3.愛人の話と伯爵帰還
「その愛人さんの事を、分かる部分で良いので教えて頂けますか?」
「何だお嬢ちゃん、そういう話が好きなクチか? ま、この時間あんまり客来ないし、暇してたからいいぜ」
「ふふ、ありがとうございます」
店主は、オリービア達の席の近くにあった椅子にドカリと座ると、周りに誰もいないのに、声を潜めて話し始めた。
「その女はさ、伯爵の従姉なんだよ。今は確か三十二歳だったかね。結婚してたんだけど、三年前に離婚してこの町に出戻ってきたんだよ。二年前、伯爵が尊敬していた両親――前伯爵と夫人の事な、――を亡くして酷く意気消沈してるところを親身になって慰めたらしくて、それ以降伯爵はその女に心酔してんのさ」
店主の話に、オリービアとニアナはうんうんと頷きながら耳を傾ける。
「確かに、心が弱っているところに味方になって寄り添ったら、その人に傾倒しちゃうかもですねぇ」
「その二人の間に入る余地は全く無さそうですわね。従姉弟同士でも恋愛は出来ますし、伯爵は二十七歳ですので、お二人の年齢的にも問題無いでしょう」
「俺も二人がどうこうなる分は別に構わねぇんだけどさ、俺達が納めた税金が、あの女の服や装飾品で消えていくのが遣る瀬ねぇんだよ。王都で高級服やら高価な宝石なんかを頻繁に買ってるらしいからな」
「あらあら……。それでしたら、この町で全て購入して欲しいですわよね? お金が循環して町の経済が潤いますのに」
オリービアの言葉に、店主は大きく縦に首を振った。
「ホンットその通りだぜ! 多分、あの女が高級品しか好まないんだろうよ。外見は美女だが性格キツそうだし、プライドが超高そうだしさ。しかも、只でさえ税金で参っているのに、伯爵は【王命】で男好きで散財癖の噂がある女と仕方なく結婚したんだろう? とんでもねぇ女二人がここにいて、この町だけじゃなく、伯爵領が滅びるのも時間の問題になってきたぜ……」
「……あの、その伯爵夫人の噂はどこから聞かれましたか?」
「あぁ……それな。町に買い物に来たあの女が大きな声であちこちに言いふらしていたぜ。如何にも『自分は恋人を無理矢理奪われた悲劇の女』みたいな雰囲気を醸し出してな」
(……やはり、噂の出所はその方でしたか)
オリービアは、ニアナとそっと目配せをした。
「大変興味深いお話をありがとうございました。お料理、本当に美味しかったですわ。また近い内にお伺い致しますね」
「いや、こちらこそいい暇潰しになったよ。あと、俺が作った飯を沢山褒めてくれてありがとな。昼と夜も限定物出してるから、また是非来てくれよ」
「まぁ、そうなのですね! ではお昼にまた来ますわ」
「はははっ! それじゃあ近い内じゃなくて“すぐ”じゃねぇか! いいぜ、お嬢ちゃん達だったら大歓迎だよ」
二人分の料理の支払いをし、二人は笑顔の店主に見送られながら食堂を出た。
「……どうします、オリービア様? 伯爵と伯爵の愛人を懲らしめますか? 飛び膝蹴りは得意中の得意ですよ!」
「あらあら……それはかなり強烈ですわね、フフッ。支障は少し出ていますが、痛くも痒くもありませんので、放っておいていいですわ。それより衣料品店に行きましょうか。わたくしの衣類が用意されていませんでしたし、ニアナの分も侍女服しか用意されていないでしょうし」
「くぅーっ! 全く! どこまで馬鹿にすれば気が済むんですかね、アイツらは!!」
「まぁまぁ、そんなことも痛くも痒くもありませんから、ニアナも気にする必要はありませんわ。茶目っ気たっぷりの可愛い悪戯だと思えばいいですわよ」
「……そんな風に思えるのはオリービア様くらいですよ……」
そんなことを談笑しつつ、二人は衣料品店で必要な衣類を買い、そこの店主と和気あいあいと会話した後、お昼前にランジニカ伯爵邸に戻ったのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ランジニカ伯爵邸、お昼の食堂にて。
オリービアの目の前で、ガチャンと乱暴にトレイが置かれた。
「あらあら」
「は……?」
オリービアとニアナは、トレイに載った昼食を見て目を丸くした。
朝食の時と反応が全く同じであることに、二人は気付いていない。
そこにあったのは、古くなってカチコチに硬くなった丸いパンと、何も調理されていない、そのままの人参一本だけだった。
朝食と何も変わっていない品目だったのだ。恐らく、朝オリービアが残した物をまた出したのだろう。
朝と同じ侍女は、フンッと鼻で嗤うと何も言わず食堂から出て行った。
「……また……こんな……っ!!」
「ニアナ、わたくしお馬さんよりユニコーンの方が良いですわ。あぁ、ペガサスも格好良いですわね。そのどちらかになりたいですわ。ちなみにその二匹って人参食べられましたっけ?」
「どれも馬系だから食べられるんじゃ――って、そんなほのぼのな質問している場合じゃないですよっ! 昨晩の夕食は普通でしたよね? その時は伯爵が一緒にいた……。ということは、これから伯爵が不在の間は、全てこの献立になるということじゃないですか!? 酷過ぎますよこれはっ!!」
「まぁ、賢いですわね、ニアナ。恐らくそうですわ」
オリービアは微笑みながら手帖とペンをショルダーバッグから取り出し、朝と同じように何かを書き込むと、ゆっくりと席を立った。
「ではまた今朝の食堂へ行きましょうか。お昼はどんな限定物が出るか楽しみですわね?」
にこやかにそう言うオリービアに、ニアナはハッと目を見開いて彼女の顔を見る。
「オリービア様……。これが分かっていて、店主に『お昼にまた来る』って――」
「ふふっ。さぁ、行きましょう?」
オリービアはニアナの手を取ると、また今朝の食堂へと向かったのだった。
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それから朝昼晩の一週間、ニアナの言う通り、同じような品目がオリービアに出され続けた。
硬くなった古いパンは固定で、人参がキュウリになったりラディッシュになったり、多少の変化はあったけれど。
オリービアはその度に手帖に何かを書き、ニアナと町の色んな食堂を回って舌鼓を打ったのだった。
――そして、ハイドが一週間の出張を終え、久し振りにランジニカ伯爵邸へと帰ってきた。
「オリービア様、伯爵がこの屋敷に戻られたそうですよ。挨拶は……別にしなくていいですよね?」
「えぇ。わたくしと話しているだけでとてつもなく胸糞が悪くなってしまわれ、今後旦那様に話し掛けるなと釘を刺されていますし、旦那様に一切関与してはならず、わたくしと同じ空気を吸ってるだけでとんでもなく不快になられるそうなので、挨拶は遠慮させて頂く方が賢明かと思いますわ」
「……本当にもう、伯爵の言った事こそ胸糞が悪くなって不快になりますよ……」
伯爵邸の廊下を歩きながら顔を歪め、大きく舌打ちをするニアナに、オリービアは口元を綻ばせながら「よしよし」と頭を撫でていると、
「――おい、お前」
後ろから唸るような低い声が二人の背中に飛んできた。
二人が同時に振り返ると、そこには眉を顰めて目を吊り上げ、怒りの雰囲気を全面に出しているハイドが立っていたのだった。