7・会合―後
さして長くもない人生を生きて来た中で、私は多くの事を間違えてきた。
一体何時間違えたのかと自問すれば、私の答えは変わらず、「最初から」だった。
私はきっと、生まれる場所を間違えた――
◇
小国の貴族の長女として生まれながら、物心付いた時には、私は既に戦いに魅了されていた。
剣を振り、馬を駆り、敵を打ち倒す。書庫の英雄譚を読み耽りながら、私はそんな世界に身を置く事に夢を馳せる。
妹らが歌やダンスを習っている時、私は護衛を相手に剣を振るっていたし、彼女らが白馬の王子を懸想する頃、私はまだ見ぬ凶悪な魔物との戦いに、胸を躍らせていた。
平穏な家庭の中に有りながら、明らかな異端。次第に両親から疎まれ、妹たちから恐れられ、使用人にすら距離を置かれるようになるのに、然したる時間は必要ではなかった。
親の愛に背き、家での居場所を失いながら、私はそれでも剣を振るう事を辞めなかった。私の何がそれを駆り立てるのか解らないままに、ただ壊れたゼンマイ人形のように、或いは狂った病子のように、私は「私」で有り続けた。
両親が、そんな私に痺れを切らし、どこぞから私の婚約者を連れて来た時、私は自らの意思で運命を踏み外した。
婚約話を、言葉通りそいつごと踏み倒して家を飛び出し、傭兵ギルドへと転がり込んだのだ。私の住む街にあった、そのギルドの支部長と懇意にしていた事が幸いし、彼の協力の下で名前を変え、国境を越えた先で、私の想いはあっさりと成就した。
このまま何不自由のない暮らしに没すよりも、家族の縁すらも切捨て、明日もしれない血に塗れた馬鹿げた道を、私は願い、選択した。
生まれを間違い、夢を間違い、暮らし方を間違えた私は、ついに人生を間違えた――
それからの日々は、私にとって正に夢にまで見た毎日だった。
数多の魔物を切り伏せ、悪党どもの根城を潰し、時には人間同士や多種族間の戦争にさえ介入する。
その中には、数多くの失敗や間違いと共に、それ以上の成功と勝利が、時と共に刻まれていった。
戦う事が楽しかった。ただ無心で剣を振るい、相手の屍を見て勝利を実感する瞬間が、堪らなく愛おしかった。
しかしそれは同時に、最も荒れていた時期でもあった。
自ら望んだ死山血河を歩き、戦闘という麻薬に溺れ、神経をすり減らす日常。
戦場で指示を間違い、仲間を死なせた悔いを紛らわすと同時に、何時までも冷めぬ闘争の興奮を鎮める為に、私は様々な大人たちの「遊び」にも手を出した。
その結果が私の娘、リリエラだ。性質の悪い男娼にでも当たっていたのか、父親も知れぬ子が胎に出来て初めて、私は立ち止まる事が出来た。
娘には本当の事は教えていない。簡単に聞かせられる内容ではないし、何より情けない事だが、良き母として見栄を張りたかった。
この、自分の犯した人生最大の間違いだけは、誰にも告げる事無く、墓まで持って行くつもりだ。
絶望よりも先に、自分への嘲笑が口に出た。
お前は一体、何がしたいんだ、と。
結局、胎の子に罪はないと引退を決意し、再び仲間たちの制止を踏み倒してギルドを抜けた私は、一先ずの旅収めにと、目的地も決めずにふらふらと渡り歩いた。
そんな当て所ない旅の最後に、私は懇々と沸き立つ魔脈の一角で、奇妙な拾い物をする。
青々とした緑の大地に投げ出されながら、泣きもせずただじっと虚空を見続ける、異質な赤子だった。
あのような異様な場所に赤子が居る事は、実はあまり不思議ではない。
私のように、望まぬ事故で孕んだ子であったり、育てれば厄を招きかねない、妾の子などを産み落とす際、流れの魔道士に金を積み、移動系の魔法をわざと暴走させて証拠隠滅を図る、「辻捨て子」という外法を行う事は、今でも珍しくないのだ。
とはいえ、大半の赤子は暴走した魔力に当てられ絶命し、よしんばそれで生き残ったとしても、何処とも知れぬ場所で魔物や獣の餌となるのが精々だ。
私も、恐らくそうであろう死体や骨を何度か見かけた事はあったが、まだ生きている捨て子を見たのは、あれが初めてだった。
これも何かの縁かと気紛れに拾った子供が、まさかあんな化け物だとは、当時の私は思いもしなかったが――
◇
「――だめぇっ!!」
「うわぁ!?」
「リ、リラ?」
ジャオメイと名乗った紅髪の少女からの提案の後、その場の誰かが口を開くより早く、二階から話を盗み聞きしていた娘が乱入して来た事で、事態は混乱の一途を辿った。
一度に様々な事が起こった後で、少々錯乱しているのだろう。自分を捨てるのか、と別れ話を切り出された恋人のように泣き喚く娘と、訳もわからずにそれをあやす息子。
その様子を面白がって囃し立てる、紅髪の少女たちの三人が、目の前で家具を壊しかねない勢いで騒いでいる。
元々、傭兵などという荒くれ家業をしていた身だ。騒音には慣れている。
だが、だからといって許容するかどうかは別問題である。
「アイタタタ……ママさん、力強過ぎない?」
とりあえず、何時までも馬鹿騒ぎを続ける三人に、等しく鉄拳を振り下ろして場を収拾させた後、結局泣き疲れて寝てしまった娘を、息子と間に挟む形で座らせ、今度は四人で机を囲む。
「あぁ、お母さんのレベルも百だよ。学園の中に外部秘の結界があってね、学園長に頼んでお母さんとの鍛錬に使ってるんだ。まぁ、レベルがカンストしたのは二年位前だけど」
「何それ怖い」
息子の回答に、失礼な視線を向けて来る小娘。
息子の事情を聞き、確認としてこいつの実力を見たのは、三歳辺りだっただろうか。
全力を出して幼子に負けるという、類を見ない貴重な体験をした私は、情報を集める交換条件の一つとして、自分を鍛える事を約束させた。
我ながら度し難い女だと思う。これ以上強くなれると解った途端、三歳児に教えを縋る母親など、世界を巡っても私ぐらいのものだろう。
ついでに言えば、例え如何なる事情があろうと、息子に負ける母など許せないという、下らない意地も多分にあった。
お陰で今では、お互いの手を知り尽くしているとはいえ、十戦すれば七勝は固い勝率を上げる事が出来るので、母の威厳は十分に保たれていると言えるだろう。
「でも……妹ちゃんも大変だねぇ。お兄ちゃんさいてー」
「僕だけ事情がさっぱり解らないんだけど……」
「阿呆」
困り顔でこちらを見てくる朴念仁な息子に、嘆息と共に何時もの台詞が口を出た。
強過ぎる弊害からか、こいつは未だに元の世界の甘さが抜け切れていない。その一つが、娘への甘やかしだ。
本来ならば、身を持って覚えるべき武器の選択や魔物の情報など、自分の持つ知識を惜しげもなく助言し、酷い時はオーブの成長配分にさえ口を挟むほどだ。
優しさは美徳というが、何物も過ぎれば毒となる。こいつは、妹に毒を与え過ぎたのだ。
まぁ、娘がこうなってしまった原因は、私にも少なからず責任がある。
息子の注いで来た紅茶を一口含み、二人にも解るように説明を始める。
「リラが生まれたのは、この街に来てからしばらく経ってだ。私も、成れない教職の仕事に四苦八苦していてな――挙句に引退したギルド時代の名声を聞きつけ、街長や総合ギルドから仕事の依頼が舞い込む始末だ。娘の世話を、半ばこいつに一任してしまった」
「あー、なんか落ちが読めた」
「こいつなりに、愛情を注いだつもりなのだろうがな。その頃はこいつも、元の世界への帰還に躍起になっていた時期だ。何時も優しく接する癖に、別の世界を夢想するこいつのさまを見せ続けられ、幼いながらに不安を溜め込んだせいだろう。リラはこいつが自分の前から居なくなる事を、何より怖がるようになってな」
「お兄ちゃんさいてー」
「……それは、反論出来ないね」
ようやく自分の犯した罪を理解したのか、沈痛な面持ちで首を垂れる馬鹿息子。
いずれ時機を見て、徐々に矯正していこうかと考えていたが、見込みが甘過ぎた。こんな事なら、早々に引き離しておくべきだったと、自分の新たな間違いを反省する。
「丁度いい、どの道二人とも理由は違うが、一度旅には出す予定だったんだ。一緒に出れば、手間も省ける」
こいつは元より、リラにも折りを見て見聞の旅に出すつもりだった。こいつの秘密を知った今ならば、レベル百が二人居るという安全面でも利が出る。
「良いの? そんなに簡単に決めて」
「問題はない」
こいつもこの小娘も、存在自体が厄種だ。
エイドオーブを研究している学者どもや、オーブからの恩恵を、神の祝福として崇めるエルダー教の連中からすれば、最初から最大の効果を発揮しているオーブを所持する者など、正に垂涎の獲物だろう。
学園を仕切る学園長も、あわよくば息子を自陣に取り込めないものかと、あれこれと画策をしている事を知っている。
世界を渡って現れた、こいつらの圧倒的能力は、それを狙った多くのものを引き寄せる。
獲物を得るには、弱点を突くのが常道だ。私はともかく、娘はまだ駆け出しの域を出ない実力しか持っていない。
私ならば、迷いなく娘を餌として狙うだろう。私の娘は、息子の最大の弱点と成り得る。
だからこそ、二人は離すより傍に置いていた方が、鍛えるだけの時間を稼ぐ意味でも益が多い。
甘やかし癖の付いたこいつに、大事な娘を任せるのは、かなりの不満と不安があるが、私にもしがらみが出来てしまった以上、今はこれが最善だと、自分自身に言い聞かせて納得させる。
「あのー、何か提案者のアタシが置いてけぼりなんですけどー」
「家の稼ぎ頭を引き抜くんだ。これ位の足手纏いは請け負え」
「ママさんの、妹ちゃんの扱いがひでーですよ、フイセ君」
「お母さん、不器用だから……あぐっ」
余計な事を喋る息子に、再び拳を振り下ろす。
「ふんっ」
自らの子たちの、未来を案じない親など居るものか。
◇
夜も更け、ようやく目を覚ました娘は、顔を真っ赤に染めながら謝罪を繰り返し、面倒になった私が、何時かのように額を弾いて黙らせる。
弾かれた部位を押さえて蹲る娘に、まとまった話を聞かせてやると、今度は現金にも嬉しさからの涙を流して喜んだ。
今日は随分と、娘の泣き顔を見る日だ。息子の涙など、過去の記憶と今の家族に苦しむ奴を、遠慮無用で殴り飛ばした時に見たきりだというのに。
「では改めて、「プレイヤーとその妹ちゃん、パーティー結成記念パーティー」を始めたいと思いまーす! カンパーイ!」
「かんぱーい!」
「乾杯」
「……乾杯」
小娘が音頭を取り、ささやかな宴が幕を開ける。
全て息子が用意した、何時もより少し豪華な夕食に、残りのリシャールを使い切ったデザートのケーキもキッチンに残し、思い思いに料理を摘む。
「そう言えば、ジャオの旅の目的って何なの?」
「うーん……とりあえず今の所は、ゲーム時代の名所巡りかなぁ。森の探索クエ受けた理由も、中央の泉を見る為だし」
「へぇ」
「だって憧れない? 二次元のグラフィックだったあの色んな景色が、現実として生で見れるんだよ? エクリエントの透き通る大海原も、タイ・レンの「楼龍山脈」の頂上から見たあの絶景も、全部ぜんぶ――そりゃあ見るっきゃないっしょう!」
「いいね。ついでに各地の名産品とか食べて、この世界の観光旅行にしようか」
「フイセ君、解ってるね~」
「え? えぇ?? そ、そんなので良いの?」
他人から見れば、実にありきたりともいえるだろう旅の目的に、驚きを表す娘。
「大層な目的は必要ない。そもそも、こいつら二人は実力的にいって、暇を持て余しているだけだからな。後で目的が出来たのならば、それをすれば良い」
娘の目的も、結局は見聞などという曖昧なものだ。大きな目的も悪くはないが、こいつらの場合、それを成せるだけの実力が既にあるだけ、厄介極まりない。
そういった意味でも、限界者が二人揃う事に少し危機感を感じるが、この二人ならば特に問題はないだろう。
もし、万が一こいつらが人の道を違えたならば、私が責任を持って切り捨てるだけだ。
息子から事情を聞き、巻き込まれる事を了承した時点で、その覚悟はとうに終えている。
「最初の目的地は、ジャオの行き損ねた「ホロロの泉」にしようか。あの森なら、リラのレベル上げにもなって一石二鳥だし」
「私の? えと、良いの?」
「ジャオはどう?」
「おけーいだよー。じゃあついでに、オークキングもいっとく?――ふふっ、いいねいいね、何だかわくわくしてきたっ。こっちの人とも何度かパーティー組んだ事あるけど、やっぱお互い事情が解ってると、遠慮が要らないからもっと楽しいよね!」
和気藹々と語られる、旅立ちに夢を膨らませる三人の会話に、傍で聞いている私自身、らしくもなく気分が高揚しているのが解る。
「ふっ」
小さいながらも騒がしい、二人の旅立ちを祝う宴の中で、私は小さく鼻を鳴らして杯を傾けた。
◇
私は、沢山のものを間違えてきた――
だが間違えた先が、不幸であるとは限らない。