43.紫の薔薇
アリーを貰った時には熱も引いていたらしく、体調も問題ないとお医者様のお墨付きをもらえたおかげで、翌日から学園に通う許可が出た。
休んでいた3日分の授業については、シリウス様が教えてくれたので問題なく、いつもの日常に戻った。
睡眠時間と食事を除いては。
睡眠時間は“7時間寝るのがクロフォード家のルール”と言われたので仕方なく増やした。
食事は栄養が足りてないから肉を食べるようにと言われ肉料理が増える。
こってりしたソースのかかったリブロースステーキや大きなサーロインステーキをシリウス様は美味しそうに食べるけど、私にはとても……あれは脂っぽくて苦手なのよね。
そんなわけで食が進まない私になんとか食べさせようとジョナサン達が奮闘して、脂っぽくない牛肉料理をいくつか作ってくれている。
その中で、私が気に入ったのはミートパイ!
(ジョナサンのパイはどれも美味しいわ!)
シリウス様のはお肉たっぷりだけど、私のはお肉は少なめでジャガイモや野菜が多めになっている。そんな気遣いも嬉しい。
あと牛ほほ肉のビーフシチューも!
スプーンを当てればホロホロッと崩れる柔らかさ、そこにコクと風味豊かなブラウンシチューが相まって最高!!
そして食後にシャーベットが出た日には、もう幸せいっぱいだわ。
でも、睡眠時間を増やした所為で圧倒的に時間が足りない。卒業前の最終試験も刻々と迫ってきている。
やるべきことは沢山あるのに……今、私は僅かな焦燥を抱えながらシリウス様と馬車に揺られ、温室植物園へと向かっている。
本当は勉強もしなくてはならないし、ダンスの練習だってあるから遊んでいる場合ではないのだけど。
学園で令嬢達が「今、温室植物園で珍しい紫の薔薇が展示されているのだとか!」と話しているのを聞いてしまい、一目見たいと思っていたところにシリウス様が誘ってくださったものだから……誘惑に負けてしまった。
勉強を優先すべきなのに、シリウス様に誘われたら嬉しくて断れない。
シリウス様と過ごす時間は、とても心地よくて好きだから。
馬車が目的地に到着し、シリウス様が手を差し伸べてくれるので、私はその手を取って降りる。
(……あれ? 何で?)
すぐ離されると思っていた手が繋がれたまま、シリウス様は歩き出す。
以前、街に行った時は人が多かったから迷子にならないようにと手を繋いでいたけど、今は人も多くないので私は首を傾げた。
それに気づいたシリウス様は「あぁ」と言いながら、言葉を続けた。
「外は危険だから、例え人が多くなくても今後はこうして手を繋ぐか腕を組むようにしようと思ってね」
「危険、ですか?」
「ほら、アリシアは不逞の輩に絡まれただろう?」
(あぁ、あのことですね!)
「ナンパというやつですね!」
「う、ん……」
私が自信を持って答えたら、シリウス様は歯切れ悪く頷いた。
あ、そういえば!
「あの時『良いことしよう』と言われたのですが“良いこと”って何ですか?」
「え?!」
結局、マリーに教えてもらえなかったのでシリウス様に聞いてみたのだけど。
シリウス様は口元を手で押さえて言葉を詰まらせている。
「シリウス様?」
「えーっと、そうだね。“良いこと”というのは……そう、僕以外とは……してはいけないことだから、絶対誘いに乗ってはダメだよ。いいね?」
始めは迷った口調だったのだけど、途中からはあの時のマリーと同じように気迫たっぷりだったので、押されるように私は「分かりました」と頷いた。
だから結局“良いこと”って何?
どうやら聞いてはいけないことなのかもしれない。
植物園に入ると、そこは沢山の花々で溢れていて、花の香りが辺り一面を包み込んでいた。
お屋敷の庭園とは違った景色で、お屋敷では咲いていない花達に私の気持ちは高まっていく。
「わぁ、綺麗ですね」
色鮮やかなブーゲンビリアの一角を見つけると、思わずシリウス様の手を引いて駆け寄ってしまった。
他にもブラックキャット、ホワイトキャットなんて面白い名前で変わった形の花もある。よく手入れされた花達は、どれもこれも美しくカラフルで心が躍った。
それなのに……ふと、勉強やらダンスやらが頭を過ってしまう。
(今こんなことをしていて、いいのかな?)
私の表情は曇っていたのかもしれない。
すぐにシリウス様は気が付いてしまったようで、私の顔を覗き込んでいる。
「勉強のこととか気になる?」
「あ、いえ、その……」
「そんなに根を詰めなくてもいいと思うんだけど」
「で、でも……」
「授業に必要な勉強は十分しているし、ダンスも卒業パーティーで問題なく踊れるレベルに達していると聞いているよ」
シリウス様に「そこまで無理しなくても」と言われるが、何故だか焦る気持ちが募ってしまう。
「そんなに焦らなくてもいいんだよ。今のままで十分アリシアは頑張っているんだから」
シリウス様は優しく言ってくれるけど、私には足りていないものが、もっとある気がする。それが何なのか分からないから、不安なのかもしれない。
「ねぇアリシア、卒業してもこのままクロフォード家にいていいんだよ?」
「え? でも卒業までという約束ですし」
もしかして、卒業後メイドとしてクロフォード家にいてもいいということかしら?
いや、シリウス様は私がメイドになろうとしていることも、クロフォード家に雇ってもらおうと思っていることも知らないはずだから違うわよね?
「約束した覚えはないんだけどなぁ」
シリウス様の小さな呟きは、周りの喧騒に掻き消されて聞き取れなかった。
聞き返そうとした時、喧騒が一層大きくなる。
気になって声がする方に視線を向けると、人だかりの隙間から僅かに紫色が見えた。もしかして!
「あれが紫の薔薇でしょうか!」
「ふふっ、行ってみようか」
私が興奮気味に言うと、シリウス様は楽しそうに笑っていた。
******
人が多くて、ゆっくりとは見られなかったけれど確かに紫色の薔薇だった。
(淡く仄かな色合いは儚さを漂わせていて、それでいて凛とした気品を感じる不思議な花だったわ!)
帰りの馬車の中、先程の薔薇に思いを馳せていると、シリウス様は私を見てニコニコとしていた。
「紫の薔薇が見られて良かったね」
「はい、あんなに不思議な色合いの綺麗な薔薇があるなんて! 目にすることが出来て嬉しかったです。連れて来てくださり、ありがとうございます。シリウス様!」
「どういたしまして。確かに、あの薔薇はアリシアの瞳と同じ色で綺麗だったね」
目を細めたシリウス様は先程の薔薇を思い出しているようだけど、私は首を傾げた。
「え? 私の目なんて只のくすんだ紫色ですから、あの花と同じとは到底言えませんよ」
「そんなことないよ。あぁ、あの花よりもっと綺麗かな。アリシアの瞳は、まるでアメジストのように綺麗だよ」
「そ、そうですか?」
私が否定してもシリウス様は肯定の言葉を告げてくる。
自分の目を綺麗だと言われたことなんて、まして宝石に例えられたことなんて初めてで、顔に熱が集まってきた。
「うん。昼間、光に照らされると微かに透けて明るさが増すし、夜は僅かに色が濃くなって深みが増すから、とても綺麗だ。僕はアリシアの瞳、好きだよ」
「そ、そうですか」
シリウス様は、いつぞやと同じように優しい顔をしている。
何故か分からないけど、それを見ると私の胸はキュッと苦しくなってドキドキと鼓動が早くなってしまう。
(はわわぁぁ!!!)
私は急に恥ずかしくなってしまい、顔を手で覆った。
何か話題転換を!
えーっと、そうだ! これを!
タイミングを見計らっている内に渡しそびれていた例のハンカチを、私は意を決して差し出した。
「あの、シリウス様。これを」
「僕に?」
「はい。あの街へ出掛けた時、助けていただいたお礼と言いますか、いつもお世話になっているお礼と言いますか……こんな物では全然お返しにはなっていないと思いますが」
「いや、嬉しいよ! ありがとう、アリシア」
シリウス様は少し驚いたような表情をしたけど、すぐさま嬉しそうに笑みを浮かべてくれた。
「もしかして、この刺繍はアリシアが?」
「あ、はい。拙い出来で申し訳ないのですが」
「いや、とてもよく出来ているよ。アリシアは刺繍も上手なんだね」
「いえいえ。私なんて、まだまだ。でもシリウス様の幸運と健康と繁栄の願いを込めて刺繍させていただきました!」
私は、そこだけは自信があると力強く頷き、モチーフの四葉のクローバーとテントウムシについて説明した。
シリウス様は「テントウムシにそんな意味が」と感心している。
「ありがとう。アリシアの気持ちがとても嬉しいよ。大切にするね!」
よかった、喜んでもらえたみたい!
シリウス様は微笑んだ後、ハンカチの刺繍をジッと見て何か考えている。
あ、あっ、そんなに凝視されたら、粗が見えてしまう!!
そんな心中に気づいていないと思うけど、シリウス様は視線を刺繍から私に移した。
「アリシア、よければ卒業パーティーで付けるタイに刺繍をしてくれないかな?」
「え?」
刺繍を? 私が?
「私がしていいのですか?」
「もちろん! アリシアだからお願いしたいんだ。あ、大変なら別に」
「いえ、させてください! ぜひ!!」
言いかけたシリウス様の言葉を遮って、私は食い気味に答えた。
タイへの刺繍は特別な意味がある。
それはタイが心臓に近いから。
そこに刺繍を施すのを許すというのは、相手への信頼の証でもある。
これは他の国々でも同じ習慣で有名な話。
(シリウス様は私を信頼してくれている)
そのことが、とても……とても嬉しく感じて、胸が熱くなった。
屋敷に戻ったら家紋を聞いて、精一杯気持ちを込めて刺繍させてもらおう!
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