80.婚姻届
お義父様がティーカップを手にすると、お義母様も同じように紅茶を口へと運ぶ。
お義母様の所作は、とても綺麗だから私は常に、お手本にしている。
ライラの処世術の“周りを見る”は、ここでも健在よ。
「ところでアリシアちゃん、何か気になる事があるのではないか?」
さすが、お義父様は察しがいい。
あ、シリウス様の察しの良さは、お義父様譲りなのね。
少しソワソワしていた私は「聞きたい事があれば何でも言うがいい」と言われて、おずおずと尋ねた。
「あ、えっと、先程お義父様がおっしゃっていた『あのシリウス』の“あの”とは何の事なのですか?」
「あぁ、それか。それはなぁ……」
「遅かれ早かれ、いずれアリシアさんも知ることになるでしょうから、話しても問題ないでしょう」
言い淀んだお義父様に、お義母様は後押しするように目配せした。
「うむ。それも、そうだな。あれは、私らも悪かったのだ」
「えぇ。王太子であるシリウスに早く伴侶をと思い、令嬢達とのお茶会を何度も催したのです」
「しかし、シリウスは伴侶を見つけるどころか、令嬢達に興味を示さなくなってしまった」
「沢山の令嬢から誘われても素気無く断り、さらに令嬢を遠ざけるようになってしまったのよ」
「シリウスは私に似て、人の本質と物事の真意を見抜く目がある。おそらく、その所為だろう」
親として息子のためにしたことが裏目に出たと、お義父様達は悔いている様子だ。
何故、本質と真意が見抜けると興味を示さなくなるのか分からないけど、確かにシリウス様は学園でも令嬢達に近づくことなく距離を取っていた。
「そんなシリウスが“令嬢”であるアリシアちゃんに好意を抱き、伴侶として迎えた。だから“あの”と言ったのだ」
「えぇ、今まで遠ざけてきた“令嬢”を受け入れたのですからね」
「シリウスを留学に出したのは見聞を深めるためでもあるが、国内では望めそうにない伴侶との出会いに期待したからでもあった。シリウスは見事その期待に応えてくれたな」
「えぇ、シリウスを留学に出して良かったですわ。こんな素敵な伴侶を見つけたのですから」
「あぁ、アリシアちゃんほどの心根の清らかな美しい人間はそうはいない」
「そんなこと」
「アリシアちゃんは、もっと自分に自信を持つべきだ」
「ええ、そうですよ。アリシアさんの心は、とても綺麗なのですから自分を信じなさい。」
自分に自信ですか?
そんなこと、今まで考えたことなかったわ。
そう言われると、私は自分に自信がない気がする。
だって今まで家族から愛されることもなく、ただの“魔力無し”の無能だったのだから。
あぁ、でも今は違う。愛してくれる人がいて、聖女の力もある。
きっと、これからは自分に自信を持てるはずだわ!
そんな私の心の変化を読み取ったのか、お義母様は微笑む。
「そうです、もっと胸を張っていいのですよ。アリシアさんは愛される人間なのですから」
「あぁ、それも多くの人々からな。あのフェリシアもジュリアンも、アリシアちゃんのことを大層気に入っている。私らだって、アリシアちゃんのことを愛しておるからな」
えっ、愛される人間?
私が?
私は昔、言われた言葉を思い出した。
『私は愛される人間なの。でも、あんたは愛されない人間よ』
あの言葉と、今のお義母様達の言葉、どちらが信用に値するかは明白だわ。
私は心の奥深くで固まっていた何が溶けるような、捕らえられていた枷が外れるような、そんな気持ちになった。
「はい。お義父様、お義母様」
口角が上がるのが自分でも分かる。
それを見て、お義父様達も笑みを浮かべた。
「さて、二人が想い合っていることは一目瞭然だが、アリシアちゃんの口から聞きたい。アリシアちゃん、これからもシリウスと共に歩んでくれるだろうか?」
唐突に真剣な眼差しを向けてきたお義父様。
その問いの真意を考える前に、私は反射的に答えていた。
「もちろんです!」
私は姿勢を正すと、お義父様の目を見る。
自分の意思が伝わるように。
「私は生涯、シリウス様の傍にいます」
「そうか。では、こちらにサインしてくれるかな」
お義父様が言った瞬間、どこからともなくフェリシアがスッと現れて、一枚の紙を私の前に差し出した。
これは……!
私は、その紙に書かれている言葉を噛み締めるように、一語一句逃さず心の中で復唱していく。そして読み終えると、シリウス様のサインの下に自分の名前を書き込んだ。慎重に、丁寧に、胸に刻むように。
私のサインが記入されるのを見届けたお義父様は「これで安心だ」と頷いた。
「あとはシリウス次第だな。ひとまず私らに出来るのは、これぐらいだろう」
「えぇ、そうですね。あとはシリウスの愛次第です」
「僕が、どうかしましたか?」
噂をすれば影とは、よく言ったものだ。
いつの間にか鍛錬を終えたシリウス様が横に立っていた。
あっ、シリウス様の鍛錬を見るはずだったのに。
まぁ、それは、またの機会に。
「なんてことはない。シリウスの愛が、どれ程のものかという話だ」
「そうです。シリウスが愛を、ちゃんと示せるのかという話です」
えっ、そんな話していたかしら?
私同様、シリウス様も疑問符を浮かべながら「そうですか」と答えていたけど、お義父様が手にしている書類に気が付くと穏やかに微笑んだ。
「さて、そろそろ私達は立つとするか」
「えぇ、そうですね」
出立する時間だと、お義父様達は立ち上がる。
えっ、今日は一泊するのではなかったのですか?
いけない、全く用意をしていないわ。
私の慌てた様子に、シリウス様は笑みを浮かべた。
「出立するのは父上達だけだよ。僕達は当初の予定通り、ここで一泊するからね」
「そうなのですか?」
何故、お義父様達だけ先に帰るのかしら?
そんな疑問が顔に出ていたのか、お義父様が答えてくれた。
「なに、ちょっと王城へ行って判を押さねばならないのだ」
そう言いながら、お義父様は手にした書類をヒラリと翻すと懐へ仕舞う。
あの書類は婚姻届なのだけど、きっと他に処理しなければならない書類があるのですね。国王なのだから、仕事が沢山あるのだわ。
シリウス様がイングリルド国まで7日間と言っていたから、往復合わせて14日間はかかるということ。半月も不在となれば、仕事も溜まってしまうに違いないわ。
「折角だからシリウス達は、ゆっくりしてくるといい。多少、寄り道しても構わないぞ」
「えぇ。一度王城に入ってしまうと、そう簡単には遠出が出来ませんからね。この機会に我が国をアリシアさんに見せてあげなさい」
「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えさせていただきます」
お義父様達の言葉に、シリウス様は嬉しそうに頷いた。
そうよね、王族は大変よね。警備の問題やら何やらの他にも、色々としがらみがあるはずだわ。そう簡単に外出も出来ないのでしょうね。
エントランスを出ると、そこには既にランドルフ達が整列していた。私は、馬車へと向かうお父様達に駆け寄ると、胸の前で手を組んだ。
「どうか、お気をつけて。道中の無事をお祈りしております」
言いながら目を閉じると、瞼の向こうが明るくなった気がした。
「まぁ、これは」
「ハハハッ、これで道中は安全だろう」
「アリシア……」
目を開けると、笑みを浮かべるお義父様達に対して、シリウス様は困った顔をしている。
あっ、もしかして私、またやってしまったの?
「あの、違うのです。わざとはではなくて、無意識に、本当に無意識で」
「うん、分かっているよ。父上達の事を思ってくれたのも嬉しい。けど、今後は気を付けようね」
「はい」
諭すようにシリウス様に言われて、私はシュンと肩を落とす。
お義父様は「ありがとう」と私に言った後、「二人が一緒にいれば、心配はいらないな」と言いながら馬車へと乗り込んだ。
シリウス様の剣の腕と、私の聖女の力が揃えば無敵という事ですね、お義父様!
お読みいただき、ありがとうございます(*ᴗˬᴗ)⁾⁾
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