理解
父と娘の電話。いつだって緊張します。
帰りの電車の中、一人思考に耽る。
肩の力を抜く、ねぇ。
そもそも肩に力を入れている自覚がない。ので、抜ける筈もない。大体以てそんな状況ではない。
ここ数日の父の暴走は、普通ではない。好き勝手やりすぎ、やり放題である。その為に、自分の生活も大分おかしくなってしまった。ロクに話した事のないような奴まで、父について聞きたがる。鬱陶しい。
自分を取り巻く環境。静かな筈の環境。常に誰かに父の事を尋ねられる日常。この変容はあたしにとって耐え難い苦痛だ。
奇異の目。好奇の目。嫌だ。あたしは珍獣か。
考えるほどに腹が立つ。腹が立っては父を思いだし、更に腹を立てる。
反復思考。
そして自己嫌悪に至る前に停止する。
ふぅ……
大きな溜息を吐く。
溜息を吐いたら、少し頭が軽くなった。その頭で思考を巡らせる。
状況は確かにこれ以上ないくらいおかしい。父が核を持ってると言いだし、それの証明だとかで独立国家を建設。意気揚々としていたのに娘に叱られてしょぼくれてるだろう父。
テレビにはおくびにも出さない父の一面。見てもいないのに頭の中で映像が流れてくる。そんな父の背中を想像すると、思わず吹き出しそうになる。
ふと、自分が余りにゆとりがない気がした。
あぁ、そーか。
何となく、父の身勝手と周りの奇異な視線に、イライラして疲れていたんだ。知らずに疲れてる自分に、原因が分からず苛ついていた。悪循環が巡り巡って悪い方へ悪い方へと感情を貶めていた。あたしの心に、ゆとり、と言う言葉が欠けていった。気がする。苛立ちばかりが心を占め、何一つ受け入れられない。
勝子は、この状況を楽しいと言った。そうなのかも知れない。実家が独立国家になった。頭の悪さに呆れもするが、何だって出来るという自由もある。何も出来ない、と考えるよりも、何が出来るか、を考えると、それだけでウキウキしてくる。
こみ上げてくる笑いを必死に噛み殺すあかりの肩は、気付いたら大分下がっていた。
とはいえ、父には随分な事を言った。悪意に満ちた言葉。しかしその全ては事実。その正しさと動機の不純さが、葛藤を引き起こす。何て言えば良いんだろう。そもそも謝るべきなのか。悪い気もするし、悪い事してない気もする。謝る必要はない。
あかりは、布団の上で携帯片手に身悶えしている。ごろらごろらと転がり、ピタッと止まってはまた呻りながら転がる。
謝るべきか、謝ざるべきか。どっちつかずのまま時間は過ぎていく。
突然、携帯が震える。ビクッと体を萎縮させるが、何の事はない、ただの着信だ。
画面を開いてみればそこには父の名前。
初恋の人に再会するよりも。大学受験の合格発表待ちの時よりも。比べ物にならないほど心臓が五月蠅い。
こういうパターンは考えてなかった…
頭は真っ白である。
と、取りあえず出なきゃ……
通話ボタンが、押される。
「もしもし?あかりんか?」
「もっ、もしもしっ。あかりです」
緊張のあまり言葉に妙な力が入る。
「? どうした? 何か変だぞ?」
「い、いやっ、何でもないよ。それよりどうしたの?」
父は一瞬、あかりの奇行に考え込んだが、すぐに言葉を続けた。
「テレビ見たか? また俺が映ってるぞ!」
子供がいる。本気でそう思った。呆れもしたが、凹んでる様子を見せない父に、少しホッとした。
「今つけるよ」
投げやりな口調でテレビをつけると、そこには父が映っていた。その手には金地に扇がでかでかと描かれた紙がある。
状況を飲み込めずしばらく見入っているとテロップが入った。
『秋田の新国家、国旗はこれ!』
ぱかーん、と口が開く。
「どうだ。国旗だぞ~。やっぱ国を作った以上、国旗は必要だよな、うん。で、父さんが好きな扇盛からインスピレーションを得て絵の上手い虻川さんに描いて貰ったんだ。いい感じだろ?」
虻川さんは近所でも絵が上手い事で評判の人だ。たまに個展なんかも開いたりしていた。
「どうだったって……」
「まだ仮決定だから、何か言いたい事があるなら今の内だぞ」
相変わらずばんばん話を進めていく。そのバイタリティーに呆れもしたが、笑えもした。
こういう人なんだ。生きたいように生きてるだけなんだ。娘にあんなに叱られても、テレビにはおくびにも出さず、まだまだ前へと進んでいく。止めたって止まる人じゃない。
なら……
「扇はともかく金地は悪趣味よね~」
「何っ!? ……そうかぁ?」
「そうよ。もっとシンプルにまとめてよ。他の国旗見てみ?もうちょい大人しいでしょ」
「誰かと一緒でなくても良いだろ~? 折角新しい国家なんだし」
「……それもそうか。なら……」
その後、新しい国家についてあれやこれやと語り合ったあたし達は、笑いながらおやすみと電話を切った。
「はぁぁ~……」
今朝までとは違った溜息をつく。
ここ数日の鬱々とした気分が嘘のように、晴れやかな気持ち。腹の底から(女の子の使うべき表現ではないが)清々しいものがゴボゴボと湧いて出てきて(これも女の子が使うべき表現ではない)、全身に満たされている。
父は、変わっていなかった。あれだけの事を言ったにも関わらず。あれだけ言ってやったにも関わらず。
嬉しかった。
「今日はゆっくり寝れそうだわ」
床について、ふと思い立ち携帯をいじる。しばらくして満足げに画面を見つめ、布団にばたり、と倒れ込んだ。
眠い目を擦りながら、ブーブー言ってる携帯を手探りで探す。
ガツっと目覚まし時計に指をぶつけ、短い悲鳴をあげるが、それでも懲りずに手探りで携帯を見つけだす。
付いたままの充電コードを無視しながら手元に引き寄せる。ガシャガシャっと色んな物が崩れ落ちるが気にしない。
メールが届いていた。
開いてみると、あかりからの物だった。短い文章、というより単語が送られていた。
『ありがとう』
頭に?を浮かべたが、勝子は満足げに笑って
「良かったねぇ、小島さん……」
呟いたところで力尽き、くーくーと寝息を立てて夢の中へ戻っていった。
面白いことにはのっかる。これが幸せへの近道かもしれません。(適当