神ゲーが生まれた日
フルダイブVRシステムが台頭し始めた頃、当然というべきか、これを親の仇のように咎め立てる勢力が雨後のタケノコのようにポコポコと立ち現れた。
彼らを臆病だと嘲る気はない。変化を受け入れられない老害だと罵る気もない。それは本来正しい反応だと思うからだ。
人は未知を恐れる。その手の情報に疎い一般人が聞いたところで1%も理解できないロジックで構築されたそれは、今となっては娯楽として消化されているが、提唱された当初は様々な業界のお偉方が存在そのものに難色を示した。
医療機関いわく、脳への悪影響は計り知れないものになる。
教育機関いわく、コミュニケーション能力の発達を妨げる。
行政機関いわく、サイバー犯罪の温床となる可能性がある。
主だった批判以外にも、五感を完全に再現したら外食産業は飯を食いっぱぐれるという意見や、生物を直接的に殺傷する体験を許してはならないという主張も取り上げられた。
それらの多くは未知への恐れから来るものだと思っている。残りは色々とめんどくさい利権絡みだ。事業が新規開拓されると必ず割りを食う者がいるので、そちら側へ転ばないようにするために牽制や根回しに腐心する者が現れるのは当然の結果だったと言えるだろう。
ともあれ、脳波をアレコレして意識を電子の海に潜らせるという行為そのものに対する批判は相当数に上った。いくら安全だと口で説明されても、はいそうですかとはならなかったのである。
ならばフルダイブシステムは規制されたか。否である。
なればこそフルダイブシステムは発展してきたのだ。
未知が恐いのであれば、既知に塗り替えてしまえばいい。古来より、貪欲とも呼べるほどの知的好奇心が人類を殺し、そしてより多くを生かしてきたのだ。
身を焼く火を飼い慣らし、毒物を食らい、病を取り除くためならば腹を掻っ捌く。技術が未発達な時代にしてきた行為を、十全に発達した技術を持つ現代で躊躇う理由がなかった。
そしてフルダイブシステムは完成する。
身体、及び精神的安全面を損なわないか厳正な審査を設け、体験のフィードバックが日常生活に影響を及ぼさないかチェックし、有事の際は医療機関へと連絡が入るシステムの搭載を義務付ける。
ありとあらゆるハードルを越え、重箱の隅をつつくような課題をクリアし、そうして提供されているのが現在広く浸透しているフルダイブ式のゲームだ。
フルダイブシステムが確かな技術として確立された今となっては、その存在に異を唱えるものは僅かしかいない。利に聡いものは早々に反対派から手を引いたか、もしくは利用する方向で舵を切ったのだろう。
未だに声を荒らげているのはトンデモ理論を振りかざすV倫の方々くらいのものだ。
様々な紆余曲折を経て、フルダイブシステムは娯楽の一つとして定着することとなった。しかしながら、VRの分野はまだまだ発展の途上にある。数々の大企業が本腰を入れて開発競争に乗り出した今、目を離せない状況が続くことは疑いようもない。
フルダイブVRシステムについての歴史とは、大体こんな感じである。一見したら意味不明、理解不能なテクノロジーも日常に取り入れられれば誰も気にしなくなるというわけだ。テレビもエアコンも、冷蔵庫も上下水道だって皆同じ。スイッチ一つで動く便利アイテム。未知が既知に塗り替えられればこんなものである。
さてさて、そんなフルダイブシステム史において一部界隈でまことしやかに囁かれた噂がある。
それはなんとも滑稽で、あり得るはずがなく、それでも都市伝説的な空恐ろしさがあったために度々話題になった噂。
これ、ログアウト不可のデスゲームが開始されるんじゃね?
デスゲーム。それはフルダイブシステムというモノ自体が夢のまた夢であった時代に空想された物語形式の一つである。
電脳空間に意識を隔離された人間たちが、死ねば終わりの世界で殺し合ったり、はたまた協力し合ったりという、極限の環境でのドラマを描いたストーリー。大雑把な評価になるが、大きな差異はないと思う。
そんな空想の世界が現実のものになるのではないか。
一部界隈では、何故か、そのようなデスゲームの実現を望む声が多数上がっていた。それは自分ならば主人公になれると思い上がった者たちの世迷い言であった。
しかし現実は非情で、そして常識的である。
組織ぐるみの開発でログアウト不可のシステムを構築するなどできるはずもなく、また厳正な審査を突破できるはずもない。
バレたら社会的な破綻は免れないし、そもそも意識を電脳空間に閉じ込めたままにするという技術自体が実現不可能であった。
脳疲労が検知されれば強制的に意識が戻るし、12時間以上のログインは出来ないようにしないと販売許可が下りない。
死んだら現実の肉体も死ぬってなんだよ。そんな機能が搭載されてて審査が通るわけねーだろ。
これが、デスゲーム待望派に叩きつけられる冷たい一言であった。全くもってその通りである。
こうして、一部の熱狂的なデスゲーム支持層は数を減らしていった。そもそもデスゲームを支持するのがおかしいだろうというツッコミはさておき、そんな環境を整えるのはリスクがありすぎるのだ。実現するはずがない。
そう、実現なんてするはずないのだ。
フルダイブシステムが開発されてから今日に至るまで、ログアウト不可のデスゲームが行われたという事実は、当然ながら確認されていない。
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ゼウスくんの両手と両足をふん縛って磔にした。
このゲームは身体が自由な状態でないとログアウト出来ない調整が施されている。公式は理由として、モンスターに敗北しそうになった時の切断プレイ阻止や、プレイヤーキルをしてすぐさまドロンという迷惑プレイ阻止を上げている。
そのせいで簀巻きや拘束をされたらどうしようもない状況に陥るわけだが、運営はそうなったら強制ログアウトを使えというスタンスを崩さない。普通にクソだね。だが、そのクソ機能が今日ほど輝いている日はないだろう。
「ジャァァ○ァップ!! Set me free!! f**k!! ブッ!」
叫びながら暴れるゼウスくんの顔面にフレイヤたんが右の拳を叩き込み、シンシアが腹部に膝を見舞い、シリアが下腹部に短剣を突き刺した。やりたい放題である。
サンドバッグと化したゼウスくんは反骨心をあらわにしたが、それもほんの一瞬。すぐにこちらを見下すような笑みを浮かべて言った。
「That's it? Is that all you've got?」
「フレイヤたん、何て?」
「この程度か? これがどうした。まぁ、そんなニュアンスだな」
痛覚を感じないこの世界では、単純な暴力は脅威として機能しない。プライドをひと欠片も所持していなければ、縛られようが下腹部に短剣を刺されようがへっちゃらというわけだ。
ふむ。僕は提案した。
「こんな暴力的な手段はやめよう。まずは歩み寄るべきだ。異文化交流ってやつだね」
僕が建設的な提案をした途端にざわめきが広まる。訝るような表情をしたレッド二人が歩み出てきて言う。
「おい、脳みそバグったか?」
「なに眠てぇこと言ってんだお前」
殺意に似た眼光を寄越す二人に対し、僕は努めてにこやかな笑みを浮かべた。両手を広げて友好を示す。
「和の心を忘れちゃいけないよ。おもてなしだ」
僕は高らかに指を打ち鳴らした。
「寿司だ。分かるだろう?」
レッドネーム連中の強みはVR適性の高さもあるが、一番は理解の早さだと思っている。
ニイッと良い笑顔を浮かべた二人がババっと腕をまくってインベントリから魚を取り出した。周りのプレイヤーがテーブルと食器、調理器具を取り出してズアッと並べる。目を白黒させるゼウスくんを前に、二人が寿司を作り始めた。
「さあさあお立ち会い! 遠路遥々日の本に来なすった客人さまにもてなしの一席を設けさせて頂きたく」
「手前ここに取り出したるは一尾の魚。しかしお立ち会い。ただの魚と侮るなかれ。名工が鍛えた天下の包丁を一文字に滑らせればどうだ! 日の本の食の粋をご照覧あれ」
レッドの二人は売り口上を並べ立てながら寿司を握った。色とりどりのネタが盛られていく。
「北は北海道から南は九州沖縄まで。活きが命のネタは足が速いともなりゃ仕度に調理に大忙しよ。全国津々浦々、あっちこっちへ東奔西走! 卓に並ぶはまさにご馳走!」
「赤身は定番、白身は王道。通は綺羅と輝く光り物! 貝に煮物、魚卵に巻物なんでも御座れ。これが伝統精一杯。食の合間にゃ茶を一杯」
分厚いネタが乗った寿司が美しい木目の寿司下駄へと盛り付けられていく。いいところで頼んだら万札が飛びそうな程の料理を前にしてゼウスくんがゴクリとつばを飲んだ。
寿司下駄を持ったレッド二人がにこやかな笑顔を浮かべてゼウスくんに迫る。
「ディスイィズ、ジャパニーズSUSHI! ベリーベリーデリシャァス……」
「マグロは大間。サバは佐賀関ブリは氷見。さてお立ち会い。安曇野といえば、なんで御座いやしょうかねぇ?」
「ha……?」
ゼウスくんは眉根を寄せて困惑の声を漏らした。半開きになった口。レッドがそこへ寿司ネタをブチ込む。
「ワサビ軍艦一丁おおおぉぉぉぉぉっっ!!」
「ヴアァァァAAアAアアaァッ!! アッ、ハッ……」
美味しさのあまり歓声を上げるゼウスくん。その鼻にワサビを塗りたくった二指が突っ込まれた。
「お代わりじゃああぁぁぁぁぁぁぁっっ!!」
「Arghhhhhhhhh!!」
往年のグルメ漫画よろしく両手両足を振り乱して美味しさの表現限界に挑むゼウスくんを見て僕たちは非常ににこやかな笑みを浮かべた。両手足の戒めがギシギシと音を立てる。しっかりと縛っておいてよかったね。
たっぷり一分ほど歓喜の声を上げたゼウスくんは疲れてしまったのかぐったりしている。僕はゼウスくんの前にしゃがみ込み、目線を合わせて問いかけた。
「How are you feeling?」
キッと眦を決したゼウスくんが吠える。
「Damn it! F**k away dick face!」
ふぅむ。僕は首をひねった。どうやら僕らのおもてなしは気に入ってもらえなかったようだ。残念でならない。
「あんまり汚い言葉を使うものじゃないよ。育ちが疑われる。……そうだね、次はあれで行こうか」
僕は教会の鐘を指し示す。意図を察したあっさんがギュンと跳び出し教会の鐘を取り外しにかかった。
かつてレッドの一人がふと興味を持ったそうだ。鐘の中に入った状態で音を鳴らしたらどうなるのか。
結果、うるさすぎて耐えられなかったらしい。それは爆音クソ念仏に匹敵するほどのやかましさであったそうな。
現実世界では鐘の中はむしろ静かとか、なんなら無音になるとか聞いたことがあるが、そこまで忠実な物理法則を再現しているわけではないのだろう。『検証勢』が解き明かした現実とこの世界の法則のズレ。それが聴覚にも当てはまるということだ。
「煩悩を祓うには丁度いい」
あっさんが持ってきた鐘を皆で協力して磔の上部に固定する。ゼウスくんは鐘にすっぽりと覆われた。
「除夜の鐘撞きといこうじゃないか」
僕の宣言を皮切りにプレイヤーが殺到する。一番手はノルマキさんだ。
「に゛ゃ゛ッッはぁァ゛ー!! チーターはブチ殺すに゛ゃ゛ァァッ!!」
野生から帰還を果たしたノルマキさんが豪快に釘バットを振るう。瞬間、シンバルを全力で打ち鳴らしたような音が空間を震わせて抜けていった。
そして続くのはくぐもった声。
「ン゛ン゛ン゛ンン――――」
煩悩が祓われていく声だ。実に甘美である。
除夜の鐘特有の、伸びるような重厚な響きはないが……まあ、これもまた風情があっていいだろう。
「オラッ! 死ね雑魚カスがっ!」
「ゴミがッ! くたばれッ!」
「死ねェーッ!」
シリア、ショチョーさん、その他プレイヤーが群がりガンガンと鐘を鳴らす。僕も一発鳴らしておいた。いい音色だね。
108回を優に超える音色が響き渡った頃、ずいと人垣を割って入ったあっさんが短く宣言した。
「どけ」
取り出したのは全長三メートルに迫ろうかという大槌だ。実用に耐え得るとは思えないそれを、あっさんはゆっくりと振りかぶり、そして豪快に打ち下ろした。星を砕くかのような一撃。鐘も、磔台も、ゼウスくんもまとめて圧し潰されてポリゴンと化した。
噴水広場にリスポーンしたゼウスくんは煩悩がすっかり抜けきったらしく、戻ってくるやいなやドシャリと崩れ落ちた。うむ、よきかなよきかな。
「ライちゃーん! 次は何する?」
「そうだね、尊厳を折っておこうか」
まだ時間は四十分ほど残っている。イベントは隅から隅までしゃぶり尽くすのがネトゲーマーの嗜みなのだ。僕はインベントリから給仕一昇を取り出した。
いつか役に立つ日がくると思って購入しておいた一品。まさかこんな用途に使うことになるとは思わなかったよ。奇妙な巡り合せもあるものである。
倒れ伏して荒い呼吸をしているゼウスくんの前に給仕ー昇を放る。
「oh……Japanese HENTAI……」
ちょっと声が弾んでいるゼウスくん。はてさて、一体何を考えているのだろうか。僕は言った。
「Equip」(装備しろ)
バッとこちらを見上げたゼウスくんが叫ぶ。
「No way! c……Crazy……!」
おや、まだ断る元気が残っていたか。どうするか。また寿司を味わってもらうしかないかな?
レッドを呼びつけようとしたところ、横からずいとフレイヤたんが割り込んできた。したり顔で解説する。
「ライカン、こういう装備は相手への好感度調整をミスると着てくれないから要注意だぞ。プレゼント時期を見誤ると好感度が下がるからな」
ガチ勢かよ。
「それより……この装備はどこで手に入れた。教えてくれ、頼む」
「それは秘密。それにしても、好感度調整かぁ。そうだね、じゃあこのゲーム名物のクソスポーツで一緒に遊ぼうか」
僕はゆっくりと振り返り、この場に居合わせたプレイヤー総勢二百名近くへと向けて高らかに宣言する。
「親善試合をしよう。種目は……クソサッカーだ。特別ルールでいこうじゃないか」
集まった群衆が雄叫びを上げる。突如決定した熱き戦いの開幕に昂ぶっているのだろう。
目を白黒させているゼウスくんにレッドプレイヤー集団が迫る。肩を抱いて言う。
「Shall we soccer?」
「Ball is you」
▷
「ゼウスくーん! 目線ちょうだい!」
「ほらピースしてピース。笑顔固いよ〜」
噴水広場にてゼウスくん撮影会が行われていた。
炎上必至の激熱試合を繰り広げた僕らはゼウスくんの好感度調整に成功。無事に給仕ー昇を装備してくれたので、みんなで囲んでスクリーンショットを撮りまくっている。
目から光を消したゼウスくんが言われるままにピースしていた。あれだけ吠え散らかしていたのが嘘のように従順になったね。やはり人は根っこのところで分かりあえるんだ。僕は大成功の終わりを迎えた異文化交流の光景を見ながら穏やかな笑みを浮かべた。
「よっしゃ、集合写真撮るぞお前らー! 並べ並べー!」
「ういーっす!」
「うぇーい!」
ショチョーさんの号令を聞いたプレイヤーたちが仲良く整列する。センターはもちろんゼウスくんだ。露出狂もかくやのフリフリ装備に身を包んだゼウスくんがぷるぷると震えながら呟く。
「Sorry……i'm sorry……」
「ちょっとォー! 笑顔固いって言ってんだろぉー! この前まであんなに楽しそうに笑ってたんだから笑えッ! オラッ!」
「haha……」
「あーいいよー! それじゃあ撮るぞー! はい、チーズ!」
僕らは努めてにこやかな笑顔を浮かべた。
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翌日。
とある二人の外国人が逮捕されたというニュースがお茶の間に流れた。著作権なんたら罪や電子計算なんたら妨害罪だそうだ。素行不良で解雇処分を下された元社員と知り合いによる犯行だったらしい。
チーター消滅によりNGOはいつもの平和を取り戻すこととなった。危惧されていた過疎化問題も今のところは心配ないようである。他のゲームでは替えが利かない生産要素やクソスポーツは未だに根強い人気を博しており、チーターが消え去った知らせと同時に大量のプレイヤーが戻ってくることとなった。どうやら一週間という期間では熱を冷ますには至らなかったらしい。憎たらしいが、魅力的なのだ。このゲームは。
爆発的な歓声が広場を満たす。時刻は20:00。ゼウスくん降臨事件によって台無しにされた人型ロボお披露目会が改めて開催された瞬間であった。
メタリックカラーの塗装が施されたボディが晒される。一作目よりも多くのプレイヤーが携わり、レア度の高い素材と皆の熱意をふんだんに注ぎ込んで建造された機体は、思わずおぉーと唸ってしまうほどの完成度であった。
「はぁえー……すごいっすねぇ、パイセン」
「そうだね。さすが生産職連合だ」
「……なーんか、パイセン上機嫌じゃないっすか? 昨日何があったのかそろそろ教えてくださいよー!」
今回の件、運営はかなり危ない橋を渡った。強制ログアウト機能の停止。それはフルダイブシステムそのものの根幹を揺るがしかねない措置だったはずだ。バレたら行き着く先はデバイス回収騒動か、会社の取り潰しか。
だから僕は、僕たちは言う。
「別に、何も?」
配信機能が停止されていたため、昨日の騒動は一切明るみに出ていない。ゼウスくんの痴態スクリーンショットがネットに流れたという話も聞いていない。
昨日の出来事は、チーターに正義の鉄槌を思う存分振るったという楽しいイベントは、僕らの胸の内だけに存在しているのである。
シフォンが探る視線を向けてくる。師匠を疑うなんて酷い弟子だよ全く。
歓声、拍手、口笛。耳が痛くなりそうな喧騒に向けて、僕は言葉を溶かすように呟いた。
「ただ……この世界も案外悪くないなって、そう思っただけだよ」