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甘い時間

 きっと、俺は莫迦になったに違いない。俺は部屋と台所の清掃を終え、仕事と関係しそうなものと万年寝床、そして干しっぱなしの下着を全てしまい込んでから溜息をついた。

 一週間後、とくに予定がない限り勉強会をやることとなった。後になって他人の仕事の分析なんてできるものかと思い返したが、普段から企画と営業の丸投げ仕事を解体再構成して、顧客にもっともらしく見えるよう化けさせて投げ返すというわけのわからない仕事をやっている俺ならできそうな気もする。

 本気の企画とかをやりたい。顧客と実のある打ち合わせをしたい。そんな我儘を言っても始まらない。それが俺の役割だ。

 スマホにクツナからのメールが届く。クツナの携帯電話は、どこのジャンク屋で拾ったのかというぐらい旧式だったので不安だったのだが、一応メールはできたようだ。

 一応、飯を作ってくれるのがお礼だとのこと。お礼のついでに二人分作った方が美味しいですよとか言って結局は夕食の材料をたかる気満々なのだから始末に悪い。神様ならせめて鶴や亀の恩返しを見習って欲しい。

 ちなみに幸運度を上げるなどは仕事の本務で、それは賄賂だとも言っていたが、実はできないのだろうと勘ぐっている。

 とはいえ、結局は読心術の正体は見破れないまま終わったわけだし、あそこまで正確に読み取るとなると、心理学や思考をそれとなく導くトリックだとも思えない。

 冷蔵庫を開けてメールに載っている夕食の材料を確認する。別れる際に言われたとおりなので問題はない。あと一応、緑茶とミネラルウォーター、コーヒーは準備済みだ。

 何だこれは。恋人やお客様を待っているようで苛立つ。こっちはたまの休みを仕事の助言に費やすというのに。

 訪問のベルが鳴った。玄関を慎重に開けると、クツナが緊張した面持ちで立っていた。最初に会ったときと違い、髪は櫛を通しているようだが、相変わらず目の下には隈があり同じ服を着ている。フリースの中から見えるシャツの色は違うので、一応は清潔にはしているのだろう。うむ、分析のおかげで変なときめきは過ぎ去った。

「福の神を相手に変なときめきとか思う人は、世界広しと言えども茂人さんぐらいです」

「人に仕事の助言を貰いに来て、夕食を作るついでに飯にありつこうとする神様なんて世界広しと言えどもクツナぐらいです」

 二人で睨み合い、結局は無駄なので部屋に通す。俺は無地の紙と赤ペン、蛍光ペンを机に並べる。するとクツナは方位磁石を机に置いて机の位置を動かし、俺が南東に、クツナが北西の席で向かい合うように座る。

「勝手に動かすな、日当たり考えているし」

「これだって運気をあげるのに重要ですよ」

 俺が注意しても、むしろ俺が間違っているかのように胸を張る。まあ文句は言ったが、帰ったら調整すれば良いので構わない。

「これからクツナがどんなに思考が散らかっていて体系も客観性もないのか現状分析により明確にし、その上で矯正すべき点を抽出していこうと思っているのだ」

「茂人さんはきっと嫌われ者でしょうね」

「俺の人生分析はいらない」

「一応、福の神としてはそれも仕事ですが」

 莫迦らしい遊戯を数回付き合う程度のつもりだったのだが、正面きって言われると何か苛立ってしまう。だがクツナの視線があまりに真っ直ぐなのが気になった。

「何で俺の性格分析と人生分析がお前の仕事なんだ」

「嫌われ者なら罠にはめられます。そこまで悪くなくても、気づいた誤りを放置されたりして、その煽りを食らって不幸になります」

「それをどうかするのが福の神だろ」

 俺の嫌味に、クツナは全く臆することなくさらに真っ直ぐな視線のまま返した。

「場当たり対処は結局、大凶を避けられません。根治すべきなのです。茂人さんの嫌われそうな性格をそれとなく矯正すべきです」

 案外とまともなことを言うので納得しかけたが、全体として見れば結構な悪口を言われていることに気づいた。

「嫌われそうでも、明確に言うから仕事が前に進むんだ。変えるなんて余計なことだ」

 俺の言葉に、クツナは意外なほどはっきりした笑顔を向けた。

「わかっています。というか先週、わかりましたよ。だから今もこうやって私を助けようとしているでしょう。ろくに得がないのに」

 俺がヒアリングしているのか、クツナが俺の面談をしているのかわからなくなった。俺は慌ててテーブルを叩くと、普段の仕事の勢いでがつがつとクツナの言う「神々の仕事」について整理を始めた。

 クツナの説明をまとめると、高天原は官僚組織的だということ。神々は産まれながらにして神なるものと、人間や動物から変化した下級神が在ること。そして、クツナたち下級の神は複数の担当を抱えて訪問営業よろしく人間や動物の間を駆け回っていること。

 そして国内一位の落ちこぼれがクツナで、その落ちこぼれが俺の所に来た理由は。

「職場と自宅の往復がほとんどでわかりやすい茂人さん一人だけ担当なら何とかなるのではということで。まさに崖っぷちです」

「じゃあ辞めれば」

「辞めたら神ではなく、でも霊力だけあるので妖ってことで討伐されちゃいます」

 こういう話を聞くと助けたくなる。まあ信用はしていないのだけれど。ただ何となく、新興宗教や詐欺の類ではないと思う。いや駄目だ。俺がなぜ気分だけで判断しているのだろう。あまりにも論理性に欠けすぎる。

「論理がなくても良いのではないですか。茂人さんだって機械じゃないんですよ」

 また読まれた。クツナの話は荒唐無稽なのに、この読心術と真剣な言葉が俺を侵食していく。論理的にありえないと言いたいが、完全に否定するだけの証拠もない。

 だが、だからと言って信じるのは新興宗教にはまる奴の典型だ。否定できなくても肯定だとは限らない。詭弁の代表例だ。それにしてもそろそろ腹が減ってきた。

 俺が頭の中で色々考えていると、クツナは眉をひそめて言った。

「よく図にも書かずに色々考えを進められますよね。そうやって詭弁を作るんですか」

 言ってクツナは立ち上がると、勝手に冷蔵庫を開けて冷やご飯と卵を取り出し、フライパンを火にかける。

「まだろくに勉強はしていないだろ」

「お腹減ったって思ったじゃないですか」

 老夫婦がお互い察知して動くのはこういうことだろうか。いや違う、幾ら何でもクツナの言動は俺の思考をなぞり過ぎている。

「老夫婦とか嫌だな、確かに私は茂人さんなんかより、ずっとずっと年上ですけどね」

 気軽な雰囲気の言葉なのに、ふと薄ら寒さを憶えた。設定とかそういう作り話めいたものではなく、本当に正直な話の匂い。そういえば俺はなぜ、ここまで簡単にクツナを受け入れてしまったのだろう。それはやはり霊力とかいう類のものなのか。それとも。

「寂しいから、じゃありませんか。ちなみに私、そういう人心をがっちり支配するような術を使えるほど有能じゃありません」

 安心して良いのか呆れるべきなのか。俺が悩んでいるうちに、クツナは器用に冷やご飯にケチャップをかけ、鳥の胸肉を裂いて混ぜ込んでいく。ケチャップライスを皿に取り、今度は卵を割り入れる。俺が作るより卵の数が少ないが、これも器用に薄く焼いて、皿に取ったケチャップライスを包み込んだ。

「オムライスです。材料は思い切り安上がりですが美味しいですよ」

 安上がりで、を強調して言う。だから腿肉ではなく胸肉か。だからこの透き通るほどまでに薄い卵なのか。

 ある意味ではオムライス専門店でもできない技術を駆使したオムライスにスプーンを立てた。口に含むと、いつの間にか入れたらしい胡椒の香りが香ばしく美味い。クツナも半分を皿に取り分けて一緒に食べ始める。

「結局、飯を食いに来ただけか」

「思考を読んでいるので、かなりの助言は受けていますよ。というか私の頭では茂人さんの思考速度についていくのがやっとですし」

 もうどうでもよくなってきた。だが、このなし崩しの関係が続くのも悪くない。

「私も悪くない気がします。むしろ、福の神なんて辞めて人間になれたら良いのに」

「たぶん、人間同士だったら、俺たちは会わなかったんじゃないのか」

 俺は人間だろうと言いたいところだが意地悪に言った。だがクツナは真顔で答える。

「会えなかったでしょうね。今も、本当は神が直接会ってはいけないのですし」

 ああそうか、と俺は珍しく何も考えずに生返事をして、鶏の胸肉を頬張った。クツナはゆったりと微笑んで頷くと呟くように言う。

「こんな時間ならずっと続けば良い気がします。同じ場所を巡っていても構わないから」

 同じ場所を巡っても。クツナが蛇の姿に戻り、自分の尻尾を咥えて輪になって転がっていく姿が頭に浮かんだ。

「自分の尻尾を食べるほど飢えていません」

 俺はスマホで「ウロボロス」と検索してみせる。そこには、先ほど頭に浮かんだ映像と似た意匠の画像が幾つも表示されていた。

「ギリシャ哲学で出てくる絵で、死と再生や完全性を象徴する意匠なんだ」

「私たち蛇が完全だなんて照れちゃいます」

「蛇の名誉のため、クツナは別扱いだな」

 クツナは頬を膨らませてみせ、だがすぐに朗らかに笑って言う。

「こういう時間が、ウロボロスみたいに周り続けて欲しいですよ」

 俺は照れ臭くてそっぽを向いた。


『さよならなのです』

 ちょうど一ヶ月経って四回目の勉強会が終わった翌日、クツナから仕事中にいきなりこれだけのメールが入った。俺は呆れて溜息をつく。ようやく神様ごっこにも飽きたのだろう。飽きたついでにまともな仕事に転職していれば良いのだが。

 昨日はクツナの真似をしてオムライスを料理している最中に、クツナが適当に置いたオリーブオイルの瓶につまずいたせいで突き指をしたのでスマホを弄る指が痛い。最近はこういう怪我の類がなくなっていたので、余計に痛みが気になってしまう。

 俺はスマホを机に放り出して仕事に戻る。すると上司が笑顔で寄ってきた。

「弥生君、先週に報告した案件、すんなり上の決裁降りたから先に進むことになったよ」

 思わず笑みが溢れる。すると執務室の入口に丸投げ王の第一営業課長が立っているのが目に入った。思わず顔をしかめると、丸投げ王は頭を掻きながら低い腰で近寄ってくる。

「弥生君、先月は丸投げして済まなかった。先方の契約を取れたのは君のおかげだと、人事課にも伝えたよ。彼、僕の同期だからよしなに頼んでおいたから」

 ほう。また笑みが溢れる。俺は上機嫌で野菜ジュースを買いに行こうとし、ふと机に放り出したスマホが目に入った。

『さよならなのです』

 にへら、と力なく笑うクツナの顔が見えた気がした。なぜここまで急に仕事が順調になる。そうだ、今日はなぜいつものきついコーヒーではなく野菜ジュースなんて健康的なものを飲もうとしているのだ。

 そういえば、神が直接会ってはいけない、と言っていなかったか。崖っぷちと言ってはいなかったか。妖になれば討伐だと。昨日、オリーブオイルにつまずいて突き指をした。これは、見方によっては確かに不運だ。

 クツナの作り話が一本の線でつながる。そんな莫迦なと思いつつ、俺はクツナにスマホで電話をかける。だが呼び出し音すらならずに全く電話が繋がらない。

 俺は立ち上がり、上司に有給を取りたいと言う。上司は今日のことや最近の残業続きもあるからと笑顔で何も聞かずに承諾した。

 俺は背広を着込むのも適当に済ませて会社を飛び出した。飛び出してどうする。どこに向かおうというのか。手がかりはクツナの携帯番号しかないのに。

 違う。俺はクツナと違う。俺には論理的な思考で戦える頭脳があるはずだ。だが考えがまとまらない。オムライスが美味かった。違う。カレーライス。違う。カツ丼。違う。クツナと一緒に食った飯ばかり思い出してどうする。食っていないのは、焼きとうきび。それも食物じゃないか。

 さらに記憶を辿りかけ、焼きとうきびに何かが引っかかった。あのとき、何の話をしていただろうか。次にはまた焼きとうきびを食べる、違うそれじゃなく。そうだ、円山動物園に行く話をしていたのだった。そして、行きたくないと。神社に本部があると。

 俺はタクシーを掴まえて飛び乗り叫んだ。

「北海道神宮まで!」

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