普通
父の苦悩、娘の苦悩。
「はぁぁぁぁぁぁ……」
長い長い溜息を吐く。ここ数日は溜息を吐きっぱなしだ。自己嫌悪。嫌だ嫌だ。溜息を吐くと幸せが一つ逃げると聞く。聞くが幸せって数えられんのかよ。こら。
状況が状況だからなぁ。周りからのストレスも酷いし。大体父がいけない。父が勝手にあんな事を始めるから…焚きつけたのは半分あたしだが。
今までだって喧嘩した事はある。しかし今回のはかなり特別だ。あまりにも問題が大きすぎる。だからだ、きっと。でなきゃこんなに怒り狂う訳がない……
自分を納得させる為だけの理屈。真っ直ぐな物じゃないかも知れない。
グルグルと自己の肯定・否定の思考が渦巻き、また自己嫌悪に陥るあかり。どこまでも続くこの葛藤とも言えぬ対立は、あかりを寝不足にするには十分な力を持っていた。
空が白けてくる頃、あかりは一つの理屈に無理矢理に至る。
「父ならきっと、けろりとしているだろう。今までもそうだった」
そう呟いて寝床に入る。今日は休みだ。少し寝て、気持ちを改めよう。
「……」
無言のまま受話器を置き、しばらくじっとそれを見つめていた。ぼんやりと、ここ数日の激変の事を考えていた。
自分は娘の為に国を作ったつもりだった。しかし娘にとっては迷惑、と言われた。それはそうかもしれない。自分が娘の立場だったらどう思うか。少し考えれば分かる事だ。酔ってるからと言って許される物じゃない。許してくれる筈もない。
自分は…この数十年間、二人しか居ない娘の事を考えてきたつもりだった。病気で寝込んだ時も、景気が悪くなって収入が減っても、生意気になっても、遠くへ行っても。いつも、心のウェイトを占めるのは娘達だった。
しかしそれも独りよがりだったのかも知れない。
……そうなんだろうか。信じたくはない。
「ふぅ……」
小さく溜息。そして下にしか向かわない思考を続け、自己嫌悪に陥っていく。
沈黙。静寂が家の中に広がって……行かなかった。
母は、相変わらずハムスターを眺めていた。そして時々「あ~もう!」とか「食べちゃうぞ~」とか叫んでいた。勿論愛情表現である。
そんな母の様子を見て、父は少しだけ呆れた。
「お前はホントに何もいわんのな。あかりんがこんなに怒ってるのに」
ふと、漏らす。そして、実は怒っている事を思い出して、サッと青くなる。
「あ、いや、何でもない! 酒でも飲もうか!」
「あら~。怒ったら、どうにかしてくれるんですか?」
「うっ……」
振り返りながらの母の言葉に、思わず詰まってしまう。ここから母の猛攻が始まる。そんな覚悟をしていると、
「……怒られるような事をしてるんですか?」
言葉が、柔らかくなる。父にはその心意が分からない。ぽかんと口を開けてしまう。
「……ん?」
「私たちを怒らせる為にしてるんですか?って事ですよ」
意外な言葉にキョトンとしながら、
「い、いや……そんな事はないけど……」
とだけ、呟く。何が何やらさっぱり分からず、言葉を続けられない。
「じゃぁ、いいんじゃないんですか? 今更どうしようもないですし」
あまりにもあっさりした母の言葉。
「お、怒ってるんじゃないの……?」
おずおずと聞けば、母はけろりとした顔で
「あら。私はそんな事言いましたっけ?」
と宣う。
あまりに拍子抜けな言葉に、父は開いた口が塞がらない。言われてみれば言ってない気もする。心のページを捲ってみても、匂わせる事こそあれ、明言はしてない。しかし釈然とする物ではない。
「だ、だってあの時は怒ってるような言い方……」
「あのくらいでどうこう言うなら、あなたにそれだけ後ろめたい物があると言う事ですよ。……それとも、やっぱり怒らせようと……?」
「あ、いやいや! それはないってば! うん、それはないんだ」
「ふ~~ぅぅん……」
疑いの眼差しを浴びせる母。戸惑う父。しかし父には、どこか楽しそうにも見えた。
「じゃ、何でこんな事したのさ?」
「それは……酔った勢い……」
「もっと根本的によ。酔ってやったのは元々やりたくて、それに勢いをつけただけでしょ?」
「……娘達に帰ってきて欲しかったから……」
しょんぼりした父の小さな呟き。その言葉に母は満足げに頷く。
「そうだね。発端はそこよね。で、それを叶える為に手段としてあってた?」
まるで小さな子供を諭すように、母は優しく語る。
父は、少し考えた後、
「わからん。でも、俺はこれだと思った」
「じゃぁ、それでいいじゃないですか。これと決めたら真っ直ぐ進めば良いんですよ。結果なんて後から幾らでもついてきます。……大体あなたはそういう人でしょ」
「しかし……」
少し躊躇って、言葉を続ける。
「普通の父親はこんな事して娘呼び戻さないだろ……」
あかりに指摘された事だ。冷静になって考えてみれば、当然の話である。どこの世界に娘が戻ってきて欲しいが故に国を作る父親がいるものか。まぁ国を作ったのは核を持っている事を証明する為だけではあるのだが。
そんな言葉に、母は大袈裟な手振りを加え、驚いて見せた。
「あらまぁ。じゃ、あなたはあなたの言う普通の父親じゃなきゃならないんですか?」
すとん、と言葉が体の中をすんなり通った。あぁ何だ、たったそれだけの事じゃないか。ステレオタイプに縛られる必要はどこにもない。自分は、自分だ。何を肩肘張る必要がある。
「あぁ、そっか」
こみ上げた思いが、ポッと口から出る。父の拍子抜けした顔をみて、母が笑う。
「やだ、父さん。そんな間の抜けた顔して。もうちょっとシャンとしてくださいよ?」
それを見た父、呆けた顔を母に向け、
「俺、お前と結婚して良かったわ。ありがとう」
母は一瞬の沈黙の後、いたずらっぽい笑顔で一言。
「あら、今頃そんな事思ってるんですか?」
やっぱり母は強し。