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お父さんはおじいちゃん

作者: 卍恭裕

私が物心ついた時には、私はおじいちゃんとおばあちゃんの3人暮らしでした。

週に1度お母さんがご飯を食べに連れて行ってくれたり、どこかに遊びに連れて行ってくれてました。

ただお母さんという存在とは思っていなかった気がします。呼び方も幼児の時から変わっておらず、「ちゃーちゃん」でした。

おばあちゃんがお母さんで、おじいちゃんがお父さんでした。

私のおじいちゃんは解体屋に勤めてました。

お昼休みになると、遠い現場でも保育園に私を見に来ていたそうです。

私の小さい時の記憶のおじいちゃんは、夜になると踏切に行き、電車をいつも見せてくれて、帰りに屋台のラーメン屋さんでラーメンを食べた記憶が鮮明に覚えてます。

そのせいか、私はまん丸の肥満体でした。

小学校に入り、肥満体とお父さんお母さんがいない事からいじめに合うようになりました。

私はおじいちゃんにもおばあちゃんにもちゃーちゃんにもその事を言えずにいました。

小学校の行事の夏のキャンプの時です。

これまでにないくらい我慢できないいじめに合い、帰宅した時に大泣きしてしまいました。

私はおじいちゃんに慰められると思っていました。

しかし、私の考えていた事とは真逆でした。

おじいちゃんは始めて私に大激怒しました。

「何でやられっぱなしで、何も言わず、何も抵抗しないのだ」と。

私はやり返す事はいけない事だと思って、ずっと何も言わず我慢していました。

おじいちゃんは私にこう言いました。

「そいつにちゃんと止めてくれ。そしてちゃんと謝ってもらうように話をしてこい」と。

私はその事を伝える事も怖いと感じていました。

その事を伝えるとまたやられるんではないかと色々考えました。

そんな事を考えていたら、そのいじめた子供とそのお母さんが謝りにきました。

いじめた子供が親に話す訳ないのにと思っていました。

原因はすぐに判明しました。

おばあちゃんです。

おばあちゃんが奥の部屋で勝手にそのいじめた子供の家に電話をしていたのです。

おじいちゃんはおばあちゃんに怒りました。

そもそも、おじいちゃんとおばあちゃんは仲が良くありません。

おばあちゃんは良かれと思ってした行為だと思いますが、おじいちゃんは自分で行動をしないといつまでたってもいじめられると考えていたそうです。

その時期ぐらいから私は不登校になっていきました。

おばあちゃんが行かなくて良いと言ったからです。私は正直ラッキーだと思っていました。

おじいちゃんはその事を知りません。

おばあちゃんがおじいちゃんには言うなと言ったので私も言わずにいたからです。


私はおばあちゃんがおじいちゃんのように好きにはなれませんでした。

おばあちゃんは優しいイメージですが、私のおばあちゃんは自分が楽になるように私を使います。

夕飯を作る行為をなくす為、おじいちゃんに今日はあれが食べたいから連れてってくれと私に言わせるようになっていました。

おじいちゃんはおばあちゃんが言わせてるとは知らずに毎回連れて行ってくれてました。

おじいちゃんには今思えば大変申し訳ないと思います。


小学校6年の時です。

おばあちゃんは誰に何の相談もなく、転校手続きをしていました。

それはおばあちゃん自身が地元に帰りたいという理由だけです。

おばあちゃんとおじいちゃんは地元が一緒で、コンビニもない田舎町です。

11月3日に地元の田舎町でお祭りがあります。

それに行こうとおばあちゃんが言いました。

その日以降私とおばあちゃんは今までいた家に帰る事はありませんでした。

おじいちゃんはもちろん怒りました。

しかし、時既に遅しでした。

学校は手続き済、荷物は必要な物を宅配手配済でした。

かなりの行動力でした。会社員でしたら、かなりやり手なキャリアウーマンとでも言いましょうか。

おじいちゃんは仕事もありますし、とりあえず1人だけ帰る事になり、2〜3ヶ月したら会社をやめ、地元の田舎町に来ました。

始めはおじいちゃんも嫌がっていましたが、地元町という事もあり、それなりに楽しんでいたように思います。


その田舎町の小学校は全校生徒50人も満たない小さな学校でした。

いじめもなく、先生と生徒の距離が非常に近い何と素晴らしいとこだと私は思いました。

ただ問題は学校までの登校が街灯もない山道です。

その町は猿、狐、狸、鹿、猪と天然動物園みたいなところなので私は変質者の出没より獣に遭遇しないかと、その事にビクビクしながら登下校しました。


おじいちゃんはすぐに仕事に就きました。

本当仕事人間でした。

年金も入るのに、休まず仕事をしていました。趣味が仕事と言ってもおかしくありません。

その町では土木、石積みをしていました。

もう65歳を超えていたのに良く病気も怪我もせずやっていました。


そんな私も中学になりました。

中学は全校生徒25人前後で、先生と生徒の人数が同じぐらいという学校でした。

部活も人数が少ない為、強制でソフトテニス部に入部でした。

おじいちゃんは1番良いラケットを買ってくれました。

肥満体な私には勿体無いラケットです。

おじいちゃんは1番になれと私に言いました。

中学1年時、身長145センチ、体重60キロ。

50メートル走10秒の私です。

おじいちゃんは優しいんですが、運動に対しては厳しい所も多々ありました。


田舎に来てからのおじいちゃんは趣味が増えました。

まずは川、海の釣りです。

そしてこれは趣味というより、狩りになりますが山へ鹿や猪を猟銃で捕獲しに行く事です。

1つ間違えたら遭難や、崖から落ちて命の危険も考えられます。

しかし、鹿や猪を獲れた時のおじいちゃんの表情はゲームソフトを買ってもらった子供のようでした。


私も中学に入り、反抗期を迎えました。

もちろんおばあちゃんとはあまり会話はありません。

おじいちゃんともだんだんと会話も減り、私も部屋からあまり出なくなっていきました。

気付けばおじいちゃんよりも背が高くなり、体型も丸々した肥満体から筋肉も付き、ガッチリしてきました。

おじいちゃんが私に力比べをしようと言ってきました。

当時おじいちゃんは68歳。私が14〜15歳だったと思います。

負ける気がしませんでした。

結果は秒殺でした。ショックというか信じられないといった心境でした。

その時、反抗していた自分が情けなく思いました。

それから毎晩ランニングをし、筋トレをするようになりました。

68歳の老人を越えるという何とも言えない理由です。


中学3年の時です。

おじいちゃんに勝負を挑み、勝ちました。

それもそうですよね?私は成長していき、おじいちゃんは衰えていきます。

今思えばあの勝負があってからまたおじいちゃんと会話する機会が増えていきました。

本当おじいちゃんには感謝です。


進学先を考えなくてはならない時期になりました。

私は行きたい進学先がありました。

それは私立の高専でした。

私立って事もあり、高専なので5年間分の学費、寮費はかなり高額でした。

私はおじいちゃんに言い出せず、諦め公立のバスで通学できる高校にしました。


私は中学時代ソフトテニスをしていたのでテニス部に入部するつもりでした。

しかし、おじいちゃんとの勝負の為にトレーニングしていたので柔道部からスカウトがありあれよあれよと言う間に柔道部に入部しました。

おじいちゃんは何故か喜びすぐ道着を用意してくれました。

おじいちゃんは非常に格闘技が好きだったのです。

今まで卒業式も入学式も来た事がないおじいちゃんが柔道の試合や、昇段試験には必ず見に来ていました。

1日に4本しかないバスなので部活が終わるといつも帰りのバスに乗れない為、どんなに遅くなってもいつも車で迎えに来てくれてたおじいちゃん。


そんな生活が続くと思っていました。


高校2年の秋、中間テストの時期です。

夜家でテスト勉強をしていました。

おじいちゃんはおばあちゃんと大喧嘩をし、家を出て行きました。

3時間程経ちおじいちゃんの車が帰ってきました。

運転しているのはおじいちゃんではなく、親戚のおじさんでした。

おじいちゃん酷く酔っ払ってしまったもんで送ってきたと言われました。

私は始めてあんな泥酔しているおじいちゃんを見ました。

何か情けなく、少し腹が立ってしまいました。

おじいちゃんは汗を大量にかいていたのですが、寒いと言ってました。

私はとりあえず熱を計り、寒いならお風呂に入れなければと思いました。

熱もなく、お風呂に入れて寝たら良くなると思っていました。

翌日の朝おじいちゃんは普通に仕事に行きました。

私もただの飲みすぎかと思って学校に行きました。

テスト期間中なので、昼に学校が終わりバスで帰ろうとしていました。

その時、おじいちゃんの携帯から電話がかかってきました。

出てみるとおじいちゃんではなく、昨日の親戚のおじさんでした。

すぐに嫌な予感がしました。

嫌な予感は的中しました。

親戚のおじさんでしから「おじいちゃん胸焼けが治らないから診療所に行ったら総合病院にすぐ搬送された」と伝えられました。

あの病気や怪我もしていないおじいちゃんが⁈私は今までにない動揺でした。

親戚のおじさんが今から総合病院に行くから私を乗せて一緒に行こうと言いました。

車で1時間もかかる病院でした。

病院に着くとおじいちゃんは集中治療室のベッドでいました。

おじいちゃんは私に見られたくなかったのでしょう。

すぐに、帰るからお前も帰ってテスト勉強しろと言ってきました。

医師から別室に呼ばれました。

医師からビックリする内容が伝えられました。

「何年も前からあなたのおじいさんは苦しんでいたのではないですか?」と。

私は思わず「はっ?」と苛立ちを出してしまいました。

医師からあなたのおじいさんは心臓の太い血管のパイプが2本詰まっています。

と伝えられました。

普通の人間なら1本詰まっただけでも我慢できないぐらい苦しんで病院に来るそうです。

医師に最近で異変はなかったかと聞かれました。

昨夜の事を話すと私は医師から何て事をしたんだと言われました。

お酒を飲んだせいで血の巡りが良くなり、更にお風呂に入れたのがどんだけダメなのかと言われました。

年齢的に手術も厳しく、薬で詰まったのを溶かす事しか出来ないとの事でした。


私は自分を責めました。

自分がお風呂に入れなければこうはならなかったのにと…。


おじいちゃんも気付けば70歳です。

いつまでも元気だと思っていましたが、かなり弱っていたのです。

おじいちゃんは自分自身わかっていたとは思うのですが、私にも周りにもそれを言わず気付かれないようにしていたのでしょう。


おじいちゃんが病院に入ってわずか2週間で他界してしまいました。

私はひと月前まで元気に迎えに来てくれてたのにとか、色んな事が頭をグルグルしていました。


おじいちゃんがいなくなって片付けをしていたら手紙と通帳が出てきました。


私宛でした。

『○○へ

行きたい高校行かせてあげれなかったな。

高専に行きたいのは知っていた。

お前はお金を気にして、行きたい高校をここは就職率高いからと行って今のとこにしてくれた。

お前の運転する車に乗りたくて、自動車学校費と車代にと思って貯めたお金だから使って下さい。

後、お前のお陰で仕事も頑張れた。

』などたくさんのメッセージが書いてありました。

その時、今まで我慢していた感情が爆発し、くしゃくしゃの顔で泣きじゃくりました。


私のおじいちゃんは良いお父さんでもあり、良いおじいちゃんでした。



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