84.イワナは源流域、ニジマスは中流域(シリウス視点)
暫くして、満足したアリシアと僕は馬車へと戻った。
戻ったのだけど、アリシアの視線は名残惜しそうに川へと向けられたままだ。
そうだよね。橋を歩いてみたかったぐらいだから、川のそばも歩きたいに違いない。
僕はジュリアンに指示を出して、少し先に馬車を移動させる。
「アリシア、折角だから少し川辺を散歩して行こうか」
「いいのですか」
「うん。向こうに馬車を待機させたから、そこまで歩こう」
「はい!」
笑みを浮かべるアリシアに、満たしたいはずが満たされているのは僕の方だと思った。
アリシアと一緒にいると幸せな気持ちになれる。
アリシアと出会えて、本当に良かった。
川へ続く階段を下りると、心なしかアリシアがソワソワし始める。
本当なら手を振り解いて駆け出したいのだろうけど、ずっと繋いでくれているアリシア。僕が『外は危険だから手を繋ぐか、腕を組むように』と言ったことを、アリシアは律儀に守っている。そんなアリシアが可愛くて仕方がない。
「アリシア、転ばないように気を付けてね」
そう言って、さりげなく手を離す。
アリシアは「はい」と答えながら、少しだけ早足になって川へと向かった。
“走るのは、はしたない”と言われているから抑えているのだろう。
それもまた可愛く見えるから、僕は重症かもしれない。
どんなアリシアも可愛い。
僕の奥さんは世界一可愛い。
憧れの川を目の前にして子どものようにはしゃぐアリシアも、川に手を入れて「わぁ、冷たい」と好奇心を見せるアリシアも、全てが可愛くて愛おしい。
父上達が言っている『愛』とは、こういう事なのだろうか。
僕が近づくと、屈んでいたアリシアは立ち上がった。
そして川をジッと凝視する。
「何かいます。シリウス様、あれは?」
「あぁ、魚だね」
「魚! 魚が川に……ということは、あれは川魚。川魚といえばイワナですね!」
「うん、確かにイワナは川魚だけど」
「あれがイワナ……あのイワナが、ここに……」
アリシアは何やら感慨深い様子で川を、正確には魚を見つめている。
その目は、美味しいものを食べている時と似ているような。
アリシア……もしかして、イワナのムニルを想像しているのかな?
「いや、あれはイワナではないよ。大きさが違うし、イワナは源流域にいるから、ここにはいないかな」
「そうですか……」
シュンとしたように見えたのは、気の所為ではないね?
何だか可哀そうで、アリシアを喜ばせたくて、その日の夕食にイワナを出してもらうように頼んだ。
運ばれてきたイワナのムニエルをアリシアはジッと見つめた後、僕を見る。
違うよ、アリシア。
さっきクローバー川にいた魚ではないよ。
あの魚(全長)と、イワナの切り身が同じサイズなはずがないだろう?
あ、もしかしなくてもアリシアはイワナ(全長)を見たことがないのかな?
今度は釣りにでも行こうか。
アリシアのことだ、きっと喜んでくれるに違いない。
僕が心の中で考えている間、イワナを口にしたアリシアは「美味しい!」顔を綻ばせていた。
アリシアは川魚が好きみたいだからね。
もっとアリシアの笑顔が見たい。もっと喜ばせたい。あぁ、そうだ!
明日は少し予定をずらして、街に出掛けよう。良いものがあるんだ。
******
翌日、僕らは少し寄り道をして街へと向かう。
馬車から降りて歩いていると、程なくして良い香りが漂ってきた。
今日の目的は、これだ!
「アリシア。あれ、食べてみる?」
僕は香ばしい煙が立ち込める屋台を指差す。そこには魚の刺さった串が円形に立ち並び、火に炙られていた。アリシアは初めて見るようで、物珍しそうにしている。
「あれは? 魚ですか?」
「うん、ニジマスの串焼きだよ。ニジマスは川魚でね、この辺りの中流域で獲れるんだ」
「川魚! 食べてみたいです」
「では、二つ頼むよ」
川魚と聞いて、アリシアは目を輝かせた。
店主から串を二本受け取って、一本をアリシアに差し出す。
あ、しまった。
これは皿もカトラリーも使わずに豪快に食べるものだ。
「アリシア。そのまま齧り付いて食べるんだけど、大丈夫?」
「ワイルドな食べ方なのですね」
言いながら、アリシアは抵抗なく、串の先にある尻尾の方から口に入れようとした。
「待った! これはね、身を食べるだけで頭と尻尾は食べないんだよ。あと背骨もね」
「そうなのですね」
危なかった。
危うくアリシアの口の中が傷だらけになってしまうところだった。
僕は手本を見せるように、背の部分に齧り付く。
それを見たアリシアも、真似るようにニジマスを頬張った。
思い出すなぁ。
以前、アリシアと街へ出掛けて、試食のオレンジを食べたことを。
あの時のアリシアの反応も可愛かったけど、今はどうだろうか。
アリシアを見たら、至福といわんばかりに目を閉じて「美味しい」と呟いた後、うっとりと余韻に浸っていた。
どうやら気に入ってくれたみたいだ。やはり、ここに寄り道して良かった。
おかげで、アリシアを喜ばせることに成功したのだから。
ジッとアリシアを見ていたら、僕の視線に気づいたようで首を傾げた。
「シリウス様? どうかなさいましたか?」
「いや、アリシアが可愛いなと思って」
言った瞬間、ボンッとアリシアの顔が赤くなる。
本当に可愛い。
そんなアリシアを見ていると、ムズムズした感情が湧いて来る。
ずるい質問をしてもいいかな?
「ねぇ、アリシア。今、幸せ?」
「? えぇ、もちろんです」
何を確認されているのか分からない様子で答えるアリシアに、僕の口角は自然に上がる。アリシアは、ハッとしたように僕を見た。
「シリウス様も幸せですか?」
「もちろん。幸せだよ」
互いを見て、微笑み合う。
いつの間にか、串には頭と尻尾と背骨しか残っていなかった。
アリシアと食べると、いつもより美味しく感じて、あっという間に食べ終わってしまうな。
「アリシア、もう一本食べる?」
僕の誘惑に、アリシアは「はい!」と元気に答える。
それから僕達は、おかわりをして、食べて、またおかわりをして……結局、一人三本ずつ食べてしまった。
店主は嬉しそうに「お嬢さん、美味しそうに食べるね。それに二人とも、いい食べっぷりだ」と笑っていたが、ジッと僕を見つめてくるフェリシアの視線が痛かったのは言うまでもない。
別にいいだろう?
これぐらい。アリシアが喜んでいるのだから。
この程度で、お腹を壊すこともないだろうし……ないよな?
僕は平気だけど、アリシアは大丈夫だろうか。
一抹の不安を抱えてアリシアを見たら、満足そうに頬を綻ばせていた。
よし、念のため薬を用意させておこう。
あぁ、そうだ。これだけアリシアが好むのだから、ニジマスの養殖事業を展開してもいいかもしれないな。アリシアが望んだ時に、いつでもニジマスを食べてもらえるように。
川を前に手を離したり、ニジマスを食べさせたり、おかわりを提案したり、とシリウスが先取りしているから、アリシアが“こうしたい”“ああしたい”と発言する機会が失われているのですが、シリウス本人は全く気づいていません笑)




