簡易式チキンレース
僕は簀巻きにされて転がされていた。僕を囲んだ三人がそれぞれ異なる踊りを踊っている。
控えめに言って邪教徒のサバトじゃんね。生贄かな?
ビストロさんはストリートダンスだ。ムーンウォークが美しい。
ユーリはロボットダンスだ。ガタのきたおばあさんかな?
フレイヤたんはコサックダンスだ。肉体の躍動感が凄まじい。
一分経過。三人がポーズを決めてピタリと停止した。やおら座布団に座り直し、ジャンケンをして順番を決める。ユーリ、ビストロさん、フレイヤたんの順番でゲームが進むようだ。
箱に詰められた短剣からユーリが適当な一本を見繕い摘み上げた。鋭い切っ先が鈍い光を発している。ふむ。僕は声を上げた。
「本当にこのままやるの? 僕の代わりいないの?」
「あァ? お前が持ちかけてきた話なんだからケジメくらいつけろや」
「そう言われてもなぁ……ほら、タクミーとかいるじゃん。ドブロクさんとかさ。ショーゴでもいいよ」
「お前タクミーになんか恨みでもあんのか?」
「いや全然?」
全然ないよ?
だが信じてもらえなかったのか、ビストロさんの表情は完全に嘘つきを見る目だ。何故なのか。この間の企画でグッと距離が縮まったというのに。
「別にいいじゃない。簀巻きにされるのなんて慣れっこでしょ?」
慣れてるよ? そりゃ慣れてるけどさぁ……。別に慣れたくて慣れたわけじゃないんだよなぁ。レッドネームが好んで簀巻き法を使うのが悪いんだよ。
簀巻きにされるとプレイヤーは詰む。抜け出せないのだ。メニューは慣れれば念じるだけで出せるので、そこから強制ログアウトするしか抜け出す方法はない。人為的にスタックの状況を作り出せるのだ。故に処刑などでよく使われる。
特に有名なのは簀巻き崖落としだろうか。あれはなかなかにインパクトがある。される側は慣れていないと情けない悲鳴を上げてしまうこと請け合いだ。紐なしバンジーみたいなものである。
「僕の代わりにユーリがやってよ。ちょっとなかなか体験できないよ? 貴重な経験だよ?」
「却下」
すげなく断ったユーリは僕の脇腹辺りに短剣を突き刺した。初手脇腹か。攻めるな。
「ほう」
「……」
見ている二人が息を呑む。攻めの刺し筋に圧倒されているようだ。短期決戦の構え。ユーリめ、こやつ中々のブレイカーだ。
「まだよ」
ユーリはさらに箱から短剣を取り出す。まさか……二本刺し……? そりゃ、確かにルールでは一回の手番で一人二本まで刺せることになってはいるが……。すこし飛ばし過ぎだろう。
「おいおい。ちと焦り過ぎなんじゃねェかユーリ嬢。簀巻き役ぁ生産職のレベル12なんだぞ? プラ3が二本だったらどうするつもりだァ?」
ダンと畳を叩き睨みを効かせるビストロさんに対し、ユーリはフンと鼻を鳴らしてつれない態度だ。
「あら? 日和ってるの〜? あいにくと、私はまだるっこしいのは嫌いなの」
それだけ言うと、ユーリは先ほどとは反対側の脇腹に短剣を突き刺した。脇腹二連。中々居ない刺し手だ。攻めに全振りしている。駆け引きも何もあったもんじゃない。
だが、これが一番手の強みでもある。場のコントロール。主導権の強引な奪取。相手のペースに飲まれたら負ける。これはそういうやり取りだ。
「チッ。素人が……」
吐き捨てたビストロさんは、よく言えば基本に忠実。悪く言えば消極的な刺し筋だ。二の腕。刺すのも一本。これが常道と言わんばかりだ。
表面上の言葉は荒れているものの、その実、内面は平静そのもの。刺す手にも躊躇いや震えは無い。自分を見失っていない。……あくまで想定の内、か。これは……ユーリには荷が勝つか。
「さァ、あんたの番だぜ」
瞑目していたフレイヤたんがゆっくりと目を開く。ふぅと小さく息を漏らす。集中している。一瞬の油断で命を落とす世界に身を置く廃人は、ここぞという場面での勝負強さに定評がある。
摘み上げた短剣。フレイヤたんはそれをクルリと掌中で弄んだ。逆手持ち……!? 何をッ!
「ちょッ!?」
「ッ!」
フレイヤたんは勢い鋭く短剣を鳩尾へと振り下ろした。突き立つ短剣。それはユーリに劣らずの……いや、ユーリ以上に乱暴な刺し筋。敗北で終わってもおかしくない一手。だが……僕はまだ生きている。それが全てだ。
「おいおい……馬鹿どもがよォ」
「流石に、やんちゃしすぎなんじゃないかしら……?」
非難の視線を浴びてもフレイヤたんはどこ吹く風だ。それどころか、トレードマークのポーカーフェイスを崩し、口元を歪めた笑みを浮かべてみせた。
「日和ってんのか?」
「ッ……へぇ、そう」
渾身のクロスカウンターだ。これは痛い。先に仕掛けたユーリに、これは効く。なるほどね、これが狙いか。
ユーリ潰し。フレイヤたんは両者の刺し筋を見た結果、そのような舵取りを決定したようだ。
ユーリから主導権を奪う。焦ったユーリは再度主導権を握ることに必死になって自滅するか……もしくは逃げるか。逃げた場合、ここぞとばかりに揺さぶりを掛けられる。刺し筋が乱れる。フレイヤたんに勝ちの目が見えてくる、と。
もう一人の刺し手であるビストロさんが基本に忠実であることから狙いを絞ったな? ビストロさんを意識の外に置き、擬似的なサシ刺しに持ち込んだ……。こういう抜け目のなさが廃人の故か。
だが、なにより巧いのは……フレイヤたんはすんでのところで急所を外しているということだ。廃人め。手慣れている。あの注目を集めるような刺し方……全部計算づくか? だとしたらとんだ食わせ物だ。
「全く、舐めてくれるわ」
ユーリは短剣を摘み上げると、右足のふくらはぎ辺りに突き刺した。逃げたな。
「日和ったか」
ボソリと呟くフレイヤたん。ユーリは面白いくらいに顰めっ面をしている。こりゃ勝負あったかな?
ビストロさんの短剣を摘む手も淀みない。さては、フレイヤたんの意図に気付いたな? 潰し合ってくれるなら好都合と傍観者に徹するつもりか。
……このままだと結果が見え透いていて面白くないな。ビストロさんが僕の腕に短剣を突き刺そうとした瞬間、僕は勢いよくウネウネともがいた。
「ッ! おい、バカッ! やめろや! 狙いがズレるだろうが!」
恨みがましく僕を見るビストロさんに対し、僕は真っ向から視線を返す。そんなつまらない刺し筋で満足か? 二人がバチバチと火花を散らしているというのに、そんな壁の花みたいな立ち位置でいいのか?
自分を消すなとは言わないが、最後まで自分を出すことなく刺し続け、おこぼれのように得た勝利を誇れるのか?
問いかける。
僕の視線から逃れるように目を閉じたビストロさんは舌打ち一つ。宣言する。
「ポーション」
ほうとフレイヤたんが漏らす。ユーリが声無き笑みを浮かべる。二人の乱暴な刺し筋のツケを全くの部外者が支払う形となったのだ。この段階でポーションを切らせるのは後々に響く。棚からぼた餅。二人からすれば笑いが止まらないことだろう。
ビストロさんが僕の顔にポーションを振りかける。低級だ。全回復はしないだろう。だがこれで展開は読めなくなった。軽い仕切り直しだ。
一躍最下位候補に躍り出たビストロさん。ユーリのいやらしい笑みとフレイヤたんの獲物を見るような目が注がれる。そんな視線を浴びてビストロさんは――嗤った。
箱からもう一本の短剣を取り出す。逆手に握る。それは先程のフレイヤたんの再現で、しかし振り下ろされたのは両の手で――――
「なッ!」
「そんな無茶な!」
ビストロさんはやった。短剣二本両肺刺しッッ!! 意地を見せたッ!!
それでこそだ。それでこそ大勢を束ねるに足る器を示せようというもの。僕は感動で咳き込んだ。
「アクセルベタ踏み、ブレーキなんて取っ払っていこうぜェ……。さァ……あんたの、番だぜ?」
ギラついた視線がフレイヤたんを射抜く。窮鼠猫を噛む。先程まで高みの見物を決め込んでいた男が転落し、しかし決死の一撃を放つ。
喉元に突きつけられた刃。苦しそうに喉を鳴らしたフレイヤたんがポツリと呟いた。
「ポーション」
▷
「……………………ッ! ポーションッ……!」
苦渋の選択だった。ここで突っ張れば敗北は無い、だがリスクが高すぎる。そんな綱渡りの状況。
宣言を受け、ユーリを腰抜けと罵る者はいない。もしも自分達がユーリの立場であってもそうしていたであろうことは想像に難くないからだ。僕もそうしていただろう。
ユーリがポーションを僕の顔に振りかける。空になった瓶を放り、黙って見守っていた二人を睨めつける。心理を推し量られることが我慢ならないのだろう。
彼女はまだ青い。それが称賛であっても素直に受け取ることが出来ないのだろう。だがそれもまた強さ。クレバーに徹するだけでは出せない刺し筋がある。
ユーリが箱から短剣を摘み上げ、淀みなく脚へと突き刺した。ポーションを使ったあとの刺し手は精神に安定感が生まれる。この一手での負けはないという心理がそうさせる。そして、その余裕が対戦相手へのプレッシャーとして機能する。
手番が回ってきたビストロさんが短剣を掴み――そのまま取り落とした。畳の上に短剣が転がる。
「……あ?」
ビストロさんが声を上げる。思わず漏れ出たと言わんばかりの声。なにか信じられないものを見たような。受け入れがたい何かを見たような。
「は……はは……オイオイ……笑えねぇな」
手が震えていた。ビストロさんの手が、寒さに抗うかのように、恐怖に飲まれる寸前のように、カタカタと、小刻みに。
精神をやられてる。
二人の乱暴な刺し筋に始まり、自分がドン底に落ちる展開。活路を開くために無理をして、そしてその反動が確実に精神を削っている。
勝ちの目がチラついたのも良くない。
ユーリがポーションを使わずに突っ張れば勝てたかもしれないという一縷の望み。淡い希望。それがもたらした気の緩み。引き締め直すための精神力が……枯渇している。
「は……ハ。んだこのザマは! 情けねぇ! ウオォォァァッッ!!」
咆哮。そして勢いそのままに逆手に握った短剣を突き刺した。
自分の、手の甲へと。
「ッ……ハァー……無様を晒したなァ。見なかったことにしてくれや」
畳の上に紅が散る。突然の奇行に、しかし誰もが声を出せずにいた。
震えが止まっている。目に剣呑な光が宿る。そこにもう迷いはない。淀みなく短剣を突き刺す。僕の心臓付近へと。
「ッ!」
「……!」
音も光も無かったが、それは確かに衝撃だった。一室に、嫌になるほど充満する緊張感。
鹿威しの音が響く。その音で我に返った二人がビストロさんに視線を向ける。正気を疑うように。狂気の発露を疑うように。
「ハッハァ……ブレーキなんざ、踏むなよな?」
アクセル全開。これが簡易式チキンレースの妙であるとでも言わんばかりの笑み。主導権は今、ビストロさんの手に渡った。
苦虫を噛み潰したような顔をしている二人。そんな中、僕は二人とは違う感想を抱いていた。
ビストロさんは……狂ってなどいない。極めて合理的で冷徹な思考のもと、最適解を選んでいる。
傍目八目。緊張と雰囲気に飲まれている二人には、あの手の甲への突き刺しが冷静さを取り戻すための一手に見えただろうが……違う。視点が違う僕には分かる。
ビストロさんはあの一手で――――武器の強化値を確かめた。
イカサマ。あの土壇場で、演技を織り交ぜて勝ち筋を手繰り寄せた。なんて狡猾。だが、強力に過ぎる策だ。無強化の短剣であることを確認し、イケると踏んで心臓付近へと突き刺した。盤面をひっくり返す妙手。
真の食わせ者はフレイヤたんじゃない。ビストロさんだ。手のひらの上だったと言ってもいい。これが……これが簡易式チキンレースッ! 僕は感動で咳き込んだ。
「ッ!」
フレイヤたんが動く。安全策。サッと短剣を引っ掴み、足のスネ付近に突き刺した。
判定は……セーフ。
ユーリが動く。呼吸が荒い。希望を見出すように僕の顔を見るが……僕は視界がブレてきていたので目を合わせることができなかった。
「まだ、粘んなさいよ……!」
無茶を言ってくれる。僕じゃなくて、自分の運を信じるんだ。無強化の短剣ならまだ耐えられるかもしれない。いや……どうだろうか。
ユーリが短剣を突き刺した。フレイヤたんと同じく脚へと…………僕が知覚できたのはそこまでだった。
「あっ、死ぬ」
「ッ!? 待って! まだ……ぁ」
僕は死んだ。
「なんで! なんで死ぬのよ! そんな簡単に死なないでよ……っ」
そりゃ死ぬよねっていう。生まれ方を間違ったハリネズミみたいになってるもんね。
「ううぅぅぅぅ……」
死後の十秒で見たのは悔しさに歪んだユーリの顔だった。
青いな。その苦い経験は君を強くするだろう。敗北を甘んじて受け入れるんだ。その味を知っている人間は、強くなる。
フレイヤたんとビストロさんの目は優しげだ。良い縁に恵まれたな。ここらへんで限界だったので僕は光の粒になった。




