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もういちど、クツナと

 経緯整理。俺の怪我という不運。クツナから別れの言葉。俺の運勢が急に改善。本来は人間と会ってはいけない。福の神の癖に破れかぶれで俺を殴ろうとするほどの崖っぷち。そして崖っぷちから落ちたら討伐対象。

 参照情報。北海道神宮は明治四年に北海道の開拓と発展を守護する神として、大国魂神、大那牟遅神、少彦名神の三柱の神々を祀ったもので、戦前は官幣大社としてとくに重要な神社とされていたそうだ。今は札幌市内で有数の桜の名所として親しまれている。

 由緒に載るような高名な神々が直接クツナに会うとは思えないが、本部と言っていたということはその下にいる、例えばうちの人事課のような神様がいるのかもしれない。

 頭の中で情報が整理されていく。だが何一つまともに結びつかない。ほとんどが推測どころか妄想に近い推測で結びつけるだけだ。

 荒唐無稽で現実性の薄い話だが、何もわからない中では当たって砕けろしかない。何だこの腐った状況は。情報がない理屈に合わない費用対効果も見えない本当に問題が起きているのかさえ、把握できていない。それなのに俺は財布に幾ら入っているかさえも確認せずにタクシーに飛び乗っている。

 莫迦らしい。クツナと会ったせいで俺は本当に莫迦になっていく気がする。クツナなんて大嫌いだ。大嫌いなクツナに文句を言ってやらないと気が済まない。

 だから今は。今はクツナの小さな手がかりを徹底的に追ってやるのだ。

 北海道神宮と一口に言っても広大だ。だが俺は迷わずタクシーを社殿の北東に回した。クツナが机を動かしたのは方位だ。崖っぷちのクツナは縁起の悪い方角、つまり俺の座った位置と逆の方向にいるはずだ。ちょうど北東だと丑寅、鬼門と一致する。

 俺はタクシーを降りると、周囲の視線も無視して恥も外聞もなく叫んだ。

「クツナ! クツナヒメノミコト!」

 何も反応がない。社殿に向かって歩きながら再び限界までの大きさで叫ぶ。

「クツナ! クツナヒメノミコト! 返事をするんだ! さよならです、じゃない!」

 背筋に嫌な気配を感じる。慌てて見回すと周囲の人々が明らかに減っていた。叫んでいる俺を避けているのではない。むしろこれだけ叫んだ俺を認識していない。

 木々の影が濃くなり、草いきれが漂って排気ガスの臭気が全く感じなくなる。空気が急に質量を持って呼吸に重くのしかかった。水溜りに入った記憶がないのに、靴の中がじっとりと湿っており、次第にワイシャツの中も冷たい露が湧き出てくる。アスファルトがいつの間にか土の道となり、ゲジが何匹も足元を這い回り始めた。

 振り向くと暖かな光が目に入り、コンビニからの楽しげなコマーシャルソングと幼児たちのはしゃぐ声が聞こえる。ジンギスカンの旨そうな匂いも漂ってきた。

「論理的に! この時期にジンギスカンはほとんどやっていない!」

 俺は自分に言い聞かせるよう叫んだ。すると途端に匂いも明るい声も断ち切れた。

「常識と論理の糸が断ち切られた」

 初めて耳にする声が聞こえた。声の方に振り向くと、三つ揃えのスーツを着た白髪の大男が立っていた。男はスポーツ選手が無理に背広を着ているような頑丈な体つきをしており、只者ではないことが一目でわかる。さらに一メートルほどある白蛇の首を右手で掴んで肩へ掛け、俺を愉快そうに眺めていた。

 白蛇は鱗が目立たずつるりとした外見で、薄暗い中に薄く輝いて見えた。また、白蛇の瞳は黒々としており、俺のことをじっと見つめている。その目の下にはうっすらと隈のような模様が見えた。普段ならありえない話だが、俺は何の証拠もないのに、この白蛇がクツナだと確信した。

「屁理屈で神々に楯つく莫迦な男は君かね」

 俺は首を傾げて答える。

「別に逆らおうとしてはいない。立入禁止の看板も見当たらないし、公共の土地だ」

 男はさらに愉快そうに笑った。

「人間の本能に訴えたはずだ。さらに食いしん坊の君にわかりやすいよう、食べ物の匂いでも道を示したはずだが、明確に拒否した」

「つまり、立ち入るなという不明瞭な指示に逆らったことが問題なのですかね」

「いや、クツナの討伐を妨げようとしていることが反逆準備だと言っている」

 まあ、俺の行動は読めているのだろうし、クツナですらできる読心術を他の奴が使えるのは当たり前というところか。

 白蛇が頭をもたげた。蛇だというのにぼたぼたと涙を零している。もういい、常識や生物学の知識は無視だ。だが論理は。

「だから屁理屈でどうするというのだ?」

「その白蛇を引退させられないのですか」

「化け蛇は神としての役目を与えて祀るか、妖として討伐しないと後禍を残す」

「討伐する理由は」

「神としての役目を果たせない無能だから」

「神としての役目を果たせない無能なら、その無能さ故に禍いすらも起こせないはずだ」

 白蛇がしゃっと何か怒ったような声をあげる。俺は無視して続けた。

「クツナができる悪さなんて、良いとこ俺の冷蔵庫の食い逃げだ。その程度は羆でも近所の悪がきでもできる。その程度の禍であれば世界の誤差範囲に過ぎない。誤差範囲を修正しようとする労力は、費用対効果を検討すれば意味がない行為だ」

 男は呆れた表情になり、次いで白蛇を放り出して笑い始めた。

「仮にも神をそこまで無能だと言い切る人間とは面白い。おまけに禍を費用対効果で測ろうなどと言うのか。まあ、お前さんにクツナは負け通しだったわけだからな」

 だがすぐに男は表情を改め、逃げかけていたクツナを持ち上げると言った。

「お前、神や妖のくせに屁理屈に負けたままで良いのか。人間と同等に堕ちる気か」

 白蛇はまた涙を零して俺を睨み、だがすぐにそのまま力なくうなずいた。男は溜息をつくと白蛇を空中に放り投げる。

 瞬間、俺の目の前に男がいた。移動ではなく、唐突にそこに在った。男は犬歯を剥き出して笑い、反論を許さない声音で告げた。

「小僧は元に帰れ」

 いきなり俺はそのまま突き飛ばされる。そして体は社殿の中を透き通るように突き抜けてさらに飛び、見回すと俺は鳥居の前に呆然としたまま転がっていた。


 幸運はそれほど長く続かず、また丸投げ王が変な案件を丸投げしてきて再び深夜勤務の日々が始まった。とはいえ、クツナが現れる直前のような異常な不幸の連続にはさすがに遭っていない。ほどほどの不幸と、それなりの仕事の仕上がりというつまらない毎日だ。

 スマホからはクツナの電話番号もメール履歴も消えていた。だが夢ではない証拠に、男に突き飛ばされた位置の背広とワイシャツが手の形に丸く焼け落ちていた。

 結局、俺は白髪男に敗北したのだと思う。情けない屁理屈男だ。理屈で人を救えるはずがない。まして神なんて正体不明なものが相手では。でも何とかクツナを助けたかった。合理的に考えれば初めから無理だったことぐらいわかっている。でもクツナに対しては割り切れない。そして、そんな理屈では割り切れないものを俺に伝えてくれたクツナの、悪戯っぽい間抜けな声をもう一度聞きたい。

 徹夜明け、ぼんやりとクツナのことを思い出しながら俺はススキノに向かって歩いていた。あいつは最初、金槌で俺と通り魔的に無理心中するつもりだったのだろうか。だがこんなに疲れて毎日帰宅するよりは、案外とその方が幸せだったのかもしれない。

 クツナが自宅に来た際、ウロボロスのように同じ時間が回っていればと言っていた。クツナのことは迷惑だったが、でも今となってはクツナとの時間がずっと回っていたらと思える。自分の尾を咥えて悲しい顔をしている美しい白蛇が頭に浮かぶ。

 いつまでも下らないことを考えても仕方がない。せっかく貰ったこの残業代で遊びに行こう。ススキノは昼間でも開いているガールズバーがあるようだし。美味しい食事も、と言いたいが、重い食べ物は最近、胃腸が痛くて受け付けない。

 明け方のススキノは夜の灯が消えただけではなく、前日の廃棄物の山が方々に見え、歩く人たちも気だるげで、道内最大の繁華街のはずが地方の寂れた飲み屋街よりもうらぶれた空気が漂っている。

 そんな中、交差点の客引きに混じって青いプラスチックの平箱を首から下げた奴がふらふらと漂っていた。

「とうきび、焼きとうきび、いかがですか」

 野球帽を目深に被った少年が箱を抱えながらか弱い声で焼きとうきびを売っている。首筋と手は女としても色白で、繁華街で売り子をするには貧相な体つきをしている。客引きのお兄さんたちからも莫迦にする視線を受けているのに、それでも声を掛けていた。

 面倒臭い。というか焼きとうきびと聞くだけで気が重くなる。涙を零していた白蛇のクツナを思い出してしまう。一瞬だけ旨そうだと思った自分を許せない。もう、クツナは食べる楽しみすら奪われたはずなのだから。

 俺は足早に少年の横を通り過ぎようとしたが、少年は駆け寄ってくると転びかけ、そのまま俺の腕にしがみついた。

「次は焼きとうきびも食べようって言ってくれたはずですよ、屁理屈男の茂人さん」

 ほんの少し目の下の隈が薄くなったクツナが、恥ずかしそうに俺を見上げていた。

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