8 秘められた思い
それは、ヴィアがまだ騎士となってまもない頃だった。
街の巡回のため、身分を隠しながら酒場に出向き酒場で客の話を聞く。酒場ではどこにどんな輩がいるか、どんな活動をしているのか情報を得ることができる。騎士になりたての頃は顔もまだ知られていないため、情報収集がしやすかった。
ガラの悪そうな男たちの近くに座り、酒を飲むふりをする。
「おい、今日は随分と羽振りがいいじゃねぇか」
「上客がいてな、報酬を前払いでたんまりもらったのよ。貴族の坊ちゃんから、婚約破棄した相手を街外れで襲ってほしいって依頼でな」
「なんだよそいつ、ヤバいやつだな」
「だろ?自分の都合で婚約破棄したくせに、他の貴族の男には渡したくないんだとよ。俺らみたいな下級の連中に手を出されれば、他に貰い手がなくなるだろうって話だ。いかれてやがる」
「ははは、そいつはクソすぎるな。だがいい話じゃねぇか。ご令嬢相手なら俺もあやかりたいもんだよ」
「ちょうどそろそろ始まる頃だな。様子を見に行ってみるか?ついでに俺らも楽しませてもらおうぜ」
ケケケ、とゲスい笑みを浮かべて男たちは席を立つ。一部始終を聞いていたヴィアは席を立ち、気づかれないようにして男たちの後を追った。
「一体なんなのよ!離して!……っ、きゃあ!」
フィオナはドンッと地面に倒れ込む。突然腕を掴まれ、あれよあれよと言う間に町外れまで連れてこられたフィオナは、数人の男たちに囲まれていた。
「かわいそうに、今にも泣き出しそうじゃないか」
「心配しなくても、今から俺たちがうんと気持ち良くしてあげるからな」
「こんなに上玉な上に金の羽振りもいいだなんて、あの坊ちゃん相当な金持ちじゃねぇか」
「元婚約者に売られるなんてかわいそうになぁ」
ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべた男たちの言葉に、フィオナは耳を疑った。元婚約者に売られた?まさか、あの元婚約者だった男がこの状況を作り出していると言うのだろうか。フィオナは信じられないものを見る目で男たちを見上げる。
「よう、そろそろ始まる頃か」
「お頭!来たんですか」
「こんな上玉のご令嬢、お前たちだけだともったいねぇだろ」
ゲスイ笑みを浮かべたお頭と呼ばれる男が、他の男たちをかき分けてフィオナの目の前に立つ。ヒッとフィオナは後ろに下がろうとするが、後ろは廃墟の壁だ。
「そんな顔されても、煽られているようにしかならないんだよ、お嬢ちゃん」
フィオナの前にしゃがみ込み、優しく囁きながら男はフィオナの足元に手を伸ばす。そのままフィオナの足に手を滑り込ませ、徐々にスカートの中に手が入ってきた。フィオナは咄嗟に近くにあった木の枝を掴み、男にふりかかる。木の枝は男の顔をかすめ、頬から血が流れた。
「ってえな!テメェ、大人しくしてれば可愛がってやるのに、手荒な真似されてぇみたいだな!」
憤った男がフィオナの手を掴んで無理やり拘束する。恐ろしさのあまりフィオナが両目をつぶったその時、背後からうめき声が聞こえた。
「グアッ!」
うめき声と共にドサッと人が倒れる音がした。そして次々にうめき声と倒れる音がする。
「な、なんだ!?」
フィオナに襲い掛かろうとした男があわてて立ち上がり振り返ると、地面に仲間たちが倒れ、目の前には外套を羽織りフードを被った一人の男が剣を持って立っている。
「な、な、なんだテメェは!」
「騎士団だ。お前たちは全員捕まえる」
そう言った瞬間、フードの男は剣で峰打ちし、お頭と呼ばれた男はその場に倒れ込んだ。
(な、な、な、なに?何が起こったの?)
フィオナが震えながら唖然としてフードの男を見上げていると、フードの男はフィオナの方を向いた。だがフードで隠れて顔は見えない。
「大丈夫か、すぐに増援が来てこいつらの身柄を拘束する」
ただただ淡々とそう告げられたフィオナは、助かったという安堵で緊張の糸が切れたのだろう。突然両目から涙をこぼし始めた。
「あ、ありがとう、ご、ざい、まし、た」
両手で顔を覆いながら、なんとか言葉を紡いでお礼を言う。そんなフィオナに、男は外套を脱いでそっとフィオナの体に被せた。
(私を気遣ってくれてるんだわ……優しい騎士様)
その騎士の顔は、夕日に照らされ逆光で見えなかった。
◇
ヴィアにとってその当時は、元婚約者にひどい仕打ちを受けた可哀想な令嬢、そんな風にしか思わなかった。こんな酷いことは早く忘れて、心優しいどこかの令息にみそめられ幸せに暮らせばいい、この令嬢は幸せになるべきだ、ただそう思っていた。
月日が流れ、聖女の護衛騎士として任命され、聖女の教育係と顔合わせをする。その時、その教育係があの時の令嬢だとヴィアはすぐに気がついた。その令嬢フィオナは、その後誰とも婚約することなく、ひたすら勉学に励み、教育係としての立場を獲得したようだった。
フィオナはヴィアをあの時助けてくれた騎士だとわかっていない。きっと思い出したくもない過去だろうから別にわからないままで構わない、ヴィアはそう思っていた。
フィオナの男性に対する態度がおかしいことに気づいて、ヴィアはあの時のことがフィオナをずっと苦しめているのだと知る。あの時のフィオナを思い出し、心が何かに蝕まれるような、苦しさを感じるのだ。
次第に聖女の護衛騎士と教育係として共に過ごすうちに、ヴィアはフィオナの聡明さとひたむきさ、明るさに惹かれ始めていた。そして時折見せる苦しげな表情も、あの時のフィオナを知るヴィアにとっては苦しさとなんとかしてあげたいのにできないもどかしさで胸がいっぱいになるのだった。
(俺はフィオナの過去を知っている。だからこそ、フィオナを頼ることはできない。例えこの体が毒に侵され死ぬことになろうとも)