5・出会い
「お、にい……ちゃん……?」
まさかゲーム中で二番目に良く使っていた、黒龍の弁髪で編み込まれたこの黒装束をしていながら、一目でばれるとは思いもしなかった。
思わず目を見開いてしまった事で、完全に確信を持たれてしまい、どうしたものかと思考を巡らせるフイセ。
「……」
「……」
しばらく考えた後、結局口に出そうとしたのは、「大丈夫だった?」という酷く無難な、誤魔化しに近いものだった。
しかし、彼が口を開きかけたその時、背後から何者かが攻撃を仕掛けてきた事で、結局その言葉も口に出せずに終わってしまう。
「でぇい!」
「……っ!」
腹を打ち据えるように迫るそれを左の黒剣で受け止め、反対方向に飛ぶ事で威力を殺すと同時に相手との距離を稼ぐ。
妹の言葉に激しく動揺していたものの、例によって索敵技能の恩恵により、背後に誰かの気配がある事は解っていた。
だが、それがいきなり襲い掛かってくるとは、これもまた想定外だ。
「今のを防ぐなんて……アンタ、良い腕してるね」
好戦的な笑みと共にそこに居たのは、血で染め上げたような美しい紅髪をした、一人の少女だった。
フイセが見上げなければならないほどの長身のわりに、口元から八重歯の覗くその顔はどこか幼く、併せて見れば彼と年が近く思える。
真紅の瞳。髪は後頭部で団子状に纏められ、足に大きくスリットの開いた、蓮の花と龍の刺繍が施された衣装は、東の大国タイ・レンの伝統的なもの。
そしてその両手には、両端まで異国語の一文が刻まれた、長柄の棍が構えられていた。
「オークたちを追っかけて来てみたら、なんて美味しいシチュエーション! ピンチの女の子を助ける為に、颯爽と訪れるアタシ――アタシ今、超輝いてる!」
「?」
「お嬢ちゃんたち、アタシが来たからにはもう大丈夫だよ!」
「え? えぇ?」
何故だかかなり舞い上がっているようで、一気に捲くし立ててリリエラに笑顔を向ける少女に、言われた当の本人は混乱の極みに陥っている。
彼女が何か酷く勘違いをしている事は解るのだが、その誤解を解く術がない状況だった。
圧倒的不審者のフイセが、何を言ったところで聞き入れはしないだろうし、リリエラに止めて貰うよう今から頼んだとしても、「言わせた」と思われるのが精々だ。
とりあえず、この紅髪の少女が落ち着くまで適当に相手をしようと考えたフイセは、自分の考えが全くの下策である事を知る。
「はぁっ!」
最初の一撃は、余程手加減されていたらしい。気合と共に放たれた彼女の突きは、自分の母のそれと、見紛うばかりの豪速で打ち出されてきたのだ。
「っ!?」
自分の油断を心の中で叱責しながら、なんとか右手の剣で軌道を逸らすフイセ。
「やるね、まだまだぁ!」
攻撃を退けられた事に気を良くしたのか、赤髪の少女は獰猛な笑みを深め、更なる連撃を繰り出した。
打ち下ろし、逆袈裟、旋回、横薙ぎ――一振り毎に速さを増していく、怒涛の勢いを持って振るわれる暴風を、フイセは両手の双剣で受け、逸らし、捌く。
その傍で、自分には軌跡を追う事さえ難しくなっていくその攻防を、リリエラはただ呆然と見ている事しか出来ない。
「せいやぁ!」
「ふっ」
下から振り上げられた棍を、双剣を交差させる形で受け止め、その勢いを利用して大きく後ろへと跳躍し、再び距離を離して着地するフイセ。
「ちょっち強過ぎっしょう、アンタ」
仕切り直しとなった状況で、赤髪の少女は片手で器用に棍を回転させながらそう呟いた。
その顔は既に笑みではなく、少し苦味が入り混じったものとなっている。
「こりゃ、結構本気でやらなきゃやばいみたいだね」
防戦一方ながら、自分の攻撃を悉く流された事で、警戒心を最大まで引き上げさせてしまったらしい。
回転を止めて構え直した少女は、今までとは明らかに雰囲気を一変させ、周囲の空気に重みが生まれたかのような、重厚な戦意を発し始める。
それを迎え撃つべく、黒衣の少年も両手の黒剣を静かに構えた。彼もまた、この奇妙な闖入者に対し、強い疑念を浮かべていた。
彼は今、間違いなくエイドオーブを装着している。詰まりはレベル百の状態だ。
だというのに、この少女は互いに手加減しているとはいえ、確実に此方の動きを捕らえ、あまつさえ押してきている。
それは、彼女の強さがフイセと同等か、それに迫るという事。
この世界では、レベル上げが命懸けである以上、高レベルの者はゲーム時代より遥かに少ない。
普通であれば、レベル二十で一人前、四十で一流、六十で超人――レベル八十以上となれば、フイセのような例外を除けば、それこそ世界中で三桁に満たない存在の筈だ。
「アンタ――一体何者なのさ!?」
「……」
恐らく、その場に居る三人が言いたいであろう台詞と共に、一身矢となって少女が突進する。
それに応じるように、フイセの双剣が左右から交錯し――
「お兄ちゃん!」
そこに、耐え切れなくなったリリエラの絶叫が響く。
「――はへ?」
「……」
両者の武器が噛み合った状態で、紅髪の少女はリリエラに顔を向け、間の抜けた声を上げた。
「お、お兄ちゃん?」
棍から片方の手を離し、目の前に居る黒尽くめを指差す少女に、こっくりと頷くリリエラ。
「え? はい? え、と……その、ひょっとして……アタシ、勘違い?」
「――だと思うよ」
距離を離し、挙動不審になった少女に向けて、此処にきてようやく口を開いたフイセは、武器を仕舞いながら呆れたように肩を竦め、口宛を取ってその素顔を示した。
真に悪人であるならば、この格好で顔を晒す事はまずしない、という意思表示だ。
「いやいやいやいや、全身黒尽くめの人間が、抜き身の剣持って女の子の傍に居たら、どう考えてもアウトでしょ。そう思うよね? ね!?」
「「……」」
少女の言い分は確かだが、ここで目を逸らしてしまえば此方に負い目が出来てしまう。二人は無言のまま、赤髪の少女を見つめ続ける。
「ほ、ほら、アタシ一応手加減してたし。そっちも本気じゃなかったんでしょ? ちょこっとこっちが悪いかなぁ、とか思わないでもないんだけど……ここは二人の寛大な心で一つ、収めて欲しいなぁなんて――」
「「……」」
「申し訳ありませんでしたぁ!」
二人からの目線に耐え切れず、少女は言い訳の途中でとうとう土下座を敢行した。
◇
「納得いかなーい……」
とりあえず謝罪の形として、紅髪の少女が気絶してしまった魔道士の少女を背負い、四人は街の方角へと足を進めていた。
「まぁ、正直さっきの格好は、誤解されても仕方ないと思うけどね」
不満げに口を尖らせる少女に、苦笑するフイセ。既に彼の格好は、普段通りの皮鎧と黒ズボンの姿に戻っている。
ゲームではなくなった為に、アイテムや装備などを管理するウィンドウが一切開けなくなり、ゲームで集めたアイテム類の全てを失ったフイセだったが、エイドオーブだけは実在するアイテムだったので、元はウィンドウ内のコマンドの一つだった「エイドオーブ」に関する項目だけは、此方の世界でも使用可能だった。
その中の一つが、先程の「短縮装備」だ。
ゲームでは、敵の性質やパーティー内での役割変更に応じて、装備を切り替える事が珍しくなかった。
「短縮装備」は、基本装備枠四つ(頭・鎧・武器・その他)を事前に設定しておき、必要に応じて素早く変更出来る便利なコマンドだ。
「短縮装備」で設定出来る枠は三枠なので、唯一この三セットの装備だけが、彼がゲームからこの世界へと持ち込めたものだった。
とはいえ、これにも不明な点が多い。確かに「短縮装備」を使えば一瞬で装着され、武器も問題なく振るう事が出来るのだが、装備を解除すると途端に粒子となって消滅し、再び元の格好へと戻るのだ。
この世界の装備は設定出来なかったり、そもそもその際、元々着ていた服や装備は何処に行っているのか等、謎は尽きない。
そんなフイセの横を歩くリリエラは、じっと俯いて無言のまま、それでも彼の服の裾を掴んで離そうとしなかった。
「お兄ちゃん……」
「解ってる。家に帰ったらちゃんと話すよ。お母さんと一緒の方が、リラも安心出来るだろうからね」
妹の言葉に、フイセは軽く彼女の頭を撫でながら、出来るだけ優しい声音で答えた。
こうなった以上、隠し事を続けても仕方が無い。自分の事情に巻き込んでしまう事を申し訳なく思いながら、その頭を撫で続ける。
「お母さんは……知ってるの?」
「うん」
「……るい」
「?」
「えーと……質問、良い?」
二人の会話がひと段落着いた所で、今度は紅髪の少女が声を掛けてきた。
「うん、何?」
「さっき戦ってて思ってたんだけど……君ってひょっとして、アタシと同じだったりする?」
流石にあれだけ規格外な戦闘だったのだ。彼女の問いは、殆ど確認の意味合いが強い。
「MMORPG「クイン・リブレ・オンライン」をプレイしてて、それと良く似たこの世界に来たプレイヤー、て意味だとすればそうだね」
「おぉー! アタシ旅をしてて初めて会ったよ。やっぱ他にも居るもんだねー」
フイセの答えに、少女はやや大げさな声と仕草で破顔一笑する。
フイセの方も、この世界で初めて会う事の出来た同胞に、少なくない感動を覚えていた。
「おっと、まずは自己紹介だね。おんにゃのこ背負ってて手が出せないから、握手とか出来ないけど、アタシはジャオメイ。ジャオって呼んでよ」
「フイセだよ、よろしく。この娘は義理の妹のリリエラ。僕は母さんに拾われた養子って事になるね」
「……よろしくお願いします」
兄に紹介され、何時もの元気はないものの、ジャオメイに向かって軽く頭を下げるリリエラ。
「養子って事は、アタシと同じでフイセ君も親無し子?」
「うん。その辺りも、家に帰ってからにしよう。お母さんと一緒の方が、手間が省けるし」
「何故にお母さん?」
「お母さんには、僕たちの事情を話してあるんだ。元の世界への帰還の方法や、この世界に来た僕たち以外のプレイヤーの情報も、探して貰ってる」
「ほへ~、良く話す気になったね」
「半分ぐらいはばれてたからね」
何しろ、意識が出来始めて最初に喋った言葉が、「誰?」だから救いがない。しかも聞き違いの可能性を潰すように、二言目は「ここは?」、三言目は「貴女は?」だ。
自分でなければ投げ捨てていた、という母親のからかい話を聞かされる度に、フイセは顔を赤くしていた。
「いいな~。アタシもそんな親に拾われたかったな~」
「そうだね、僕は相当恵まれてるって思うよ」
「う~ら~や~ま~すぃ~」
「あはは」
やはり同じ境遇だという関係が、お互いを気安くするのだろう。出会って間もないながら、二人は簡単に打ち解け合っていた。
◇
「無事だったか」
「お母さん!」
森を抜けて直ぐに、白金色の鎧に身を包んだグレイシアが、背後に十人程度の街の衛兵を連れてそこに居た。どうやら、今正に森へと足を踏み入れようとしている所だったらしい。
フイセの服から手を離し、胸元に飛び付いてくる娘を、しっかりと受け止める母。
「この人が、リラたちを助けてくれたんだ。リラの友達も気絶してるだけで、大きな怪我はないよ」
「ちょ、やめてよフイセ君」
相談もなしに、呼吸するように嘘の報告をするフイセに、慌てて声を上げるジャオメイ
誤解した挙句襲い掛かった負い目のある彼女には、フイセの説明は殊更にその恥ずかしさを増大させていた。
「そうか、娘たちを救ってくれてありがとう」
「う、うぅ……」
後ろの兵士たちも居る中で、上手く説明も出来ない彼女は、グレイシアからの礼に真っ赤になって俯いた。傍目には、お礼の言葉に照れているように見えるが、実際は自分の失態に悶えているだけである。
「森の奥からオーク族が出て来てたみたい。彼女が事情を知ってるみたいだから、とりあえず僕たちの家に案内したいんだけど」
「解った。まずは私が事情を聞こう。まだ他にも居るかもしれん、お前たちは三人一組でチームを組み、森の入り口付近を探索しろ――油断するなよ、散開!」
「「「はっ!」」」
事情を聞くなら、他にも適した場所は幾らでもある。フイセが敢て自分たちの家を指定したのは、他者には漏らせない内密の話しがしたいという、母への意思表示だ。
その意図を正確に読んだグレイシアは、連れて来た兵士たちに森の探索を命じて引き離すと、街に向かって踵を返す。
「面倒事か?」
「どうだろ……解んない」
抱き付いたまま離れようとしない娘をそのままにして歩きながら、背後のジャオメイに目配せをする母に、フイセは本心から首を傾げた。