獣の生産を担当しておりまして、それでその――」
「なるほど、あの廃墟で魔獣をつくってたわけだ」
「ヴォコス」
グラービが部下をたしなめるように言う。しかし、ヴォコスのほうは折れない。
「グラービ殿。これは純粋に神秘の問題なのです。あの方をオーリア帝国に取られてはいけない」
「イルオール連邦統一の旗印にしたいのであれば結構なことだが、それは今ではないだろう」
「旗印になど! 相手は神の巫女ですよ! 利用するのではありません、導いていただくのです」
「……勝手にしろ」
グラービは呆れた風に溜息をつく。一方のヴォコスは上司に呆れられていることなど意に介さない。
ヴォコスはリサに向かって説明する。
「この日本からはわからぬとは思いますが、わが正統教会も、オーリア帝国の神域聖帝教会もディンスロヴァの神を信仰しております」
「アーケモスはそうらしいね」
「はい。神域聖帝教会はリサ殿をディンスロヴァの巫女と見なしているようですが、それがしは違います。神代のディンスロヴァの巫女ではないかと思うのです」
「神代の……?」
「はい。神であるディンスロヴァは代替わりをするのです。残念ながら、現在おわしますディンスロヴァの神はこの乱世を収められない。であれば、あなた様こそ、古代の、神代の、神々がもっと力を持っていたときの、旧いディンスロヴァの巫女であると考えるのです」
「はい?」
新出の概念ばかりで、リサにはついていけない。アーケモスで信じられている神、ディンスロヴァは代替わりをする? わたしは現在の神ではなく、昔の神の巫女だと言っている?
そんな話になって、黙っていないのがベルディグロウだ。
「ヴォコスと言ったか、イルオール連邦の元神官よ。リサがいかなる代の神の巫女であれ、神域聖帝教会が渡さぬ」
ベルディグロウが大剣をヴォコスに向ける。ヴォコスはわなわなと震える。恐怖からではない。怒りからだ。
「おのれ神域聖帝教会の走狗め。全世界の信仰を差し置いて、自らこそが神託を受けた一族と標榜する、オーリア皇室を支持する恥知らずの集団め! 貴様らなどにこの尊いお方を渡せるか!」
リサはちょっと怖いなと思う。これまで、ベルディグロウは信心が厚い神官騎士だと思っていたが、ヴォコスのそれは段違いで、もはや狂信に近い。リサさえいれば本当に何から何まで解決すると信じていそうだ。
それはかなり行きすぎた思想だろう。
空冥術は多少扱える自信はあるけれど、アーケモスの乱世を収めるほどとは……。リサはそう考えてから、ふと思い当たる。
――あなたさえいれば、アーケモスで起こっている永年の戦争を終わらせられるかもしれない。アーケモス大陸はあなたを必要としているのよ。
他ならぬ、ラミザノーラの言っていたことだ。彼女も同じように、リサに過大な評価を寄せているのだ。
「……頃合いだ。ユラバ、出るぞ」
グラービは傍らに立つユラバに短く指示を出す。それは明らかに、前もって打ち合わせされていたものだった。
「了解」
ユラバが星芒具の装着された左手を海上に向けると、海上に巨大な空冥術陣が出現した。光り輝く幾何学模様の陣から、何物か――巨大な魔獣の頭部が見えてくる。
まずい! リサは直観でそう判断した。
轟音。そして衝撃。
リサたち『総合治安部隊』のメンバーが立っていたあたりを、瞬時に、一撃で破壊された。
いったい何かと思ったが、まずは撤退だ。距離を取らなければいけない。
ユラバは静かな声で、つぶやくように言う。
「伝説の古代魔獣」
「海上の王者と言われる魔獣タレアだ。『総合治安部隊』の面々はこいつに遊んでもらうがいい」
グラービの声だった。だが、姿は見えない。先ほどの衝撃に乗じて、『黒鳥の檻』の三幹部――グラービ、ヴォコス、ユラバの全員がどこかへ姿を隠してしまったようだ。
だが、探している暇はない。少なくとも、遮蔽物のあるところまで退がって、身の安全を確保しなければならない。
振り返ると、敵も味方もみな、近くの倉庫に向かって走っていくところだった。『総合治安部隊』では、フィズナーが岸辺を護りながら走っている。
そうだ。さっきの衝撃、岸辺さんがまともに受けていたら、絶対に危なかった-―。
「リサ、早く!」
もちろんリサだって逃げようとしているが、ラミザノーラとベルディグロウは彼女のカバーに入っている。
このふたりは、わたしの安全が確保されない限り危険な目に遭う。だったら――。
リサは取るものも取りあえず、倉庫まで逃げることにした。走りながら背後をちらと振り返ると、魔獣の姿が見えた。古代魔獣タレア――それは日本人としては、一般的に「クラーケン」と呼ばれる巨大なイカだった。




