2・臆病者
「依頼品の鑑定をお願いします。それと、こっちはギルドへの納品分です」
「どちらもお預かりさせて頂きますね――はい、問題ありません。納品分も合わせた報酬はこちらになります」
「ありがとうございます。次のクエストを受けたいので、承諾もお願いします」
「はい、かしこまりました。申請致しますので、しばらくお待ち下さい」
流れるような互いの動作は、幾度となく同じ行為を繰り返してきた事が窺える、阿吽の呼吸が成されていた。双方の行動は既に作業レベルにまで無駄がなく、昇華され尽くしている。
太陽が頭上に燦然と輝く真昼。王国都市の名に恥じぬ広さを誇るギルド会館の片隅で、朝からの一仕事を終えた皮鎧姿のフイセと、報告を受け取るギルドの受付嬢が、そんなやりとりを行っていた。
「よぉフイセ、お前ってまだ採取系の依頼ばっかり受けてるわけ?」
受付嬢が去った後、手持ち無沙汰に虚空を眺めていた灰髪の少年に、一人の少年が声を掛けてきた。
「こんにちは、ルーエン。君もクエストの帰り?」
「あぁ、何時も通りのゴブリン狩りだよ。アイツら幾ら狩っても湧き出てくるんだから……ゴキブリも真っ青だよな」
正にうんざりといった口調で、ルーエンと呼ばれた少年は肩を竦めながら、自分の銀髪を乱雑に掻いた。
ツンツンと尖った頭髪に釣り目気味の赤い瞳、背は平均的といえるフイセより頭二つ分ほど下で、鈍銀色の鎧と同色の脚甲を付け、両腰には青銅の鞘に入ったロングソードと、円盤状の盾を装着している。
当人も気にしている少々背丈の低い少年剣士は、ずかずかとフイセに近付くと、その胸を突きながら眉を寄せてその顔を見上げてきた。
「お前も俺と同じ剣技科なんだぜ? いい加減、討伐の一つでも受けろって」
「僕は僕らしく、だよ」
「俺が皆を説得するから、俺たちのパーティーに入れてやろうか?」
「ありがとう」
感謝の言葉でありながら、拒絶の答えでもあるフイセの返答に、ルーエンはますますまなじりを吊り上げる。
「お前なぁ……剣技科の生徒から影で何て呼ばれてるか、知らない訳じゃないだろう?」
「言わせておけばいいさ。別に僕は気にしないし」
「何でこんな奴が、あのグレイシア先生の息子なんだか……お前の妹だって、仲間と一緒にゴブ狩りしてるってのに」
「そうだね」
「はぁ……」
何時も通りの柳に風なやり取りに、額を押さえて天井を仰ぐルーエン。
そこに、一枚の書類を持った受付嬢が戻ってくる。
「おまたせ致しました、こちらが依頼書になります。お名前のご記入をお願いします」
「あ、すみません」
「――はい、結構です。それでは、お気を付けて」
「行ってきます――ルーエンも、また学園でね。ゴブリンだからって、油断しちゃダメだよ」
「お前にだけは言われたくねぇよ」
「ははっ、それじゃあね」
受付嬢の見送りに軽く挨拶を済ませ、ルーエンの態度にも飄々とした風体を崩す事無く、フイセはギルド会館を後にした。
「……ちょっとルー、ギルド内で揉め事はご法度よ?」
残された二人――その内の一人で、受付嬢のシェリンは、知己であるルーエンに言葉を崩しながら注意を促した。
「はいはい、分かってるよ。シェリンは随分とアイツに優しいのな」
「当然よ。彼、今の所依頼達成率九割近いのよ? 総合ギルド期待の若手なんだもの、そりゃあ優しくもするわよ」
「採取系ばっかりだろそれ。そんなの当たり前じゃないか」
「ふぅ……」
「なんだよ、そのムカつく溜息は」
「知らないって、罪よね……って」
「はぁ?」
哀れみさえ込めたシェリンの言葉に、ルーエンは心底分からないといった、間の抜けた疑問符を上げる事しか出来なかった。
ギルドが斡旋する仕事の中で、採取系の依頼は一般の人が思っているよりも遥かに難易度が高い。
依頼が常に出されているのは、受け手が少ないのも確かだが、依頼の受諾者が依頼を失敗する事が多い事もまた、大きな理由の一つなのだ。
目的の依頼品が常に同じ場所から延々と取れるわけも無く、同一のものを依頼数集める為には、周囲を観察しながら一帯をくまなく歩き回らなければならない。
時には道中で魔物に襲われる事もあるだろう。逃げるにせよ迎え撃つにせよ、その苦労は依頼料には一切還元されることは無い。
取り過ぎてしまえば当然数は減少し、次回の達成はよりに困難となる。更にはそれが依頼品として十分な質に成長や発生をするまで、その困難は継続するのだ。
それを踏まえれば、採取系とはいえ依頼を殆ど失敗することなく達成し続けているあの灰髪の少年は、確かに期待の新人と言えるだけの実力を持っているという結論になる。
しかし、こうした話をしたとしても、魔物の討伐や未開地の踏破に重きを置く冒険者たちには、いまいち理解されないだろう事を彼女は経験から知っていた。
「一度、ルーも採取系の依頼を幾つか受けてみると良いわ。そしたら、彼の凄さが解るでしょうから」
「嫌だよ。そんな事言って、ギルドの備蓄を増やしたいだけだろ? 採取系何て、引き籠りの生産職か、魔法系の地味職連中にさせておけばいいんだよ。じゃあな」
「脳筋共め……べー、だ」
結局、無難に催促してみて案の定断られるという、大半の冒険者共通の反応を返され、シェリンはその背中に向かって可愛らしく舌を突き出した。
◇
木々からの木漏れ日が、やや薄暗く感じる程度の雑木林――ホロロの森の入り口にほど近い辺りをぶらぶらと歩く灰髪の少年、フイセ。
薄茶色のアンダーウェアと薄手の皮鎧、厚手の黒ズボンという、先程のルーエンからみれば随分な軽装だが、本人は気にしている様子もなかった。右腰に下げた鉈を時折軽く触れて弄びながら、散歩気分といった適当さで歩みを進めている。
反対側の手に持つ袋には、依頼品である薬草が幾つも入れられており、依頼達成は既に間近となっていた。
今更ではあるが、この世界は彼が此処に来る直前までプレイしていた、「クイン・リブレ・オンライン」に非常に酷似している。
このゲームには、自分の能力が自身ではなく、彼が装着している真鍮の篭手に填め込まれた薄紫色の宝玉、「エイドオーブ」と呼ばれる特殊なアイテムの成長によって増加するという、少々変り種の設定が存在していた。
「初期状態」のものに登録を行う事でレベル一から開始され、登録の際に初期職と呼ばれる職業の中から一つを選択し、その後経験値を溜めてレベルを上げていく。
初期職は「戦士」・「騎士」・「隠者」・「冒険者」・「魔道士」・「僧侶」・「精霊術士」・「従僕」の八つ。
レベル二十で中位職への「転職」が可能となり、同じくレベル六十で今度は上位職への「転職」が可能となる。
義母から聞いた話では、赤子となった彼を見付けた際、このオーブも一緒に彼の傍に置かれていたらしい。
どういう訳か、そのオーブにはゲームから此方に飛ばされる直前の状態がそのまま反映されており、ゲーム時に最高レベルまで鍛えていた彼は、生まれながらにしてこの世界で最高峰の能力を手に入れる事が出来ていた。
フイセのレベルは限界値の百であり、その職歴は以下の通り。
俊敏さ重視の軽装職である「隠者」、素早い速度と撹乱用の闇魔法を体得する「暗殺者」――二つの軽装職を経て、全上位職中最も高い俊敏性と、完璧なる隠蔽術を用いて敵の急所を強襲する「漆黒者」が現在の彼の職業だ。
彼が採取系の依頼しか受けない理由は、単純に彼が強過ぎるからだ。
義母であるグレイシアに自らの事を打ち明け、帰還の方法を探す助力を願った際、出された条件の一つが、自身の能力の隠匿だった。
娘を産む為に引退し、今は学園で教鞭を取っているとはいえ、五大ギルドの一角、傭兵ギルド「四剣双獣」の生ける伝説だったレベル七十台の「豪剣士」を圧倒する幼児など、化け物以外のなにものでもない。
己の強さを、「エイドオーブ」という外的要因に依存するこの世界では、生まれた時から強い人間など絶対に存在しないのだ。
ばれれば面倒事が舞い込んでくる事は確実だろうし、下手をすれば身内や知り合いにもその手が伸びかねない。
せめて成人してから二・三年ほど旅に出るなどして、皆が納得出切るだけの空白期間を作るまでは、この街に住む限り実力は偽る事、と母親から言い渡され、フイセはそれに同意した。
身体能力一つとっても、学園に通う生徒たちとは隔絶している彼は、手加減するにしても、加減を間違えればそこで正体がばれてしまう。わざわざそんな危険な橋を渡る必要も無いので、生徒たちから「臆病者」と揶揄されながら生活をしているのだった。
ちなみに、彼が何故学園に入学したかといえば、リリエラから「一緒に通いたい」とお願いされて即答した結果である。
「見付けた――これで依頼達成、っと」
発見した、膝丈半分程度の長さで生えているギザギザの葉をした草――依頼品であるクラージュ草を引き抜きながら、フイセは一人満足げに頷いた。この草は引き抜いてからの劣化が早く、調合等で加工しなければ一日足らずで使い物にならなくなる為、ギルドでも備蓄が出来ない代物だ。クラージュ草の採取依頼は、何処のギルドでも必ず掲げられている常備依頼の一つだった。当然、依頼料は極めて安い。
フイセの持つスキルの一つ、周囲を感知する受動技能『広域索敵』は、本来は文字通り周辺の敵や味方を感知する技能なのだが、ある程度まで技能レベルを上げると、アイテムや薬草類等の敵味方以外の情報も、知覚する事が可能となる。
この世界がまだゲームだった時、それはVRなどという最先端の上を行くものではなく、液晶に映る画面にキャラクターがいて、それを背後から俯瞰した視点で操作する、極普通のアクションRPGだった。
以前のそれは、画面端のミニマップに光点で場所を知らせてくれていたものだったのだが、世界が現実となった今では、「気配」としか言いようの無い謎の感覚を彼に伝えてくる不思議技能へと変貌を遂げてしまっている。
しかもたちが悪い事に、彼の選んだ職業ではこの技能のレベルを半分までしか育てる事が出来なかった為に、伝わって来る情報も「何となく、あの辺りから何かを感じる」といった酷く曖昧で漠然とした、奥歯に物が挟まったような微妙な感覚なのだった。
とはいえ、半端とはいえこの便利スキルを利用する事で、薬草などのアイテム類が自然に湧き出しする事がなくなってしまい、一箇所からの過剰な採取を気を付けなければならないものの、大半の冒険者よりは遥かに楽な作業で依頼を達成する事が出来ていた。
「何だか凄くズルしてる気がするけど……使わないのも変だしね」
誰に対する言い訳なのか、引き抜いた薬草を袋にしまいながら、フイセは罪悪感を誤魔化すように呟きを漏す。
僅か数刻も掛からず依頼を完了したフイセは、そのまま森の中を徘徊し、ギルドが買取を行っている指定素材などを軽く集めてから街へと帰還した。数年前から繰り返される、ただの流れ作業だ。
「依頼品の鑑定をお願いします。それと、こっちはギルドへの納品分です」
「どちらもお預かりさせて頂きますね――」
阿吽の呼吸も、生まれようというものだった。
◇
「ただいま」
片手に小さ目の袋を下げたフイセが部屋の扉を開けると、グレイシアが今朝方と同じように、テーブルでコーヒーを嗜んでいた。
「おかえり。珍しいな、今日は随分早いじゃないか」
「二つ目のクエストの後に、偶然出合ったロボス先生に学園の手伝いを頼まれちゃって。意外と時間が掛かっちゃったから、三つ目は諦めたんだ」
「そうか」
「はいこれ、ロボス先生がお礼にって」
「リシャールか――随分と高級な礼を寄越したな」
机に置いた袋に複数入っている品物を眺め、グレイシアは珍しげに目を細めた。
常に霜が張り付いた状態のこの果実は、周囲の熱を取り込み冷気として排出するという、非常に珍しい特性を持っている植物だ。果樹も同じ特性を持ち、リシャールが群生する地域では、常に熱が奪われ極寒の地が生まれるというほどである。
その特性上、収穫場所が限られる為に生産数が少なく、反面冷たさと甘さを伴った独特の味故に人気が高い。
前述の理由からやや値段が張るので、中流の家庭が特別な祝い事に奮発して買うような、贅沢品の一種だった。
「あ、お兄ちゃんおかえりー。もう帰って来たの? ってリシャールだー! なになに、お土産!?」
二階から降りて来たリリエラは、机のリシャールを見るなり階段を飛び降り、驚きと感動の表情で袋を覗き込む。
「ロボス先生のお手伝いをしたら、お礼に貰ったんだ。息子さんがエリンシアで果樹園をしてて、収穫の度に送ってくれるんだって」
「うおー! ね、ね、食べて良い!?」
「夕ご飯の後でね。それまでに少し暖めて、他の果物とクリームも混ぜてホットケーキにでも乗せようか」
「なにその最強デザート――うぐぐ~……お母さん、もう夕食作っちゃって良いよね!」
「少し早いが……まぁ、良いだろう」
涎を垂らさんばかりに興奮する娘に、母は嘆息しながら許可を出す。
「手伝うよ」
「リシャール、リシャール~♪」
嬉しさの余り、調子の外れた歌まで歌いだした可愛い妹に苦笑しながら、今日の締めとなる仕事に取り掛かるフイセ。
「今日ね、朝言ってたみたいにエリーたちと一緒にゴブ狩りやったんだけど、その時にね――」
「――へぇ、それは災難だったね」
「そうだよー。お陰で皆困っちゃって――それでね――」
他愛のない談笑をしながら、二人で料理を完成させていく。
何時もの一日が、何事も無く終わりを迎えていった。