技術的特異点:A
うららかな昼下り。自宅でせっせと花火玉を作っているとパリィンと窓ガラスが砕け散った。特殊部隊よろしくダイナミック・エントリーをキメた三人の廃人はガゴガガッという音を立てて空いている椅子に着席。そして何事もなかったかのように話し出す。
「ライカン、リーダーを説得してくれないか。『先駆』はいま危急存亡の秋を迎えている」
凄いな。急展開がすぎるでしょ。なに、この……漫画の一コマ目に盛大な突っ込みどころがあるのに、登場人物が挙ってそれを無視して日常が進む感じ。
ほんとさぁ、そういうとこずるいよね。数と勢いで不可逆の流れを作るやり方。突っ込むことそれ自体が悪という同調圧力の負の側面を遺憾なく押し付ける手口だ。廃人は妥協点を探らない。会話のキャッチボールを煩わしいの一言で切り上げ、引っ掴んだボールを結論へとダンクする。された相手はたまったものじゃない。
よろおつ不要論だ。
ネトゲーマー、とりわけ廃人は他のプレイヤーを多少賢いNPCとしか思っておらず、狩りのセクションに挟まる挨拶を煩わしい手続きの一つとしか認識していないから、あらゆる手管を用いてその文化を消滅させようと躍起になる。
掲示板での自演。動画や配信のコメント欄での洗脳。即席パーティ内での布教。挨拶を推奨するブログへの攻撃。ざっとこんなものだろう。
そしてこのゲームでは省かれる工程が挨拶だけに留まらなかった。N言語というクソのような文化が幅を利かせた辺りから遠慮がなくなり、ついには不法侵入や器物損壊に対する批判すら省かれる始末。効率ってなんなんだ。
おまけにこの廃人たちは壊したものを去り際にキチンと直していくからタチが悪い。無法を咎める行為が完全に無駄な時間にしかならないのだ。そういう『諦め』を抱かせて譲歩を迫るやり口。初手ダンクである。
本当に困った連中だ。持ってきた話題がちょっと興味を引く内容なのも癪に障る。僕は言った。
「詳しく聞こうか」
結果として傾聴の姿勢を取るしかなくなる。
僕の妥協を当然のことのように受け流したシンシアが続きを語り始めた。
「キャラクタークリエイトのやり直しの実装……そのせいでいま、『先駆』が割れようとしてる。リーダーは……その、頭がおかしいんだ。どこかズレた発想をしていて、そのことを疑問にすら感じていない。これは、恐ろしいことだぞ……」
「人ん家の窓をブチ割って侵入してくる時点で五十歩百歩じゃないかなぁ」
「半自動ゴミ爆殺機構とかいうトラップを設置したお前が悪いだろ。それはいい。話を戻そう。リーダーは……ギルメン全員に再キャラクリを提案した。さも突然のような顔をしてな。……なぁ、どういうキャラクターを作れと言ってきたと思う?」
あっさんがキャラクタークリエイトの提案……? 僕は内心で首を傾げた。あっさんは凝ったキャラクタークリエイトから最も遠い位置にいるプレイヤーだと思っていたからだ。
プレイヤーネーム『あ』。この時点で意味がわからない。ネタに走ったネームというわけでもなく、ただ純粋にプレイヤーネームがどうでもよかったからつけた名前だろう。
外見もランダムキャラクリですと言わんばかりの装いだ。黒髪黒目の中肉中背。漫画の背景にいるモブさながらである。
しかし。僕は小刻みに震えているあっさんをチラと見た。
素頭を落とされたあとの魚のような目。十把一絡げのモブと断ずることのできない闇がそこにある。きっと人間性を削いだ者にしか見えない景色が見えていることだろう。
そんなあっさんが、再キャラクリを提案した、と。まいったな、意図が読めない。何かの気の迷いだろうか。
どうやらこの話は冗談ではないらしく、あっさんもフレイヤたんもシンシアの言葉を否定することも補足することもしなかった。
本当に、意図が読めない。だが行き着く先は分かる。効率だ。キャラクタークリエイトをやり直すことで得られる効率とは……。僕は考えを巡らせた。少し目線を上げ、そこではたと気付く。これか。これ以外に無い。僕はパチンと指を鳴らして答えた。
「全員スキンヘッドにしろ、って言い出したんじゃない? 視界が開けるし、なんか空気抵抗とか減りそうだし」
会心の手応えだった。というかこれ以外の答えが思いつきそうにない。
しかしハズレだったようだ。ほんの少し首を傾げたあっさんが心外そうな声を漏らす。
「お前は俺をなんだと思っているんだ」
効率の奴隷だよ。
そう言いたかったが口にはしない。僕は気を遣える人間なのである。
あっさんの問いを意図的に無視してシンシアを見る。視線で答えを促すと、はぁと重苦しいため息を吐いたシンシアが肘をつき、前髪をくしゃりと力なく握った。
「……全員、美少女になれ。それがリーダーの提案だ」
………………?
………………??
「……あっ、なるほど? ネカマプレイで他人から物を貢いでもらおうって、そういう?」
「落ち着けライカン。このゲームは声をごまかせない。ネカマプレイは成立しないぞ」
ああ、そうだった。そうだったね。全く想像だにしなかった方向から殴りかかられたせいで少し判断力が鈍ってしまったらしい。僕は肘をついて前髪をくしゃりと力なく握った。
「い、意味がわからない……。あっさんはどういう進化をしたんだ……? 袋小路にでも迷い込んだのか? ハーレムの形成……結婚機能か? だけどネカマ相手に……いや、あっさんなら或いは……」
「ライカン」
抑揚のない声が僕の意識を思考の沼から引きずり出す。突如としてハーレムを形成しようと思い立った廃人が、決意を感じさせる無表情で呟く。
「俺も美少女になる」
ネカマ集団結成宣言であった。
僕は何か言葉を発そうとして、しかし喉の震えが確とした声を成さず、ただ嗚咽に似たかすれ声だけが漏れる。
効率だ。答えは効率に行き着くはずなんだ。それだけは分かる。だがネカマ集団の結成という要素がどう効率に結びつくのかが分からない。
どういう計算式を組んだ? 常人の発想じゃない。AI……やはりあっさんはAIなのか? 人工知能が人を凌駕する。技術的特異点――――
「これが、シンギュラリティ……?」
「そんなおぞましい未来があってたまるか!」
両手でテーブルを引っ叩いたシンシアが吠える。
「リーダーは……本当に、何を思ったのか、私が普段こなしている役割をギルメン全員でやれば『先駆』の、ひいてはこのゲームの評判が上向くと考えている。ヤローにウケる外面を繕えば人外ムーブの気色悪さを中和できると考えたらしい。メアリスの影響もある。トッププレイヤーが美少女キャラってのは目を引くんだろう。でも……でもさぁ!」
シンシアがあっさんをビッと指差した。
「コレだぞ! 無理だろ!」
たったの八文字ながら、並々ならぬ説得力を持つ言葉であった。
なるほど。あっさんはシンシアやメアリスの集客力に目を付けたらしい。
確かにどちらも貴重な人材だ。シンシアはハズレのないキャラクリと絶妙なバランス感覚で廃人集団の紅一点として注目を集めているし、メアリスの影響力は今更取り上げることでもない。映える絵というのはそれだけで人を引き寄せる魅力になる。発想の方向性としては間違いではないだろう。
でもガワだけ真似てもただのネカマなんだよなぁ。
「正直、僕もちょっと無理があると思うよ。あっさんは何をそんな生き急いでるのさ」
「メアリスの引退は大きい。穴埋めが必要だ」
リアルバレのせいでメアリスは大衆の前に姿を現していない。正月から一切活動を晒していないので、真相を知る者以外は引退したと考えている。SNSの更新もしていないそうだ。このまま再キャラクリをしたことを隠しつつフェードアウトするつもりなのだろう。
看板となっていたプレイヤーが抜けた穴を塞がなければならない。その焦燥感が先行した結果、思考が廃人ネカマアイドル集団を結成するというポイントに不時着したようだ。事故だろこれ。
「……フレイヤたんはどう思ってるの?」
僕はとりあえず沈黙を貫いているフレイヤたんに水を向けた。スゥと目を開いたロリフェイスが似つかわしくないバリトンボイスで言う。
「相方のヴァルキりんが欲しかったところだ。丁度いい」
知らないよ。
「もしくは現行シリーズのウルねぇ、ヴェルたん、スクルドっちになるのもいいな。おっと勘違いするなよ? これは浮気じゃない。そもそもそんな低次元の話じゃないからな。いずれも至高であって優劣はつけられない。それだけははっきりと前置きしておく。それを加味した上で、やはり認知度や流行という外的要因を無視するのは効率的じゃないという判断の結果なんだ。欲を言えば過去シリーズ全員を参戦させたいところだが、人数が足りない。レシピは作ってあるんだがな……こればかりは賛同者を集めないことには話が進まない。なぁライカン。お前もロリにならないか?」
僕はテーブルの裏に設置してあるスイッチを押した。椅子の裏に仕掛けられた爆弾が作動する。フレイヤたんは死んだ。
生産職連合の新作、リモート爆弾。威力は大幅に下がるが、それでもプレイヤーの一人を消すくらいなら造作もない。犯罪の手口の巧妙化と防犯システムの成長は密接に結びついているから、こちらの持ち札も比例して増えていく。イタチごっこというやつだ。
ノイズにしかなっていないフレイヤたんは消えた。ギルドメンバーの突然の爆死もどこ吹く風と流したあっさんがシンシアを横目で見る。
「残るはあと一人か」
「そいつはどうかな?」
モブレッドである。
割れた窓からぬっと侵入してきたレッドは先程までフレイヤたんが座っていた椅子に淀みなく腰掛けた。軽く腕を組んで言う。
「話は聞かせてもらった。聞くに、第三者の視点ってのが必要になる案件だと受け取ったぜ。性癖のストライクゾーンの広さには自信がある。だが、故に世間の一般常識から大きく乖離しないよう常に己を戒めている。公平な審査を下すことを約束しよう。立ち会いの許可を」
残念ながらリモート爆弾は再設置しなければ使えない。僕はあっさんに選択権を委ねた。
「いいだろう」
いいらしい。
かくして廃人ネカマアイドル集団結成騒動は佳境に入る。『先駆』がネタ集団になるか否かはギルドのリーダーと、サブリーダーと、僕と、そして無関係のモブレッドが決めることとなった。




