45.衝動
前半はアリシア視点、後半はシリウス視点になります。
あれ以来、新たに“シリウス様に怪我をさせた“というのが、私の噂に加わった。
それによって周囲から向けられる目も、より冷ややかなものになってしまう。
でも訂正する術もなければ、あながち間違いでもないので、そのままにしていた。
それが、いけなかったのかもしれない。
昼休み、シリウス様は再び先生に呼び出されていた。
卒業パーティーでの卒業生代表の挨拶について話があるという。
挨拶は基本、最終試験の首席が行うことになっている。今回の首席は私なのだけど、“魔力無し”に挨拶させるわけにはいかないと次席のシリウス様に声がかかったようだ。この間、職員室に呼び出されていたのも、その件だったとか。
でもシリウス様は断ったと言う。
本来、私がするはずなのに魔力がないというだけで除外されるなんてとシリウス様は憤慨していた。
そして私を差し置いて代表の挨拶はしたくないと。
それでも先生達は諦めずにシリウス様を説得したいらしい。
この間のこともあってか、シリウス様は私から離れるのをひどく躊躇っていた。
でも、私が一緒に行くわけにもいかないし……ということで折衷案として、職員室の近くで私は待つことにした。
これなら何かあっても、すぐシリウス様が気づくだろうし、職員室付近で何かしようなんて思う人もいないだろうと。
けれど、それは甘い考えだったようで―――
「きゃあっ!」
いきなり目の前で令嬢が転んだ。
それはもう派手にバタンと大きな音を立てて。
私が「大丈夫ですか?」と声を掛けながら近づいた途端、その令嬢は
「アリシア様、酷いです!」
と顔に手を当て、泣き始めた。
謂れのない言葉に私はどういうことかと首を傾げるが、その騒ぎにワァッと人が集まる。まるで示し合わせていたかのように。
そして令嬢は私に突き飛ばされたと涙ながらに訴えたのだった。
その言葉に周囲からは「噂通りの悪女だな」とか「酷いやつだ」とか罵る声が上がる。私はどうしたらいいものかと途方に暮れてしまい、ただ呆然と立ち尽くしてしまった。
「何があったんだ」
そこに人波をかき分けて、シリウス様が現れた。
私は聞き慣れた声にホッとして振り向いたが、そこにいたシリウス様は私と令嬢を見て唖然としている。
その無表情で冷たい目が父のよりも怖くて、息が詰まるようにヒュッと私の喉は鳴った。美人の無表情は怖いと言うけれど本当だ。
「アリシア……」
私の名を呼ぶ声が、いつものシリウス様からは想像も出来ないぐらい冷淡に聞こえて……もうダメだった。
私は駆け出した。
その場から逃げたくて、シリウス様が怖くて走った。
「アリシア! 待って!」
後ろから聞こえる呼びかけに、私は一瞬ギュッと目を瞑ってしまう。
今はシリウス様の声を聞きたくなかった。
走って、走って、走って―――それでも背後から名前を呼ばれる。
それを追い払うように足を動かし続け、階段を何度も駆け上り、息も絶え絶えになった頃、目の前に廊下はなかった。
行き止まりのその先はガラスのない窓があるだけで、これ以上は先に進めない。
けれど、後方からシリウス様が駆けてくるのが足音で分かる。
(怖い……父と同じ冷たい目が、凍てつくような低い声が……怖い)
クラディア家で受けた仕打ち、辛い記憶が一気に蘇って私の身体を、思考を支配する。
私は、ただただ逃げたくて……目を閉じると窓枠に足を掛けた。
「アリシア!!!」
******
外から聞こえた悲鳴に、僕は話もそこそこに職員室から飛び出した。
辺りはすでに人だかりになっていて、何とか人の間をすり抜けて行く。
そこには泣きながら座り込む令嬢と困惑するアリシア、それを取り囲むように口さがない言葉を吐き続ける生徒達がいた。
すぐさま何が起きたのか理解する。
(大方、令嬢がわざと転んでアリシアに罪をなすりつけているのだろう)
未だにそんなことをする人間がいることにも、それを止めようともせず、むしろ助長する周りの人間にも呆れ返った。
(ほんの少し離れただけで、こんなことになるとは)
自分の不甲斐なさも相まって酷く憤りながらも、とにかく助けようとアリシアに声を掛ける。
その途端、アリシアは顔面蒼白になって走り出した。
静止の言葉も聞かず、ひたすら走る。
僕の足でも追いつかない程に必死のようだ。
(アリシアの足が、こんなにも速いとは!)
それでも僕も諦めるつもりは更々ないし、体力は僕の方が上だからアリシアが力尽きるまで追いかけようと思い、走り続けるとアリシアの行く手は行き止まりになる。
これでやっと追いつけたし、話ができる。
そう思った矢先、こともあろうにアリシアは窓から飛び降りた。
「アリシア!!!」
手を伸ばすが届くわけもなく、僕も窓枠に足を掛けアリシアを追った。
何とか空中でその身体を引き寄せると、魔法の詠唱をして地面までの間に大きな水球を作り出す。
(これで何とか衝撃を防げればいいのだが)
ドボンと二人でその中に落ちて行った。
そのまま沈んでいき、地に足が着く頃、水球が割れる。
水球の中では呼吸が出来るわけではない。
風魔法を使えば空気を取り込むことも可能だったが、それはもっと集中しなければならないし、そもそも風魔法を使う余裕があるのなら水球ではなく、そっちで着地しているところだ。
咄嗟のことだったので、つい得意な水魔法を使ってしまった。
しかし瞬時の行動が求められる状況だったから、これで正解だったとは思う。
例え、ずぶ濡れになり窒息しかけたとしても。
僕は自分に言い聞かせるように心の中で呟きながら、アリシアを地面に横たえると呼吸を確認する。少しの間だったといえ溺れたことには違いないから。
(僕は息を止めていたけど、無防備だったアリシアは大丈夫だろうか)
本当はアリシアの鼻と口を塞げればよかったのだけど、そんな余裕はなかった。
そもそも、もっと僕がしっかりしていれば、こんなことにはなっていない。
もっと僕は強くならなくては。ちゃんとアリシアを守れるぐらいに。
「アリシア、アリシア」
身体を揺すりながら何度か声を掛けると、アリシアはゴホッゴホッと咳き込んで水を吐き出した。
良かった、無事だ。
魔法を使ってしまったが、辺りを確認する限り生徒の姿はないから見られてはいないだろう。僕が魔法を使えることを今、知られてしまう少々厄介だから幸いだ。
(とりあえず、このまま教室に戻るわけにはいかないな)
二人共びしょ濡れだし、先程の騒ぎもある。
午後の授業は休んで、荷物はジュリアンに取って来てもらおう。
とにかく今はアリシアを着替えさせないと。
風邪を引いたら大変だ。
僕はアリシアを抱きかかえると、頭上を見上げる。
(何故アリシアは、こんなことを)
いや、死のうとした訳ではないだろう。恐らく突発的に、そう、衝動的な行動だったに違いない。そこまで追い詰められていたとは。いや、当然か。彼らに散々酷いことをされてきたのだから。もう限界だったのだろう。そのことに気付かなかった自分に腹が立って仕方がない。
(それにしても、あの高さから落ちたにも関わらず、アリシアが無事で良かった)
いや、むしろあの高さがあったからこそ詠唱時間を稼げて無事だったのだろう。
僕は心底ホッとしながら馬車へと向かった。
本人が気づいていなくても、トラウマになっていることってあるんですよ…。




