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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

怖いひとたち

ファーストキスは血の味がした

作者: 鈴本耕太郎

残酷な表現が多分に含まれています。

苦手な方はお気を付けください。

 彼女の唇は思った以上に柔らかくて、温かかった。初めてだったからだろうか。僕の歯が彼女の唇に当たって、小さく切れた。でも彼女は痛がるでも怒るでもなく、黙って舌を入れて来たのだ。彼女の舌がにゅるりと僕の口内に侵入してきて、闇雲に暴れまわっていた事をよく覚えている。荒々しいその動きに応えるように、彼女を真似て舌を動かし、絡ませた。同時にドロリとした血が、口の中で広がり、お互いの唾液と混ざり合って、クチュクチュと淫らな音を奏でていた。

 ヌルリとした彼女の舌の感触が、あまりにも気持ち良くて、その瞬間の僕は何も考える事ができなかった。でも不思議な事に、口いっぱいに広がった血の味も、耳に響いた淫らな音も、残酷なまでの現実も、息をするのも忘れてしまいそうな程の美しさも、その全てを今も鮮明に覚えている。

 きっとあの時、あの瞬間に僕は変わってしまったのだと思う。あの時の甘美な記憶が今も尚、僕の心を捕らえて離さないのだ。あの瞬間に口いっぱいに広がった血の味を、僕は生涯忘れる事はないだろう。





 


 遠くの空に上がる花火を眺めながら、田舎道をのんびりと歩く。時間差で響いてくる低い音を楽しんでいると、不意に繋いでいる手に力が込められたのを感じた。

「どうかした?」

「えっと、その……本当に私が付いて行っても良いんですか?」

 後輩の真紀が申し訳なさそうに、こちらを伺っている。見つめ返せば、気まずそうに視線を逸らした真紀の、ショートカットにしている栗色の髪が夜風に揺れていた。

「今更そんな事を気にしてるのかよ。強引にでも付いて行くって言ってたのはどこの誰だっけ?」

「確かに言いましたけど。やっぱり少し申し訳なくて……どうして許可してくれたんですか?」

「どうしてって?これから行く場所が、どこか分かってるんだろ?こそこそ付いてこられたら、何かあった時に対処できないじゃないか」

 ゴクリと真紀の喉が動いたのが分かった。これから向かう場所を想像して、怖くなったのだろう。

「本当に行くんですか?」

「行くよ。その為に来たんだから。嫌だったら、ここで引き返しなよ」

「――嫌です。せっかく先輩と二人きりになれたのに、一人で帰るなんて絶対に嫌です! だから私も連れて行ってください!」

 恐怖心を振り払うような強い言葉だった。

「わかったよ。もちろん約束はちゃんと守ったんだろうな?」

「はい。今日先輩と会う事は誰にも言っていません。そんな事したら、抜け駆けするなって皆に怒られちゃいますから。だから今日だけは、先輩を独り占めさせてくださいね」

 手を繋ぐだけでは足りないとでもいうように、真紀は腕を絡めて身体を密着させてきた。陸上で鍛えたその身体は、ほど良く引き締まっていながらも、女性特有の柔らかさを有している。僕は真紀を抱き締めて耳元でそっと囁いた。

「お楽しみは、着いた後でね」


 真紀を含めて誰にも言っていない事だけど、これから向かう廃園になった遊園地、裏野ドリームランドは、僕にとっては思い出の場所だ。営業していた当時から、様々な噂があった遊園地だけど、僕はそんな事どうでも良かった。だってあそこは、僕にとっては最も神聖な場所なのだから。


 二年前。僕は、同級生の沙希に淡い恋心のようなものを抱いていた。僕にとっての初めての感情は、自分でも上手く理解できずに、沙希との関係は随分と中途半端なものだった。俗に言う、友達以上恋人未満といった関係だったのだと思う。

 その夏、僕達は数人の友達と連れ立って、裏野ドリームランドを訪れた。表向きの理由は肝試し。その実本当の所は、上手く分かれてそれぞれが狙っていた女子達との、関係を深める事が目的だった。

 当初の予定通り、上手く分かれる事に成功した僕と沙希は、アクアツアーのアトラクションが行われていた大きな池へとやって来た。昼の内に下見して見つけていた手漕ぎボートへと誘導して、二人でそれに乗った。少しばかり苦労しつつも、池の中央付近へと辿り着いた所で、僕は漕ぐことをやめた。

 慎重に移動し、沙希と隣り合う形で座った。時折触れる肩の感触に、鼓動が高鳴った。暗闇の中、水面に浮かぶ僕達は、まるでこの世界から切り離されてしまったかのような不思議な感覚を味わっていた。

「綺麗」

 沙希の見つめる先へと視線を向ければ、満月にはまだ少しだけ早い月が輝いていた。

「そうだね。沙希と一緒に見れて良かった」

「本気でそう思ってくれてるの?」

「もちろんだよ」

 甘酸っぱい空気の中で、僕が差し出した手を沙希が掴み、指を絡ませた。これが青春なんだと僕は感じていたんだ。

 ――でも。

 一瞬にして僕らの間に漂っていた甘酸っぱい空気は霧散した。

 なぜなら、突然池の中から何かが出て来たからだ。それは上半身は裸の女で、腰から下は白い大蛇のような姿をしていた。水に濡れた長くて黒い髪が身体に張り付き、その存在の不気味さを一層引き立てていた。それは、まさに化け物だった。

「久々の食事だわ。どっちから頂こうかしら」

 突然の出来事にただ固まっていただけの僕達の元へ、化け物の尾が伸びて来て、一瞬に内に沙希を巻き付けて運んでいってしまった。

「――えっ! なにこれ!? ねぇ、離して! お願いだから助けてよ!」

 少し遅れて響いた沙希の声。その声を聞いて、ようやく僕はその状況を理解したのだった。でもだからと言って、僕に出来る事は何もなかった。不安定なボートの上から、数メートル先で浮かんでいる化け物と沙希を眺めている事しか出来なかったのだ。

 化け物は少しの間、沙希を観察していた。このまま何事もなく僕の元へと戻って来るのではないかと、随分と楽観的な事を考えていたのを覚えている。

 しかし、当然そんな事はなかった。

 化け物はおもむろに沙希の足へと手を伸ばし、一瞬にして沙希の片足を引き千切ったのだ。

 バキッという枯れ木を折る様な音が響き、少し遅れて沙希が、この世のモノとは思えぬ声で絶叫した。

「――いやぁぁああっああああぁっぁぁぁぁぁっぁぁぁああ!!」

 そんな沙希のすぐ横で、化け物は千切った足を口へと運んだ。そしてその小さな口で、足へと噛み付き、肉を咀嚼した。滴る血が化け物の口の周りをベットリと汚していた。恐ろしいその光景に魅入っていると、化け物と目が合った。闇の中で怪しく光る紅い瞳は、驚くほどに美しく感じた。

 そして瞬く間に足一本を完食した化け物が、ぐったりとしている沙希のもう片方の足へと手を伸ばし、先程同様にあっさりと引きちぎった。

「――いやぁぁあっあっぁぁあぁっぁあああぁぁあぁぁっあ!!」 

 再び沙希の絶叫が木霊する。

 そして両足を失った沙希が、必死でもがきだした。

「やだっ! やめてっ! お願いだから離して!」

 どこにそんな力が残っているのか、大声を出しながら自分を拘束する尾を叩いていた。しかし結局、逃げる事は叶わずに、今度は腕が千切られた。このまま最後まで食べられてしまうだろうと思った時、噴出した血が潤滑剤の役割を果たしたかのように、沙希の身体が尾の拘束から逃れ、池へと落下したのだ。

 運が良いのか悪いのか、落ちたのはボートのすぐ傍だった。小さくない水柱が上がり、僕の身体を濡らした。そしてボートのオールを必死に掴んでいる手が見えた。僕はオールを引き寄せて、その手を掴んで引き上げた。身体の半分近くを失ったせいか、沙希の身体は、あまりにも軽く感じられた。


「先輩聞いてますか?」

 思い出に浸っていたら、真紀が覗き込むように僕をみてきた。

「ごめん。ぼーっとしてた」

「やっぱり! どうせ他の女の子の事を考えてたんじゃないですか? 二人でいる時くらい、私の事をちゃんと見てください!」

 適当に誤魔化したのが良くなかったのだろう。真紀の機嫌を損ねてしまったようだ。僕はやれやれと思いつつ、ご機嫌取りに真紀を抱き締めた。

「これで良い?」

「――はひ」

 至近距離で見つめれば、簡単に真紀の機嫌は直った。

「よし!じゃあ、あれに乗ろうか」

 それはあの時、沙希と一緒に乗っていたボート。あの日の思い出がたくさん詰まった特別な乗り物だ。真紀がボートに乗り込み、腰を下ろしたのを確認して、僕はゆっくりとボートを漕ぎ出した。目指す場所は、もちろん同じ場所。

 辿り着いたその場所で、ボートを止めて空を見上げる。あの時とは違い、今日は満月が輝いていた。

「綺麗ですね」

 沙希と同じような言葉が、真紀の口からでた。人は死ぬ前に同じような行動をとるのだろうか。ふと意味もなくそんな事を想った。

「お楽しみの時間だ」

 真紀の言葉を無視するように、告げた僕の声は、自分でもビックリする程に、低くて冷たく聞こえた。

「先輩、その言い方なんかこわ……」

 言い終わる前に、水面が隆起し彼女が顔を出した。それに合わせて、僕の方を向いていた真紀が、壊れたロボットのようなぎこちない動きで、彼女の方へと視線を向けた。


「いつも悪いわね。それが今日の食事ね」

 言い終わるより早く、彼女の尾が伸びて来て隣で唖然としている真紀を捕まえた。

「え? なにこれ? 先輩! 助けて!」

 ギャーギャーと騒いでいる真紀へと近づいた彼女は、無造作に真紀の鍛え上げられた美しい足の片方を引き千切った。

「ぎゃああぁぁぁぁっぁあああああああああっ!」

 真紀の醜い声が木霊する。叫び続けるその声をBGMにして、彼女が千切った足へと齧り付く。肉を食いちぎり、咀嚼する口の周りにはベットリと血が付いていた。月の光に照らされて、血に汚れた彼女の顔がはっきりと見える。残酷な笑みを浮かべたその表情と不気味な程に紅い瞳は、あの時と同じで、とても美しく見えた。


 あの時。沙希を池から引き揚げた後。すぐ近くまでやって来ていた彼女へと沙希を渡したのだ。

「え? なんで? ねぇ、なんで助けてくれないの?」

 すぐ近くで沙希が叫んでいたけれど、あの時の僕は何も感じなかった。

「ちょっと強く魅了し過ぎたかしら。まぁ、問題ないでしょ。こいつを使って食事を確保しなくちゃだし」

 彼女の言葉は耳に入っていたが、あの時の僕は、その言葉の意味を理解する事が出来なかった。そして彼女は手に持っていた沙希の腕に齧り付き、肉を引き千切った後で、おもむろに僕へとキスをした。

 彼女の唇は思った以上に柔らかくて、温かかった。初めてだったからだろうか。僕の歯が彼女の唇に当たって、小さく切れた。でも彼女は痛がるでも怒るでもなく、黙って舌を入れて来たのだ。彼女の舌がにゅるりと僕の口内に侵入してきて、闇雲に暴れまわっていた事をよく覚えている。荒々しいその動きに応えるように、彼女を真似て舌を動かし、絡ませた。同時にドロリとした血が、口の中で広がり、お互いの唾液と混ざり合って、クチュクチュと淫らな音を奏でていた。

 ヌルリとした彼女の舌の感触が、あまりにも気持ち良くて、その瞬間の僕は何も考える事ができなかった。でも不思議な事に、口いっぱいに広がった血の味も、耳に響いた淫らな音も、残酷なまでの現実も、息をするのも忘れてしまいそうな程の美しさも、その全てを今も鮮明に覚えている。

 きっとあの時、あの瞬間に僕は変わってしまったのだと思う。あの時の甘美な記憶が今も尚、僕の心を捕らえて離さないのだ。あの瞬間に口いっぱいに広がった血の味を、僕は生涯忘れる事はないだろう。


 後で知った事だが、あのキスには意味があった。唾液を通して僕の身体を弄ったのだそうだ。人の理から外れてしまった僕は、食事を確保する為に、簡単に魅了の力を使う事が出来るようになった。そして肉の味にすっかり魅了されてしまったのだ。


「あなたも食べるでしょ?」

 当時の事を思い出していた僕の目の前に、真紀の足が差し出された。千切れた辺りには臀部と思われる肉も付いていた。僕は彼女に頷き、垂れている血をゆっくりと舐めあげる。張りのある肌と、弾力のある肉を確認するように。それだけで、僕の中を快感が通り抜けていく。そして真紀の内腿に思いっきり噛みき、食い千切りる。

 とてつもない程の征服感が僕を満たしていく。

 横目で真紀を見れば、唖然とした表情でこちらを見ていた。好意を寄せ居ていた相手が、自分の足を美味そうに食べているのだから、それは混乱もするだろう。

 ある程度咀嚼し終わった後で、目の前にいる彼女を抱き寄せキスをした。互いの舌が絡み合い、口内で肉を交換する。血と唾液が混ざり合い、肉の美味さを何段階も引き上げる。

「――どうして? ねぇ先輩、どうしてなの!?」

「うるさいな。食事中なんだから静かにしろよ」

 驚くほど冷たい声が出た。睨みつけた視線の先では、真紀が口をパクパクさせながら涙を流していた。その姿を見て、僕の中のどす黒い何かが満たされていく。彼女の毒で強引に生命力を上げられ、気絶する事もできない真紀は、一晩かけて自らを食べられる恐怖を味わうのだ。その時魅せる悲しみや苦しみの表情が最高のスパイスになる。


 僕達の食事が、二本目の真紀の足へと差し掛かった時、彼女の血で濡れた指が僕の頬に触れた。

「どうしたの?」

「もうすっかりあなたも、こちら側の存在ね。ずっと独りだったから。あなたを仲間にして良かったわ」

 嬉しそうに、それはもう本当に嬉しそうに微笑む彼女に向けて「そうだね」と僕は笑う。


 でもね。


 彼女は勘違いをしている。

 彼女が僕にかけた魅了はとっくの昔に解けているのだから。いや、正確にいうのなら、より強い魅了に上書きされたと言った方が正しいのかもしれない。

 あの時、あの瞬間。彼女とキスをした時に僕は知ってしまったのだから。


 ――沙希の血にほんの少しだけ混じっていた、彼女の血の味を。

 

 何よりも甘美なその味を。


 今、僕の目の前で、まるで恋する乙女のように幸せそうに笑う彼女。その肉の味は、一体どれ程までに美味いのだろうか。


 彼女が泣き叫ぶその姿を見ながら食べる肉は、どれほどの欲を満たしてくれるのだろうか。


 僕はきっと彼女の肉に恋をしている。


 自らの欲望を抑えるように、僕は彼女にキスをした。

 絡めた舌をそのまま食い千切る日を夢見て。









 

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― 新着の感想 ―
[一言] 夏ホラーから来ました。 展開に意外性があって素直に驚かされました。 とても面白かったです。 エログロイ艶かしい表現もこの物語を引き立てるのにぴったりでした。 これからも面白い作品を書いて…
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