サイコパス
「よし。次は彼に"挨拶"をするんだ。この短剣でな」
「はい! えーっと、ようじょつかわせろくそうんえいさん、こんにちはーっ!」
ふわちゃんはこれ以下はないだろうと思われるくらいに酷い名前のプレイヤーに対して挨拶という名の残虐行為を見舞った。無抵抗のプレイヤーの喉笛に短剣をぶっ刺すという暴挙。ブシュッと飛び散った赤いポリゴンがふわちゃんの顔を赤で染める。
やりきった感を出したふわちゃんが汗を拭うような気軽さで額を拭う。血色のいい肌に筆で書いたような血の跡が描かれる。ふぅと息を吐き、にぱっと笑うふわちゃん。うーん、サイコパスでは?
「くくっ。さあ、次だ。次は彼にこれで挨拶をしようか」
「はい! えーっと、スカーフェイスさん、こんにちはーっ!」
ふわちゃんはハンマーで無抵抗の『検証勢』のメンバーを殴殺した。側頭部を捉える豪快な一振り。それだけでは死ななかったのでマウントを取ってもう一振り。明確な殺意の乗った一撃に見える。見えるが……。
「見ろ、ライカン。これで五人目だ。君を合わせると六人目だというのに……くくっ、これは、素晴らしい。認識の差異。あろうことか、彼女は本心からプレイヤーキルを挨拶だと思っている。あるのか? こんなことが。百聞は一見にしかずというが、この目で見ても理解が及ばないことはあるものなのだな」
静かに興奮を顕にしたヨミさんが口の端を吊り上げた。歓喜に震えているのか、未知に慄いているのか、握り拳が小刻みに震えている。見開かれて瞳孔が窄まった目は純白に光るプレイヤーネームを捉えていた。
プレイヤーキルペナルティの踏み倒し。俗に染まった連中は皆してそんな下らない表現をする。
違う。正義だ。
このゲームでは悪意を持ってプレイヤーをキルした場合、プレイヤーネームが赤色に染まる。裏を返せば、善意や正義の心でもって相手プレイヤーを正した場合、プレイヤーネームが赤く染まることはない。この僕が証人だ。
脳波。このゲームでことあるごとに出張ってくるシステムだ。
高い精度を誇るシステムは善悪の境界に割って入り、それぞれに相応しい処置を下す。そのはずなのだ。そうでなくてはならない。僕だけが唯一の証人だったのだ。
だというのに。
「ふぅー。ちょっと疲れちゃったかもですね」
「まだトンファー使いレベル2だからな。だが"挨拶"を続ければレベルが上がる。じきに身体能力が上がって楽になってくるだろう」
「はい! 頑張りますよぉー!」
これが、正義? 僕は首を傾げた。
いやいやバグでしょ。下手するともっとおぞましい何かだ。恐らく……ふわちゃんはサイコパスだ。殺人程度では一切心が動かない金属のような思考回路をしているに違いない。それは、下手をすれば快楽殺人犯のシリアよりもタチの悪い存在だ。自覚無き悪。背筋に寒いものが走った。
何ということだ。こんなことが許されていいのか。僕はご意見フォームにことのあらましを記入して運営に送りつけた。攻撃的な脳波を検知云々のテンプレ回答を寄越された。ゴミ運営め。いい加減に仕事しろ。
「凄いな。これはNGOというゲームのシステムの根幹に一石を投じる光景だぞ。洗脳と思い込み。やはり自己暗示か? システムよりもまず自己を欺く必要がある、と。ああ、サンプルが特殊すぎるッ! これは異例中の異例だ! こんな白無垢なキャンパスのような心の持ち主が居て堪るものかっ! クソっ! 世界は広いッ!」
頬をひくつかせながらわなわなと震えるヨミさん。乱れた言葉遣いに反してその顔は喜びに満ちている。世紀の大発見をした科学者のような反応だ。そして調子に乗って粛清されるまでがワンセットだろう。
なぜ崇高な理念が理解できない! とか喚きながら、最終的には自分の実験で生み出した化け物にプチッとされる役回りだ。はまり役すぎる。
しかし……このままだとよくない。サイコパスふわちゃんが持て囃されているこの現状は非常に宜しくない。こんな悪夢のような光景が大衆の知るところとなったその時は……正義が軽視されかねない。僕が今まで汗水垂らして築き上げてきたNGOにおける正義という地盤が根底から覆されてしまう。
それは、良くない。あってはならない。早急に彼女のイカれた思考を矯正しなくては。僕はふわちゃんに耳打ちした。
「ふわちゃん、僕は殺し合いは挨拶なんてトチ狂ったことを言ったけどね、あれは単なる冗だッ!」
横合いからこめかみを打ち据える一撃。ヨミさんの掌底だ。勢いの乗った一発を受けて『検証勢』のギルドハウスをごろごろと転がる。前後不覚に陥っていたところ、ヨミさんに速やかにマウントを取られた。
ガッと胸ぐらが掴まれる。窄まった瞳孔。狂気に染め上げられたマッドサイエンティストがそこにいた。
「ライカン。なぁライカン。あまり愚かな真似をするものではない。これがどれほど稀有な事例なのか……質を同じくする君ならば分かるだろう? 君と彼女は恐らく根本を同じくしており、しかし異なる形に枝分かれしたと言っていい。これ以上はないであろう逸材だ。だが、まだ脆い。これは吉兆だ。ものにしたい。彼女は全くの未知であったシステムを暴く鍵となりうるのだ。汚すのはよしたまえよ。彼女は、私が完成させる」
どこの悪の秘密結社なんだよ。完全に基地と一緒に自爆して死ぬ系の科学者じゃん。瓦礫に押しつぶされて惨たらしく死ぬそれじゃんね。
しかし、質を同じくするとは。言ってる意味がさっぱりだ。
ヨミさんは恐らく頭がいい。よく回転する頭を持っているのだろう。だが説明というか、噛み砕いて理解させることが苦手だ。他人と同じ視点に立つ気がそもそも無い。一人で勝手に納得し、周りも理解している前提で話を進める。だから認識にズレが生じる。
そして自分が致命的な勘違いをしていても、意見の擦り合わせをする相手が居ないのでそれが正解だと思い込んだまま先へ進もうとする。
正さなくてはならない。ふわちゃんと、アレと同質だと思われるのは少々心外だ。
「悪役ロールに酔ってるところに水を差すようで悪いけど……あれはただのサイコパスだよ。吉兆だなんて以ての外だ。悪いことは言わない。化け物になる前に早めに正気に戻してあげようよ」
「ほう……まさか君からサイコパスなどという言葉が出てくるとはな。化け物になる前にときたか。くくっ。化け物は君だろうに。それは先輩からの忠告のつもりか?」
「ヨミさんも大概狂ってるよね。僕は正義だって何度言えば分かるのさ」
どうしようもないほどに腐った価値観が蔓延したこのゲームにおいて正義は異物にしか映らない。そんなことは重々承知だったのだが、まさかヨミさんも目を曇らせた凡愚のうちの一人だったとは。僕は憐れみの視線を向けた。
「……ああ。これは丁度いい機会なのかも知れないな」
それまでの興奮を嘘のように霧散させたヨミさんがポツリと呟く。凪いだ湖面のような表情。廃人が覗かせるそれに似て、しかし目だけが異様なまでにギラついていた。
見たことのない表現だ。心理の奥底を測りかねる。
胸ぐらを掴んでいた手が離れ、両腕を抑えつけられる。起爆の封じ込め。これをやられると僕は為す術が無くなる。目に妖しい光を湛えたヨミさんが迫った。
「君は逸材だ。常日頃から言っているように、私は君を高く評価している。君のそれは才能だ。そしてNGOという世界の中で特段の光を放っている。誰に磨かれたわけでもないというのに、だ。金剛石。ダイアモンドといえばいいかな。私は君をそのように認識している」
「ごめん。意味がわからないかな」
「属性と希少価値の話をしている。当然のことだが、プレイヤーの九割以上は凡庸の類だ。他ならぬ私もね。だが中には突飛な才能を秘めている者がいるのだ。有名所で言うと『先駆』のトップ。メアリス。ユーリ。そして君だ。個人的な優劣をつけるとしたら頂点はユーリか君だろう。誇るといい」
どうにも褒められている実感に乏しい。特にユーリとかいう被害妄想狂と同列に扱われているというのが気に食わない。
ユーリは妄想一つで他人にペナルティを押し付けることが出来る。普段は引きこもっているので目立たないが、その実態は飛び抜けてイカれたプレイヤーだ。なぜBANされていないのか不思議なくらいに。
それと同列? 馬鹿言っちゃいけないよ。何を誇れというのか。僕は反論した。
「あんな色情狂と一緒にしないでよ。あれはバグだ。運営が無能だから見逃されてるだけに過ぎない。あれと比べられる事自体が耐え難い屈辱だよ」
「ああ、そうだな。もはや比べるに値しない。訂正しよう、ライカン。君は下位に転落した。希少価値の暴落という一点でな。彼女が現れた。それが全てだ」
彼女。ヨミさんの視線の先にいるのはふわちゃんだ。
彼女は『検証勢』のメンバーに促されるまま凶行に走っている。僕とヨミさんがこうしている間に手に掛けた人数は一体どれほどになるのか。
だというのに、彼女のプレイヤーネームは未だに純白を保っている。……希少価値の暴落。僕以外の正義の登場とでも? あり得ない。どこをどう見ればあれが正義に見えるのか。
嬉々として殺されにいく『検証勢』も頭がおかしい。邪教徒もかくやの狂いっぷりだ。あんな連中がいるからふわちゃんまで毒されてしまうのだ。
やはり正さなくてはならない。奈落の如く底が知れない民度は数々の悲劇を振り撒いて止まない。終止符を打てるのは僕だけだ。
「ヨミさんの歪んだ思想は正直どうでもいいんだ。興味もない。誰になんと言われようと、僕はこの狂態を止めてみせる。それが僕の正義だ」
僕の所信表明を受けて、ヨミさんは微動だにしなかった。ただじっとギラつく目で僕を見下ろしている。投薬後のマウスの挙動を観察するような無機質さ。怖気が走る。
「…………ああ。悪役ロールと言ったか。それもいい。私は今、君を無性に壊してみたいんだ。スペアが見つかったからかな? どうにも、自分でも知らないうちに抑圧していたモノがあるようだ。金剛石。その硬さ故に傷付かず、孤高で輝かしい。だが割れやすいんだ。わりと有名だろう? 靭性には乏しいから衝撃には弱いんだ。意外なことにな」
「……ちょっと何言ってるかわかんないかな。ヨミさんの勝手に突っ走る癖は治したほうがいいよ」
「ダイアモンドは当然のことながら割れると価値が落ちる。ゆえ、今まで手厚く保護してきたんだ。だが私はこんな性質だろう? 宝石を眺めて愛でるよりもいっそ砕いて検めてみたいと思うのだ。どの程度の衝撃で壊れるのか。飛び散った破片はどのような形を取るのか。その断面は。組成は。知的好奇心といえば恰好がつくが……まあなんだ、欲に忠実なんだ。子供のような無邪気さで、少しばかり乱暴を働きたいと疼いている。情けないだろう? 笑ってくれていい」
「笑うってよりも引いてるよ。大丈夫? 今日のヨミさんはちょっとおかしいよ。一旦ログアウトして頭冷やしてきたら?」
聞いているこっちがむず痒くなるような台詞回しを始めたヨミさんに休憩を促す。どうやらふわちゃんというイレギュラーの毒気に当てられたらしい。宝石だの壊すだの、まるで意味がわからない。他人に話を理解させる気がない人間はこれだから良くない。
「心配は無用だ。寧ろ今は冷静になりたくない。エンジンがかかったとでも言えばいいのかな? くくっ。少し歯止めが効かないかもしれないな? 先に謝っておこうか。すまないな、ライカン。少しキツいかもしれんが……今までの厚遇に免じて許せ」
ヨミさんが笑った。
普段浮かべる冷笑的な笑みとも、時折見せる狂った科学者のような笑みとも違う。
それは本当の笑み。システムの表現限界に挑むような狂熱を孕む嬌笑。優しげな弧を描いた目がどこまでも薄ら寒い。吐き出した呼気が重みを伴って首を締めてくるようだった。気圧される。息が詰まる。なんて、忌まわしい。
ふと気付くと顔が歪んでいた。それを見咎めた狂人が一層笑みを深くする。捕らえた獲物を嬲る捕食者のような嗜虐がちらつく。目を逸らした先には闇のような黒髪が垂れていた。いつの間にか顔がすぐそこにある。吐息がかかる距離。骨の髄まで凍らせるような熱を吐き出した狂人が言う。
「君が正義と呼ぶそれは贋だ。自己を保つために作り上げた虚像に過ぎない。周りの全てが悪に見えるか? それこそ君が異質である証だ。共感性の欠如。もう分かるだろう? 目を背けるのはやめたまえ。向き合うんだ。化け物め。ライカン。君は、サイコパスだ」




