濡れ衣を着た獣
NGOにはセクシャルハラスメントペナルティという機能がある。
プレイヤーに対して過度な身体接触、及び性的な目的の身体接触を行った時に課され、罰則として48時間のログイン制限と144時間の注意期間を付与される。
注意期間中に再度同様のペナルティを課された場合、ログイン制限の時間が増えていき、最終的にログイン禁止の処置を下される。
アバターが現実の体型に準拠するという発表がされた段階で、良からぬ目論見を抱くプレイヤーが発生するのは火を見るより明らかであった。
この機能はそういった悪質なプレイヤーへの牽制を果たし、健全なゲームライフを確保する役割を持っている。
感覚まで再現するVRゲームにおいては無くてはならない機能の一つである。この機能の実装無しに倫理の審査は通ることは無い。
このペナルティの精度は高いことで知られており、いくつもの性的な嫌がらせによる被害を裁いてきた。
だが、中には諦めの悪い人間というのはいるもので、どこまでがセーフでどこからがアウトなのかの基準を探る者が現れた。
結果、セクシャルハラスメントペナルティはされてる側の悪感情が引き金になるのではないかという仮説が立てられたという。
脳波。このゲームでことあるごとに出張ってくるシステムだ。
高い精度を誇るそのシステムは、性的な被害に付随する嫌悪を鋭敏に察知し、それが向けられている対象にペナルティを課すというのが有力な仮説であるらしい。
あいにくと僕は被害にあったことも危害を加えたことも無いので詳細のほどは定かではないが、ユーリは自信を持ってその仮説が正しいと肯定した。
だって私、それ出来るから。
平然とシステムの壁を乗り越える彼女もまた狂人なのであった。
▷
「邪魔を! するなッ!」
感情を剥き出しにしたあっさんが立ち塞がったシリアを剣の一薙ぎで飛び退かせる。足が止まったのを見計らって急速接近したシラギクがレイピアを振るう。指揮棒のように踊る剣先は仕留めることを目的としたものではなく、その場に押し留めるためのもの。
舌打ちして顔を歪めたあっさんが空へと身を躍らせる。脇目も振らずユーリへと一直線だ。恐らく、ペナルティ勧告を食らっているのだろう。
――三分稼いで。そうすれば、多分排除できるから。
ユーリの用意した秘策その2、ペナルティの押し付けは発動条件にムラがあるという。下卑た欲望を隠しもしない輩相手には即座にペナルティを発動させて排除出来るとのことだが、あっさんのように何を考えているのか分からない相手には相応の時間を要するらしい。
発動までに二分、あっさんにペナルティ勧告を発生させてから強制ログアウトさせるまでで一分。合計三分。それが必要な時間だ。
いま、あっさんは全くの無実であるのにシステムからセクシャルハラスメントペナルティの濡れ衣を着せられている。一分以内に身体接触を止めないとペナルティが付くぞと脅されているのだ。
それは、あるいはラグスイッチ以上の外法。究極までにシステムを悪用した土俵外からの致命打。防ぎ得ぬ神の権力の濫用。
はっきり言って頭おかしい。要するに被害妄想で相手を強制ログアウトに追い込むってわけでしょ?
個人の考え一つでペナルティをどうこうできるわけ無いだろ普通。やっぱりカタギじゃないな。僕は呆れた。
焦燥した様子のあっさんが空から剣を投擲する。タイミングを見計らったかのように咲いた花火が刀身を妖しく照らし出し、流星のような尾を描いた。
迫る凶星を前にユーリは動かない。動けない。高度に集中する必要があるらしく、無防備になるから守ってくれというのがユーリの要求だ。
身体を掻き抱き、凍えるように震えながらあっさんを見上げている。歯の根が合わず、カチカチと音を立てているさまは庇護欲を誘う光景であるが、それが徹頭徹尾ただの被害妄想であるということを知っていると呆れを通り越して感心しかない。
シリアが動く。弾丸のような勢いで跳躍し、豪速で投擲された剣の腹を蹴り付けて強引に軌道を逸らした。どれだけ並外れた動体視力とセンスがあればこんな芸当が出来るのか。あっさんの影に埋もれがちだが、シリアの能力も大概だ。
シリアが勢いそのままに扇状にナイフを投擲する。あっさんに【空間跳躍】を吐かせるのが目的だろう。地上ではシラギクがいつでも追撃を加えられるポジションで虎視眈々と構えている。
ここへ来て決着を急いだしわ寄せが来ている。あっさんはテンションで乗り切るシリアと違い、冷めた思考で機械のように最適解を繰り出すタイプだ。冷静さを欠くというのはすなわち付け入る隙を生むということ。
不利な方へと誘導されている。その事実に気付いたのか、顔をますます歪めたあっさんが吼えた。
「舐めるなぁッ!」
窮地に追いやられ、廃人はなお勢いを増す。死中に活を求めるものに勝利の女神は微笑む。
投擲されたナイフに向かって【空間跳躍】を発動したあっさんは、飛来するナイフをそれぞれ両手に掴み取り、身体を捻ってユーリとシラギクに投げ付けた。
「冗談きっついなぁ!」
曲芸師も真っ青なナイフ捌きだった。シリアはユーリに飛ばされたナイフを防ぐために【空間跳躍】を使わざるを得なくなり追撃を加えられず、シラギクは牽制で投げられたナイフに初動を抑えられ期を逸した。
それでも、千載一遇のチャンスを逃すものかとシラギクが走る。再び繰り出される矢のような突き。着地の硬直を的確に狙った捨て身の一撃。
間に合わない。落下中、脇越しにシラギクが接近していたのを確認していたあっさんは、着地と同時に半回転を決めた。
それは先程の光景の再現だ。点の攻撃である刺突はほんの少し軸をずらされただけで空を切る。最適解の動き。主導権を奪取するための最短経路。
ゆえにこそ、読みやすい。
あっさんが敵を信頼して行動を読むように、シラギクも土壇場でそれを為した。この廃人は、着地硬直を素直に狙っただけで討てるほどぬるい敵ではない。
急速に軌道を変えた剣先が、吸い込まれるようにあっさんに迫る。驚愕に目を見開く。あっさんが再び吼えた。
「ッあああああああぁぁッ!!」
差し出した右てのひら。レイピアがそれを貫き、しかし強引に狙いを逸らされて命には届かなかった。
あと一歩のところで及ばなかった。その事実がシラギクの判断を鈍らせた。
あっさんの左手がブレる。抜く手も見せない早業の掌底がシラギクの額を打ち据えた。クリーンヒットを貰ったシラギクはビクンと痙攣し、ドシャリと膝から崩れ落ちる。無手で繰り出す謎の拳法もどきだ。恐らく死んではいないが、しばらくは動けないだろう。
強すぎる。虚を突いた一撃すらも凌ぎ切る反応速度と判断力。この化け物相手にあとどのくらい稼げばいいのか。三十秒か、四十秒か。
このままでは……厳しい。くそっ、この手は出来ることなら使いたくなかった。だが、四の五の言っていられる状況ではない。僕は最後の手札を切ることにした。
「あっさん! 動くな! ホシノがどうなってもいいのか!」
僕はインベントリから粗末な剣を取り出して未だに倒れているホシノの首に添えた。ガン無視された。なんだあの薄情者。人の心がないのかよ。
「役に立たないなぁホシノ」
「て……め。死ね、クソが……」
レイピアを引っこ抜き、ポーションを握りつぶして回復したあっさんがこちらを睥睨する。だいぶ距離を詰められてしまった。【踏み込み】を駆使した全力疾走なら二秒で走破される距離。もはや壁はあってないようなものだ。
唯一の頼みの綱はシリアのみ。両者が向かい合う。シリアは彼我の距離を測るかのようにジリと爪先で地を蹴った。あっさんは新たに取り出した剣を握り、だらりと両腕を下げたいつもの構えだ。
視線が交差する。ドンと弾けた花火の音を合図に両者が駆け出した。
天地を無視した挙動でシリアが仕掛けた。目まぐるしく跳び回りながら剣が届かない位置からの投擲を繰り返す。平衡感覚がイカれそうな視点の中、標的の急所を過たず衝く技量は天性のものだ。
しかしあっさんはまともに取り合わない。直接来ないなら好都合とばかりに投擲を躱しながらユーリへと迫る。追いすがったシリアが側面から繰り出した突きをあっさんが四足になっていなす。
無防備なユーリをキルすればいいあっさんと、なんとしてでも守り抜かなければならないシリア。勝敗の条件が違う。取れる選択肢の幅が違う。その違いが埋め難い差を更に押し広げる。
人を捨てたかのようなケダモノの疾駆。ユーリが目を見開く。まだなのか。間に合わないのか。これは、詰んだか。
「逃げんなよ雑魚がぁッ!」
シリアが発したそれはきっと苦しまぎれの一言で、力及ばずの苛立ちを発散させただけの罵倒だったはずだ。普段から妬まれ心無い悪罵の的になっているあっさんが、そんな一言で今更つむじを曲げるとも思えない。
だが、あっさんは止まった。感情を剥き出しにした今、その一言が心の奥底に刺さったのか。理由は彼にしか分からない。その心理を推し測ることが、何故かとても礼を失する行為のように思えた。
あっさんが急転する。今日一番の身体のキレ。茫然としたシリアに斬りかかると同時、インベントリを操作してもう一振りの剣を取り出して左手に装備した。二刀流、だと? 初めて見るスタイルだ。
手の内が読めない。様子見に徹するべきだ。そんなことは百も承知だろうが、逃げるなと啖呵を切った手前、シリアは退かなかった。
ラグスイッチは使っていない。衝くならそこだ。急襲する右の剣を短剣でいなし、回転しながら繰り出される左の剣を身を屈めて掻い潜り懐へ飛び込んだ。刹那の攻防を制したのはシリアだ。獲った。首筋に白刃が迫る。
赤いポリゴンが散った。シリアの身体が宙を舞う。一見して分かるほどの致命傷だ。何が起きた。まるで理解が追いつかない。確かにあの一瞬、シリアは勝利への一手を打ったはず。
あっさんが身を翻しながら呟いた。それは手向けか、冥土の土産か。
「双剣士レベル19、【隠れ弧月】。誰かに見せるのは、初めてだ」
「遅れて来る、斬撃ぃ? あっは……かて、なかっ……ごめ」
シリアが仰向けに倒れ伏す。最後の砦が崩れ落ちた。なんか感動的に散ろうとしてるが、初めから勝つのではなく足止めに徹してたら結果は違ってたのではないかというのは言わぬが花か。
あっさんがこちらを捕捉する。万事休すか……。
いや、何か、何かがあるはずだ。死中に活を求めるものにのみ勝利の女神が微笑むのだ。
ユーリは頼れない。足元に転がるホシノ……いや、これじゃない。これは違う。
いや待て。ホシノ、幽世渡し、花火、爆弾……。そうだ。僕は火薬師だ。出来ることと言ったら、これしか無い。
僕は大型爆弾を取り出した。
「死なばもろとも、ってね」
あっさんが目を見開く。刹那の攻防を制するあっさんでも、これほどの距離が空いてれば弾指に追いすがるのは無理だ。
僕は高らかに指を打ち鳴らし、大型爆弾の導火線に火を灯した。極端に短い導火線が示すのは爆発までの猶予時間。一秒。
極限まで引き伸ばされた時間の中で、僕はあっさんの葛藤を垣間見た。
前傾姿勢。それはたった一秒でこの状況を切り抜けて生還するという意気の顕れか。踏み出した一歩が、しかし続かない。それは本能を剥き出しにしながらも残っていた理性の歯止め。
あっさんはいまレッドネームだ。あっさんがキルした『花園』プレイヤーの中には白ネームの者もいた。つまり、今死ぬと全職業のレベルが1づつ下がる。
効率。逃れ得ぬ軛。ネトゲにおいて伴侶のように付き纏う呪い。廃人は常にそれを秤にかけながら行動指針を決定する必要に迫られる。
果たして、あっさんは後方へと大きく跳躍した。ギリギリで理性が勝ったのだろう。爆弾が爆発すればユーリは死ぬ。ペナルティの濡れ衣も止まる。あとは自分が死ななければいい。そんな当たり前の結論。当然の帰結。
まあこれただの容れものなんだけどね。
あいにくと、大型爆弾は在庫切れだ。これは、今日作るはずだったけど途中でやめたので残ったハリボテだ。
パカッと割れた入れ物が僕の手からこぼれ落ち、コトンと軽い音を立てて地面に転がる。容れものは使い捨てだ。役目を終えたそれはポリゴンとなって散っていった。
大型爆弾から逃れるためには遠くへ逃げなければならない。高速で去っていったあっさんが点のように見える。
不意に訪れた静寂。それを強烈に引き裂く獣の咆哮が上がった。
「ラァァイカァァァァァァァァンッッ!!!」
点が線になり人の、いや獣の像を結ぶ。鬼の形相、四肢を放り出すような荒い疾駆、極端な前傾姿勢は両の脚を獣の後肢に錯覚させる。そこにあるのは人ではなく怪物であった。
強烈な殺意を孕んだ怪物の双眸が、牙が、爪が、星の光を受けて不吉にギラつく。怪物が跳ぶ。月のような衛星を背にし、濃く昏い影を落とした。それはひ弱で哀れな獲物に待つ未来か、それとも――
怪物が宙で止まる。身体が黒い光で包まれる。
それは見せしめとして課される愚かな罪人への罰。姦淫を犯したものに与えられる不名誉な捨札。
黒いポリゴン。セクシャルハラスメントペナルティを受けた者特有の強制ログアウト演出。
「あああああああぁぁぁぁぁァァァァァァッッ!!!」
悍ましい断末魔の咆哮を上げた怪物が天へと召されていく。禍々しい黒が夜の闇へと溶けていく。そして最後の一欠片が星の光を浴びて露のように消えていった。
多くの犠牲を出した戦いがここに集結した。悪は……滅びた。
「ハァ……終わった、わね」
「ああ。僕たちは勝ったんだ」
あっさん。彼は間違いなくこの作戦における最大の壁だった。
大きくため息をついたユーリがすっくと立ち上がった。そこに先程までの怯えや震えといった症状を引きずっている様子は無い。
結局のところただの被害妄想だと分かってはいたが、あまりにも迫真の演技だったので少し心配になったよ。念の為問いかける。
「かなり無理してるように見えたけど大丈夫?」
「あら紳士的。心配には及ばないわ」
どうやら本当に無事なようだ。良かった、本当に、良かった。
「んじゃ、二人であれをどう切り抜けるか考えようか」
ユーリが駄目なら一人でどうにかしなければならないところだったよ。
シリアはいない。『花園』プレイヤーの戦闘職も大半は駆けつけて来ないだろう。レッドネームになった段階で、リスキルされるのを防ぐために一回死んだら強制ログアウトをするよう言い含めてあるからだ。
故に増援は期待できない。
遠くから跳んでくる目測十人ほどの『先駆』の廃人連中。
足並みをそろえてやってくる『ケーサツ』連合。
さて、どう切り抜けたもんかね?




