その一滴は何を穿つ
実験材料が無くなってしまったため、僕とヨミさんはとりあえずマグマ溜まりの奥部へと足を進めることにした。ここで帰るのもアレだし、折角なら行けるとこまで行ってみてから死のうという話になったのだ。
時折吹き出すマグマや流れ落ちてくるマグマを避けつつ進む。暑いという感覚は遮断されているはずなのだが、煌々と脈打つ星の血液のようなマグマに囲まれているという非現実的な状況が錯覚を呼び、思わず暑いと呟きたくなってしまう。共感覚というやつだろうか。
「お、あの鉱石はマグマに触れても溶けないみたいだな。採取すればタングステン合金と似た耐熱金属を作れるかもしれん。採掘師は生かしておくべきだったか……」
「楽しそうだね。鉱物の組成とかそんなに気になるかなぁ」
「楽しいさ。現実はあらゆる現象が詳らかにされた後だろう。それはロマンの喪失だ。神の威光と崇められたオーロラも、太陽風のプラズマが引き起こす発光現象だと暴かれては形無しだろう。今は知りたいことを検索するだけで無知にも分かるように噛み砕かれた情報が手に入るからな。便利なのだろうが、趣がない。もちろん先人を非難する訳では無いがね」
「それでこのゲームで『検証勢』なんてやってるわけかぁ」
「まあな。所詮は作り物の世界だと蔑む者もいるが、私は謎と未知に溢れたこの世界が好きだよ」
「自作自演の釣りをしたら新機能が解放されるようなデタラメな世界でも?」
「実に素晴らしいじゃないか。へそ曲がりの神の鼻を明かしてやったみたいで清々する」
そう言ってヨミさんはニヒルな笑みを浮かべた。
本当に、種々雑多なプレイヤーが集まってきたものである。
大半のプレイヤーがこのゲームをクソだと吐き捨てて去っていく中で、こうも熱意を滾らせるプレイヤーもいるという事実に驚嘆を隠せない。
このゲームはクソだ。それは間違いない。
だというのに、僕を含めた数千のプレイヤーが日夜を問わずゲームをプレイしている。他にやることなんて探せばいくらでもあるだろうに、それでもクソだクソだと蔑まれるこの世界に降り立つのは、比重を傾けるに足るモノがあるからなのだろう。
それを便利な一言で片付けるとするならば。
「ロマン、かぁ」
「然り」
短く応えたヨミさんが手で僕を制する。促されるまま立ち止まった直後、天井からダバっとマグマが垂れてきた。カンカンに焼いた石を水に放り投げたような音が響く。このまま進んでいたら溶けていたのは僕たちだったという事実に肝が冷える。
一方のヨミさんは肝が座っている。白衣の端が地に付くのも気にせずに座り込み、マグマが跳ねた箇所を観察しだした。地面を軽く撫でて言う。
「マグマの温度は地表ではおよそ千度だったか。はてさてこの世界ではどうなのだろうな。見ろ、ざらついた地表にいくつもの穴が空いている。同じ形状など一つたりとて見当たらない。全く途方も無いな。これが全てシステムで計算されているのだとしたら……そう考えるだけで怖気が走る」
「……確かに、現実さながらっていうキャッチコピーを否定できなくなるよね」
「是あるかな。……だが、これは現実じゃない。知っているか? この世界では、雨垂れは石を穿たない」
ヨミさんは凝固したマグマの粒を指先で弄び、続ける。
「継続は力なりという言葉を否定しているわけではない。そのままの意味だ。もう一年以上続けている実験がある。結果、水のひとしずくではどれ程の時間をかけても石を削ることはできなかった。毛細管現象だの、温度変化による体積の膨張だのといった法則が働いていないのか、それとも神の怠慢か。下らないと呆れられるかもしれないが、『検証勢』はそういう発見に脳を揺さぶられるのだ。海が青い理由を探求することができる。実に素晴らしい世界だとは思わないか?」
語る口調には幼子のような無邪気さと達観した大人のような落ち着きが矛盾することなく同居していた。
大半のプレイヤーが見向きもしないことであっても、彼ら彼女らにとっては追究し、解き明かす価値があるということなのだろう。
「壮大な間違い探しみたいだね」
「良い感性をしている。うちのギルドに来い」
「嫌だよ」
「おや、振られたか。適性は十分だと思うんだがな。残念だ」
少しも残念そうに見えない仕草で肩をすくめたヨミさんが再び歩き出したので僕も続いた。
一目見て危険地帯と分かるマグマ溜まりを、拍子抜けするくらいにあっさりと進んでいく。今のところ地形にさえ気を払えば障害になりうる要素はない。
「なんか案外平和だね」
「『先駆』が先行していたからな。戦闘の形跡が見られるし、モンスターの駆除が済んでいるならこんなものだ」
新エリアだというのになんとも味気ないことだ。まあモンスターと出くわしたら二秒ともたない自信があるし、結果的には良かったのかもしれないね。
他愛もない会話をしつつ、死を前提としたダンジョンアタックを続行する。むせ返りそうな蒸気を潜り、地を融かして流れる赤の川を抜け、遂に最奥部と思われる地点へとたどり着いた。
マグマの湖。そう形容するほかない。
円状の足場と、その内側に溜まった大量のマグマ。そして飛び回る廃人。相対するは流動するマグマの巨人だ。
ゆうに十メートルはある巨躯を緩慢に、しかし力強く振り回す。一挙一動に付随して飛び散るマグマ片が接近を拒み、劣悪な足場が機動力を奪う。
これは、最悪の相手なんじゃないか? ペラペラの紙耐久を余儀なくされた人類には荷が勝つ相手だ。マグマの一滴だろうと人はあっけなく致命傷を負う。それが巨躯を成して殺意を持ったらお手上げじゃないか。
「かなりきつそうだね。あれはボス的なモンスターかな?」
「恐らくな。掲示板の情報によると、フィールドに出現する敵は赤熱化したトカゲらしい。であるならば、あれが主と見ていいだろう。アナウンスがなかったからレイドボスではないのか。……見た目通り、なかなか手が焼けそうな相手だ」
「だね。戦ってるのはいつもの三人か。もう一人は死んじゃったのかな。あ、剣が溶けた。装備破壊持ちとかエグくない?」
「ほう! 新しいな! 攻めあぐねているのはそれが理由か。脳死で突っ込む主流の戦法が封じられ、手をこまねいていればこちらのリソースが尽きる。初見殺しは今に始まったことではないが、今回の敵はなかなかどうして悪辣だな」
廃人三人組は善戦しているが、足場にダメージゾーンが敷き詰められているフィールドでは唯一の命綱である機動力が十全に発揮できないらしい。
【踏み込み】で跳び出し辻斬りを放ち、【空間跳躍】で陸地へと帰還する。見ていてもどかしい動きだ。【空間跳躍】を逃げに使う必要に迫られるため、空を天井に見立てた三次元的な変態機動に移れないらしい。
あっさんが安全圏から飛ぶ刺突を見舞うも溶岩の巨人は小揺るぎもしない。赤熱する腹部にヘコみを与えたが、ドロリと流動するマグマがすぐに欠損を補填する。効いているのかすら怪しい状態だ。
今の一撃ではヘイトを剥がせなかったのだろう。巨人に大槌を振るって離脱したフレイヤたんが狙われる。
巨人は虚空を殴りつけるように拳を振るった。活火激発。火山の噴火を彷彿とさせる溶岩流の嵐が降り注ぐ。コンパクトなジャブを放つ感覚で振るわれた大技に呑み込まれたフレイヤたんは死んだ。
なにあれ……回避できなくない? 開発さぁ、テストプレイしてるの? こんなのクソゲーじゃん。今更か。
溶岩でジュッとされたフレイヤたんがゴロゴロと転がる。
このゲームは何かとうるさい団体に配慮しているので、四肢は欠損しないし火炙りにされても死体が焦げることはない。もちろん防具が焼け落ちることもない。
溶岩溜まりに沈むフレイヤたんはリスポーンまで棒読みかと思われたが、そこは百戦錬磨の廃人集団。シンシアの投擲。死体の流れつく先を見切って放り投げられた女神の雫がフレイヤたんに当たって砕ける。緑色の燐光が弾け、フレイヤたんは復活を果たした。さすがの連携力である。
復活したフレイヤたんが溶岩を撒き散らしながら跳ぶ。このゲームには復活後の無敵時間などという有情なシステムはないので、マグマが付着しているフレイヤたんは早くも死に体だ。
どう切り抜けるのか目を見張る。
フレイヤたんはクルンと身体をひねって足を天井に向けた。【空間跳躍】。豪速で頭から地面に突っ込んだフレイヤたんは死んだ。な、何がしたかったんだ……?
疑問に思ったのは束の間。僕は廃人の底を甘く見ていた。
緑の燐光が舞う。復活からのセルフ蘇生……! あの勢いで自殺したのはマグマを振り払うため……合理的だ。合理的に狂っている。これが廃人か……。いよいよ人の枠組みを壊しにかかってるな。どこまで常識から乖離すれば彼らは満足するのだろうか。
投身自殺の勢いのままギュンと転がってきたフレイヤたんがズサアッと地を滑り僕らの前で静止する。怖気の走る無表情でポツリと漏らす。
「対策必須だ」
ヨミさんが応える。
「装備か? アイテムか?」
「両方だ。何もかもが足りない。地形効果軽減防具、耐熱性に優れた武器。ゴリ押すためのポーション。素材を持ち帰るためにインベントリを空けたのが裏目に出た。このままではジリ貧だ」
ここまで弱腰なフレイヤたんは珍しい。よほどあの溶岩の巨人は手強いと見える。
チラと戦場に目をやると、シンシアが噴出したマグマに打ち上げられて死ぬところだった。あっさんの投擲。空中で復活したシンシアは【空間跳躍】で体勢を立て直し飛び退く。
確かにジリ貧だ。いつものエサに群がるイナゴのような勢いがない。
厄介なのは湖のように広がったマグマだろう。ふむ。僕は提案した。
「上級水魔法とかブチ込んでみれば?」
「試した。水蒸気爆発で一人死んだ。セルフ蘇生が間に合わなかったら全滅していたところだったぞ」
おお……さすがはクソ運営。有効そうに見える手段を真っ先に封じてくるあたり性格が終わってるね。
「立て直して装備整えたほうがいいんじゃない?」
「それは避けたい。そろそろレッドが嗅ぎつけてくる。やつらに遅れを取るわけにはいかない。……そもそも、やつがリスポーンする保証がない。レイドボスほどではないが、雑魚と割り切るには危うい強さだ。やつは何としてでもここで狩る」
日曜の朝にきゃるんきゃるん言ってそうなロリフェイスのフレイヤたんが、無表情でマグマの巨人を睨めつけながら殺意を表明した。再キャラクリ機能の実装が待たれる。
「随分気合入ってるけど、勝算はあるの?」
「一部の攻撃の後と連撃を加えた際にコアと思われる部位が露出した。あからさまな弱点としか思えない。それを全力で破壊する」
すぅと目を細めたフレイヤたんがマグマの巨人から視線を切り、腕を組んで沈黙していたヨミさんに向き直る。
「アレを使う。許可を」
「……いいだろう。三つ使え。三分以内でケリをつけろ」
「理解者」
え、なに今のやりとり。闇魔法因子発露計画は凍結されたはず……。アレ。アレとは? 僕はヨミさんに尋ねた。
「薬剤師という職業がある。獲得できるスキルはポーションの質を上げるものや解毒効果を付与するものだ。歯に衣着せぬ言い方をしてしまうと、パッとしないという印象が拭えない職業だった」
ギュンと立ち去っていったフレイヤたんがあっさんとシンシアに何事かを囁く。おそらく、アレとやらの使用許可が出た旨を告げたのだろう。
シンシアが配信では見せないような黒い笑みを浮かべ――そして、あっさんも牙を剝いて笑った。あ……あっさんが笑みを……? なんだ。一体何だというんだ……?
「地味な職業ゆえにレベルを上げていたのは一部のもの好きと、あとは我々のギルドのメンバーくらいだった。だからアレは流通量が極めて少ない」
廃人三人組が取り出したのは小瓶……いや、それよりも小さい。一口分の水すら入らないような容器を取り出した彼らは蓋を外して凄惨な笑みを浮かべた。
「薬剤師レベル10。【上位霊薬精製】。低級のポーションを中級へ。中級ポーションを上級へと変化させることができる。非常に地味だろう。だが……それを女神の雫に使用したらどうなるか」
「……まさか!?」
「コストが莫大でな。女神の雫を二百個も要求される。実に一千万もの金と、そして精製に三日の時間を要した上で出来た液体は……ただの一滴」
蓋を外した廃人が、その一滴とやらを入れてあるであろう容器を高々と掲げ――そして己の目へと注入した。
「『目薬』だ」
目薬をキメた廃人は歓喜に打ち震えるように顔を歪め、身体の内から溢れるエネルギーを解放するかのようにビクンと痙攣した。
緑の燐光が舞う。
それは復活の際にプレイヤーが纏う奇跡の光。死という現象を遠ざける魔除けの光。それが、消えることなく、纏わりついている。
まさか……あり得るのか……?
「刮目するといい。プレイヤーは死を超克した」
巨人がマグマの波を放つ。触れれば即死のマグマの壁に突破できそうな穴はなく、左右へ回り込む以外の選択肢は存在しない……かに見えた。
「往くぞ」
あっさんの一言。それだけで意図を汲んだ二人が跳ぶ。マグマの壁を突っ切るように。
「はっハァ!!」
「アルコールよりもキくなあッ!!」
ボッとマグマを散らして宙を舞う二人は……無傷。まさか……許されるのか、これは……。
「三分間の無敵時間を得る。量産体制さえ整えば、理論上、倒せないモンスターなど存在しなくなる。反撃の狼煙は既に上がっているぞ」
迎撃に振るわれた拳も、噴火のような爆発も意に介さずに廃人が駆ける。マグマの海を走破し、赤熱した巨躯に拳を突き入れて快哉のように叫ぶ。
「無駄ァ! さっさとくたばれクソモンスがあァー!」
「核とッたらァー!」
無敵時間付与という埒外の能力がマグマの巨人に身一つで突っ込む暴挙を許す。焼け爛れ落ちる運命を強引にひっくり返した三人組が腑分けのように素手をブチ込んだ。
これは……凄いな。凄いけど……一つ気になることがある。
「あの目薬には性格を破綻させる成分でも含まれてるの?」
「いや。あれは……ただの鬱屈とした感情の裏返しだろう。スタンプハメの時と同じ……いや、それ以上か。無抵抗のカカシを殴るのではなく、抵抗する相手を圧倒的な暴力で嬲り尽くす。それは我々が飲んできた煮え湯をそっくりそのまま相手の喉元に流し込むようなものだ。多少の高揚も作用のうちだろう」
多少……あれが、多少?
「殺せッ! 殺せッ! 殺せーッ!」
「酒と暴力は質の良い睡眠に欠かせないなァー!」
「ヒヒッ! きヒヒヒッ! ヒィーハァー!!」
この世界では、水の一滴は石を穿たない。しかし、人間性に穴を空けるにはそれで十分であったらしい。
フレイヤたんが巨人の顎を蹴り飛ばす。仰け反って露出した腹にあっさんが突撃し、ブレた両腕で肉を削ぐようにマグマを散らす。露出した赤黒いコア。マグマ以上の熱を孕んだ息を漏らしたシンシアが、暴力に酔いしれるような恍惚を浮かべ、右の拳を突き入れた――。