82.クロフォード侯爵家
それから数時間後。
日が傾き始めた頃、とある立派な屋敷に到着した。
「今日は、この侯爵邸で休むことになるよ」
侯爵!
どおりで立派なはずね。オズマン侯爵邸と変わらない大きな屋敷だわ。
シリウス様に続いて馬車を降りると、侯爵邸の人々が出迎えてくれていた。
「お久しゅうございます、シリウス殿下。ようこそ、お越しくださいました」
「一年ぶりになりますね。今日は、お世話になります」
深々と頭を下げた、この屋敷の主人だと思われる人物とシリウス様は挨拶を交わす。その隣に立っているのは、おそらく夫人だろう。
「そうだ、紹介がまだだったね。アリシア、こちらはクロフォード侯爵夫妻だ」
「初めまして、アリシア……えっ、クロフォード?」
挨拶の途中で、私はハタと動きを止めた。
シリウス様も、紹介されたクロフォード夫妻もニコニコと笑みを浮かべている。
クロフォードって、もしかして!
「そう、このクロフォード侯爵家がアリシアの養子先だよ。だから、彼らはアリシアの養父母にあたるかな」
そう言った後「あ、伯爵位は侯爵が持っている爵位の一つだよ」と、シリウス様は補足してくれた。
私を養子として引き取ってくれたクロフォード伯爵、いや侯爵夫妻との突然の初対面に、言いたかったことが沢山浮かんで言葉が纏まらない。
だけど、これだけは伝えたくて、ずっと心の中で思い続けていた言葉がある。
「私を養子として迎えてくださり、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ。こんなに素敵なお嬢さんなら、もっと早く養子縁組をしたかったな」
「えぇ、本当に。こんな愛らしいお嬢さんに酷い仕打ちをするなんて、人として信じられないわ。辛い思いをされたのでしょう? どうか私達のことは本当の親だと思って、遠慮なく頼ってくださいね」
「ふふっ、父上達も同じようなことを言っていましたよ」
「おや、これは手強いライバルになってしまいますな! ハハハッ」
ガバッと頭を下げた私に掛けられる穏やかな声。
優しい人柄を感じさせるクロフォード夫妻に、感謝の気持ちが溢れて止まらない。
私は思わず『この方達に幸がありますように』そう心の中で強く祈った。
その瞬間、フワッと温かい風が吹き抜けていく。
「お疲れでしょう。さぁさぁ、こちらへ」
ご夫妻に案内された部屋には、お茶の用意がされていた。揃って椅子に座ると、ほんのりと湯気の立つ紅茶がカップに注がれる。爽やかな芳香が鼻腔をくすぐった。
「そういえば聞きましたよ。国境付近で大変だったとか」
「あぁ、少々トラブルがありましたね」
「それにしても馬車がダメなら馬でとは、実に王妃様らしい。さぞかしランドルフ殿が肝を冷やしたことでしょう」
「えぇ。必死に説得しているようでしたが、結局はランドルフが負けていましたよ」
「可愛い姪っ子には勝てないのですよ、きっと」
フッと苦笑いを浮かべたシリウス様に、侯爵も同情するように笑っていた。
あの、今、かなり重要な発言があったようなのですが?
え、お義母様とランドルフは親戚なのですか?!
「ですが、王妃様は剣の腕も相当だとか。心配はないのでは?」
「確かに母上は、護衛にも引け劣らない腕前ですね」
「ハハハッ、さすが武術の名門一家ですな!」
夫人の疑問にシリウス様が答えると、侯爵は愉快そうに笑った。
「実は王妃様に鍛えていただいた事があるのですが、それはもうお強い上に手心も加えていただけなかったので、完膚なきまでに打ちのめされた覚えがあります」
「分かります。僕に剣術を教えたのは母上でしたが、容赦も手加減もありませんでしたから」
今度は侯爵が苦笑いを浮かべて、シリウス様は愉しげに笑った。
えっ、シリウス様に剣術を教えたのは、お義母様だったのですか?
「そして王妃様が決まっておっしゃるのが」
「「『わたくしに勝てないようでは男ではありません。まったく情けない。男として認められません。精進なさい』ですね」」
二人の声が揃った。
お義母様の、ご実家は一体?
その答えは、私がキョトンとして話についていけていない事を察した侯爵が教えてくれた。
「王妃様のご実家は、数々の武功を立てておられることで有名な家門なのですよ。騎士団や近衛隊など、“守り”には欠かせない人材を数多く輩出されておられるのです」
「そうなのですね」
お義母様の強さは、そこに!
とても私には真似が出来ないわ。
馬車が壊れて馬で行くことになった時、お義母様が強いと知って私も強くなりたい、シリウス様の隣に立つのに相応しい強さを持ちたいと思ったけど、お義母様のような強さは私には難しいわね。
それなら私には何が出来るかしら?
私にあるもの……あ、聖女の力ね!
イングリルド国には聖女に関する文献があるとシリウス様が言っていたから、全部読んで強くなりましょう。そうしたら、きっとシリウス様の横に立っても恥ずかしくない強さを持てるはずだわ!
「それにしても、シリウス殿下は変わられましたね」
「オズマン侯爵にも同じことを言われましたよ」
「そうでしたか。以前とは見違えるように穏やかになられた」
「それもこれも、アリシアのおかげです」
「良き伴侶に出会われたのですね」
「はい」
私が新たな目標を決めた横で、ハッキリと頷くシリウス様。
私は照れくさくなってしまって、顔が上げられなかった。
******
翌日、シリウス様に「今日はチューリップ畑を通るよ」と言われて、ウキウキした気持ちでクロフォード侯爵邸を後にした。私の両親となってくれた人達との別れの寂しさを誤魔化すように。
去り際、侯爵夫妻が「何かあれば、いつでも力になるから連絡するように」と優しく送り出してくれて、私の胸はジンと熱くなる。
人に親切にしてもらえること、気にかけてもらえることは、とても嬉しいことだ。それに値する人間でありたいし、応えたい。
私に出来ることがあれば、精一杯やろう。
新たな目標に加えて、決意も新たにした。
数時間後、シリウス様の言っていたチューリップ畑に到着した。シリウス様に手を引かれて、馬車から降りる。そこには見渡す限りチューリップ畑が広がっていて、色とりどりの花が咲き誇っていた。
「わぁ、綺麗」
思わず感嘆の息が漏れた。シリウス様も微笑みながら「そうだね」と頷く。
折角だからと、少し散歩することになった。
「ここは、この国で一番大きなチューリップ畑だよ。イングリルド国はチューリップの栽培に適していてね。元々出荷量は多かったけど、今後は国を上げて周辺諸外国に売り出していこうかと思うんだ」
「そうなのですね」
貿易ということですね。自国の特産物を輸出して外貨を稼ぐというのは、国の財源を得るために重要なこと。
さすがシリウス様。
国の発展を一番に考えているのだわ。
「うん。アリシアの好きな花だし、プロポーズにも使った花だからね。特にアリシアの瞳と同じ紫色のチューリップには力を入れる予定だよ」
「はい?」
「実は、アリシアの瞳に近い色の新たな品種の開発も進めていてね。あ、もちろん品種名は『アリシア』にするつもりだよ! 完成したら、真っ先にアリシアにプレゼントするから待っていてね」
「は、はい……???」
えっ、待ってください。国の利益のための輸出ですよね? 開発ですよね? 何だか私のためと聞こえるのですが、気のせいですよね?
ニッコリと、それはもう満面の笑みを浮かべるシリウス様に疑問を問いかけることは出来なかった。
自分の名前の花が開発されているなんて……驚いたし、恥ずかしくもある。
けれど、シリウス様の気持ちが伝わってきて、私は笑みを返した。
「はい、これ」
いつの間にかシリウス様はチューリップの束を手にしていて、私に差し出す。
「一昨日アリシアに渡した花は、まだ枯れていないだろうけど、折角ここに来たからね」
「ありがとうございます!」
それは紫色の花びらで9本の花束。紫色は『不滅の愛』、9本は『いつも一緒にいよう』という意味が込められている。
これは、初めてシリウス様に花束をもらった後、調べて知ったこと。
あの時、お店のおばさんが『後で調べてみるといい』と言ったので、気になって花言葉を調べた。あの時の花束にはピンク、赤、紫のチューリップが1本ずつ……ピンクは『愛の告白』、赤は『誠実な愛』、そして3本の意味は『あなたを愛しています』。
シリウス様は花言葉を知っているのかしら?
知っているのなら、この花束も意味があると思っていいのかしら?
だとしたら……直接的な言葉は恥ずかしいけど、これなら目を見て言える。
私は受け取った花束からシリウス様に視線を移して、想いを告げる。
「私も同じ気持ちです」
「!!」
シリウス様は一瞬目を見開いた後、すぐに頬を綻ばせた。
「ありがとう、嬉しいよ」
どうやらシリウス様は花言葉を考えて、この花束をくれたみたい。
その心遣いが嬉しくて堪らない。
そういえば、プロポーズの時のチューリップは何本だったのかしら?
確かめる術は、もうない。
貰った日に数えておけば良かったのだけど、驚くことばかりで余裕がなかったのよね。




