4.1 都心の摩天楼
館内放送の指示に従い、リサが国防軍『総合治安部隊』施設の会議室二-Sに現れたとき、会議室の面々はざわついた。
それは、リサが『総合治安部隊』の実働隊員として自認していることを示しているからだ。最も有望な日本人空冥術士である彼女自身が。
「逢川さん、あなた……」
会議室の講壇に立ち、ブリーフィングを開始しようとしている安喜優子少尉は、リサの姿を見て目を丸くしていた。
しわになった学生服を着た女子高生――それがいまや、キリッとした表情で状況説明の場に現れたのだから。
「……わたしで最後ですか。遅くなってすみません」
リサが会議室内を見渡すと、朝の会議と同じような面々がいた。
妙見中佐。
日本人空冥術士の淡路と岸辺。
オーリア人神聖騎士のベルディグロウ。
そして、秋津洲財閥の澄河御影。
今回は彼らに加えて、オーリア帝国軍のシデルーン総司令と、彼の参謀であるラミザノーラもそこに座っている。
……彼らがここにいるということは、今回はアーケモスが絡む案件なのかな。
リサは心の中でそのようなことを思った。どちらにせよ、彼女にとっては、早く彼らと合流しなければならないのだった。
いかなる形でも、悪を討つために。
安喜少尉はごくりと生唾を飲み込む。
「逢川さん、『総合治安部隊』に本当に入隊するつもりなの?」
「すみません、わかりません。でも、何か危険なことが起きたんでしょう? ……なら、わたしが行かなきゃ」
リサの大真面目な回答を聞いて、妙見中佐が手を叩いて笑い始めた。
「ははは! やはり私の見立て通りだね。彼女はここへ戻ってきた」
澄河御影は、ただ静かに、その端正な顔に満足げな笑みを浮かべていた。
安喜少尉は声を荒らげる。
「逢川さんっ! これは遊びではないのよ! 入隊する覚悟がないのなら帰ってください!」
「……では、仮入隊でお願いします」
「そんなものはありませんっ!」
「いいじゃないか、安喜君。彼女は特別だ。ゆえに、彼女には特例を与えてもいいんじゃないか」
「中佐、それは……」
「では、私が特例を以て彼女の仮入隊を認めよう。逢川リサ君、だったね」
「妙見さん、ありがとうございます」
「中佐!」
リサは軽く頭を下げ、会議室の適当な席に腰を下ろす。対する安喜少尉は妙見中佐に文句を言いたかったが、言えなかった。権力差もあったが、ただただ満足そうに笑っている中佐相手に、何を言っても無駄だと感じたからだ。
「……では、始めようじゃないか、ブリーフィングを。安喜君、頼んだよ」
「……はい」
頭痛のする頭を左右に振りつつ、気を取り直すことに努めながら、資料に視線を落とすことしか、安喜少尉にはできなかった。
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今回発生した事件は、カルト宗教『人類救世魔法教』が怪しい動きをしているというものだ。
それだけなら完全に日本国内の問題だ。オーリア帝国軍のシデルーン総司令がここにいる理由は説明できない。彼がここにいるのは、くだんのカルト宗教がアーケモス大陸のイルオール連邦から来た「テロ組織」と組んでいる可能性が浮上したからだ。
オーリア帝国とイルオール連邦は長く小競り合いを続けている。国境線上では何度も軍事衝突を起こしているし、都市内でも襲撃が発生することもあるほどだ。
そのイルオール連邦が絡んでいるとなると、オーリア帝国軍の最高指揮官であるシデルーン侯爵にとっても無関係とはいえない。
もし本当にイルオール連邦のテロ組織が日本国内で暗躍しているとなると、日本にとってオーリア帝国は敵の敵としての味方同士というわけだ。
「報告によると、高い空冥力の反応が赤坂の山手ダイヤモンドタワービルから観測されたということです。『人類救世魔法教』はイルオール連邦のテロ組織『黒鳥の檻』から何らかの魔獣を買い受けた可能性があります」
魔獣……。リサも聞いたことがあった。アーケモス大陸の国々では、動物とは違う、魔獣という危険なモンスターが跋扈しているということを。
「わが国の基準では、このような魔獣は破壊行為のために使役される場合、ABC兵器のうちのB――生物兵器に該当します。そして、魔獣には通常兵器は効果が薄まります。つまり、今回の事件は、われわれ『総合治安部隊』にとって適した案件だということです」
安喜少尉がそこまで言ったところで、いままで黙っていた褐色の肌のラミザノーラが口を開く。
「事前に見せていただいた資料から察するに、これは自然発生型の魔獣の範疇を超えたものといえます。大陸アーケモスにおいては、術士が使役するために召喚する魔獣もあるのです。今回の件はそのたぐいのものかと」
「……コメントありがとうございます。本当に、今回のような件では、オーリア帝国軍からのご支援を頂けるのがありがたいです」
安喜少尉はシデルーン総司令とラミザノーラに軽く頭を下げた。アーケモス大陸から持ち込まれるもののこととなると、やはり現地の人間より詳しい日本人はいない。
しかし、シデルーン軍総司令は少しだけ渋い表情をする。
「とはいえ、申し訳ないが、われわれから貸し出せる空冥術士は神官騎士ベルディグロウのみだ。今回も、ラミザノーラは出しかねる」
「そ、そうですか……」
安喜少尉は残念とも安堵ともとれる、微妙な反応を返した。
一方のラミザノーラは、静かな、しかし凜と響く声でシデルーン総司令に言う。
「総司令、わたしのほうはこちらに残ってもいいのですが」
「いや、それは困る。きみには当初の予定通り、私の日本政府視察に随伴してもらわねば」
「……そうでしたね。失礼を」
リサは一瞬、ラミザノーラが自分のほうを見た気がした。けれど、もう一度ラミザノーラを見ると、彼女は椅子に背を伸ばして座って、安喜少尉のほうを向いているようにしか見えなかった。
――気のせいかな……。
安喜少尉は社交辞令的に、シデルーン軍総司令に言う。
「それは残念です。この状況において、空冥術士は少しでも多い方がいい。ラミザノーラ・ヤン=シーヘル参謀部員をお貸しいただけるなら、作戦が組みやすかったのですが……」
「すまないね。だが今回は無理だ。結果について、報告だけを頼む」
「……と、仰っているから、仕方ない。編成はラミザノーラさんを当てにしていた分を、リサ君に切り替えようじゃないかね」
そう言ったのは妙見中佐だ。安喜少尉はまた頭の痛そうな顔をする。彼女にとって、リサを危険に巻き込まないためにやっていることがことごとく崩されていく。
「わかりました。では、編成は岸辺、淡路の二名と、ベルディグロウさん、逢川さんの二名の二チームとします。四名の空冥術士は山手ダイヤモンドタワービルまで国防軍のマイクロバスで移動になりますから、実地での行動手順はその中でお伝えします」
安喜少尉はそう言ってブリーフィングを締めくくった。相変わらず表情は渋く、頭は痛い。
リサは単に、自分の正義を行使する機会が公に得られたことに興奮していた。はやく星芒具を取り戻したい一心だった。
彼女はまったく気にもかけていなかった。彼女が空冥術士としての役割を選んでいくことを画策している、悪い大人たちがすぐそばにいることなど――。
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