正義
恐らく、全て計算尽くだったのだろう。
自宅が壊されていたため、僕が選べるリスポーン地点は噴水広場のみだった。そこで待ち伏せしていたのはレッドネームを含む十人近くのプレイヤーだ。
揃いも揃って醜悪な顔をしていた。頭のネジが外れた快楽殺人犯が浮かべるような笑み。一体それはどういう感情を入力した結果なんだ。僕はほとほと呆れ果てた。
抵抗はできない。ログイン、リスポーン直後の硬直はどうしたって消すことができないクソ仕様だ。だのにしっかりと当たり判定は機能しているから斬られれば死ぬ。開発はテストプレイしろ。ふざけるな。
血溜まりにドチャリと倒れ付す。死後の十秒で僕が聞いたのはこの世のものとは思えない絶叫だ。
猿とチンパンジーとゴリラを数匹ずつ集めて、どいつが一番声がデカイかを競わせているような、そんな喧騒。人の理性の限界を見た気分だ。これだからこのゲームのプレイヤーは頭がおかしいと言われるんだ。
レベルダウンに際してのアナウンスは特に無いらしい。それでもメニューに映る僕のレベルはしっかりと下がっている。
火薬師レベル10。思い入れのあるレベルだ。大型爆弾作成のスキルが入手できた時の感動は一入だった。努力が報われるとはまさしくあの瞬間のことを言うのだろうとしみじみと感じたものだ。
次に死ねばスキルは消える。
無慈悲なシステムだ。レベルが下がった瞬間、ペタリと貼り付けたシールを剥がすかのように権能を剥奪される。ポッカリと空いた余白を埋めるには、再び途方もない時間と労力を積み上げる他ない。
分水嶺だ。ここで退かねば被害は甚大。視線がメニューの最下部、強制ログアウトの文字に引き付けられる。
時間稼ぎに徹してくれたプレイヤーたちの思いを踏みにじるのか。早くログアウトしろ。賢しらぶった自分の声が聞こえる。甘く優しい提案だ。他人の好意を無駄にしないためという逃げ道はとても歩きやすいだろう。
襟首を掴まれるような感覚。首が締まる。『まさか、逃げないよね?』。釘を刺すとはよく言ったものだ。心の奥底のちっぽけな、それでいて何ものにも代え難い矜持を確りと打ち付けて離さない。賢い選択に手を伸ばすことを良しとしてくれない。
馬鹿だなと思う。馬鹿だと罵られるだろう。僕はそれだけのことをした。
そして僕はレベル1になった。
▷
簀巻きにされて薄暗い路地裏に転がされた。このゲーム最大の煽り行為、【冷水】ションベンを全員に浴びせられて。
「お前にはお似合いの末路だ、なッ!」
ドスと脇腹を蹴飛ばされる。それでスッキリしたのか、僕をリスキルしたクソ共は心の底から楽しそうな笑い声を上げて路地裏から出ていった。
全く、理解できない。何がそんなに彼らの嗜虐心を掻き立てるのか。本当に、心の底から理解できない。こんなことをして何になるというのか。
空を見上げる。建物の隙間から見える空はどこまでも澄み渡っていて美しい青だった。この清らかさを彼らは少し見習うべきじゃなかろうか。僕は世のままならなさを嘆いてため息を漏らした。
プレイヤーは簀巻きにされると詰む。抜け出せないのだ。なんとかなれと身を捩ってみるも、やはりというか、なんの意味もなかった。力を抜いて何度目になるか分からないため息を吐く。
「めんどくさいなぁ」
こんなことしてる場合じゃないってのに。まずは小型爆弾を大量に作らないと。レベルなんてまた上げればいい。幸い処分するゴミには困らない世界だ。根気よくやればいい。
そう結論付けたはいいが……こんな状態じゃ何が出来るわけでもなし。ボケっと空を見上げていると視界に影が差した。
「あーあ、つまんないの」
感情を排した平坦な声。シリアだ。壊れた玩具をどう処分するか思案するような無機質な瞳がこちらを見下している。どうやら助けに来てくれたという風情ではない。
「ダメ元でお願いするんだけど、助けてくれない?」
「ライちゃんさぁ、前に言わなかったっけ? もしもレッドネームになったら私以外に殺されちゃダメだって」
話にならない。やはり狂人か……。
ため息が漏れる。本当に、今日だけで一生分のため息を吐き出した気分だ。ため息を吐くと幸せが逃げると言うが、思うに幸せが寄ってこないから人はため息を吐くんじゃないか。こんな目に遭って笑っていられる人間は情緒がぶっ壊れている。
「うーわ辛気臭っ。ねぇ、今どんな気持ちなの? 努力の成果が全部ぱぁになっちゃって、こんな無様な芋虫みたいに転がってる気分はさぁ。ねぇ。声に出して教えてよ」
へらへらとした笑みを浮かべたシリアが僕の腹に脚を乗せた。それこそ虫を踏み潰すみたいに。そしてつま先でぐりぐりと躙られる。なんなのさ。
「……煽りに来たなら好きにしなよ。その代わり、満足したら紐を解いてくれ。それくらいは頼むよ」
腹を躙る足の動きがとまる。ストンと表情を消したシリアが足をどけて僕の顔の横に立つ。そして膝を抱えるようにして座り込んだ。ガラス玉のように作り物めいた目で覗いてくる。
「んー? 不貞腐れてんの? それとも落ち込んでるふり? どっちにしてもさー、クソつまんないからやめなよ。不愉快」
「なんでシリアが不機嫌になってんの? さすがに意味不明でしょ」
唐突に現れたと思ったらこれだ。理解し合える間柄とは微塵も思ってないが、ここまで奇行に走られると呆れよりも困惑が先にくる。根本のところで精神性が違いすぎるんだよね。価値観を共有できそうにない。
「……ライちゃんさー、自分が今どんな目をしてるか分かってる? 自分を抑え込んだつまんない目してるよ。このゲームはね、感情が目に出るの……って、そんなの言わなくても分かるよね? ライちゃんって誰よりも人の目を真っ直ぐ見てるし」
「自分を抑えるって、そんなの当然のことでしょ。ゲームだからってやりたい放題やってる君らと一緒にしないでよ」
タガの外れたプレイヤーってのは本当に見ていられない。猿のように叫びながら人斬りに熱を上げる様は文明社会の敗北を想起させるに足る痴態だ。ああはなるまいと強く決意させる反面教師的な存在である。
僕の反応に対してシリアは分かりやすく顔を歪めた。
アバターの表情は慣れればコントロールが利く。癖や無意識的な動きといった無駄な動作を排し、肉体の制御を支配下に置くにつれて表情筋が仕事を放棄するので無表情が基本になる。故に廃人連中は常に能面のような顔をしているし、シリアは嘘くさい笑顔をへらへらと浮かべて誤魔化している。
だが、時として表情筋のコントロールを奪い取って表に出てくるモノがある。強い感情の発露。僕の言葉の何がそんなに気に障ったのか、シリアはそれだけで人を刺し殺せそうな視線を僕に向けた。
「ライちゃんに初めて会ったときのことはよーく覚えてるよ。晒しスレで頭のおかしいやつが出たって話題になっててさぁ、軽い気持ちで見に行ったらビックリしたよね。殺意に服を着せて歩かせたらああなるんだなって思ったんだから。鏡なんだよね。悪意を受けた分だけ悪意で返す。とんだ爆弾が出てきたもんだなぁって感心したよ?」
「僕を頭のおかしい人間みたいに言うのはやめろ」
「戯言は置いておくね。んで、その時さぁ、ワクワクしたんだよねぇ。なんとかしてこの爆弾を爆発させたいなぁーって。だからちょっかいかけたの。まさかいきなり爆殺されるとは思わなかったけどね? 服の中に隠した小型爆弾に着火しての自爆特攻。今思い出しても笑えるなぁ。それでさ、あぁどういうふうに殺してあげようかなって思って顔見たらさぁ、なんかライちゃん急に冷めてんの。なにあれ? ゴミを見るような目で私のこと見ててさぁ。ほんとムカつく。今もそういう目してるよ。感情に無理やり蓋を被せたような、つまらない目」
「感情をコントロールしてこそ人でしょ。猿じゃないんだからさぁ」
このゲームのプレイヤーは頭のネジを進んで外すから恐ろしい。郷に入っては郷に従えと言うが、さすがにこんな野蛮な文化に染まるつもりはないよ。僕は人間だ。
「ほんっとに自分のことを理解してないんだね。誰よりもドロドロしたモノを抱え込んでるくせに猫被っちゃって。かと思えば下らない賭博でいきなり爆発するしさぁ。もっと自分に素直になってみなよ。こんだけボロクソにやられて悔しくないの? タマ付いてないの?」
「……自分のことは自分が一番わかってるよ。少なくとも、シリアなんかに言われるまでもなくね」
「嘘つき」
すっと立ち上がったシリアがかかとを鳴らした。靴に仕込んだナイフを露出させ、僕を縛っているロープを器用に断ち切っていく。
「あっちゃんは二回死んだよ。シアちゃんは四回だったかな。ロリコンはしらない。他にもたくさん。白ネームをキルしてたから全員赤ネ。みぃんなライちゃんを庇おうとして、そんで、犬死に。今頃はリスキル成功の報せが出回ってお祭り騒ぎなんじゃないかなー? 関わった皆の努力を踏みにじってツバ引っ掛けたみたいな状況だけど、いまどんな気持ちなの?」
「…………悪いことをしたとは思ってないよ。悪いのは頭のおかしい連中だ。ただ、受けた恩は返す。求められてるのは高レベルの火薬師だ。いつになるか分からないけど、地道にレベルを上げて貢献するさ」
「そんな腑抜けた態度で? 冗談キッツ。今はもう昔と違って小型なんかで簡単にヤれるプレイヤーばっかじゃないよ。それとも低レベルのクソスポ民でもシコシコ狩るの? ガキじゃないんだから状況を直視しなよ。もう詰んでるの。ぜーんぶあいつの手のひらの上。だから言ったじゃん。このままだと壊されるよって」
詰んでる? 壊される? 何を言ってるんだ。僕はまだ折れてないし負けてない。最終的に勝てばいい。正義は、勝つんだ。
「……詰んでなんかない。倒すのは何もプレイヤーじゃなくてもいいんだ。モンスターを狩り続ければいずれレベルは上がる」
「馬鹿じゃないの? 何年かける気? 爆薬代は? 容器代は? 狩りに付き合ってくれる仲間は? マヌケを晒して利用価値がゼロになったライちゃんを助けてくれるプレイヤーがいるって、本気で思ってるの? それは甘えなんじゃない? そもそもモンスターを狩れると思ってるのが笑える。へっぽこがどうやってレベル1から成り上がるつもりなのか教えてよ。連鎖の連中に頭でも下げるの?」
「必要なら、そうするさ」
「だっさ」
「なんとでも言いなよ」
シリアはなんとしてでも僕のことを煽りたいらしい。でも正直、今は鬱陶しいだけだ。言いたいことを言わせておけばいい。構ってやってる暇はないんだ。
……インベントリ操作。あれが、いま、なんの役に立つというのか。大型爆弾どころか中型爆弾すら作れなくなったというのに。あと二十時間以内でなんとかしろ……意味がわからない。そもそも意味があるのかすら分からない。もはやどうでもいい。あんなやつのお遊びに付き合う義理なんて皆無に等しいのだから。
舌打ちしたシリアが最後のロープを乱雑に蹴り斬った。ロープがはらりと解け、身体の自由が戻る。強く身を捩れば巻かれていた布の戒めも解け、晴れて自由の身だ。
地に手をついて立ち上がろうとしたところ、背中に蹴りを入れられてこけた。頭に足を乗せられる。
「助けてもらった礼も言えねぇのかよ」
「……ありがとう」
「……チッ」
素直に礼を言ったところスッと足がどけられた。何がしたいんだコイツは。本当に理解できない。ため息が漏れる。
すっくと立ち上がり服の汚れを叩いて落とす。チラと見たシリアの顔は――酷いものだった。殺意に服を着せたうんぬんの話は何だったんだ。それは自分じゃないか。僕は刺激しないようにゆっくりと目を逸らした。どこか安全なところへ退避して、それから小型爆弾でも作ろう。
「いつまでッ! ウジウジしてんだよお前はッ!!」
まだ何かあるのかよ。もう勘弁してくれよ。
そんな願いも虚しく、ズンズンと肩を怒らせて迫ってきたシリアが僕の胸ぐらを引っ掴んだ。時代錯誤のチンピラのように顔を寄せて叫ぶ。
「レッドネームになったのがそんなにショックか!? いつまでもつむじ曲げたガキみてぇに塞ぎ込んでんじゃねぇよ! あぁ!? おい目ぇ見ろよグズがッ!!」
「っ、もう、しつこいなぁ。まだ満足してないの? そろそろ冷静になりなよ」
「これがッ! 冷静でいられるかよッ!」
発狂したシリアに突き飛ばされた僕は再び天を仰いだ。起き上がろうとしたところ膝で胸を押さえつけられ、髪を乱暴に引っ掴まれた。
「いつも、いつもそうだッ! 正義とかいう仮面で自分を覆って、所詮ゲームって理屈で感情を冷やかしてッ! そうやって一線引いた外側から私達を見下すのがそんなに楽しいのかよッ! えぇッ!」
「いきなり、なんだよ……。頭おかしいんじゃ、っ!」
ジンと痺れる感覚が頭に広がる。頭突き。散々人を罵倒して、こっちが口を開けばこれかよ。くそっ。
「お前は負けたんだよ! 惨敗だッ! 仲間殺されて、レベルも下げられて、生ゴミみてぇに転がされてッ! それでどうしてヘラヘラしてられるんだよ! レッドネームになった原因は自分にあるから仕方ないってかぁ!? 頭湧いてんのはどっちだクソ猿がッ!」
「うるっさいなぁ。猿はそっちだろうが」
「人間のフリしてんなよ! あんだけボロっカスにされてすごすご引き下がるなんて縄張り争いに負けた猿同然じゃねぇかよッ! なぁ、聞こえるだろッ! お前をボコしたクソ猿共が馬鹿みてぇに騒いでる鳴き声がよぉ! あれを! 聞いてッ! 悔しくないのかって聞いてんだよッ!」
……声なら聞こえてる。さっきから、ずっと。
宴のような騒々しさだ。まさしく猿山。理性を捨てた獣畜生がキーキーと騒いでる様は動物園に迷い込んだかのように錯覚する。
ひどい有様だ。僕のレベルが下がったことがそんなに嬉しいなんてね。本当に、まったく、理解できない。
それにしても、縄張りに負けた猿……。言わせておけば、言いたい放題だ。こいつは、いつもいつも人の神経を逆撫でして……。
「なにその顔。ホントのこと言われて苛ついたの? なぁ。苛つくだけで済ませてんじゃねぇよ。手のひらの上で転がされて、殺されて、バカみてぇに笑われて、ションベン引っ掛けられて、私にここまでコケにされてッ! それでちょっと苛つくだけで済ませんじゃねぇよッ!!」
「さっきからしつこいなぁ。お前は何がしたいんだよ!」
「ヘタレの意気地なしに苛ついてんだよッ! あれだけやられて悔しいとも思わなければぶっ殺してやるの一言も言えねぇのかッ! 後生大事に抱え込んでるプライドのせいでッ! 腑抜けのタマ無しになるってんならッ! 正義なんて捨てちまえッ!!」
「――――」
あぁ、あぁ。何なんだコイツは。本当に神経に障るやつだ。こっちが抑え込んでる思いを無遠慮に引っ掻き回して。
ムカつくなぁ。どいつもこいつも。
視界が明滅する。腹に火で炙られた石を突っ込まれたような気分だ。
悔しくないのかだって? ふざけるなよ。クソが。
「悔しいに決まってんだろぉがッ!! クソが! クソ共がッ! 群れなきゃ何もできねぇクソ雑魚が!! 安全圏からのハメ殺しで粋がってるゴミ畜生共がッ!! 鬼の首獲ったような顔してんじゃねぇよ!! 一人残らずブッ殺してやるッ!! 顔もッ! プレイヤーネームもッ! 刻みつけてあんだよッ!! 絶対に逃さねぇッ!! 何度も、何度も! 何度もッ! しつこく纏わり付きやがってッ!! クソ共がぁッ!! そんなに騒ぎてぇなら花火玉ブチ込んで盛り上げてやるから感謝しろよなぁッ!! レッドネームのクソ共もッ!! 便乗してきた有象無象もッ!! 誰に手を出したのか、その身をもって思い知れッ!! 微塵に砕いてブタの餌にしてやるよッ!! クソ共があああぁぁッッ!!」
視界が白光する。酸欠の症状だ。
手で目を覆い、深い呼吸を繰り返す。体内が熱い。肉体の末端部が震える。こんな細部まで律儀に再現してんじゃねぇよクソ開発が。
思考を回しながら呼吸を整える。燻る熱を抜いていく。そうして十も繰り返せば元通りだ。
網膜に焼き付くような刺激が消え失せたので目を開くと、締まらないニヤケ面を浮かべたシリアがじっとこちらを見つめていた。
「んだよ」
「牙、生えてるじゃん」
「わけわかんねぇこと言ってないでどけよ」
んふふと気味悪い声を漏らしたシリアが飛び退いた。上体を起こす。シリアが手を差し伸べてきたが、無視して自力で立ち上がる。掴まれた服と髪の乱れを直しているとシリアがニヤケ面をそのままに口を開いた。
「ヤる気出た?」
「……おかげさまでね。ここまで焚き付けたんだから協力してもらうよ」
「もちろん! レベル上げでもなんでも手伝うよー!」
レベル上げ。レベル上げね。駄目だな。そんな悠長なことをやってたら間に合わなくなる。
「そんな暇はないよ。言ったろ? 一人残らずブッ殺すってさぁ。僕のことをキルするためだけに戻ってきたっていうクソ共を逃がす気なんて、さらさら無い」
恩は返す。仇は倍にして返す。折角の帰参なんだから土産くらいくれてやるさ。遠慮はいらないよ。
「策がある。いま、考えた。盤面をひっくり返そう」




