1 男性不信の教育係
「悪いな、フィオナ。俺は他に愛する人ができたんだ。お前との婚約は破棄する」
その時、何が起こったかわからなかった。ただただフィオナの頭の中は真っ白で、目の前にいる婚約者だったはずの軽薄そうな男と、その隣で嬉しそうに笑う令嬢の顔をただただ茫然と見つめていた。
◇
あれから月日は流れ、フィオナは聖女の教育係として今日も元気に働いている。
「ねぇ、フィオナ。愛のない結婚てどういうものなのかしら」
静かにため息をついて、聖女リリアは首を傾げながらフィオナに尋ねた。聖女はこの国の王子と結婚することが決まっており、それがこの国の古くからの習わしだ。聖女の力を持って生まれた時から結婚相手が決まっている人生。その相手が一国の王となる人間ということが果たして幸せなことなのかどうかは、教育係のフィオナにもわからない。
「どうなのでしょうね。ですが、愛があるかどうかは別として、少なくともデミル殿下はリリア様に好意を抱いていることは間違いないと思いますよ。愛はこれから育んでいけばいいではないですか。それができるお二人なのですから」
優しく微笑みながらフィオナが言うと、リリアはフィオナをじっと見つめる。
「フィオナは結婚しないの?見た目も悪くない、頭も良いし令嬢としての所作だって完璧なのよ。フィオナを放っておく男性が信じられない。この美しく艶やかな明るいブラウンの髪に触れてみたいとか、アメジストのような綺麗な瞳に見つめられたいとか、華奢な体を抱きしめたいとか、普通はそう思うでしょう、ねぇ、ヴィア」
そう言ってリリアは近くにいる護衛騎士、ヴィアに返事を求める。だが、ヴィアは視線をフィオナとリリアに向けると何も言わず、すぐに視線を逸らした。
「ヴィアは本当につまらない男ね。せっかく見た目がいいのに、そんなだからモテないのよ」
「お言葉ですが、別にモテたいと思っておりませんので問題ありません。私は騎士としての責務を全うできればそれで構いませんので」
艶やかな黒髪に琥珀色の瞳、イケメンと言っても過言ではない顔面を持ち、細身だがしっかりと鍛え抜かれた高身長のヴィアは、見た目だけであればモテる。だが、常に無口で無表情、何を考えているかわからない上に言い寄ってくるご令嬢には見向きもしないため、女性たちに怖がられいるのだ。
「はいはい、そうですか」
つまんないわ、とリリアは吐き捨ててお茶を飲む。フィオナは苦笑してヴィアを見ると、ヴィアもフィオナを見て少し眉を下げた。言葉を交わさずとも、二人には阿吽の呼吸が出来上がっている。そんな二人を見て、リリアはふーんとまんざらでもない顔をしていた。
◇
「リリア様には困ったものね。悪い方ではないのだけれど、思ったことをすぐ口にしてしまう」
「それだけフィオナに心を許しているんだろう。他ではあそこまで砕けた様子にはならないからな」
「それならいいのだけれど」
一日の業務が終わり、フィオナとヴィアは二人揃って廊下を歩いていた。
「ここにいたのかヴィア。フィオナ嬢も、ご機嫌麗しく」
前から一人の騎士が小走りで近寄ってくる。サラサラの金髪に中性的なルックスのその騎士は二人を見て笑顔になる。
「ベルゼ。どうかしたのか」
「騎士団長がお呼びだ。俺も呼ばれている、一緒に行こう」
「わかった」
「フィオナ嬢、すまないけれどヴィアを借りるよ」
「今日は業務が終了しているので大丈夫です」
「それじゃ、また明日」
ヴィアがフィオナにそう言ってベルゼの方に向かうと、ベルゼはフィオナの耳元に近寄る。
「フィオナ、今度二人で食事でもどうかな。ヴィアはつまらない男だろう?息抜きも必要だよ」
見目麗しいベルゼにそう言われれば、大抵の女性は簡単に落ちるだろう。だが、フィオナは恐ろしさと嫌悪感で全身に鳥肌が立ち、呼吸が止まりそうだった。
「ベルゼ、フィオナにあまり近寄るな」
そう言ってヴィアがベルゼをフィオナから引き離す。
(よかった、離れてくれた……)
心臓がバクバクとなって苦しい。止まっていた呼吸を慌ててするように息を整えていると、ヴィアがフィオナにそっと手を近づける。だが、その手はフィオナに触れることなく、フィオナの背中近くで止まっていた。
「大丈夫か。すまない、こいつは距離感がおかしいんだ」
「え、ええ。大丈夫、ありがとうヴィア」
心配させまいと笑顔を作ると、ヴィアは眉間に皺を寄せてフィオナを見つめた。
「騎士団長がお呼びなのでしょう。私は大丈夫だから、早く行ったほうがいいわ」
「……そうか」
仕方ないという表情でヴィアはベルゼを引っ張って歩いていく。
「なんだよ、お前、フィオナ嬢を取られたくないのか?必死だな」
「そういうことじゃない、お前は手当たり次第に口説きすぎだ」
「綺麗な花があれば手に入れたいと思うのは当然だろ」
「馬鹿なのかお前は」
歩いていく二人から会話が聞こえ、フィオナは苦笑しながらヴィアの背中を見つめていた。
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