クツナヒメ、飯をたかる
「で、ここが市役所だから生活保護とかさ」
とりあえず手近なファミレスに行って、飯の勘定は持ってやると言ったら子供みたいに必死でメニューを睨み始めたので、俺はスマホで検索した市役所福祉課の電話番号を示した。すると彼女は頬を膨らませて言った。
「私、お給金が少ないというか仕事のミスで減給されまくっていますけど、別にホームレスとか失業者なんかじゃないです」
こんな状態になるまで減給されるぐらいならさっさと転職しろ、と声が出かかったが、こんな奴を雇う物好きな会社なんてあるわけがないかと思い直して言葉を飲み込む。むしろ転職させて下さいアルバイトでも良いですむしろ永久就職とかどうですか、とか言って食いついてきそうで、さらなる厄介事からは全力疾走で逃げておきたい。だが厄介事の種が、勝手に機嫌を直して俺を見つめてきた。
「でも生活保護とか言ってくれる辺り、親切ですよね。あなたと会えて良かった」
女性からこういう素直な反応をされてしまうと、どうにも強く出にくくなる。彼女は隈のできた目をこすりながら言った。
「そう考えると、ずっとあなたについて行きたいって思いますよね」
「とりあえず、断りもなく一目惚れするのは止めてもらえますか」
すかさず俺が口走ると、彼女は口を尖らせて偉そうに言った。
「いえ、あなたにはしばらくついていましたけど、一目惚れするほどの外見も優しさもないと思いますよ、客観的に正直言いまして」
「とりあえずここは割り勘にしようか」
「いえあなた可愛いし男前だと思います道行く女性も惚れ惚れですよ恋しちゃいます」
棒読みながらも態度を豹変させつつ、いつの間にか店員を呼んでカツ丼とチョコレートパフェを頼んで俺にメニューを回す。
俺も面倒なのでとりあえずカレーライスを頼んだ。カレーは良い食事だ。忙しいときにもすぐ出てくるし、流し込めるからすぐに仕事にかかれる。だが俺の思いに気づかないのか、彼女はほんわかした表情で呟いた。
「甘いものは久しぶりです。まともなお食事も二日ぶりなんです、実は」
もう口を開くな恥ずかしい。わざと無視してメニューを眺めていると、カップル向けでハート型になったストロー二本刺しのカクテルが目に入った。間違ってもこれだけは追加注文させないようにしようと心に誓う。
とりあえず話題、と思って嫌なことに気づいた。さっきこの女、何て言った。しばらくついていた。もしかしてストーカーか。
「ストーカーじゃないですよ。きちんとついていただけなので」
さっきからこっちの思うことを見通すこの眼力を転職に使えないのだろうか。まあそこは置いておいて、俺は冷たく答えた。
「つきまといはその時点でストーカー」
「だから、つきまといじゃなくついていたんですってば。んーと、通じないかな」
彼女はグラスの水に人指し指を浸し、その雫でテーブルの上に「憑」と書いた。
「私、先々月からあなたに憑いている福の神見習いなのです」
幾ら言い訳だとしてもさらに無茶苦茶を言い出したこの女をじっと見つめた。
「最近、もの凄くついてない俺に『福の神が憑いています』はないだろう」
「だから減給されて、お米どころか激安の怪しい中国産パスタも買えないんです」
福の神というオカルトは突飛だが、理屈は合ってはいる。たしかにこいつが俺の幸福担当なら不幸になっても全くおかしくない。それどころか、こいつが人を幸福にするという仕事を一つとしてこなせるとは思えない。
すると彼女はまた俺の思考を読んだかのように文句をつけてきた。
「一応、これでも仮免許中なので厄を避ける資格は持っているんです。それにこっちが適職だと言われて移ったわけですし」
面倒なので俺も彼女に話を合わせておく。
「で、移る前は何だったと言うわけよ」
「死神です」
真顔で言うこいつから、さすがに俺は身を引いた。すると彼女は慌てて続けた。
「いや、死神って言っても見習いのうちに止めちゃったので。ドジなので取り返しの効かない死神は無理って師匠に言われまして」
「それで失敗して、福の神が俺を不幸にしていたとか言う気かお前は」
「不幸になんかしてません! 降りかかる不幸を排除する能力が著しく低いだけです」
「だからお前は無能自慢するな」
嘘にしても無能自慢する奴には腹がたつ。だが感情的になってもろくなことはない。俺は自分に論理論理と言い聞かせて訊いた。
「仮にお前が福の神だというのを事実だとしよう。お前の言葉によれば、年中不幸って降りかかっているものなのか?」
「そんなわけありませんよ、あなたは今、不幸特別大セール中なだけです」
「そんな迷惑なセール販売は頼んでいない」
屁理屈にもならないおかしな話で押し通すつもりらしい。どう矛盾をついて化けの皮を剥いでやろうかと思っていると、カレーとカツ丼がようやく出てきた。
彼女はいただきます、と手を合わせて意外に綺麗な礼をする。俺も持ちかけたスプーンを慌ててテーブルに置き、いただきます、と言ってから食べ始めた。彼女は飢えた口ぶりだったわりに、大口ではあるが上品に満面の笑みで食べていく。カツの上に乗せた三ツ葉も器用に摘んで食べている。実は俺はきちんとした箸の持ち方ができないし左利きのせいもあり、少し彼女を見直す気持ちになった。
そういえば名前を聞いていなかった。
「君、名前は」
「お互い自己紹介しますか。それよりカレーがついてますよ」
顎を指差されて慌ててナプキンで取る。彼女は笑顔のまま言葉を続けた。
「クツナヒメノミコト、長いのでクツナ様とでも呼んでください」
「私は弥生茂人だ、よろしくクツナ」
「今、さらっと敬称を抜かしましたね。さん付けすらしないんですか無礼者」
「カツ丼とパフェをたかる神にさん付けする義理はない。カツ丼を神棚にはあげないぞ」
クツナはさらに反論を言いかけたが、言葉を飲み込み再びカツ丼に箸を向け、先ほどより速めに箸を動かす。食欲に負けたようだ。
俺はスマホでクツナを検索する。古語で朽ち縄で、その外見から転じて蛇を指す、と出てくる。注連縄も蛇と関係があるらしい。一応は神話の設定を踏まえているようだ。面倒臭いがまあ、出会い系で女の子を引っ掛けたことにするか。引っ掛けるなら別の子にするだろうし、そもそも引っ掛けたことも引っ掛ける暇もないのだが。
「その辺は安心ですよね。そもそも暇があっても軟派なことをする性格ではないでしょうし、襲ったりするのは野蛮で嫌いでしょ」
また考えを読まれた。何でこんな間抜けなのに一部だけ妙に勘が鋭いのだろう。
「そこはほら、朽ちても神様なので」
「ああ、女の勘ってやつか」
俺とクツナの声が重なる。するとクツナは鼻で笑って言った。
「仕事は当然、私よりできるのでしょうが、女性に対していきなり『女の勘』なんて言っちゃう時点で女心がわからない人ですよね」
「俺も出会って初日にファミレスのカツ丼とパフェに心躍らせる女は初めてだからな」
カツ丼が片付いたのを店員が察知し、ベストタイミングでパフェが運ばれてくる。クツナは恨みがましい視線をすぐに蕩けさせてパフェにスプーンを差し込んだ。
こんなことをしているとせっかくの休みと金がクツナに浪費されてしまう。豪華な食事も温泉もガールズバーも。
そう考えかけてふと思う。独りで豪華な食事をするよりも、今だらだらと食っているカレーで十分かもしれない。温泉はともかく、ガールズバーの女の子とクツナだと、向こうの方がグラマーで綺麗な服を着ているぐらいの差だろうか。ガールズバーで働いている子相手なら間抜けな神様設定なんて抜きで普段の話はできるが、だからと言って俺の趣味と合う話ができるとは限らない。何しろ、テレビもネット配信もほとんど観ていない俺の場合、共通の話題を振れるか自信がない。
まさかクツナはそういう人向けの。
「私、寂しい人向けの押し売り営業とかの怪しい仕事じゃないですよ。安心してくださいというか、さすがにそれは傷つきそうです」
「いや、そんなつもりじゃなくて」
「私は思考が見えるのですから、言葉の誤解のように見誤るなんてありえないです」
ごめん、と小さい声で謝りながら、本気でクツナは思考が読めるのかと思う。確かに間抜けなのにここまでびったりと重なるとそう思いたくなってくる。
手元のカレーがもう残り少ない。コーヒーが飲みたい。だが薄く苦いだけのコーヒーではなく、例えばエスプレッソのような。
「店員さん、彼にエスプレッソを一つ」
当然のようにクツナは勝手に注文してパフェを食べ続ける。俺が、エスプレッソを飲むのは生まれて初めてなのに。
「俺が、エスプレッソを飲むのは生まれて初めてなのに」
一字一句違いなく俺の思考に重ねてクツナは言って、勝ち誇った笑みを浮かべた。
口元にソフトクリームをつけたままで。