青い目の女性
敗戦濃厚であると末端の兵士が気づくのはそう遅くはなかった。
祖国の為に威信をかけて戦う兵士の中にも後ろ向きな気持ちに沈む者もいた筈。
善悪を抜きにして、命懸けで死地へと向かった者へのささやかな恩返し。
これは、私達の世界から遥か昔の出来事。
「敢闘ノ誓!!」
上官殿の号令の下、俺達は決められた標語を口にする。
「「「一ツ、我等ハ全力ヲ奮テ本島ヲ守リ抜カン!」」」
ある者は木の破材を、ある者はその辺の小石を使って……そのどれも持たない者は素手で。俺達は坑道を掘り続ける。来る日も、来る日も……。
「「「一ツ、我等ハ爆薬ヲ抱イテ敵戦車ニブツカリ之ヲ粉砕セン!」」」
俺達の口にする標語の文面。その行為自体が、俺達の戦いの行く末が絶望的であることを示唆している。華々しい戦果の影で、日の丸を背負う英霊達が散っていく。
「「一ツ、我等ハ挺進敵中ニ斬込ミ敵ヲ皆殺シニセン!」」
全戦全勝の喜びに沸いていた頃の俺には分からなかった。誰もが勝利を確信し、鬼畜の権化であるヤンキー共の全陣地に日の丸の旗を突き立てることを信じて疑わなかった。
「「一ツ、我等ハ一發必中ノ射撃ニ依ツテ敵ヲ打仆サン!」」
今では敵に撃ち込む弾丸ですら満足に用意出来ない。同輩も腹を下して倒れる始末。そんな状態にあるにも関わらず、お上は「敵ヲ倒セ」とのみ仰る。
俺は上官殿に上申した。これでは勝てない、勝つどころか俺達は全滅するだろうと。
だが、俺は上官殿にぶたれた。彼はただ一言。
「一ツ、我等ハ敵十人ヲ斃サザレバ死ストモ死セズ!」
逃げずに戦えと、戦って死ねと……そう上官殿は仰られる。「バンザイ」と叫んで死ねと言われる方がまだマシだ。それは華を持たせてくれる。死という安らぎを得られる。
ヤンキー共との戦いで疲弊し切った同朋が発狂死するのを知っているか。倒せど倒せど敵は来る。大量の軍艦。空を埋め尽くす戦闘機。生き残った者が伝える悪夢の光景。
「一ツ、我等ハ最後ノ一人トナルモゲリラニ依ツテ敵ヲ悩マサン!」
硫黄の出す刺激臭に塗れた身体を奮わせて、口と円匙を動かす者も俺一人になった。本島の防衛準備の完成予定日を過ぎ、海軍の偵察機が進軍するヤンキー共の大船団を発見したからだ。意欲のある者はすでに前線に駆り出され、俺のような奴は恥晒しだと坑道掘りを命じられる。俺は黙々と掘り続ける。来る日も、来る日も……。
コォン……
ふと、円匙の先端に岩とは違う硬いものがぶつかった。反響してくる音は寺院の鐘を思わせるもの。その音が金属塊の中に空洞があることをを教えてくれている。
「……空の薬莢じゃあないのか」
「タイムカプセルと言います。シンジロウ=オカザキ」
それは若い女性の声。前線からは離れているとはいえ、戦場の真っ只中ではまず聞くことの出来ないもの。それが背後から聞こえてくるということは……。
「俺は幻覚を……欲求不満な俺を嘲笑う女を見せられている……」
自身でも何を口走っているのか分からない。故郷に想い人を残してきて大分立つ。突然のことに、女と会話することへの感動よりも、男ばかりの苛酷な環境で気がふれてしまったのではないのかという不安の方が大きい。
「いや! いや違うぞ! 怖気ついた俺に、薬を盛って誑かすのが軍属のやり方か!?」
半狂乱になる俺の膝裏に、恐らくその女性のものと思われる蹴りが突き刺さる。突然の鋭い痛みに冷静さを取り戻し、それに比して湧き上がる怒りに任せて振り向く。
俺は絶句した。
俺を蹴飛ばした女性が美しかったからではない。いや、その濡羽色の髪は少女と淑女の狭間にある彼女の危うさを十分表しているし、防空壕の天井から落ちる煤に汚れた顔を晒すわけでもない。……美人だ。
ただ、彼女の目は青く輝いていた。鼻筋も高く伸びていて、恐らく同年代であろう彼女の目線も俺と同じくらい。脚も長い。大和撫子然とした風貌にそぐわない身体的特徴の数々。
蹴られたことへの怒りすら忘れて、目前の――敵国の言葉を借りるならば、まるでビスクドールのような――女性を呆然と見やる。
「なんてことだ……。もう婦女子がヤンキーに孕まされて――」
彼女の境遇を想像してしまった俺の前に、華やかな紙で包装された箱が突き出される。
「その言い方は止めなさい、シンジロウ。あなたの国と彼の国は……いや世界中の国々が、ピース・パークのアーチ前で手を取り合ったのです」
「敵性語を使うな! 俺はヤンキーではない!」
「広島にある原爆死没者慰霊碑の前で、全ての国が争いを放棄したのです」
「どうして広島に慰霊碑がある!? 原爆とは何だ!?」
捲くし立てる俺に対し、彼女は目を伏せて黙り込んでしまう。その態度を目にしてようやく、俺は目前の女性を責めてしまっている自身に気づいた。彼女自身はあくまで被害者だ。どうしてここにいるのか。彼女の奇怪な言動の数々。……気になることは山程あるが、彼女の為にもこれ以上は詮索しない方が懸命だろう。
「一先ず、こんな所に女性が居ては危険だ。上官殿と相談して安全な場所に……」
「その必要はありません。元よりこの世界において、タブーを犯した私に安全な場所など無いのです。お気遣いには感謝致しますが」
そう言いつつ、彼女は再び手に持つ箱を俺に押し付けてくる。受け取れと言うのだろう。
「チョコレートという名前のお菓子です。古くから、私達の世界では今月の十四日をバレンタインデーと呼んでいて、女性達にとっては大切な行事になっています」
「ば……馬連……?」
次々と放たれる聞き慣れない言葉に混乱する俺に対し、彼女は柔らかく微笑む。俺は思わず見蕩れてしまう。だが彼女はすぐに顔を手で覆って俺の背後に走り抜ける。
「大切な人に……想いを告げる日です」
コォン……
俺が振り向いた時、青い目の女性はどこにもいなかった。
あれから五日後。シンジロウの所属する国の重要拠点の一つである硫黄島にて、凄惨な戦いが行われた。私達の世界のデータベースでは、硫黄島の戦いとして記録されている。
私の曽祖父は、敵国の兵士の放った銃弾に倒れてしまう。彼の子を宿した私の曽祖母を、祖国に残したまま……。
だから、その前に私はどうしても、彼に感謝を言っておきたかったのだ。過去の人間に濫りに関わるのは、タイムパラドックスの問題から大変危険な行為。しかし、歴史を学ぶことで生じる祖先や祖国を憂う気持ちは抑えようの無いものだ。
タブーとされるタイムカプセルの私的利用もこの先増えるだろう。国の礎となって、果敢にも戦って没した兵士達はどの国にもいた筈だ。
だからこそ、遂に訪れた戦争の無い平和な世界を享受する私達は、彼らのことを決して忘れてはいけない。
箱の包装を剥がし蓋を開けた時点で、俺はどうしてか涙を流していた。
「ありがとう」
名も知らぬ女性から受け取ったチョコレートには、白い文字でそう書かれている。
某Expressの読者の中には「こういう雑誌に載る小説はライトな方が良い」と意見を下さる方がおりました。一般的にその通りだと思います。ですが、こうしたライトな情報誌を手に取ってくださる方の中には、こうした重い題材を扱った作品も読んでみたいと思う方もいらっしゃるかもしれません。今まででそうした題材を扱った先輩もいらっしゃらなかったことですし、今後の後輩達の表現の幅を広げていく為にも、あえて難しい題材に挑戦したという動機もあります。
勿論、今までのような作品も掲載していきますし、今後の後輩が全く別の作風であなたを魅せていくこともあるでしょう。部としての活動から引退した私が答えられることはそう多くはありませんが、今後とも両部活をよろしくお願い申し上げます。
あとすみません。主人公の名前を不要ではとの指摘は頂きましたが、私自身がその点を改善する手段が見つけられませんでした。今後の精進への励みにしてまいりますのでどうかご容赦願います。