神は舞い降りた
自宅でシフォンと一緒に花火玉を作製している。
チーター対策がされるまでログアウトしているのが賢い選択なのだろうが、僕にとって爆弾作りはもはや日課となってしまっているので少しサボると落ち着かないのだ。
どうせ今日もロールバックされて作品が無に帰すことになる。だけど、僕は作ったものが無駄になることよりもチーターなんかのせいで行動を制限される方が業腹だ。僕は僕のやりたいことをやる。
僕はそれでいいのだが、全てのプレイヤーがそこまで割り切ることができるはずもなく。
いつもに比べて作業の手が鈍っているシフォンが大きく溜め息を吐いた。独り言のように漏らす。
「そろそろっすかね……」
チラとメニューを見る。時刻は19:50。あぁ、そろそろだろう。
件のチーターは一週間もの間、馬鹿の一つ覚えみたいに街を破壊し続けた。毎日律儀に朝昼晩とログインしてきたため、ある程度の予測が可能になったのだ。
朝8時、昼13時、夜20時。大体このサイクルでやつは現れる。多少の前後はあるが、大きくズレたことはない。変なところで几帳面なやつである。
そしてやつが現れたら最後。回避不可能な上級魔法連打で為す術なくキルされ、耳障りな哄笑をこれでもかと浴びせられることになる。本当に害悪でしかない。
廃人が目薬をキメて決死の特攻をかましたそうだが、やはりあのチーターは無敵状態であるらしく、剣も魔法も爆弾も受け付けなかった。こうなってしまっては僕らにできることはいよいよ何もない。運営か警察が事態を解決してくれるのを待つのみだ。
「気分を害するくらいならログアウトしてたほうがいいんじゃない?」
「んー……っすかね……」
気のない返事だ。いつものシフォンらしくない。
……無理もないか。彼女はオンラインゲームどころかゲーム自体それほどしたことがないらしいし、チーターというゲームの寿命を縮めるだけの存在を目の当たりにして色々とショックを受けているのだろう。
掛ける言葉に悩む。オンラインゲーマーなんてチーター死ねの一言で繋がれるものだと思っていたが、彼女はレッドすら慄かせるほどの心の持ち主。下手な言葉は心にトゲを残しかねない。
だからどうしても無難な言葉になる。
「チーターってのは、プレイヤーにはどうしようもないんだよ。避けられない事故みたいなものと思うしかない」
「あはは……同じようなことをギルドのパイセンたちにも言われました。どうせ何しても巻き戻されるなら別のことやってたほうがマシだって言って……誰もログインしてないんすよね」
「それが賢いよ。クソスポ民も大手ギルドの連中もみんなそうしてる」
自由度が高いこのゲームではチーターの悪辣さも増す。
家屋を破壊され、狩り場を荒らされ、リスポーンしたらひたすらキルされる。もはや時間をドブに捨てているようなものだ。残ってるのは廃人とテーブルゲームで遊ぶレッドくらいのものである。
あとは『ケーサツ』がチーターのやりたい放題なさまを配信してるくらいか。チーターのクソっぷりを世に知らしめて騒動を起こさせ、運営と開発に危機感を抱かせようとしているみたいだが……正直効果はなさそうだ。見てて面白くないのでイマイチ盛り上がらないのだろう。
そうこうしているうちに時刻は二十時を迎えた。『ケーサツ』の配信を開く。どうやら今日は雪山エリアにログインしてきたらしい。
向こうの島の噴水も、破壊することでリスポーン地点やワープ地点としての機能を失う。先んじて避難場所を潰しておく算段か。本当に面倒なことをする。
「来たよ。早くログアウトした方がいい。リスキルされたら強制ログアウトするしか逃げる方法がなくなる」
「んー……」
「……ほら、僕も一緒にログアウトするから」
「……っす」
一切の干渉ができない相手に対して感情の波を立てるなんて馬鹿馬鹿しい。落ち込むなんて以ての外だ。
無視か、距離を取るかの二択。それが精神衛生上一番いい。
メニューのログアウトを選択する。
光の粒となって世界から離脱する……寸前、僕は見た。見てしまった。チーターの手に握られている大型爆弾を。
チーターの行動の中には任意のアイテムの即時生成、そして任意のスキルの使用もあると聞く。
まさか――
『Fire!』
膨れ上がった爆炎がプレイヤーを、寒村を吹き飛ばして更地に還した。その威力は、範囲は、普通の大型爆弾を優に上回っている。あれは、あのスキルは……。
「一世、一代」
僕はログアウトを中止した。配信画面を消して歩き出す。
「えっ、パイセン!?」
「先にログアウトしてるといい」
振り返らずに自宅から出ていく。
「ちょっと……やることができた」
▷
自宅を発ち、目抜き通りに差し掛かったあたりでレッドネームに担がれた。どうやら向こうも僕を迎えに来ていたらしい。話が早くて助かる。
運ばれてきたのはみずっちの隠れ家だ。ごみごみとした北西区画にある家屋。扉を開けると無表情のみずっちが僕を出迎えた。詰め寄って言う。
「開発は何をしてる。対応状況は? いつまであんなチーターをのさばらせておくつもりなんだ」
みずっちはこのゲームの開発に携わっていた。技術的な方面では一切の関与をしていないが、脳波のサンプルを提供していたとか。その過程で知り合った開発とは今も連絡を取り合っていると聞く。彼ならば社外秘の情報すら握っているのではないかという確信に近い疑問があった。
やれやれと肩をすくめたみずっちが言う。
「一言目から機密漏洩の催促とは穏やかじゃないなぁ。ボクを犯罪者にする気かい?」
「今更だろう。それにそっちが勝手に口を滑らせるだけだ」
「うーん、これは正義」
わざとらしくへらっと笑ったみずっちが次の瞬間にはわざとらしく表情を消す。
「それじゃあお望み通り口を滑らせるとするかな。結論から言うと、対策はもう万全だ。というより、やろうと思えば一日二日で完全な対策はできてたらしいんだよね」
「ならなんで一週間もチーターがやりたい放題してる。どんなクソ運営でもチーターを放置するのが下策だってことくらい分かるはずだ」
人の興味関心は移ろいやすい。チーターが居なくなるまで、という思いで始めた他の娯楽に思いのほかハマってしまい、そのまま戻らないことなんてありふれた現象だ。
もとよりネトゲは人の惰性に商機を見出している。
月額を払ったなら月一杯は遊ぼう。結構な額を課金したから今更やめるのもなぁ。ログインが習慣になってるから。
そんなモチベーションの糸はふとした瞬間にぷつりと切れる。毎日欠かさずログインしていたプレイヤーが蒸発したように居なくなるなんてネトゲではよくあることだ。
チーターの放置はそれに拍車を掛ける。ゲームそのものの寿命を削るだけの愚策。
チーター出現以前は、この時間のログイン人数は五千人近く居たが、今となっては二百人近くしか居ない。実に九割以上のプレイヤーが消え去ったことになる。一体、この中の何割が戻ってくるのか。戻ってきてくれるのか。そういう計算ができないほど愚かじゃないだろうに。
「言いたいことは分かる」
だけど。そう前置きしたみずっちが続けた。
「今回ばっかりは、運営と開発を責めるのはやめてあげて欲しい。再発防止と、それから犯人特定のためにはこうするしかなかったんだ。アクセスポイントとデバイスの製造ロットの特定。脳波の照会。あとは……容疑者と思われる人物と接触していた社内の人間の洗い出し、とかね」
「内部犯なのか?」
「確定だね。あれは厳密にはチートじゃなくてデバッグプログラムなんだ。動作の不備を点検するための機能だね。極論何でもできるから、どんな無能なヘタクソ馬鹿でもディムオーグを二分で狩れる。そういうシロモノだ。それが社内から持ち出された……っていうのは現実的じゃないから、一から再構築されたっていうのが今回の件の真相だ。そして内部犯にもおおよその目星がついたらしい。明日だ。明日にも事件は収束する。これはもう既定路線だ」
そう言い切ったみずっちの表情は相変わらず無味乾燥としたものだったが、強い語調からは確信めいたものを感じさせた。こいつがそこまで言うということは、きっとそうなるのだろう。
だったらもうここにいる理由はない。今日はログアウトして、明日またログインすれば、全ては元通り。人騒がせな事件も一件落着である。
「……それが聞けて安心したよ。あのチーターもどきが消えるなら、それでいい。礼は言っておくよ。じゃ」
そろそろやつがこちらへ来る頃だ。無差別なリスキルが始まったら強制ログアウトかロールバックを待つかの二択しか選べなくなる。非常に釈然としないが、やむなし。
メニューをいじってログアウトを実行する寸前。飛んできたナイフが腹に刺さってログアウトが阻害された。なんだというのか。
「まあ待つんだ。もう少しボクに口を滑らせる時間をくれよ。……ボクはね、嬉しかったよ。君が、このゲームを心から愛してくれているようでね」
「脈絡のなさは変わってないね。一般人にも分かるように口を滑らせてよ」
腹に刺さったナイフを引き抜くと同時に投げ捨てる。カランと乾いた音の後、みずっちがわざとらしい笑みを浮かべて続けた。
「だって、そうだろう。どうでもいいと思っているゲームに残り続ける理由はないし、チーターにやりたい放題されようと腹を立てることもない。許せないんだろう? あのチーターに【一世一代】を雑に扱われたことが」
「は? 別に? スキルなんて誰か一人のものじゃないし、腹を立てる理由がないだろ」
「君は普段呼吸のように嘘を吐くのにたまにポンコツになるよね。おっと待つんだ、起爆はやめよう。ここからが本題なんだから」
訳のわからないことをぬかすこいつを爆殺してやりたかったが、情報提供という功績を鑑みて取り止めた。正義は義を重んずる。アゴをくいと動かして続きを促す。
「腹に据えかねているのは僕らだけじゃない。プレイヤーはもちろん、運営も開発も……今回の件は相当にキてる。まあ、だからってわけじゃないけど、ちょっとしたイベントを開催することにしたんだ。話の分かるディレクターとデザイナーの人がいてね、少し頼んで場を整えてもらったよ。チーターに掻き回されてなおこの世界に残ることを選んでくれた愛深き者たちへの、言わば恩返しだね」
「イベント? まさか年末みたいな獲得経験値アップとか?」
このゲームの運営はイベントなんていう気の利いた催し物を滅多に用意してくれない。チーター騒動の火消しとして年末と似たようなものを開催するのだろうか。
しかし予想は外れたらしい。みずっちはわざとらしくハッと鼻で笑った。
「まさか。あんな下らないイベントはもうやめるように忠告しておいたよ。ゲームの寿命を縮めるだけだからやめときな、ってね」
「いや……というかなんでそんな発言権を持ってるの?」
「プロデューサーの息子だからね、ボク。発言権だけはあるんだよ」
「えぇ……唐突にリアルバレするじゃん。簡単に特定できそう」
「おや、会いに来てくれるのかい? 部下になる?」
「死んでもお断りだ」
下らない提案を軽くあしらう。正直他人のリアルなんてどうでもいい。本当のことかも分からないし。
「冗談はさておき、とにかく明日だ。明日の二十時にみんなで楽しもう。まあボクはあんまり目立ちたくないから影でこっそり見守ってるよ。それじゃ」
言いたいことを言い放ったみずっちはそそくさとログアウトしていった。どこまでも食えないやつだ。掴みどころがない。絶対にリアルでは会いたくない手合いである。
「……イベント、ね。ろくでもないことじゃなければいいけど」
一体なにをしでかすつもりなのかは知らないが……まあ、参加くらいはしてやってもいい。くだらないことだったらボイコットするけど。
まるで予想できないことに気を取られていても仕方ない。僕もログアウトしよう。
光の粒となってこの世界から離脱する瞬間、耳障りな笑い声と、それを掻き消すような爆風と閃光が僕の全身を包んだ。どうやらあのチーターは爆弾を、【一世一代】を甚く気に入ったようである。
……ゴミめ。だが、いい。やつはもう詰んでいる。直接制裁を加えられなかったのは残念だが……それは仕方ないことだ。明日には消え去るやつのことを気に掛けるなど馬鹿馬鹿しい。僕は強制ログアウトを選択した。すぐにロールバックされるのでログイン制限のペナルティはなくなる。
さぁ、気分を切り替えよう。明日には全てが終わっているんだから。
▷
明日にも事件は収束するとはなんだったのか。
朝と昼に再び現れたチーターは、今日も今日とて街とフィールドを無差別に爆破して高笑いを上げていた。そろそろ飽きてくれてもよさそうなものだが、こちらの思いを汲んでくれないのがチーターという生き物だ。やつは他人の感情など知ったことかと開き直り、ひたすら無益な破壊行為を繰り返していた。
一連の騒動が始まってから運営がロールバックを行った回数は二十を超えている。いよいよ廃人連中やレッドネームも辟易し始めているようだった。
「さすがにクソ運営すぎん?」
「そろそろ別ゲー行くぞおい」
時刻はそろそろ二十時になる。
噴水広場にはテーブルゲームに興じているレッドネームたちとチーター観察配信をする予定の『ケーサツ』、そしてこの機会に【一世一代】対策を練ろうと思い立った廃人たちが集まっていた。空気はあまり宜しくない。
「おい廃人どもよぉ、チーターに構うんじゃねぇよ。お前らが遊んでるからあのクソが付け上がるんだろうが」
「荒らしカスには放置が一番効くって学べや」
レッドネームが語気を荒らげて『先駆』に突っかかる。
普段であればこの程度の挑発は柳に風と受け流すのだが、今は廃人連中も心中穏やかではない。珍しく苛立ちをあらわにしたフレイヤたんが返す。
「黙れ。ログインしている時点でお前らも同じ穴のムジナだ」
「あ? やんのか?」
「おい、俺らで争ってどーすんだよ……」
「『ケーサツ』も同類だろうが。配信なんかしてっからあのクソが悦ぶんだよ」
「俺らは運営に警告を促してんだよ!」
この始末である。
もとより仲良しこよしという仲ではなかったが、妙な団結力だけはあった。それが今回に限っては機能していないらしく、互いが互いに八つ当たりをする悪循環がはびこっていた。苛立ちだけが溜まっていく。
「なんか最近つまんなーい。ね、ノルちゃんさん」
「みゃあ゛」
PK大好きのシリアとノルマキさんもこの調子である。
巡る不和がいよいよ爆発を迎えようとした瞬間、やつは来た。
「haha〜! I'm back! ファ○キンジャァ○プ!」
飽きもせずやってきたチーターだ。
噴水広場に集まったプレイヤーから総スカンを食らっているにも関わらず、チーターは醜悪な笑顔を輝かせ、汚いスラングで何事かを叫び散らかしている。
と、そこで。
「……あれ?」
僕は気付いた。どうやら他のプレイヤーも同時に気付いたらしい。
チーターの頭上。逆毛の金髪の少し上に、やつのプレイヤー名が表示されていた。
ゼウス。それがあのチーターの名前らしい。こんな場末のクソゲーで暴れるチーターが全知全能の神を名乗るとは恐れ入った。
「おい、あれ……」
「ゼウスはさすがに草」
「海外にも厨二病患者っているんだな」
ここへ来て判明したチーターのプレイヤーネームに、集まったプレイヤーが嘲り笑いを漏らす。
「ha……?」
当のゼウスくんは困惑顔だ。わざわざプレイヤーネームを開示したのにウケが悪かったからだろうか。
……待て。閃く。まさか。
思い至ったのは僕だけではないようだ。嘲笑が止む。あのプレイヤーネームはゼウスくんが自ら開示した訳ではないのでは?
チート、いや、デバッグプログラムだったかが、もはや機能していないのではないか。
公式のウィンドウが開く。さっと流し読みする。そこには数々の朗報が記載されていた。
チート対策が完全に完了したこと。
あと一時間後にロールバック兼メンテナンス作業が発生すること。
チート対策の影響で、メンテナンスまでの間、一時的に機能しなくなるプログラムがあること。
使えなくなる機能は五つ。
ログイン機能。
配信機能。
孤島エリアへのリスポーン、及びワープ。
エモーションペナルティ。
そして――――強制ログアウト機能。
ゲームをプレイ中の皆様におかれましては、速やかに通常のログアウトを実行して頂きますようお願い申し上げます。ウィンドウはそんなお飾りの言葉で締められていた。
誰かが言う。
「神ゲー……」
誰かが叫ぶ。
「神運営……!」
それは悲願が叶った瞬間であった。
絶対的な安全圏にいるため、こちらから一切の手出しが出来ず、神の裁きが下るのを待つ以外に為す術のなかった存在が、いま、ポトリと、目の前に墜ちてきたのである。
正義の刃が届くようになった瞬間であった。
光の粒が立ち昇る。
いち早く事態を察知したゼウスくんがログアウトを実行しようとしたらしいが、知らなかったのかな? ここの運営は神なんだ。ログアウトなんて簡単に阻止できる。
ヒュンと飛来したナイフの数は五。
四肢と腹部に突き立ったナイフが逃亡者を獄の地へと縫い付ける。脱獄に失敗した光の粒が十倍速逆再生のようにギュルンと収束して驚愕に顔を染めたアバターを形作った。
その右肩に腕が乗せられる。迫るのはかっ開いた眼と吊り上がった両の口端が輝きを放つ笑顔。
「おいおい、どこ行くんだよ? え?」
左から迫るのは牙と眼光が眩しい光を放つ笑顔。
「遠慮すんなよ〜。もうちっと遊ぼうぜぇ?」
僕は呆然とした表情で立ち尽くすゼウスくんの眼前に歩み出た。両手を広げて言う。
「Welcome to Deathgame」
楽しいイベントの開幕だ。