8・卒業
「長い間、大変お世話になりました」
「お世話になりました」
椅子に座る学園長と、その隣に立つグレイシアの前で、二人の少年少女が大きく頭を下げた。
「うむ、優秀な君たちが、我が学園の紋章を持たずに旅立つ事は、大変遺憾ではあるが、若者の門出は祝うべきものじゃ。この場で学んだ事を生かし、これから進む新しい道への一助として欲しい」
昨日の宴から明けた朝、フイセとリリエラは学園長室で、学園長からの卒業の訓示を受けていた。
才能を見込まれた学園生が、何処かのギルドからの引き抜きや、他の冒険者からの勧誘を受けて中退する事は、さして珍しい事ではない。
上位のクラスであれば、即戦力として申し分のない実力を約束されているし、下位のクラスでも、長く学園に居るならば、一通りの基礎を学んでいるので、一から教育する手間が省けるからだ。
「フイセ君に関しては、本当に申し訳なく思っておる。これだけの時間を掛けながら、同胞の情報はあれど、君の世界の情報は欠片すら見付ける事が出来んかった――すまん」
「仕方ありません。学園長の情報網で手に入らない情報なら、きっと僕一人が探した所で、見付けられなかったでしょうから」
「ありがとう。リリエラ君も、君の兄を見習い……ようがないかの。まぁ、君が同年代の中で秀でておる事は間違いないのじゃ。これからも研鑽を怠らず、兄や母に追い付けるよう、頑張っておくれ」
「はいっ、頑張ります!」
「ふむ、長ったらしい話をしても、若者には退屈じゃろうから、こんなもんかの――お主たちの行く末に、幸多からん事を」
「「はいっ!」」
学園長の締め括りに大きく返事をして、今度は自分たちの母親へと向き直る二人。
「行って来ます。お母さん」
「あぁ、無茶はするなよ」
「お母さん。えと……」
「気が済めば、何時でも帰って来い。馬鹿息子を頼む」
「……うん、行って来ます」
他人から見れば、少々呆気ない別れの言葉を交わし、二人は再び大きく頭を下げて学園長室を後にした。
「チンカラホイッ」
魔法技能――小精召喚「ペッコ・ランタン」――
二人を見送った後、学園長は軽く指を振って短縮呪文を唱え、手の平サイズのカボチャの妖精を生み出す。
「資料室のラハ君に伝達じゃ。「フイセ・セルヴィス君に関する、学園の全記録を抹消しておくれ」――以上じゃ」
「ホーイ」
報酬として、飴玉を一つ受け取った小妖精は、ふよふよと壁をすり抜けて、目的地の場所へと飛んでいった。
「すまんの」
「あいつ自身が望み、納得している事だ。今更私から言う事は何も無い」
学園長の謝罪に、グレイシアは事も無げに答える。
彼が旅に出る際、自分の存在を残す事で、学園と母親に掛かる迷惑を考え、卒業後は家名を捨てる事と、学園に存在する自分の記録を消して貰うよう、グレイシアと学園長に相談していた。
そうする事で学園側とグレイシアは、もし彼の事を尋ねられたとしても、知らぬ存ぜぬで通せる。
これから彼は、セルヴィスの家名も捨て、ただの「フイセ」として旅立ったのだ。
当然、関わった人の記憶には残っているので、調査をすればあっさりと露見する程度の、簡単な偽装に過ぎない。
この事は、彼の妹には知らされていない。彼女が秘密を知り、旅に同行した事で、既にこの案は半分以上破綻しているのだが、彼は少しでも誤魔化せるならそれで良いと、首を縦に振っていた。
「これから寂しくなるのぉ」
「肩の荷が下りただけだ――仕事に戻る」
学園長の言葉に、何時も通りの鉄面皮で答えると、グレイシアは学園長を一瞥してから部屋を後にした。
「ほいほい」
子供たちの旅立ちに立会いながら、余りにも表面上の変化が乏しい女教師に苦笑しながら、片手をひらひらと振ってその退室を見送る学園長。
「老人は語らず、ただ見送るのみ、か……」
全員が部屋から居なくなり、一人になった学園長は、小さくそう呟いて物思いに耽る。
フイセを始め、この世界に来訪した異邦者たちの行動が、これから様々な波紋を呼ぶだろう事は、想像に難くない。
大人と言える年齢ではないが、さりとてその行動を縛る、「子供」という枷はない。彼らが本格的に動き始めるには、絶好の時期だ。
彼らが持つ武力と知識が、一体如何なる結果を齎すのか――未来を見通せぬ者には、些か荷が重い難題だろう。
あの少年が掴むのは、果たして破滅か、栄光か――それとも――
「……ワシも仕事に戻るとするかの」
考えても仕方のない思考を放棄し、学園長は右手を掲げて虚空から判子を生み出すと、山積みになった書類の最初の一枚に、その絵面を押し付けた。
◇
「リラ!」
「エリー……」
学園長室を後にした二人を呼び止めたのは、昨日の森の一件でリリエラと共に居た、緑髪の少女だった。その後ろには、彼女と妹の友人と思われる、何人かの女生徒が見える。
服装はあの時のものではなく、半袖のシャツにスカートという私服姿の出で立ちで此方を、正確にはリリエラを見つめていた。
勇気を振り絞ったのだろう。組まれた両手は小さく振るえ、その顔は今にも泣き出しそうな表情をしている。
「行っておいで」
「――うん」
兄に促され、リリエラは大きく頷くと、少女たちの下へと駆けて行った。
「おい、フイセ!」
遠くから、彼女たちの様子を眺めていたフイセに、今度は銀髪の少年が声を掛けてきた。
「ルーエン?」
「お前、学園を出てくって話、本当なのかよ?」
何処で手に入れたのか、昨日決まったばかりの情報を尋ねてくるルーエン。隠す必要もない事なので、素直に頷いておく。
「うん。昨日の騒動でリラを助けてくれた人が、一緒に旅をしないかって、誘ってくれてね」
「あー、くそっ。結局お前には勝てず仕舞いかよ」
フイセの肯定に、彼は何時もの癖であろう自らの髪を掻く動作と共に、小さく悪態を吐いた。
以前学園内で、フイセが一度だけ実力の一端を示した場面で、その相手となったのが彼だった。
周りからやや孤立し、他人に合わせるでもなく淡々と「一人」で訓練を続けるフイセに、からかい半分で声を掛けた彼は、その飄々とした態度に苛立ち、その場の勢いから拳を振るってしまう。
それをあっさりとかわされ、完全に頭に血が上った彼は、今度は本気になってフイセへと攻撃を仕掛けた。
だがしかし、彼の繰り出したそれらの全ては、灰髪の少年に一度として当たる事はなかった。
長くはない時間であったが、教師が静止するまでの間、受け止める事もせず避けきったフイセの評価は上がり、攻撃を仕掛けながら、その悉くを外されたルーエンは、彼を一方的にライバル視し始め、何かと声を掛けてくるようになったのだ。
一方的に仕掛けた事を反省し、強引な手段こそ取らないものの、彼は事ある毎にフイセとの勝負にこだわった。
本当の実力を見せる訳にもいかず、悪いと思いながらもフイセはその誘いを断り続け、結局何の決着も付けないままに、今二人は道を分かとうとしていた。
「覚えとけよ。今度会ったら、そん時は必ず俺が勝つからな」
「うん。楽しみにしてるよ」
その時は、隠す事無く全力で相手をする事を心の中で決め、フイセは笑顔で首肯する。
「ちっ、最後まで余裕ぶりやがって。じゃあな」
その笑顔に対し、不満げに口を尖らせながら、学園で一番の付き合いをしていた友人は、背を向けながら片手を振って、その場を去って行った。
「お兄ちゃん」
そんな彼を見送っていると、何時の間にか隣に居た妹が、袖を引きながら此方を覗き込んでいた。
「ちゃんとお別れは出来た?」
「うん。「次に会う時は、今度は私が守ってあげる」って、約束してくれたの」
「そう、良かったね」
「うん」
少し目元が赤くなっている、彼女の頭を優しく撫でるフイセ。リリエラは目を細めながら、されるがままにその行為を受け入れた。
しばらくそういていた後、妹の頭から手を離した彼は、今度はその手を取って歩き出す。
「ジャオが待ってる。行こうか」
「うん!」
二人はその手を硬く繋いだまま、互いに笑顔で学び舎を後にした。
◇
「ぬっふっふっ、良く来たな勇者たちよ! さぁいざ行かん、輝かしき旅立ちの一歩へ!」
「どうしたの? そのノリ」
何故かフイセたちの家の前で、仁王立ちで待ち構えていたジャオメイの台詞に、呆れ声で疑問を口にするフイセ。
「ノリが悪いぞ、フイセ君! でも、ちょいと小腹が空いて来たね。何か食べてから行く?」
「変わり身が早過ぎるよ……」
「私もちょっとお腹空いたかも」
「よし、まずは腹拵えだ。個人的にはお肉希望!」
「はいはい」
出発前に、この家ではとりあえず最後となる食事をする為に、家に入る面々。
「確か、鶏肉とシャオ蟹の身の残りが有ったから、それを入れたチャーハンでも作るよ。リラもジャオと待ってて」
そう言って、キッチンへと消えていったフイセを見送った後、リリエラは兄の口から出た、聞き慣れない単語に首を傾げた。
「チャーハン?」
「おろ? 妹ちゃん、チャーハン知らないの?」
「うん。ジャオさんは知ってるんだ?」
「そうそう、アタシらが前に居た世界のお手軽料理だよ。アタシは作れないけど。フイセ君ってば料理出来るのに、向こうの料理って作らなかったんだねぇ……何で?」
「私に隠してたから、なのかな」
「徹底してんなー。でも、秘密解禁されてるから、これからはアタシらの知識とか、全開放するつもりなのかなかーな? ま、アタシは隠す気ないから一緒だけど」
「あははっ」
しばらく料理が出来るまで、二人はそんな益もない会話をして、親睦を深める。
「おまたせ」
「うっす! おぉ、流石フイセ君。ちょっとドジっ子料理期待してたけど、普通に旨そうじゃん」
「これがチャーハン? 良い匂いだね」
鶏肉と蟹、そして数種の野菜が細切れにされて混ぜ合わさった、半球状の米のドームから、食欲をそそる香ばしい香りが鼻をくすぐる。
三つの大皿の上に盛られた、異世界の料理を見て、思い思いの感想を述べる二人。
「お母さんには、何度か向こうの世界の料理を試食して貰ったてたんだけど、リラに食べさせるのはこれが初めてだね」
「何それ、ずるいずるい! お母さんばっかりずるい!」
「ごめんごめん。これからは、ちょっとずつリラにも教えていくつもりだから、それで許して」
「むー」
「……兄妹漫才の途中で申し訳ないけども、もう食べちゃっても良いかな? さっきからアタシのお腹の獣が、吠えっぱなしなんだけど」
和やかな兄妹の掛け合いを、恨めしそうに見つめるジャオメイに、フイセは苦笑しながら、手を前に出して許可を示した。
「どうぞ、召し上がれ」
「「いただきます!」」
見事な唱和の後、掻き込むようにスプーンを動かす二人を微笑ましく見ながら、自分の作った料理を口に運ぶフイセ。
「はぐはぐ……旨! 何これ旨! フイセ君って料理人!?」
「お母さんが、家事が一切出来なくてね。後からリラが手伝ってくれるようになったけど、家の家事は基本僕がしてたんだ。まぁ、理由はそれだけじゃないけど」
「ママさん……」
「でも、ほんとに美味しいよコレ。お母さん、こんなのたくさん食べてたんだ……やっぱりずるい」
「向こうとは食材が色々違ったりするから、失敗料理も一杯あったんだけどね」
「いやぁ、これから一緒に旅をする仲間になって、正直これが一番の収穫な気がするね」
「はは、ありがとう」
つい先日出会ったばかりのジャオメイだが、その気安い性格は、あっさりと二人から他人の垣根を取り払っていた。
まるで旧知の間柄のように、違和感なく団欒を囲む三人。
「食べ終わったら出発しよっか。といっても、妹ちゃんのレベル上げ目的もあるから、しばらくはこの街に滞在するだろうけど」
「それなんだけど、リラさえ良ければ、ある程度簡単にレベルを上げる方法があるんだ。オークキングも倒すなら、多分今日一日で中位職まで上がれると思う」
「マジで!?」
「ちょっとずるい方法だし、急なレベルアップは身体に違和感を覚えるだろうから、あんまりやりたくないんだけどね……」
「妹ちゃんどうする? 普通にレベル上げしたかったら、アタシら付き合うよ?」
視線を向けられ、リリエラは少し考えた後、首を横に振った。
「ううん。お兄ちゃんの言ってる方法で良いよ。私だけの為に、二人に迷惑掛けられないから」
「リラ、僕たちはもう仲間なんだ。目的も急ぐものじゃないんだし、リラのしたい方で良いんだよ?」
「そうそう、別に迷惑とかでもないしね」
「じゃあやっぱり、お兄ちゃんの方法が良い」
二人の提案にも、彼女は意見を変える事はない。
「私も、早く三人で色んな所に行ってみたいって思うもん」
「そっか、じゃあその方法でいこう。今から行っても、多分夕方ぐらいまでには、最奥の泉に辿り着けるよ」
「うっしゃー! ほんじゃ、出発進行ー!」
「はーい!」
「まずは食べ終わって、食器を片付けてからね」
「「はーい……」」
出発の音頭に、フイセからの突っ込みという、何とも締まらない始まり方で、三人の冒険はようやくの幕を開けた。