44.聖女の力
卒業前の最終試験が終わり、学生生活も残すところ二週間あまりとなった。
“魔力無し”となってからは大変だったし、シリウス様と結婚したことから別の意味でも好奇の目で見られていたけれど、それらも今は落ち着いている。
皆、今はそれどころではないみたい。
卒業パーティーに向けて準備が忙しいらしい。
令嬢達の話を小耳に挟んだところ、どんなドレスを仕立てたとか、合わせるアクセサリーはどうとか。その中でも重要だと、もっぱら騒がれているのはパートナー選びだとか。
親兄弟と一般的な選択肢から、従兄や叔父なども視野に入れていると言う。
そして令嬢達の選択基準は、どれだけ“カッコイイか!”だそうで。
「私のお父様は少し体型が……」とか「わたくしのお兄様は根暗な雰囲気が……」とか散々言った挙句「それに比べ叔父はイケオジで!」や「でも従兄はイケメンで!」なんて言われている。前半部分が本人達の耳に届かないことは幸いだと思う。
ただ気がかりなことが一つ、それは私の変な噂が流れていることだ。
癇癪持ちでヒステリックだとか、貴族の教育を受けていない野蛮人だとか。
貴族云々のくだりは間違ってはいないから、ドキッとしてしまう。
それから家では妹に暴力を振るっていたとか、教科書やドレスや大事なものを破ったり燃やしたとか、おやつを取り上げたり、無視したり罵ったりと酷くいじめていたと。
そこから尾ひれがついた結果、私は我儘で高慢で粗暴で残酷で、まるで世の中の悪いものすべて詰め込んだような悪女になってしまった。
他にも何か言われているみたいだけど、私はそれしか知らない。
わざと聞こえるように言われて、耳にしただけだから。
(シリウス様の立場や評判が悪くならないか心配なのだけど)
訂正したいところだけど、小声でヒソヒソ話している場に「ちょっとその話についてですが」なんて声を掛けに行くのも微妙だし、そもそも私が近づくと去ってしまうので何も出来ずにいる。
そして面と向かってきそうな時は、サッとシリウス様が盾になるように間に割って入ってくれる。そうなると文句や悪口を言いたかった人達も、何も言えずに引き下がる形となっていた。
(私、シリウス様に守られているのね)
思えばパトリシア様の時から……いえ、あの男子生徒に突き飛ばされた時から、私は守られていたのかもしれない。
******
さて今ですが……
放課後になり、シリウス様が先生に呼ばれて職員室に行っている間、私は久々に令嬢達に連れ出されてしまいました。
エリザベス様以来、シリウス様がいてくれたおかげで、こういうことが起きなかっただけなのだと、つくづく実感しているところです。
「貴女。いい加減、身の程を弁えたらどうです?」
そんな風に言われても、どう返答したらいいのか。
戸惑っていると、令嬢達は苛立ちを募らせていく。
「噂を聞きましたわよ、何て残忍な方なのでしょう」
「貴女のような悪女は、シリウス様に百害あって一利なしですわ!」
「シリウス様に良いように取り入っているようですが、私達は騙されませんから」
例の噂を聞いたようで、好き勝手に言ってくれている。
そして皆一様に「シリウス様と別れろ」と言う。
事実か確認しないあたり、程度が知れているというものだけど。
「何とか言ったらどうですの!!」
反論しても無駄だろうと思って黙っていたのが悪かったみたい。
ついに何かが切れてしまった令嬢の一人が私を突き飛ばした。
私は思い切り後ろへ倒れ込む。
―――その先は池。
衝撃に備えて目を閉じた瞬間、身体が前方へと引き戻されたけど反動で膝に力が入らず私は、その場に座り込んでしまう。そして私の背後から、バシャーンと何かが池に落ちる音がした。
本来なら、そこには私がいるはずだったのに。
振り返ったらシリウス様が尻もちを着く形で水の中にいた。
「え、シリウス様?」
私だけでなく、令嬢達も驚きの声を上げている。
一瞬、間が空いた後シリウス様は立ち上がると濡れた手で水しぶきのかかった髪をかき上げた。
(カ、カッコイイ……)
“水も滴る良い男“なんて表現があるけれど、本当なのね。
いやいやいや、今はそんなこと考えている場合ではないわよ、私!
私の所為でシリウス様がずぶ濡れになってしまったわ!!
思わず見惚れてしまった私にシリウス様は近づいて来る。
「アリシア、大丈夫だった? 怪我はない?」
「あ、はい! シリウス様のおかげで大丈夫です。ありがとうございます。それよりシリウス様こそ」
大丈夫ですか? と尋ねようと思ったら、シリウス様は屈みながら私の顔を覗き込んで「無事でよかった」と優しく呟いた後、キッと令嬢達の方を睨んだ。
「教室に戻ったらアリシアがいないから慌てたよ。まさか未だに、アリシアに害をなそうとする人間がいるとはね」
先程の優しい声と打って変わった冷たい声に、令嬢達は小さな悲鳴を上げた。
そして立ち上がりながらシリウス様はいつぞやの時のように、その場にいる令嬢達の名を全て口にする。
「僕の愛する人を傷つけたことは忘れないから」
圧が怖い。
真下から見上げる状態で表情はよく見えないけれど、辺りの温度が下がった気がした。
ふと見ると、ずぶ濡れになってしまったシリウス様からは当然のことながら水滴が落ちている。その足元に赤い水の粒が一滴二滴と……。
(え、赤?)
その粒の真上を見たら、シリウス様の手から赤い液体が滴っていた。
「シ、シリウス様! 血が!!」
私は慌ててシリウス様の手を取った。
その手は血に滲んでいる。
おそらく池の中の石で切ってしまったのだろう。
それを見た令嬢達は絶叫しながら青褪めている。
シリウス様自身は言われて初めて気づいたようだけど「あぁ」と言っただけで別段気にする素振りはない。
(いやいやいや、気にしてください! 怪我しているのですよ? 私の無事を確かめるより先に、ご自分の心配をしてください!)
私が急いでハンカチを取り出して傷口に当てていると、令嬢達は慌てふためきながら小走りで逃げ去ってしまった。
「シリウス様、大丈夫ですか? あぁ、どうしましょう」
「この程度、平気だよ」
動揺する私に対して冷静なシリウス様。
何故そんなに落ち着いていられるのですか?
ハンカチをギュッと固く結んだけれど、止血が出来ていないようで白いハンカチが見る見る内に鮮血に染まっていく。
どうしよう、血が止まらない。
そこまで酷い出血量ではないと思うけど、どうしたらいいの??
「アリシア、本当に大丈夫だよ」
シリウス様が平気だと言えば言うほど、逆に私は不安になって涙ぐんでしまう。
(私の所為で怪我をさせてしまった……きっと痛いはず……)
「私の所為で、私の所為で」
無力な私は何も出来ずに、ただ狼狽えるだけ。情けなくて仕方ない。
いつもシリウス様に守ってもらっているだけだなんて……。
私に出来ることなんてないけれど、何かに導かれるようにシリウス様の手を両手で包むと、祈るように目を閉じて頭を垂れた。
お願い、お願い、お願い!
血を止めて! 傷が治って欲しい! 痛みを取って!
纏まりのない願いが頭の中に溢れる。
すると手元が温かくなり、何だか目の前が眩しく感じた。
シリウス様が衝撃を受けたような声で名前を呼ぶので、私は目を開ける。
眼前のシリウス様は、声色通り驚きに満ちた顔をしていた。
「シリウス様?」
どうしたのだろう?
あ、もしかして傷が痛むのでは!
私の心配を余所に、シリウス様は手に巻いたハンカチを取ってしまう。
「シリウス様?! 何を」
「アリシア、見て」
言われてシリウス様の手を見たら、傷が綺麗に治っていた。
それはもう跡形もなく。
「え? どうして?」
思わずシリウス様の手を取って、傷があった場所を指で撫でて確かめてみたけど、痕跡はまったく見当たらない。
不思議に思っていると、シリウス様は私のことをジッと見ていた。
「アリシアは聖女だったのか」
「はい?」
聖女って、あの聖女?
私の勝手なイメージではあるけれど“清く正しく美しく”を体現している清廉潔白で慈悲深くて博愛に満ちた?
とても私とは、似ても似つかないですけど。
「いえいえ、違いますよ」
私が手も首も振って否定すると、シリウス様は「そうか……」と考えるように小さく呟いた。
そして「そろそろ帰ろうか」と手が差し出されたので私は「はい」と頷きながら、その手を取る。歩いている間もシリウス様は怪我した手を見つめていた。
よく分からないけれど、とにかくシリウス様の怪我が治って良かった。
本当に良かったわ!
******
驚いた。
アリシアが祈った瞬間、彼女と僕の手が光に包まれて、ズキズキと感じていた痛みがスッと消えた。と、同時に光も消える。
「アリシア」
驚きのあまり、思わず名前を呼んでいた。
もしやとハンカチを取り、怪我を確認してみれば、初めから何もなかったかのように傷一つない。
まさかと思って聖女かと問うとアリシアはキョトンと目を丸くし、全力で首と手を横に振っていた。
その場は引き下がったが、ポーションでも使わない限り傷を治すことが出来るのは聖女の力だけだ。
恐らくアリシアは聖女だ。本人は全く自覚がないようだが……。
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