周防遥の不思議な体験
大学に向かう道中。
「勝負だ!」
突然遠くからそんな声が聞こえるとともに、足元が紫の幾何学的な模様に塗り替えられた。
「えっ···」
世界も、紫色に覆われる。
「どういうこと···?なんで周りが急にこんな···」
世界が紫に覆われ、異次元に来たような、異様な空間に私はいた。
訳の分からないことになっていて、考えるよりも先に動こうとする。だが、いくら動こうとも動くことができない。胸がドギマギして体が熱くなってくる。
···トン···トン
「なんなの···どうして動けないの···!」
何か縛られているかと思ったが、縛られているような圧迫感はなく、訳が分からなかった。
···トン···トン···トン
この世界にいてどれくらい経っただろうか、動けないことに焦りを覚えてどれくらい経っただろうか。
半ば動けないことを受け入れ始めた頃、段々とこちらに近づいてくる足音が聞こえてくる。
誰かいる。
「誰か助けて···!突然こんなところにいて訳が分からないの!」
「ここには誰もこないさ」
どういうこと···?誰も助けにこない。暗にそのことを伝えている気がする。
「誰もこないって····誰も助けに来ないっていうこと?ならあなたはなんなの···!」
「俺は性の変態、そう呼ばれてる。裏の社会じゃあ、処女の暗殺者だってな」
性の···?処女の···?近づいてくる男は一体何を言っているんだ。男の名乗りとか今は正直どうでもよいが、一つ気づいたことがある。そう言えばこの声、さっき聞いた声に似ている。きっとこんなことをした犯人だ。
目の前の壁から一人の男がでてきた。白と紫を基調とした大きめの服を着た黒髪の男だ。
「あんたなんなの!私をどうするっていうの!」
相手を威嚇する。変なことをされるかもしれない。具体的には、エッチなことをされるかもしれない。こんな男となんてお断りだ。
「おいおい、俺を威嚇しようっていうのか?···いいか、俺は仕事でそういう奴を何度も見てきた。今更威嚇なんて、効くわけないだろ」
私の精一杯の威嚇を、冷静にいなされた。
「私をどうするつもり!何か変なことをしたら被害届だすよ!!!」
いなされたが、警察の存在を出せばこんなことをやめてくれるかもしれない。
「いいぜ。出してみろよ。俺は性の変態だって言っただろ。もう世界的に被害届は出されている。」
男は余裕な態度でそう言う。なんだコイツ···無敵か?
「いい加減自分の状況を受け止めたらどうだ。そんな全裸でいて、お前もやる気満々じゃねえか」
「は?」
男は自分を指さして笑う。こいつは一体何を言い出すんだ。そんな突然、全裸になんかなるわけないだろ。
そう思いつつも一応服を着ているか確認する。
····!嘘だ······。
私の視界に映ったのはよく見慣れた肌色、身を包んでいる布など一切なかった。
「やっと気づいたみたいだな」
目の前の変態は愉しそうに嘲笑う。やる気満々とか言う勝手な決めつけと、私の裸を笑われた気がして、私は怒りで我を忘れそうだ。
「こんなことをしてどうするつもり!」
この変態は一体何をしたくてこんなことをしたんだ。
「あんたさっき仕事やら裏の社会とか言ってたけど、誰かに依頼されて私にこんなことしたの?それになんで裸になっているの私は!」
怒り任せに、真っ先に思い浮かんだ疑問を全部言ってやった。
「質問は一つずつしてくれないかな。あんまり一気に来るとこっちも答えられないだろ。だが、答えてやろうじゃん」
「まず初めに、お前がさっきから聞いてきている、お前をどうするか。その答えは単純だ。俺は処女の暗殺者。お前の処女を奪う」
「2つ目、誰かに頼まれたっていう質問だが、あいにく誰にも頼まれちゃいない。俺の欲望のためにやっている」
「3つ目、なんで裸になっているか。それは俺の領域の効果だ。俺が領域に引きずり込むとき、領域内の設定を好きに決めることができる。例えば、相手を動けなくしたり、裸にさせることだってな。」
「どうだ?お前の満足のいく答えは出たか?」
「嘘······」
相手は快楽のためにやっていて、動けない理由は領域の設定をそう決めたから···。なんだよそれチートかよ。信じがたい話だが、確かにこの領域に引き込まれてから動こうと抵抗したが動けなかった。そして、変態は犯行をする気満々だ。その話は本当なのだろうと感じた私は、どうすることもできないことを悟った。
「どうやら満足できたらしいな」
目の前の変態は勝ちを確信したらしく、余裕の笑みを浮かべている。その顔に一発パンチをお見舞いしてやりたいが、体が動かない。
「そうだ、勝負の内容だが。先に絶頂った方が負けだ。シンプルな勝負だろ?」
クソッ······。このままじゃ私の初めてがこんなクソ男に奪われる。今の自分は抵抗もできず、どうすることもできない。私の心は、目の前の変態に対する憎しみと、どうすることもできない自分への情けなさでいっぱいになった。
「おいおい泣くなよ。いつかはお前の処女は誰かに奪われるんだ。ただ、奪われる時期が早まっただけさ」
泣いている?そういわれると頬に生温かいものが滴っているのを感じた。······泣いたのはいつぶりだろうか。確か、小学生のころ、宿題を全然やらなかった私に、ママが本気でどなったとき以来だろうか。ママ······こんな自分でごめん。目頭が熱くなり今にもあふれだしそうな感情が、喉から出るのを必死で我慢する。
「誰か······助けて······」
意味のないことだろうが、目の前のクソ男以外に誰もいないだろうが。最後の望みを、かすれた声で言う。
「おいおいおい、助けを呼んだって誰も来ないぜ?俺の領域には誰も干渉できないし、知覚することだってできない」
そうか、、、奪われるんだ······私の初めて······。心が絶望色に染まり、何もしたくなくなる。
もう、観れない······。顔を伏せる。
「どうやら抵抗する気も失せちまったらしいな」
そういうと男から、チャックを開き、衣服を脱ぐ音が聞こえる。
「それじゃ、挿入れさせてもらうぜ」
あっ······奪われちゃう。
—バンッ!!!
急に銃声のようなものが聞こえ、顔を上げる。すると、目の前にいたクソ男は血を流して倒れていた。
「残念だったな、この領域に入れるのは、何もお前だけの特権じゃない」
「助か············った?」
急に去った脅威に、状況が理解できず困惑してしまう。ほどなくして、動かなかった体に、急な解放感が来る。体が動いた······!クソ男が倒れ、体が動くことを実感できて、得も言われぬほどの安心が自分の奥底から湧いてきた。
「そこのお前、大丈夫か」
声をかけられ、声のした方向に振り向き、声の主の姿を確認する。私を助けてくれた恩人の姿············を?
私を助けたであろう人は、白と紫を基調とした大きめの服を着た····黒髪の、男。···?どういうことだ?思わず二度見する。···同じ姿だ。
あんな経験をしてからあまり経っていないということもあり、私は即座に後ずさる。
「え····さっきの変態が、2人···?」
いわゆるドッペルゲンガーというやつだろうか。今、目の前で倒れているクソ男と同じ、処女の暗殺者だったらどうしよう。相手は手に銃を握っており、死の恐怖を感じ、鳥肌が立つ。
「おいおい、そこで倒れている奴と姿は同じかもしれないが、一緒にするのはやめてくれ」
「しょ、処女の····暗殺者········ってことでは、ないよね?」
「処女の暗殺者?なんだりゃ。そこで倒れてるやつがそう言っていたのか?」
無言でうなずく。どうやら処女の暗殺者とかいう変な肩書はないらしい。今まで肺に詰まっていた空気が一気に抜ける。私の貞操は守られそうで安心した。
「通りで最近、俺が性加害者とか言われていたわけだ。見つけることができて良かった」
「あっ、あの!私の初めてを守ってくれてありがとうございます」
私の初めてを守ってくれた恩人に感謝を伝える。
「···?そうか、よくわからないが、良かったな。じゃあ、俺はここを去る。俺がここを去れば今いる領域は自然に崩壊して、元の現実に戻れるだろう」
男は反対方向に振り向き、背中を見せて領域の外に歩いていく。
「すみません!あなたのお名前はなんて言いますか!」
男は振り返って言った。
「俺はアケハ。雇われフィクサーだ」
アケハは再び領域の外へ歩き、姿を消していった。
姿が消えたのち、領域が崩壊していく。紫の世界が崩壊し、白く眩しい世界に替わっていく。恐怖でいっぱいだった心が、希望に塗り替わっていくように。
アケハは実にクールな人だった。私を助けても見返りを求めず。自分の安否を確認すると、さっさと去ってしまう。冷たいが、カッコいいと思える人だった。
眩しさから目を閉じる。しばらくしてから瞼を開くと、元いた現実に戻っていた。
「···怖かった〜。あの人が助けてくれなかったら終わってた〜」
青い空に向かって息を吐いた。現実の世界に戻ってきて、青い空を見ると、本当に助かったんだなと実感する。もうあんな紫の世界なんて見たくない。
助かったことへの余韻を感じていたのもつかの間、あの領域では、自分が裸だったことを思い出した。慌てて自分の姿を確認した。
「······良かったぁ」
ちゃんと服を着ていた。もし裸だったら今頃警察のお世話になっていたところだった。服を着ていたことに胸をなでおろす。すると、足元にあった自分のリュックが目に入った。
「······あっ!そういえば大学に行かなきゃ」
今までの摩訶不思議体験で忘れていたが、私は大学に行く途中だったのだ。
急いで時間を確認する。スマホが指し示していた時間は9時10分。
「まずいまずい、電車に遅れる······!」
駅に向かって全速力で走る。乗り遅れたら、確定で遅刻してしまうからだ。
—ぜえぇ······ぜえぇ······
何とか駅に着いた私は、普段運動をしていないからか、肩で息をしている。こんなに走ったのはいつぶりだろうか。······確か高校の持久走以来かな···うん、そうだろう。
駅に向かっている途中、白色の大きな服を着た男の人とすれ違った気がしたが、その時の私にはその人が誰なのか確認する余裕はなかった。
—キィ······シュゥーー
道中のことを思い出していると、どうやら電車が到着したようだ。