1・始まり始まり
なんちゃってファンタジー練習作。
よろしければどうぞ。
ポーン――
「――こんばんはフイセ君」
――て――
「こんばんはリグベーダさん、久しぶりですね。しばらくログイン有りませんでしたが、何かあったんですか?」
「えぇ、現実で少し……目途が付いた訳ではないのですが、待ちに待った一大イベントです。この時間の為だけに、休日をもぎ取って来ましたよ」
「はは、ご苦労様です」
――まて――
ポーン――
「――よう、独身ども」
「こんばんは、自称リア充(笑)さん」
「こんばんは、地蔵傘さん」
「うるせぇ、ネトゲでぼっちのお前ぇらよりはましだろうが」
「失礼ですね、僕達は自ら孤独を愛しているんですよ。ねぇ、フイセ君?」
「失礼なのはどっちもですよ。それと、僕は単に今はギルドに所属してないだけで、知り合いぐらいはちゃんといます」
――めて――
「ちっ、まぁいい。お前ぇら今どこだ?」
「元ギルドホームの玉座ですけど?」
「『黄昏ヶ丘』の頂上です」
「……一人でか?」
「えぇ、まぁ」
「そうですね」
「アホだこいつら……なんでこんなイベントに居合わせながらぼっちなんだよ……せめてこんな時ぐらい、知り合い同士固まっとけよ」
「いいじゃないですか。我々は我々なりの楽しみ方をしているんです――それにそもそも、このギルドホームに入れるプレイヤーは、もう極僅かですしね」
「僕は、『この世界』の終焉と再誕を見るなら、ここかなって――」
「フイセ君は実にロマンチストですね」
「無理なお世辞は良いですよ。自分でも、痛いのは解ってますから」
「良いんじゃねぇの? あそこのギルドに入ってた連中で、『この世界』を否定する奴はいねぇよ」
「地蔵傘さん。今、さらっと知り合い以外のギルドメンバーを切り捨てましたね」
「ったりめぇだ。顔も知らねぇギルド員なんぞ、いねぇのと一緒だろうが」
――やめてくれ――
「ったく……アップデートが終わったら、『白黒兎の両耳亭』に顔出せ。エセ花魁とポン吉も呼んでる。ポン吉の舎弟の優男もな」
「おや、何時かの桃色御嬢さんは呼ばないのですか? 彼女相手に貢ぐ姫プレイをしている貴方を見るのは、とても酒の肴になるのですが」
「リアルでお知り合いなんですよね。頑張って下さい」
「やかましい! いいから来い! 伝えたからな!」
――まってくれ――たのむ――
「相変わらずご健勝な事です」
「ひょっとしたら、ギルドを復興させたいのかもしれませんね……『ギルド壊滅戦』では、あの時ギルドマスターが居た屋敷を守っていたそうですし」
「ギルドの復興ですか……私としては、あの時の裏切り者を全員始末した時点で、既に過去の出来事なのですけどね」
「例え再興出来たとしても、マスターが居ない以上以前のようにはいかないと、地蔵傘さん自身が一番分かっているんでしょうけど……」
「面倒な方です」
「フフッ、そうですね」
――やめろ――引き返せ――今すぐに――
「おや、始まったようですね」
「はい、こっちはすごい事になってますよ。一面の白が、こっちに押し寄せてきます――ほんとにすごい……っ」
「こっちも似たような状況ですが、視界が開けている分、そちらはさぞや壮大な光景でしょうね」
――――
「では、新世界でまたお会いしましょう」
「はい、新世界で」
――Welcome to new world――
◇
「あ――」
目覚めの瞬間、彼はベッドの中で思わず小さな声を漏らしていた。
耳に、梢のさざめきが聞こえてくる。
「久しぶりに見たなぁ、あの時の夢――う゛ー……」
呟くように一人ごちた後、自身のものである灰色の髪を掻き揚げて額を押さえながら布団に沈み、唸りとも呻きとも付かない間延びした声を、溜息と共に口から漏れ零した。
窓から流れ込んでくる、穏やかな風を肌寒く感じるのは、酷い寝汗が原因だろうか。
あの後――MMORPG「クイン・リブレ・オンライン」にログインし、バージョンアップver8・0イベントに参加していた彼――フイセ・セルヴィスは、何故か森のど真ん中で赤子の姿となって此方の世界にいたらしい。
らしいというのは、本人が漠然とでも周囲を理解出来るようになったのが、それからずいぶんと日が経った後の話であり、当時の様子は彼を拾った義母に当たる人物から、ある程度成長してから教えて貰ったものだからだ。
それから十六年と少し――未だあの瞬間の出来事は脳裏に焼きついて離れず、しばしば今日のように泡沫の幻影として彼の心を刺激する。
軽く周囲を見回せば、当たり前に存在する何時もの自室。この世界で使い続けたその場所は、目を瞑っていても家具の位置を正確に言い当てられる事だろう。
当初彼は、元の世界への帰還方法を求めて、仮親である義母にすら協力を仰いで奔走した。だがしかし、彼が今なおこの世界に縛られている事実が、その結果を物語っていた。
――十六年――もういい加減、忘れても良いんじゃないだろうか――
心ではそう思うものの、今日のように当時の夢や思い出が脳裏を掠める度、その思いはあっさりと揺れ動き、どうしようもない郷愁と慕情が、胸の中で渦となって彼の理性を締め付ける。
日の注ぐさわやかな朝の中で、逃れようも無い孤独感が彼の心をじくじくと満たして苛めてくる。まるでこの広い世界に独り、取り残されたような錯覚さえ覚えてしまう。
あの夢を見た後の常として、ささくれた心を落ち着ける為に、しばらく何もせずにぼんやりと天井を眺め続けるフイセ。
「……」
二度寝はしない。今寝れば、きっとまたあの夢を見てしまうように思えて、眠れないのだ。
今日は幸い休日だ。多少遅く起床しても困る事はないだろう。そう思い、視線を窓の外に移してこの無為な時間を継続する。
だがしかし、そんな彼の事情などお構いなしに部屋の扉が盛大に開き、大声を上げながら寝巻き姿の少女が襲い掛かって来た。
「お・に・い・ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
「ごぶっ!?」
盛大なジャンピングダイブを腹に決められ、肺の空気を吐き出すフイセ。
そんな彼を更に追撃すべく、襲撃者の少女は今度は馬乗りになって、乗り上げた布団を力一杯揺らし始めた。
「あーさー! 朝だよー! お兄ちゃん、起きろー!!」
「……分かったよ、リラ」
肩口ほどまで伸ばした栗色の髪と、太陽を宿すような綺麗な緋色の目をした少女の名はリリエラ。彼にとっては義母の実娘――すなわち義妹に当たる女の子だ。
正直、起き上がるに為にもう少し時間が欲しかったし、彼女の無遠慮な行動に少しだけ苛立ちも覚えた。
それでも彼女の登場は、過去に沈んだ自身の心根を現実へとに引き上げてくれた。
「むむむ……その言い方は、二度寝する言い方だな~?」
そんな低迷する気分のまま気だるげに答えたフイセの返答は、彼女にとって到底満足のいくものではなかったらしい。
「な・ら・ば、こうしてやる! うりうりうりうりうり~!」
唇を尖らせたのもつかの間、変わりに意地の悪い笑みを浮かべた妹は、眼下の兄に対し容赦の無いくすぐり攻撃を慣行した。
「ぷ、あはっ、あははは! 分かった起きる、起きるからやめ……あはははははははははははは――!!」
身を捩るものの、布団の上からマウントポジションを取られて逃げ道の無いフイセは、リリエラの攻撃を前に成す術も無い。
陽気な早朝から、大きな声と物音を立ててしばし兄妹のスキンシップが繰り広げられる。
「ぜぇ、ぜぇ……分かったよリラ、降参。ほら、起きるからどいて」
「はーい」
散々弄ばれた後、フイセが息を切らしならが両手を上げて降伏宣言をすると、彼女は素直にその場から飛び退いた。
小さく嘆息しながらも、可愛い妹にまたいたずらされては堪らないと、彼はすぐさまベッドを下りて、壁に掛けてある着替えに手を掛ける。
「……お兄ちゃん」
「ん?」
「えと……元気、出た?」
着替え始めたフイセに背を向け部屋を出て行く直前、リリエラは彼に振り向きながら、そう問いかけてきた。
「――っ」
少し不安気な口調と心配そうなその表情に、胸を鷲掴みにされたような感覚に陥るフイセ。
天真爛漫を絵に描いたようなこの妹は、時折家族に対して妙に鋭い観察眼を発揮する。そんな彼女には、今朝から彼が落ち込んでいる事など、当然のようにお見通しだったらしい。
敵わないな、と首を軽く振り、出来の悪い義兄は出来た義妹を安心させるよう、優しい笑顔で首肯を返した。
「うん、出た。ありがとう、リラ」
「えへへ~」
お礼の言葉に頬を緩ませながら、上機嫌で扉を閉めるリリエラ。
「……しっかりしないと」
頼られるならまだしも、心配させるなど年上失格である。フイセは小さく呟いて気を引き締めると、着替えを再開した。
あの夢の残滓は、もう気にならなかった。
◇
階段を降りてリビングに到着すると、年若く、長く美しい黒髪とリリエラと同じ瞳の色をした目付きの厳しい女性が、テーブルで静かにコーヒーを口にしていた。
皺一つない白のシャツと、黒を基調としたズボンをスラリと長い足に通した凛とした姿。その纏う雰囲気は、傍に居るだけで気を引き締めてしまうような、そんな独特の空気さえ発している。
この三人一家の家長であり、ヒエラルキーの頂点に君臨する母、グレイシアである。
リリエラも既に着替えを済ませてリビングにおり、ピンク地にでかでかとリコという赤い果実が描かれたティーシャツと、左右の長さが違う青のショートパンツ姿で、テーブルに三人分の朝食を運んでいる最中のようだった。
「おはよう。リラ、母さん」
「おはよう。お兄ちゃん!」
「おはよう。朝から騒々しい事だな」
「ははは……」
朝の挨拶早々に、母から呆れを含んだ苦言を頂戴してしまうフイセ。
二階でのあの騒動は、下まで丸聞こえだったらしい。
「お兄ちゃんの起床任務、見事完遂致しました、隊長殿!――へぶしっ!?」
「ご苦労」
部屋で会った時とは違い、左右に束ねた髪をピコピコと揺らしながら、満面の笑顔で敬礼を向ける愛娘の額に、体制が仰け反るほどの強烈なデコピンをかまして労をねぎらう母。
「いたたた、ひどいよぉ……」
「大丈夫? って、思いっきり赤くなってるね」
「うー、お母さんのバカ力ぁ……」
「褒め言葉だ」
涙目で額を押さえながら、恨めしそうに視線を向けるリリエラに、グレイシアは事も無げに答える。何時も変わらない母娘のやりとりを見て、フイセは妹の額をさすってあげながら思わず苦笑してしまう。
何度あの夢を見た所で、現実は変わらない。ここに来た事も、ここで過ごした事も――全て彼の記憶に残っている。
きっと、もし異世界を去る事になったとしても。
「「「いただきます」」」
こんがりと焼けたパンに、ハム入りスクランブルエッグとサラダが少々。
料理を運び終え、全員がテーブルに付く。そして一同の唱和を持って、本日最初の食事が開催された。
「お兄ちゃんは、今日もギルド行くの? あ、お兄ちゃんリコジャム取って」
「はい――うん、そのつもりだよ」
「アタシも、今日は友達と一緒にゴブ狩りするんだ。お兄ちゃんは?」
「僕は何時も通り採取系だね」
「お兄ちゃんって何時もそればっかりだよね。毎日毎日採取系だけで、飽きたりしない?」
「ホロロの森は、季節や場所で色々植生が違うからね。毎日でも十分飽きないよ」
「そっかー……むー」
「どうかしたの?」
「ううん。何でもなーい」
「?」
「……阿呆」
「え、何で?」
少し騒がしいながら、平和な団欒が広がる。
変わらぬ日常と、穏やかな時間――
そしてまた、この異世界での一日が始まる。