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七月二十二日(3)

 夜になるとあたりは真っ暗で、カエルの声だけが響いてくる。

 日笠は縁側に座ってぼうっとその音を聞いていた。


「何か見えるの?」


 水海がやってきて、麦茶のコップの乗ったお盆を置く。


「いや……何も」

「なんだそりゃ」


 けらけら笑いながら隣に座ってきて、「お茶どうぞ」と勧めてくる。

 日笠はそれを一口飲んでから切り出した。


「あのさ……なんで水海は仲間を裏切ったの?」


 そんなことを聞く意義は全くなかった。

 ただ証明したくなった。自分が水海のことなど何とも思っていなくて、ただ、必要だから優しくしているだけなのだと。だからこんなひどいことでも普通に言えるのだと。


「え、あぁ。したかったからだけど……それがどうかした?」


 傷つけようと思って発した言葉が平然と返されて面食らってしまった。


「そもそも裏切ったというか最初からそのつもりだったから。私の目的のために組織に入ってた……って取り調べの時日笠くんもいたよね?」

「うん、まぁ、聞いてたよ」


 水海が警察や軍から取り調べを受けていた時、当然日笠も同席していた。あえて話を聞こうとしなくても、同じ話を何回もするので自然と憶えてしまった。

 彼女は反抗組織レジストに加入して主要人物として活動していながら、その思想は全く共有していなかった。能力者たちの自由を唱える彼らの主張を、どうでもいいと思っていたらしい。


「私の目的を叶えるためには日笠くんたちが邪魔になりそうだったから、レジストに協力してた」

「……それは知ってるけど、いや、よくできたなと思って。俺なら、一度仲間になったらその人たちに感情移入しちゃいそうだから」


 なぜか取り繕う言い訳のようになってしまった。

 自分だったら仲間になった人を裏切るなんて出来ない。彼女の目的は、組織の目的とはかけ離れていて、むしろ真逆とも言えた。


「あぁ、日笠くん優しいからね」


 それは誉め言葉ではないというのが抑揚のつけ方でわかった。むしろ嘲笑に近かっただろう。でも、不思議と怒りは湧いてこない。むしろ、なぜだか悪さを先生に指摘されたような気持ちになった。


「私は自分のやりたいことにしか興味ないし、他人に興味なんてない。自分の自由に生きるために全力を尽くす、そのためだったらなんでもやる」


 とても力強い言葉だった。

 そして彼女はその信条通りに生きていた。

 組織を裏切り、その身に宿る能力によって目的を果たそうとした。しかしその願いは身に余るもので、目的を達成する前に能力が壊れ、日笠に敗北した。


「……みたいな生き方をしてきた。でもまぁ、最近は……ちょっとどうだったんだろ、って思うこともあるけど」


 水海は足をぷらぷらさせる。

 彼女が後悔のようなことを口に出すのを初めて見たので驚いた。そんなことは、厳しい取り調べを受けていても一度もなかったのだ。


「特に、『呪詛』ちゃんにだけは、申し訳ないなって思ってる。彼女、本当に良い人だったから。日笠くんたちにとっては違うかもだけど」


 そうして右手に刻まれた呪いの刻印を空に向かってかざす。それは『呪詛』によって刻まれたものだ。

 誰に何を言われても、怒号を浴びせられても、己を省みるようなことを彼女は口に出さなかった。

 ゆっくり考える時間があって、考えが変わってきたのだろうか。

 それとも、これも嘘なのか? 仲間を欺いてきたのと同じように、日笠も懐柔しようとしているのか。


「でもね、基本的に自分のしたいように、自由に生きるべきだと思うよ。だってそうしないと、ずっと自由でないままで生きることになるでしょ? でも、あなたには難しいのかな」


 彼女は小さく笑う。


「日笠くんは優しいから」


 今度は嘲笑が含まれていなかった、そんな気がした。


「……人ってみんな自由に生きろっていうけど、本当にみんな自由に生きてんのかなぁ」


 日笠の口から、今まで誰にも言いづらかったことがぽろっとこぼれ出た。頭を抱えて下を向く。言いたくなかったけど、言葉にしないと他のところから溢れそうで止められなかった。


「俺の立場になったらみんなちゃんと逃げられるのかな。……俺には無理だよ。だって、一番強い人から能力奪っちゃったんだから」


 日笠はある時、それまで最強だった能力者から能力を奪ってしまった。

 勿論事故のようなものだったし日笠に悪気があったわけでもない。日笠の能力が急に変化して、これまで出来なかったことができるようになってしまった。あの瞬間まで、自分が人の能力を奪うことができるなんて知らなかった。

 最強の彼は許してくれた。だけど、本当に心から許してくれたのか、日笠は信じることができなかった。

 だからこれまで逃げずに戦ってきた。

 逃げなかったのではなく、逃げられなかったのだ。罪悪感と恐怖心で。

 能力を奪ったことを恨まれていたらどうしよう?

 逃げたらもっと蔑まれるのでは?

 そして逃げたせいで、誰かが傷ついて取り返しがつかないことになったら。

 誰かが自分からこの能力を奪ってくれたらいいのに、と何度も思った。

 後ろ向きな理由で戦っていて、英雄になんてなれるはずがない。


「逃げたくないっていうのも、本心だったんじゃない?」


 暗い感情がぐるぐる胸の中を駆け巡っていたとき、思いがけない言葉が水海から降ってきて顔を上げる。


「……え」

「よくわかんないけど、逃げたかったけど逃げられなかった、みたいな話だよね? でもさ、逃げたいのと逃げたくないの、別にどっちかだけが本心ってわけじゃないでしょ。半信半疑って言葉もあるくらいだし、人間の心って色んな状態が混ぜ合わさっているものなんじゃない?」

「まぁ……それはそうかもしれないけど……え、それだとなんなの?」


 水海の言いたいことがよくわからなくて首をかしげる。


「軍のお手伝いって別に強制じゃないんでしょ? 逃げようと思ったら別に辞めて逃げてもよかったはず。それなのにそうしなかったのは、まぁ罪悪感なのかもしれないけど、でもそれだけなのかなぁ」


 水海は首を傾げ返す。


「私には想像しかできないけど、お友達を守りたいとか犯罪者のことが許せないとか恩返しがしたいとか、そういうのもあったんじゃない?」

「あ、あぁ……それは、まぁ、そうだね」


 頑張っている帆景や緑川、前線にいた仲間を助けたいという気持ちは勿論あった。能力者の立場を確保するために頑張ってくれている人達もいるのに、平気で能力を使って犯罪をする人達に腹が立っていたのも事実だ。


「だから、日笠くんは不自由に生きてきたけど、ちょっとくらいは自由に生きてた側面もあるんじゃないかって私は思うんだけど、どう?」

「…………」


 言われてみればそうなのかもしれない。

 逃げられない、逃げられないと思ってきたけど、逃げたくないなとひとかけらも思わなかったわけではない。コンディションの良い時はみんなのために頑張ろうと素直に思えた瞬間も確かにあったし、逆に全ての人が憎い、と思った時もある。  


「……ちょっとは、そうだったのかも。もう前のことだからよくわかんないけど」


 素直に全部肯定できるわけではないが、思い返せばそうだったかもしれないと思わないこともない。これも思い出になったからこその思い出補正がかかっているのかもしれないけど、でもそれだけでもないと信じたい気持ちになった。

 水海は小さく笑みを浮かべる。


「そっか。もしそうだとして、その時逃げてたら、逃げたくないって気持ちを無視することになってたわけで……あーややこしくてこんがらがってきた。とにかく、日笠くんなら、逃げても罪悪感を抱いてそうだなーと私は思った」

「多分ね。どっちを選んでもうじうじ悩んでいたと思うよ」


 あの時逃げていたら、帆景や緑川ともう会えなかっただろう。逃げなかった彼らと合わせる顔がないからだ。

 そう思うと、あの時逃げなくてよかったのかもしれない。

 逃げられなかったのではなく逃げないことを選んだのだと、思えるような心の強さがあればあんなに悩まずに済んだかも、なんていうのは全て想像の話だ。


「それに……私だってずっと自由に生きてきたわけじゃないよ」

「え」

「だってそうでしょ? 自由を謳歌してたらもっとはやくに捕まってるって!」

「そりゃあそうか……うん」


 目的を隠して組織に所属していたわけだし、彼女だって百パーセント自由ではなかったというのは当たり前の話か。あまりに想像がつかなくて驚いてしまった。

 水海は縁側から外に出した足をぶらぶらさせる。


「これでも小さい時はみんなに適合しなきゃと思って頑張ってきた。でも結局無理でさ、全然無理でさ。諦めて自由に生きることにしてしまったわけ」


 そう言う彼女の声色は珍しく辛そうだった。そんな声を聞いたのは、最終戦の時以来かもしれない。

 捕まって拘束されて監禁されて、命の期限が目前に迫っても笑い続ける彼女。


「だから日笠くんだって、これからは自由に生きる、ってことだって出来るんだよ!」


 水海の笑顔は、特別輝いてみえた。


「……そうだね、ありがとう」


 暗闇の方に顔を向けなおし、改めて考える。

 これまでの生活で、水海は日笠に優しかった。

 しかしそれは、どういう意図なのだろう。

 今までは、日笠を懐柔してなんらかの目的を達成しようともくろんでいるだけだろうと思っていた。


 でも、本当にそれだけなのだろうか。


 彼女は逃げたところでもう目的を達成できない。能力は壊れてから一か月以上経っても、まるで復旧している様子がないのだ。


 なら、もう自分の好きなように生きているのではないか。

 嫌いな奴にあえて阿っているのではなく、ある程度の好意を抱いているから優しくしてくれているのではないか、と思ってしまう。


 全ては嘘かもしれない。

 でも、もし彼女が自分を嘘でなく気に入ってくれているとしたら、嬉しいと感じる自分がいた。

 そうであってほしいと願ってしまうほどに。

 日笠は胸のあたりを掴む。息苦しくなってきた。


 水海と仲良くする演技をしているつもりだった。緑川に言った通り、ずっとそのつもりだったのだ。

 でもいつの間にか自然に仲良くなって、本当に友達みたいに感じるようになっていた。自分が気づきたくなかっただけで。

 どころか、自由に生きていいと言ってくれる彼女に、愛しささえ覚えてしまっている。


 好きになってはいけない相手を、好きになってしまったら。一体どうしたらいいのだろう。


 そして日笠には、もう一つ考えなければいけないことがある。

 緑川の言った通り、日笠なら『呪詛』の呪いを解くことができる。経験上、九十パーセント程度の確率で実行可能だ。解呪すれば、水海はもっと長く生きることができる。


 もし本当に好きだったら、呪いを解いてもいいのだろうか。

 ――――たとえ、相手がどんな人間であっても。

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