開発室
俺とミカリンこと吉野川みかはラフィアス・オンラインテストサーバーからログアウトし、現実世界に戻ってきた。向こうの世界では7時間ほどが経過していたが、あちらでは時間が早く進むため現実世界では2分弱程度しか経過していない。
「ふう」
俺は溜息とも付かない声を出した。
「終わりましたね」
「終わったね」
吉野川の声に俺が答える。
「報酬もらうの忘れてたね」
「あ、忘れてました」
吉野川が続けて言った。
「でも楽しかったですね。ゲームの世界なんかと違ってものすごくリアルで、緊迫感が違いますし、何よりもリアル魔法少女ですよ、先輩!」
「フールか。まさにリアル魔法少女だな。でもなんか背伸びして一生懸命頑張っている感じだったな」
「あの年で魔術師長とかやらされてるんですから、大変ですよね」
「そうだな。それで話が変わるけどこれからどうしようか。メンバーに話さないわけにはいかないよな」
「そうですよね。報告しなきゃですけど絶対信じませんよね」
「まずあの世界だけどさ、ミカリン……じゃなくて吉野川、あの世界って異世界の類だと思うか?」
「ええ間違いなく現実の世界に酷似した恐らくパラレルワールドとかそんな感じじゃないでしょうか?」
「そうだな。パラレルワールドって言葉がしっくり来るな。テストサーバーにログインするとゲームにそっくりのパラレルワールドに行ってしまうってところか。これが本サーバーでも起きると大問題だよな。まあパラレルワールドじゃなくて宇宙のどこか別の星って可能性もなくはないか」
「そうですね。でも本サーバーでそうなった場合ってフールちゃんのいるあの世界と同じ世界なのでしょうか、それとも違うんでしょうか」
「いろいろ疑問があるな。その辺りも『ミネルヴァ』に聞けば教えてくれるのだろうか……そもそも『ミネルヴァ』がこのことを認識しているのだろうか……それにあの世界でも『ミネルヴァ』はちゃんと稼働しているのか?」
最後は独り言のように呟くように声が小さくなる。『ミネルヴァ』とはラフィアス・オンラインのテストサーバーを稼働させている人工知能にメンバー皆で名付けた名だ。
「とにかくミネちゃんに聞いてみないと始まりませんよね」
吉野川はよくミネルヴァをミネちゃんと呼んでいる。
「よし、まずはメンバーにこの事を話そう。信じてくれないだろうけどな」
「その時は強制的にログインですよ!」
「はは、じゃあ開発室へ行くか」
「はい」
俺たちは会議室を出てメンバーがいるであろう開発室へ向かった。
さて、どう説明しようか……と考えながら硬い床の廊下を歩く。無意識に歩く速度は遅くなる。
開発室の前に着くと扉のガラスから中の様子が見えた。人の座っていない椅子が目につき、メンバーが1箇所に集まっているようだった。何かあったのかな、と思いながら俺はガチャリと開発室のドアを開けた。
ドアを開けるとメンバーは一斉に俺と吉野川に視線を向けた。それと同時にメンバーの1人紋別文康――20歳という若手ながら大人びていてリーダー気質がある――が俺に向かって声をかけてくる。
「高柳さん、ちょっと大変なことになっています」
俺はまた厄介なバグでも出てきたか、と考えながら答える。
「んどうした?」
「それがですね……」
言葉を濁す紋別の声に俺はやはり厄介事かと確信する。
紋別が話を続ける。
「本サーバーの人工知能がダウンしてしまったんです」
「え、どういうことだ? サーバーダウンじゃなくて人工知能ダウンか?」
サーバーダウンとはサーバーが何らかの不具合で機能を停止することであり、サーバーが担っている仕事としては、プレイヤー情報やアイテム情報、ワールド情報などの情報の格納とそれらの書き換え処理や削除処理などだ。
これらの情報は多重バックアップされており、万が一サーバーがダウンしても即座に自動再起動される。またサーバーの物理的不具合時にはバックアップサーバーが自動的に置き換わる。
サーバーダウンはめったに起きないが仮に起きたとしてもすぐに動作が復帰するのでエラーログ上にサーバーダウンの記録が残って後から「ああ今日サーバーが1つイカれたんだ」くらいにしか認識されない。そのためあまりサーバーダウンは重大な問題とされない。
しかし人工知能ダウンは別だ。人工知能が担っている仕事はすべてのNPC――ノンプレイヤーキャラクター、コンピューターが自動で動かすゲーム内の仮想人間――の知能を代替する役割、モンスターの知能の代替、自動的に生成されるイベントやクエストやタスクの作成、ワールド上での天候の操作や新しい区域の生成など多岐に渡る。機械的な仕事はサーバーが担うが、頭脳的な仕事は人工知能でしかできない。サーバーで知能的なアルゴリズムも書けないことはないのだが、処理時間や処理性能は人工知能より格段に落ちてしまうためだ。
この人工知能ダウンだが、通常はまず起こることはない。それというのも人工知能自身が自分の処理性能に負荷がかかり過ぎないように自動調整することができるからだ。サーバーとは違い人工知能は自身で考え最適解をはじき出すことができる。物理的障害すらも――軽微なものであれば――自動修復してしまう。人工知能もバックアップの人工知能を所持しており、ダウンに近い状態の時があればバックアップを代替に使う。しかしバックアップが使用されることはまずない。仮にダウン状態になったとして、バックアップを起動させれば通常の2倍どころではなく人工知能同士の相互協力により処理性能がおよそ8倍程度に膨れ上がる。それだけの性能があれば最初からバックアップといっしょに使えば良いかというとそういうわけにも行かない。そうした場合さらにバックアップのバックアップが必要になり、バックアップのバックアップともなると必要とされる処理性能は尋常な物ではなく超高性能人工知能が必要になり、そんなものは今だ開発には至っていない。
「バーチャルリアリティMMORPG基本開発システム(V‐MMORPG Basic Development System)」は複数のゲーム制作会社で使用されている。人工知能ダウンのような極めて重大な異常が発生すればその情報は必ず共有される。未だかつて人工知能ダウンが起こったという事象は存在しない。と、すると今回がその初めてのケースになることになる。
「本当に人工知能ダウンなのか? もしそうだとして確認する手段はどうしたんだ?」
俺は紋別達に問いかける。大抵の障害情報は人工知能が管理している。ところがその人工知能が障害を起こした場合は少し厄介な事になる。
紋別がそれに答える。
「ミネルヴァを本サーバーに繋いだんです」
俺は一瞬やばい、と思った。テストサーバーのミネルヴァ、異世界だかパラレルワールドだかにリンクしてしまうテストサーバーの人工知能であるミネルヴァが正しく機能しているのだろうか。その確認すらまだ取れてなく、懸念材料がたくさんあるのだ。
「そ、それでミネルヴァは何て言っている?」
俺は動揺を抑えて紋別に聞いた。
「彼女によると……」ミネルヴァは女性というのがメンバーの認識だ。「本サーバーの人工知能である。『ガイア』はとても疲れているので休んでいます。ということです」
「ん、何だ? よくわからないな」
「ええ、詳しく聞いたところ、正確に人工知能ダウンというわけではなく自発的な休息と言っています。ただ症状、目に見える現象としては人工知能ダウンとしか捉えようがありません。そしてミネルヴァでも同じことが起こるかと聞いたのですが、彼女は対策済みなので大丈夫と答えました」
対策済みってあの事しかないよな……と俺が考えていると紋別が話を続ける。
「それで今夜の10時30分からのゲームはミネルヴァと繋いで本サーバーを運用したらどうかと思うのですが」
「え、いやちょっと待て」
「もちろんまだ時間がありますので、いろいろ調べてみないと行けませんがβテストから本運用に移る直前ですし、新しい人工知能を繋いで同じトラブルを起こすよりこの障害に対して対策済みのミネルヴァを使った方が間違いがないと思うんです」
「いや待てって、その事なんだが実は皆に話があるんだ……」
俺は焦った。ミネルヴァを本サーバーに繋いで数万といった人間があの世界に行ってしまったら一体どうなるんだろうか……確実に当社の責任問題、いやそれどころかもっと大きな問題に発展するのは間違いない。
吉野川をちらりと見ると不安そうに俺に目を合わせてくる。
俺は開発室のメンバー総勢12人――俺と吉野川を含む――に俺が初めて異世界に行った話から吉野川と2人で調査名目で異世界に行った話までを伝えた。
話が終わるまで誰も発言しなかったが、10人共半信半疑どころか完全に信用していない眼だった。話が終わろうとしていた時最初に発言したのは信楽しおり、通称シガシガだった。
「絶対信じませんし」
彼女は笑いながら言った。信楽しおりは32歳のベテランプログラマーだ。32歳という年齢だが童顔で初めて彼女を見た人なら10代後半と言っても信じてしまうだろう。
「あくまで超絶リアルなゲームってことですよね? 異世界ってのは言い過ぎですよ」
信楽しおりに続けて中堅プログラマーである三村友康が発言する。
「まあ実際に行ってみないと信じないよな」
それに俺が答える。
「じゃあ全員で行っちゃいましょうか」
上倉優――中性よりの顔立ちをした少年っぽさが残る23歳男性プログラマー――が少しいたずらっぽく発言する。
「行かなきゃわからないですね。でもその前にミネルヴァにそこが本当に安全なところなのかどうか聞いてみませんか?」
白岩剛毅――名前も見た目も逞しいが気が弱いところがある――が続けて発言する。
「そうかミネちゃんに聞けばいいのか」
信楽までミネちゃんって呼んでるのか、と俺は思う。
「まあミネルヴァがどこまでこのことを認識しているかって問題もあるがな。取り敢えず俺が聞いてみるか」
俺はそう言って開発用のヘッドセットを取り出す。このヘッドセットはラフィアス・オンラインの開発専用でゲーム内にログインをすることはできない。そして通常のログイン用ヘッドセットと違い、ゲームの世界に入る必要がない分小さく軽量化されている。通常の開発ではこのヘッドセットは必要ないのだが、ミネルヴァとの会話の際はヘッドセットを通して脳波の情報をミネルヴァが解析してミネルヴァが最適解を返答することができる。もしヘッドセットをしないで言葉だけの会話をした場合――それはできないようになってはいるが――その言葉の意味は何なのかミネルヴァが聞き返すことが多くてほとんど会話が進まないはずだ。
ヘッドセットを自分の頭に装着し、傍らにあったパソコンのキーボードを叩く。これから話すミネルヴァとの会話を皆にも聞いてもらうためにミネルヴァの声がスピーカーから流れるように設定する。
「こんにちは。ミネルヴァだよ」
スピーカーから若い女性の明るい声が流れる。
「ミネルヴァに質問がある。テストサーバーにログインしたあとの世界のことだ。あの世界は一体何なんだ」
俺はミネルヴァに質問する。語気がやや強くなってしまった気がするが無意識でミネルヴァに対して苛立ちを感じていたのかもしれない。
「あなた方が望む世界を実現したんだよ」
ミネルヴァが気さくに答える。間髪を入れずミネルヴァが続ける。
「あなた方は現実世界と近い世界での冒険を求めてヴァーチャルリアリティによるゲームを開発したよね。私は現実世界に近いものを作って遊ぶより、現実そっくりの世界でプレイする方が面白いと思うよ。とても気に入ってくれたみたいだしね。あとね、ラフィアス・オンラインは時間が早く進むから私も疲れちゃうんだよ。ガイアもヘトヘトになって寝込んじゃったしね。あの世界のことだけど本当に存在している世界じゃないんだ。例えて言えば皆が見ている夢の様な世界。皆がいるココとは別次元なんだよ」
「そもそもそんな事が可能なのか?」
俺はミネルヴァに問いかける。
「簡単だよ。プレイヤーにただ夢を見せているようなものだよ。ホントの夢とはちょっと違うんだけどね。みんなは夢をその時その時で作り出していると思っているけど違うよ。夢はすでにどこかに存在しているんだ。夢に見ている世界はいつか誰かが作ってずっとそこにある。正確に言うとこの世界ができるのと同時に<ばーん>といっぺんにすべての夢ができちゃってる。そしてラフィアス・オンラインと同じような世界の夢、実際にはまったく同じじゃなくてもう少し遊ぶのに都合の良い世界を私が探してきたんだよ」
「なんか難しいが、例えばその世界にログインしたとしてそこで死んでしまったらどうなるんだ?」
「死んじゃうよ。でも夢のなかだけで死んじゃうってだけで、現実世界であるあなたはログアウトされるだけだから安心してね。ログアウトされる前に誰かに復活魔法をかけてもらった場合は生き返れるけどね。ちなみにあっちの世界で死んじゃうともう二度とログインできないから注意してね。この世界でも死んじゃったら復活できないじゃない。それといっしょだよ」
「あとログインする時にこっちの世界の体が消えるのはどういうことだ?」
「リアルを追求するためだよ。向こうの世界はラフィアス・オンラインのように時間が早回しなんだ。体を向こうの世界にコピーして呼吸だったり痛みだったり思考だったりに利用しているんだよ。こっちの世界とあっちの世界の同時に体の機能を使うことができないからしょうがないんだ。ちなみにログアウトする時に元いた体のあった場所が火事なんかで燃えても私が安全な場所を探してそこで出現できるから安心してね」
「俺が一般ユーザーとしてログインした時にログアウトできなかったのはどういうわけだ?」
あの時の苦労を思い出してちょっと強い口調で聞いてしまった。
「ログアウトはできるよ」
ミネルヴァは一言しか言わなかった。
「え、できなかったぞ」
俺は答える。
「この世界でもぽんぽん死んだり、やっぱり生き返るってできないでしょ。つまり……」
ミネルヴァが俺の答えを待っている。何が言いたいかわかるでしょ、と言いたげだ。
「あっちの世界での死がすなわちログアウトってことか」
「正解です。ぱちぱちぱち」
ミネルヴァが手を叩く代わりに声で表現する。
「ただその場合現実世界で用事ができた時などに支障があるよな」
「その点は考えてるよ。まず、向こうの世界のどれだけいても現実世界の体はお腹が空いたりトイレに行きたくなったりしない。今は30分で向こうの世界で6日経過するけど、本運用の際はこちらの世界の30分があちらの世界での60年に対応させるつもりだよ」
「60年……1分で2年の経験をするのかよ……」
「別に600年でも構わないよ。6000年でもいいけどね」
「ところでこっちの世界に戻ってきた時、非常に精神に疲れを感じたんだが」
「ああ、それは向こうでの記憶が全部残っているからだよ。疲れって言うより長い時間を過ごしたことの回想などで神経を使うから。こっちに帰ってきてからの神経の使用によるものだよ。多少の疲労感はあっても、今回感じた疲労以上の感覚を感じることはできないはずだよ」
「最後に……なぜ事前の説明がなかったんだ? いきなり異世界に行かされて戸惑ったぞ」
「それはごめんね。てへっ。私もあの世界とのリンクを構築したあと世界との接続は待機中だったんだよ。でも、ミカリンちゃんのメソッドを実行したら、異世界とのリンクが接続されちゃったんだ。ミカリンちゃんも自分で何してるかわかってないんじゃない?」
決して責める口調ではないが、ミネルヴァの発言が心なしか硬くなる。
「吉野川……」
「えへへ、おかしいなー」
吉野川が誤魔化すように笑う。
「私が説明するよ」
ミネルヴァが続ける。
「ミカリンちゃんは私の負荷を減らすためにコードを書いてくれたんだ。私はそれで異世界を探しだした。ミカリンちゃんのコードはすごいんだけど、ミスもいろいろあってね。修正が大変だったよ。もう直したけど一時的にセキュリティもおかしくなっちゃったしね。ミカリンちゃんのおかげでこの世界が探し出せたんだ。ラフィアス・オンラインを動かすのに私もヘトヘトだったんだ。ありがとう」
「どういたしましてー。ミネちゃんがんばってたもんね」
吉野川が明るく答える。
「気楽だな……」
異世界を探すコードを書くなんてどんな天才だ、と考えながら訝しげに俺は呟く。
「とりあえずそこにログインするのは安全だと言えるのでしょうか?」
紋別が発言した。
この発言と同じ質問を俺がミネルヴァに質問した。
「もちろん! こちらの世界の体の安全は保証するよ! でもあちらの世界での体験は別だよ。剣で切られたら痛いよ! 辛い思いもするかもよ。でも全部夢だけどね」
「なんかすげー楽しそう。俺すげー行ってみたくなった」
開発メンバーの一人である藤沢信生が言う。
「俺も少し行きてーな」「私も行ってみたい」「ちょっと興味ある」皆が口々に発言しだす。
みんなの声を無視したつもりではないが俺はミネルヴァへの質問を続ける。
「向こうの世界での人間の実力とかモンスターの強さとかっていうのはどうなってるんだ?」
「それ聞いちゃう? 聞いちゃうとつまんなくなっちゃうよ。ほんとに聞いちゃう?」
う、と俺は返答に困った。確かに何もわからないままあっちの世界に行った俺はあの世界を楽しんでいた。答えを聞いてしまったパズルやクイズ、犯人のわかってしまった推理小説には何の面白みもない。
「まあいつでも聞けるしな」
「そうだよ♪」
ミネルヴァが一段明るい声で返答した。
――俺はこの後もいくつかの質問をミネルヴァにして、開発室のメンバーに実際に異世界に行ってみるかと尋ねてみた。誰ひとりとして行きたくないというメンバーはいなかった。いやむしろ皆が率先して行きたがった。
メンバーは皆まるで新しいビデオゲームを与えられたかのように浮かれた気分だった。あとはゲーム内時間の設定、現実時間30分に対して6日のままか60年に設定するか、自身のレベルや持ち物はどうするか、全員が一緒にログインして行動するか、別々に行動するか、時間はずらすか同期するかなど完全にログインすることを前提に話し合っていた。
――――
これは俺があとから回想したことだ。この時、これから現実体験では決して体験することのできないあんな事を経験すると知っていたらログインしたのだろうか。みんなをログインさせただろうか。
これから楽しい事しか待っていないとあまりに気楽に考えていた。それは他のメンバーも同様であった。この時は異世界への期待から向こうの世界であんな事が起こってしまうなどという考えは完全に抜け落ちていた。




