10・達成
「こういう所も、ある意味名所だよねー」
作為的に作られたとしか思えない、一面の広い空間を前に、ジャオメイはそんな感想を漏らした。
「森羅の庭」。魔脈の一角である「ホロロの泉」の手前にある、楕円形をしたその場所に木々はなく、遮るものがなくなった事で降り注ぐ陽光が、瞳に僅かな痛みを齎す。
足首程度の草だけが整地された、森の中に出来た平原。
「ホロロの森」に関するクエストで、真反対側にある同様の「万象の苑」と共に、頻繁に登場するフィールドであり、ストーリー進行のイベントや、ボス戦などの特別な行事で此処を訪れる事になる。
中央からやや泉寄りの場所にある、半ば崩れた岩の祭壇に座り込み、此方から背を向けた巨大な魔物が、今回の獲物であるオークキングだ。
他のオークたちより、三周りは大きな肉体は浅黒く、傍に置かれた棍棒は、まるで一本の木をそのまま引き抜いたような、彼の巨体に相応しい大きさをしている。
どうやら食事中らしく、山となった果物や獲物の肉を、無軌道に食らって腹へと収める事に夢中で、此方に気付く様子はない。
「今回の戦いは、僕とジャオは一切攻撃せずに、サポートに回るから」
「え?」
その様子を眺めていたフイセが、不意にリリエラに向けてそんな事を言い出す。
「オークキングは、魔物の中でも経験値の高いボス級モンスターだからね。ダメージを与えただけでも、今のリラなら十分な経験値が入る筈だし」
「それに、そろそろまともに戦っとかないと、一気にレベルが上がってるから、動きに違和感あるかもだしねぇ。今の妹ちゃんだと、ちょっち長丁場になるだろうけど――ま、昨日一度ボコッてるから体力減ってるだろうし、大丈夫っしょ」
「お兄ちゃん……」
二人の説明を受け、少し不安げに此方を見上げてくる妹の頭を、優しく撫でるフイセ。
「無理と解ったら手を出すし、僕たちがちゃんとリラをフォローするから、全力で挑んでみて」
ゲームでのオークキングの討伐推奨パーティーレベルは三十。今のリリエラには、間違っても一人で挑める相手ではない。だが、彼女の隣には、単騎でそれを沈める事の出来る二人の強者が居る。
「安全第一、無暗に近寄らない、油断せず、倒すまで敵から目を逸らさない――良いね?」
「――はいっ!」
兄のアドバイスを受け、決意の眼差しに変わったリリエラが、大きく頷いた。
「お兄ちゃん、かぁっくいぃ~」
「茶化さないの。それじゃあ、行こうか」
此処に来て、ようやく両腰の黒剣を引き抜いた黒衣の宣言をもって、今日一番の戦闘が幕を開けた。
◇
「ぼあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
隠れる事無く無造作に近付く三人に気付いた森の長は、即座に振り向くと、森全体を振るわせるかの如き、雄叫びを響かせた。
直後、周囲の森からその声を聞き付けたオークたちが、ぞろぞろと姿を表す。
「長」は同族への強制権を持つ、亜人種の頂点である。「長」の命令は絶対であり、魔物たちの根幹である魔脈の恩恵を受けたその言葉は、逆らう意思さえ許しはしない。
「ジャオはリラのフォローをお願い。僕は周囲のオークをやるよ」
死兵と化したオークの群れを見回し、端的に指示を出した後、即座に移動して最初の一匹の首を跳ね飛ばす漆黒者。続けざまに振るった手加減抜きの飛び蹴りが、別の一匹の首を容赦なく圧し折る。
「おーらい。周りはフイセ君に任せて、アタシらはメイン一匹だけをぶっ倒すよ!」
「はい!」
立ち上がった事で、更に巨大さと威圧感を増した森の王を前に、両手の武器を構えて睨み上げるリリエラ。
「ぶおあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「ふっ、せいっ!」
挨拶代わりとばかりに、横薙ぎに振るわれる棍棒をしゃがんでかわし、屈伸の反動を利用した突進で、素早く懐へと踏み込んだ彼女は、飛び上がるような動作で、右手のショートソードをその腹肉へと切り付けた。
「があぁぁぁっ!」
深追いはせず、すぐさま後退したリリエラに、振り切った棍棒を軌道を変えて振り戻すオークキング。
避け切れないと判断した彼女は、咄嗟に盾を構え、直後に来るであろう衝撃に身を硬くする。
だが、魔物の繰り出した一撃は、彼女には届かない。
二者の間に割り込んだジャオメイが、地面に棍を突き刺し、その豪撃を微動だにせず受け止める。
「妹ちゃんは攻撃に集中!」
「はいっ! ――灯よ!」
魔法技能――魔火球――
休憩の時とは違い、彼女の魔法は両手を広げたほどの火球となって出現し、敵の顔面へと叩き付けられた。
「がっ……があぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
魔法の直撃を食らい、僅かに上体を傾げたオークキングは、しかしすぐさま雄叫びを上げて突撃を繰り出そうとする。
「――がぁ!?」
しかしその直後、姿勢を前傾にした時点でまるで何かに絡め取られたように、その動きを急停止した。
「……」
攻撃技能――影撃ち――
周囲のオークを迎撃していた、黒衣の手から放たれた一本のナイフが、オークキングの影に突き刺さり、その巨体を一時的に縛り上げる。
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
その隙を逃さず、リリエラはすり抜けざまに魔物の胴を薙いだ。
「いよぉし、この調子でガリガリ削っていくよぉ、妹ちゃん!」
「はいっ!」
到達者二人からの、頼もし過ぎる支援を受け、彼女のほぼ一方的な戦闘が始まった。
「たぁっ!」
「があぁぁぁぁぁぁっ!」
「ほい、残念っ!」
敵の攻撃は一切彼女に届かず、彼女の攻撃は確実に敵の身を切り裂き、辺りに血風を散らす。
リリエラが切り付け、ジャオメイが受け止め、時折フイセが動きを封じる。
周囲には、「長」の声に釣られるままに現れたオークたちの死体が、板垣となって積み重なっていく。
「ばおあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
攻撃技能――大咆哮――
飛び退いた二人に向けて放たれた「長」の絶叫が、指向性を持った衝撃波となって突き進む。
「下がって!」
「ジャオさん!?」
リリエラを後ろに突き飛ばしたジャオメイは、不敵な笑みを浮かべて棍を地面に刺し、深く腰お落として構えを切り替える。
「せぇのぉ――ぜぇあぁぁぁぁぁぁっ!」
攻撃技能――崩拳・極――
迫り来る不可視の砲弾を、極大のオーラを纏った紅鬼の拳が、真正面から打ち砕く。
「ぷっふぅ。流石にボスだけあって、攻撃手段が多いね」
「ありがとう、ジャオさん」
「だいじょぶじょぶ。怪我はない?」
「はいっ」
敵の攻撃を退けた右手を、プラプラと振ってから再び棍を拾い上げるジャオメイに、油断なく敵を見据えながら、リリエラは大きく頷いた。
「ばあぁぁぁぁぁぁ……ぼあぁぁぁぁぁぁ……っ」
身体に刻まれた多数の傷から、夥しい血を流し、怒気と興奮で顔を赤黒く染めた森の王は、疲労と出血からか、呼吸の荒さが目立ち始めている。
「折り返し地点って所かな。妹ちゃん、ここからが正念場だよ」
「はいっ! やあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
大きく剣を振って血糊を払った後、再びオークキングに向けて走り出すリリエラ。
「かぁっくいい~」
強敵に挑む彼女を、微笑ましく見守りながら、ジャオメイは彼女の後を追って駆け出した。
◇
――幾度刃が振るわれただろうか。
周囲の魔物は、既にその一部が肉体を朽ち果てさせ、大地にその身を返し始めている。
魔力によって、仮初の身体を保つ魔物たちは、肉体そのものに強力な魔力を宿すドラゴンなどの高位種や、肉体の存在する獣などから変質した魔獣種などの例外を除いて、その死と共に肉体を急速に崩壊させていく。
「が……あ……があぁ……あ……ぁ……」
リリエラの剣が届く範囲全てに、余す事無く刀傷を作った血塗れの「長」は、遂にその身を折り、音を立てて大地へと倒れ伏した。
「長」の命令から解き放たれた、取り巻きのオークたちは、正気に戻ると同時に蜘蛛の子を散らすように、「森羅の庭」から逃げ出していく。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
「おめでとーう! やったね妹ちゃん、見事ボス撃破だー!」
「勝った?……はぁっ……はぁっ……私、勝てた……の……?」
荒い息を上げ、ジャオメイに成すがままに抱きつかれた状態で、半ば呆然とした面持ちで、言葉を紡ぐリリエラ。
この勝利が、決して誇れるような真っ当なものでない事は解る。
自分の力で成した訳でもなく、隣にいる二人からの、圧倒的戦闘力の支援あっての結果だという事も解っている。
だが、それでも勝利は勝利だ。つい一日前までオーク五匹に怯えていた自分が、その長であるオークキングを相手に、長い戦いの末見事に討ち果たした。
喜ぶ前に、自分自身の成した事実が信じられず、しばらく目の前で倒れたまま動かない魔物を見つめ続けるリリエラ。
「はぅ……」
「っととと……あちゃちゃ、緊張の糸が切れちゃったねぇ」
「大丈夫? リラ」
「は、はひ……」
突如腰砕けになり、彼女は後ろからジャオメイに支えられながら、黒剣を収めて近付いてくる兄に、呂律の回らない返答を返してしまう。
「あぁ、無理しないで良いよ。アタシが運んだげる。よっこいしょっと」
どうにか自分の力で立ち上がろうとする少女を制し、ジャオメイは軽い調子でリリエラを抱きかかえた。彼女の怪力にとって、彼女の体重など羽毛よりも軽いものだ。
「おめでとう、リラ」
「うん。ありがとう、お兄ちゃん」
抱えられたままの妹の頭を、優しい笑顔で撫でるフイセに、リリエラも満面の笑みで答える。
「さーて、次はいよいよメインディッシュだね。どーんなーかなー」
「変わろうか?」
「い・や・だ。妹ちゃんは、アタシが運ぶ」
「はいはい」
断固として拒否され、肩を竦めながら、ほんの少しだけ残念そうに、フイセは二人を先導する。
「森羅の庭」を抜け、百歩も行かない内に、遂に今回の目的地たる、その姿が現れた。
「わあぁぁぁ……」
「うっひゃぁ、これは凄い」
「うん、これは言葉がないね……」
それを目に収め、三人は思い思いの感想を口にしながら、目の前の光景に圧倒された。
先程の「森羅の庭」より、遥かに広い空間に、静謐に鎮座する巨大な泉。
夕方の日の光を浴び、懇々と沸き立つ曇りのない水面が、キラキラと幻想的な色彩を放っている。
周囲の森は、その光景を彩るように、太陽の光を一切阻む事なく、蒼然とした面持ちで聳え立ち、泉の中央に一つだけ存在する小さな浮き島には、魔脈の源泉の大きさ示す、人差し指と親指で輪を作る程度の、透明な魔石の結晶が、光を反射しながらふよふよと宙を浮かんでいた。
「…………」
「ジャオ?」
現世から切り取ったかのような、この世あらざる景色に見惚れていた三人の中で、ぷるぷると身体を小刻みに震えだした紅髪の少女に、フイセが怪訝そうに声を掛ける。
「泳ぐ!」
「えぇっ!?」
「ジャオさん!?」
突然の彼女の宣言に、驚きの声を上げる二人。
「きゃすと・おふ!」
わざわざ叫ぶ必要もない台詞と共に、彼女は自らの装備を、粒子となって霧散させた。
フイセは、服を着た状態で装備を変更しているので、装備を解いても元の姿に戻るだけだ。だが、ジャオメイは違う。
彼女は、短縮装備を普段着として使用しているのだ。つまり――
「ふっふっふっ、全裸かと思った? 残念、水着でした!」
「それ、水着じゃなくて下着だよね……」
目隠しした右手の隙間から、僅かに片目を覗かせ、呆れ半分といった感じで、少し頬を染めながら突っ込みを入れるフイセ。
「一緒みたいなモンじゃない?」
再び目を瞑った紳士なフイセに、女性として明らかにずれた答えを返す、下着姿のジャオメイ。
「ほーれ、妹ちゃんも一緒に泳ごうじぇい!」
「きゃっ、ちょっ、ジャオさん!?」
そんな彼女の魔の手が、抱きかかえていた少女へと襲い掛かる。
「フイセ君は泳いだ後に温まる用の、焚き火の準備ね。ふ~は~は~、妹ちゃん、観念してお姉ちゃんと湖には~い~る~の~だ~!」
「も、もう、自分で脱げるから! お兄ちゃぁん……」
「はぁっ……あんまりリラを困らせないでね」
「大丈夫、アタシに任せとけ!」
「お兄ちゃぁん……助けてよぉ……」
百合の花を撒き散らす勢いでじゃれあう女子たちに、唯一の男子であるフイセは大きく嘆息を漏らし、妹の嘆きを見てみぬ振りをして、断腸の思いでその場を離れていった。
◇
結局、日が沈むまで女子二人が湖で遊び倒した事で、今日の野営地が強制的に湖の傍に決まった。
路銀の足しにと、中央の魔石を貰い受け、次いでとばかりにジャオメイが素手で捕獲して来た湖の魚を、軽く下処理をした後で木串に刺して塩を振り、焚き火の近くに添える。料理人は、勿論フイセだ。
魔脈の中央に出来る魔石は、魔脈が存在する限り、何度取っても同じ物が再び発生するが、そこに到着するまでが一苦労な上、完全な再生に数ヶ月近く掛かるので、到着しても別の者に取られて存在しない場合が多い。今回は、運が良かったという訳だ。
大きさによって値段は違うが、「ホロロの森」はいわゆる初心者用のフィールドなので、魔石の大きさもあの程度が限界だろう。
「はぐはぐ――」
下着と髪を乾かし終え、既に何時もの服に着替えたジャオメイが、自分が捕らえた魚の丸焼きに舌鼓を打つ。
フイセも、短縮装備を解いた元の姿に戻っており、調理に使った器具を湖で軽く洗って、腰のポーチへと収納していく。
「これからどうしよっか? 無目的ってのも何だし、二人は目指したい場所とかある?」
「僕は一応、聖教国を目指したいんだけど」
「ちょっち遠いね。何かあんの?」
「僕が前に所属していたギルドの、元ギルドホームがあるんだ。僕の知り合いがこっちに来てるとしたら、其処を拠点にしてるんじゃないかと思ってね」
言いながら、何時かの夢の情景を思い浮かべ、軽く感傷を疼かせるフイセ。
あの時会話していた人たちや、ゲームをしていた中で知り合った人間が、この世界に来ているという情報は、学園長からは聞いた事がない。
だが、情報がないからといって、それが真実であるとも限らない。フイセのように、未だ実力を隠して生活しているとするならば、それもありえる話だからだ。
もし、知り合いの誰かがこちらに来ているとすれば、是非一度会っておきたい、と彼は願っていた。
「なーる。妹ちゃんは?」
「私は特には……お兄ちゃんたちの方が地理に詳しいみたいだし、一緒に居られればそれで良いよ」
「出た、ご飯時の超必殺技「何でも良い」」
「リラはそもそも、旅自体が目的だからね。後で行きたい場所が出来るかもしれないし、その時にまた考えよう」
「おけーい」
フイセに頷きながら、焼けた魚を頭から口に放り込み、バリバリと噛み砕くジャオメイ。「鬼」の頑強な歯牙にとって、魚の骨などクッキー以下の歯応えに過ぎない。
「なら、とりあえず最初の目的地は聖教国って事で。そのルートを進みつつ、近くの名所を巡って行く感じで良いかなかーな?」
「はーい」
「僕も急いでる訳じゃないし、それで良いよ」
「ここから近場だと、何処が有るっけ?」
「東側の道だから、コロシアムで有名なグレンベルか、少し南へ行って、「人魚の岬」が有る港町のブンゼンかな」
ゲーム時代に散々歩き回り、更には現実として十数年過ごしてきた世界である。地図を出すまでもなく、フイセはそらで近場の地理を答えた。
「今丁度魚食べてるし、港町は別のでも良いんじゃないかな?」
「だったらグレンベルだね」
「よっしゃ、きーまり」
休憩の時と同じ、干し肉とコンソメのスープが入ったコップを持ち上げ、ジャオメイは二人の兄妹に目配せする。
「ほんじゃ改めて――フイセ君も妹ちゃんも、これからよろしくお願いしまーす!」
「うん、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
夜の帳が下りた湖の傍で、焚き火を囲う三人のカップが、音を立てて重なり合った。




