008 タルタ
私の名前はタルタ・ネウィン・オル・ウィンシュカ。
魔王国6大貴族、ウィンシュカ家の末妹です。
物心がつく頃には王宮に上がり、生まれたばかりの王子様のお世話係として過ごしていました。
王子様の名前はアーネス・クォル・イルア・シェラルザーク様。とても元気の良い王子様です。
アーネス様のお母様である王妃様はアーネス様を生んですぐに体調を悪くされてそのまま天に召されました。しかし亡き王妃様の分までアーネス様のお父様である魔王様と、おじい様である前魔王様がとても慈しんでアーネス様をお育てになりました。
そんなご家族の愛情をたっぷり注がれたアーネス様は、明るくまっすぐな性格の、とても元気な王子様に育って行きました。
私はアーネス様のお世話係としてずっとお側に仕えさせていただきました。
そんな私をアーネス様は、友の様に、姉の様に慕ってくれていました。とても光栄でした。
そんなある日の事です。
アーネス様は5歳、私は8歳となっていました。
いつものように私はアーネス様と一緒に家庭教師の元で勉強をしていました。
急に外が騒がしくなり、何事かと窓の外を見ようとしたその時、その窓を破り部屋の中に男が転がり込んで来ました。
私は驚きましたが、すぐにアーネス様をお守りする為に男の前に立ちました。ですが男の放った魔法で私はあっけなく倒れてしまいました。
薄れゆく意識の中、アーネス様の方を見ると、同じようにアーネス様をお守りした家庭教師のオルビン様がアーネス様の足元で血まみれになって倒れていました。
その時の私の記憶はそこでおしまいです。
後から聞いた話では、オルビン様はアーネス様をお守りし、亡くなったそうです。
だけどアーネス様も無事ではありませんでした。
先生が最後に使った魔法により、アーネス様を攫えず亡き者にも出来なかった男は、その場で自分の命を代償に、アーネス様に強力な呪いを掛けて絶命したのです。
王宮に侵入した者はその男一人。身元を確認出来る物は一切持っておらず、ほとんど何の情報を得る事も出来なかったそうです。
アーネス様に掛けられた呪いもどのようなものかわからず、解呪に手間取り、そうこうしているうちにアーネス様の魂が呪いによって浸食されていきました。
魂が呪いに浸食されていくにつれて、アーネス様は体までどんどん弱られていきました。
魔王国の宮廷魔術師筆頭のグライエ様は魔王様にアーネス様を仮死状態にすれば少しは呪いの浸食のスピードも落ちるかもしれない。その間に呪いの解析が出来るかもしれないと言い、その提案を魔王様は受け入れられました。
グライエ様の言う通り、仮死状態になったアーネス様の魂の浸食は驚くほど緩やかなものとなりましたが、浸食そのものは止まりませんでした。呪いの解析も思ったようには進まず、王宮の誰もが暗い表情をしていました。
子供の私は何もすることが出来ず、ただただ悔しい思いをくすぶらせていました。奇跡的に助かってしまった私を、魔王様は責める事もしませんでした。「助かって良かった」とさえ言って下さいました。
私はたくさん泣いて泣いて泣きまくって、悔やみました。ですが取り返しのつかない状況に、子供だったとは言え自分の非力さではどうにもなりません。
だから私は必死に勉強をしました。
必死に武術の訓練をしました。
強い私になる為に。そして勉強をしたら何かアーネス様に掛けられた呪いの解呪の方法がわかるようになるのではないかという期待も込めて。
宮廷魔術師団が沢山の文献を読んでもアーネス様に掛けられた呪いが何か、それさえわかりませんでした。
その間に2年が過ぎ、アーネス様の魂はそのほとんどが呪いに浸食されていました。
魔王様は絶望の表情を常に湛えていました。魔王様も前魔王様も宮廷魔術師団同様に、毎日毎日、公務の後毎日朝方まで文献を読みあさっていましたが、何一つ手がかりになる物さえ出てこないようでした。
そんな中、私は小さい時にアーネス様と一緒に家庭教師だったオルビン様に読んでもらった物語の事を思い出しました。
魔王国の最北にある迷いの森の奥にある精霊の泉のお話です。
その精霊の泉には時折女神様が水遊びに降臨されることがあるとオルビン様から聞いたことがあるのですが、その真相は定かではありません。けれど本の著者は女神様に会った事がある前提で話を書いているとそのとき聞きました。
私はそれを魔王様にお話しして、本も一緒にお渡ししました。
児童書にはなっていましたが、分類としては伝記の類のものでした。
もう時間もなく、なんの手がかりもない中、魔王様はその本に縋るように、仮死状態のアーネス様を抱え、北の森へと出発しました。
数週間後、魔王様は帰ってこられました。
しかしアーネス様の姿はどこにもありません。
魔王様は女神様に会えたかどうか自信はないが、きっと大丈夫だと、疲れた表情ながらもどこか晴れやかな顔をなさっておいででした。
魔王様がそうおっしゃるなら大丈夫なのだろうと、私も思う事にしました。
魔王様は魔王国最北の迷いの森の中、その精霊の泉まで沢山の分岐があったにも関わらず、何かに導かれるように迷うことなく辿りつけたとお話ししていました。泉では光の精霊のような、お姿が見えない淡く澄んだ光があり、それに託してきたと。
きっとそれしかアーネス様を救う手立てはないと確信したのだとか。
魔王様はアーネス様の魂の清らかさと強さを信じ、託したのだとおっしゃいました。
きっとアーネス様は戻ってくるとも。
アーネス様が帰ってくる事を信じ、私はこれまで以上に寝る間も惜しんで勉強も武術もがんばりました。
戻って来られたアーネス様を今度こそ守れるように、です。
戻ってくるアーネス様はアーネス様では無くなっているかもしれないと魔王様から聞きました。
お姿が変わられるのか、記憶をなくすのか。それにこの世界のどこに戻るのかもわからないらしいのです。
それでも私はずっとアーネス様と一緒にいたので、どんなアーネス様でもきっとわかると確信がありました。
私は13歳になり、魔王国王立学園を飛び級で卒業し、武術も師範代まで修めることが叶った事を機に、旅に出る事にしました。
この世界にいつか帰って来られるアーネス様の為に。もし記憶がなくなっていたら魔王国に帰って来られませんから。
アーネス様を探しに旅に出たいと両親に言うと、すぐに許しを貰う事が出来ました。
きっと両親もあの時私だけが無事に生き残ったのは何か意味がある事なのだろうと思ったのかもしれません。
私の旅支度とお金を用意してくれて、旅に出たいと言った次の日に私は旅に出ることが出来ました。
きっと魔王国内は魔王様や魔術師団の方々がすぐにアーネス様を見つけることが出来ると思い、私は国外を探していく事にしました。何年かかるかわからない旅ですが、一生を掛けてアーネス様を探すと誓い、私は魔王国を出ました。
3年を掛けて、大小沢山の国をめぐりました。魔王国内と違い、魔族と言うのは他国ではあまり歓迎されないものだと思い知りました。あからさまに警戒する国や忌避する国も沢山ありましたが、それでも普通の亜人と同じように受け入れる国もいくつかありました。
沢山色々な国を巡りましたがそれでもアーネス様の気配を感じる事は出来ませんでした。
そしてある国に辿りついた時です。
そこでは魔族を害悪とする国でした。それでもアーネス様を探すためには一度は入国しなければと思い、行く事にしたのですが、一般人と同様に入国の列に並んだのに、捕まってしまいました。
聖王国。沢山の勇者を輩出した宗教国家です。数年前に魔王国へ戦争を吹っ掛け、周辺国と共謀して魔王国の一部を奪った国です。
魔王国の魔王を倒せば世界が幸せになれるというおかしな事をまくし立てる聖王国は、戦争にも勇者を投入してきました。
本来勇者とはこの世界の者では太刀打ちできないような強い魔物を倒してもらうために大昔のどこかの王国が召喚したのが始まりだったと聞きますが、聖王国は私利私欲のために勇者を召喚し、他国を脅かすようになりました。
召喚された勇者が何故聖王国のいいなりになっているのかはわかりませんが、勇者の脅威は変わりません。
そんな絶大な力を持つ勇者に対抗出来るようにでしょうか、ある時期からこの世界に『生まれながらの魔法使い』が現れるようになりました。
魔法使いとは幼い時より魔法使いとして訓練をし、それからようやく魔法使いとしての証となる魔生石を得た者が魔法使いとなれます。――ちなみに魔法使いではなくても生活魔法や身体強化魔法、種族特有魔法と言うものを使えるものがいます。あとは魔法使いの威力ほどではないですが多少の属性魔法を使える人は多いです。私も本職の方よりはもちろん劣るものの、身体強化の魔法と嗜み程度の生活魔法や種族特有魔法を使う事が出来ます。――
しかし『生まれながらの魔法使い』とは、生まれてきた段階で魔生石を持って生まれると聞きます。『聖なる魔法使い』とも呼ばれているようです。
その魔力は質も量も威力も絶大で、魔法に於いては勇者をも凌駕すると聞きますが、その数が伝説級に少ないために真相は定かではありません。
ただ一つ、『生まれながらの魔法使い』はある一定の成長を境に力が弱まるという事でした。それでも弱まったとされる力は一般的な魔法使い以上のもので、強い力がある事には変わりはないらしいのですが。
――――見た事もない魔法使いの事は今はいいですね。
聖王国に捕まってしまった私はこれからどうなるのか。
聖王国に捕まり、牢に入れられ、良く分からない理由での尋問と拷問を受けましたが、強靭な防御力を持った魔族の私にはどうという事はありませんでした。
痛がるフリをするのは難しかったですが。
少しでも生き延びてアーネス様を探すには、演技も必要だと判断しました。
ついでにステータスは偽装スキルを使ってスキル無しの低レベルに見えるようにもしてあります。沢山勉強して細かいスキルを覚えて置いてよかったです。
人はレベルが低い相手には比較的口が軽くなる傾向がある事をこの旅で学びました。
案の定、私を尋問、拷問する兵たちは沢山の事を、私を蔑みつつ喋って行きましたがアーネス様を探す手掛かりはありませんでした。
私が何も知らない無知無能な低レベル魔族だと知ると、聖王国は私を奴隷商に売り払いました。
奴隷商でも無知無能で低レベルの魔族はあまり売り物にもならない様子で、いくつかの奴隷商を経由してセロワバル王国の奴隷商の手に渡った時でした。
私は見つけたのです。
奴隷を買いに来たアーネス様を。
声を掛けましたがアーネス様は私に気付く事はありませんでした。しかしそれでもなんとかアーネス様に買ってもらう事が出来ました。
アーネス様を見つけることが出来、アーネス様に買ってもらえ、とても嬉しかったです。
でもアーネス様は本当に私を知らないようでした。あの頃からほんの少しだけ成長されたようなアーネス様。あの頃からかなり成長してしまった私に気付かないだけかと思ったのですが、そうではないようです。
……にしてもアーネス様可愛いです。
昔のように元気な感じのアーネス様ではないのですが、ちょっと人見知りが入ったアーネス様の感じ、たまりません。
声も可愛いです。容姿は以前とほとんど変わらず、気配もアーネス様。話し方とか落ち着きが全然違いますが、匂いとかしっかりアーネス様です。
うぅぅっ、サラサラツヤツヤの黒髪にくりっとしててキラキラな黒目でなんとも言えない絶妙なバランスの高いとも低いともないお鼻。ちょっと赤みがつよいウルウルプルプルの唇とか……あぁ、全部が全部お可愛らしいとしか形容しがたいパーツが完璧な配置で完璧にお可愛らしいお顔を形作っていて、少年期特有の華奢なお体と相まって……たまりません。
…………?!
良く見るとアーネス様の首元のアレは……魔生石?!
しかも白いです!
見た事がない真っ白い色ですが…魔生し立ての光か聖属性の魔生石でしょうか。
戻って来られたアーネス様は魔法使いになっていました!
ご立派です、アーネス様。
そしてやっぱり可愛いです。
ずっと見ていたいです。
お買い物をしているアーネス様、何を買おうか悩んでいるのとか、お店の人に聞いたりしているのとか、仕草がとにかく可愛いです。
頑張って大人な口調なのでしょうが、見た目がお可愛らしく、市井の民にも丁寧な口調なので皆さん好感を持っているらしく、
ほっとけない雰囲気もあるので相場より安値で販売しています。
やはりアーネス様のお可愛らしさは正義に違いありません。
アーネス様は冒険者に登録するらしく、ついでに我々も冒険者登録する事に。
そう言えばアーネス様は私のみならず、森猫やケンタウロスの奴隷まで購入されていました。
思いの外魔法使いなアーネス様はお金持ちです。
それで、冒険者登録した時に、アーネス様の冒険者カードをチラリと見てしまった時です。一瞬動揺してしまいました。
アーネス様はアーネス様ではありませんでした。
ロータ様というお名前でした。
……可愛い…お名前?かどうかはわかりませんが、これはいよいよ難しい事態です。
種族も魔族ではなく、人族になっていました。
雰囲気も気配もアーネス様なのに、名前も種族も違う…。
これは早急にどこかで本国に報告せねばなりません。
そして私がヘタに今のアーネス様を刺激するのは良くなさそうです。
意識もしっかりしているし、受け答えもはっきりしているので、きちんとした自我があるのでしょう。「貴方様はアーネス様です」と私が言ったところで信じて貰えそうにありません。
真実の石板に手を触れていましたから今のアーネス様にとってはあのお名前が今の本当のお名前なのでしょう。
だとすると今のアーネス様は一体…。
見なりもしっかりしていますし、話し方も丁寧。どこかの貴族の家に囲われているのでしょうか?
考えてもわかりませんね。
アーネス様は何故か旅に出るようなので私は奴隷としての責務をしっかり果たそうと思います。
奴隷として……アーネス様のお側に仕え、アーネス様のお世話をして、アーネス様をお守りして、アーネス様が退屈しないようにおしゃべりして、アーネス様の匂いを嗅いで体調チェックとか、アーネス様を良く見てなにかご不便な事はないかとか、アーネス様のあのぷにぷにのほっぺたとか、アーネス様のサラツヤの黒髪とか、アーネス様の華奢な肩とかうなじとか……アーネス様を抱きしめたいです!
いえ、間違えました。
私はこれから一生アーネス様の奴隷としてアーネス様をお守りしていきたいと思います!……一生!