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妖ブレイド  作者: rai
7/7

先輩(1)

 釣り糸と釣り針が宙でその身を(くゆ)らせていた。釣竿を握るはリリナ。その額には白熱を示す汗が流れているのだが、それを理解できる者は魔女の忠実なる(しもべ)であるフェルガーしかいなかった。つまり魔女に呼ばれてやって来た望の表情は白けきっていたし、ヒギナに至っては本の散乱する床に寝ころんでいる。当たり前だ。宙に釣り針を浮かべて何を釣ろうと言うのだろう。

 「…もう十分にもなるんですけど、一体何をしているんですか?」

 望の何度目の問いかけだろうか。しかしリリナは目を閉じたまま微動だにしない。その傍に控える執事が口に人差し指を当てて静寂を促すのみだ。そろそろ望の苛立ちが爆発してもおかしくはない。今は術者として力をつけるための一分一秒が惜しいのだ。だが堪忍袋に充満する怒りを必死に抑えて少し強めに問いかけを繰り返そうとしたその時、リリナの白い瞼がカッと開いた。

 「………来たっ!大物!」

 そう言って釣竿を思いっきり引き上げたリリナだが当然釣り針にはなにも掛かっていない。あえて言うなら”無駄”が掛かっているだろうか。とにかく、約十分も待たされた怒りが静まるような結果ではない。

 けれども魔女は、彼女にしては珍しい爽やかな笑顔で満足そうに笑んだ。

 「鳥の囀り、木々のざわめき、清流の心地よい音。そんな雄大な自然の中で釣り糸を垂らし釣果を数えるこのひと時は何物にも代えがたい。やっぱり引き籠りは駄目ね。貴重な一分一秒を有意義に過ごさなきゃ」

 リリナの私室には窓がないため陽光が入って来ない。ここにある明りはランタンと二本の蝋燭だけ。陰気を孕んだ室内には当然、自然を感じさせるものなど何もない。つまり、自然の雄大さを一切排除した有様がこの部屋なのだ。だが糊の利いた燕尾服を着た老執事は、至言だと言わんばかりに感嘆しながら主に同意する。

 「全くでございます。この大自然に包まれると、人間が如何に小さな存在が思い知らされますなぁ」

 そう言った老執事と主は向き合って互いに和やかな笑い声を上げた。

 「はぁ…やっと酷い茶番が終わりましたか。まったく、つい三日前に命が狙われていると知った人のやることじゃないですよね」

 十分も待たされた苛立ちが嫌味となって望の口から鬱々と吐き出される。しかし命を狙われる者ことリリナは釣竿を振って再び釣り針を宙に浮かべた。まるで嫌味を餌にして何かを釣り上げようとしているかのようだった。

 「フェルガーが集めた情報によると”愉悦する神父”がここを襲撃しに来るまでにはしばらく猶予があるようだしね。焦ったって何も良い事はない。ばたついた足じゃあ上手に泳げないし、上手く息継ぎをすることも出来ないよ?」

 「それは、俺への忠告ですか?」

 望は今、妹に認められるために術者としての力を我武者羅に磨いている。魔女は、その我武者羅さをばたついた足に例えて自分を諭しているのだと、彼はそう感じたのだ。

 リリナは、うん、と肯定して銀色の細い眉を人差し指で擦った。それから釣竿を少し前に突き出し、本の散乱した床でうつ伏せになってうとうとしている半妖の襟首に釣り針を近付ける。

 「はっきり言って上梨君は稀有な才能を持った術者じゃない。そもそも術者としての力の根源は君自身ではないしね。そんな平凡な術者が我武者羅になったところで急激に強くなれるわけがないよ。勿論、妹さんに認められようと頑張ることは大切だし、その為の呪符の研究は続けるべきだと思う。でも、根をつめてまでやる必要はない。逆効果だよ」

 リリナは充血している望の眼を真正面から見つめた。その視線から望が眼を逸らせてしまったのは、彼自身がリリナの言葉を充分に理解しているからだ。けれども彼は我武者羅になるしかない。僅かでも強くなれる可能性があるなら、そこに縋らずにはいられないのだ。

 妹の存在が彼を追いたてている。

 「”愉悦する神父”の襲撃は妹さんとの関係を修繕するチャンスなのかもしれない。でも妹さんが式神術の大家、日比原家に身を寄せていると分かったんだから、そこから関係改善の機会を作れるはずだよ。何も、今すぐ妹さんに認めてもらう必要はない。君と妹さんの関係は簡単に解決するような問題でもなさそうだし」

 「…そうですね。分かってはいるんですけど」

 アドバイスをした魔女は、やれやれ、と小さく首を振った。そして急に悪戯っ子のような堪え切れない笑みを緩んだ頬に滲ませる。幸せそうに眠っているヒギナの襟首に近づけていた釣り針を彼女の着ている上着の襟に引っかけてリリナは、釣竿を力一杯引っ張った。

 「ビィギニャ!!」

 驚いた野良猫のような鳴き声を上げてヒギナが飛び起きる。血走った眼を細め、唸りながら爪と牙を立てる半妖の殺気がリリナへと向けられたのは今までの経験上必然のことである。

 「魔女…!お前はどうして私を怒らせる事ばかりするんだ!」

 「えー、だってヒギナちゃんが隙だらけで寝ているんだもん。からかいたくなるよね?からかいたくなるよね!」

 今にも飛びかからんばかりのヒギナだったが、それをしないのは圧倒的な実力差のせいだ。ここで飛びかかればまたからかわれることになる。半妖は歯噛みしながら己の獣性を抑えつけた。流石のヒギナも、幾度となく弄ばれてこりごりしているようだ。

 「さて、それじゃあ今日二人を呼び出した目的を話そうか」

 「え…目的があったのに十分間もあんな茶番(つり)をやったんですか?」

 望の問いかけにリリナは片目をつぶって赤い舌を突き出した。まさに殴りたくなる顔つき。ストレート一発をその顔にぶちこめられれば、一生分のストレスを解消できるに違いない。

 しかしその殴りたくなる顔つきはすぐに面の皮の中に引っ込んだ。釣竿を離して、机の上に置く。それからリリナは椅子に背中を付けて話し始める。

 「上梨君は知っていると思うけど、妖怪が姿を消した現代において術者が相対する相手は主に悪霊。まぁ、術者同士が争うことも少なくないけどね」

 望が頷いて同意した。進歩する科学と人口の増加によって妖怪の居場所は殆ど無くなった。かつては畏れられ、忌み嫌われ、時に祭り上げ敬われたその存在を見ることは滅多に出来ない。現代でも目撃例はあるがその大体が見間違いである。

 かわりに術者の相手として台頭したのが、霊。複雑化した社会のせいか、科学によって未知なるものへの畏れを忘れたせいか、それとも単純に人口の増加によって魂魄の絶対量が増えたせいか。ともかく無念の叫びに染まった魂の成れの果てが術者たちの主な敵である。

 「ただ、ちょっと分からないんですけど。駮神社の神木は、あれは霊に分類されるんですか?」

 「あの神木は霊じゃないよ。霊は人や物に憑り付いたり、負の感情や同じ霊を取り込んだりはするけれど、あくまで魂だからね。あの神木は、うーん、そうだね…存在が祀られることによって昇華したものって言えばいいのかな」

 主人の迷うような返答に老執事が合の手を入れる。

 「とても簡単に言わせて頂きますとレベルアップでございます。神木、言ってしまえばただの木が祀られることによって木と言う存在を超過したのです。もっともそんなことはまず起こり得ませんが」

 「そうね。存在が神の与えた定義を超えた新たな形。付喪神と似ているけれど同じとは言えない稀な存在だね。だからこそ深く考える必要はない。とりあえず霊とも妖怪とも違う存在だと理解すればいい」

 リリナはフェルガーの持ってきた紅茶に口を付けて一息ついた。それはとても絵になる光景のはずなのだが、机の上に置かれている釣竿の存在感がその絵を壊してしまっている。どこかに必ず隙を作るのは彼女の信条なのだろうか。

 「なるほど。何となく分かりました。それで、術者の相手が悪霊であることを突然切りだした理由は何なんですか?」

 「うん。実は昨日、それなりの力を持った悪霊がこの街にやって来てね。それを君に滅してほしいんだよ」

 「俺に、ですか?」

 そんな暇はない、と言うのが望の正直な気持ちだった。今の彼にとって一日はあまりに短い。呪符の研究に実践、それから家事を行うといつの間にか太陽がおさらばしている。その足りない時間を悪霊のために更に削りたくはない。第一、眼前の魔女と呼ばれる術者ならば、それなりの力しかない悪霊なんて赤子の手を捻るより容易く滅せられるはずなのだ。

 ただ、大恩あるリリナの頼みに応えたいという気持ちもあった。だからこそ望ははっきりと断れない。

 「君の言いたいことは分かるよ。でも、修行の一環として引き受けて欲しい。”愉悦する神父”に対する準備のために私とフェルガーは今ここから離れられないの」

 リリナはティーカップを典雅に置く。つい先ほどまで宙に釣り針を浮かべていた者の台詞とは思えない。がしかし、彼女が”愉悦する神父”に命を狙われているのは間違いのないことだ。だからその備えを行うために手を割けないのは仕方がないことと言える。

 揺れる心。その天秤が一気に振りきったのは、リリナの極めつけの一言だった。

 「それにこのまま悪霊を放っておいたらきっと、君の良く知る先輩が大変な目に遭うと思うよ」

 望の脳裏に思い浮かぶ先輩の名前は一つしかない。音在奏、その名前しか。




 「え、何?私、狙われてるのか?悪霊に狙われてるのか?つまり良い女はつらいのか?罪なのか?」

 ファーストフード店で茶化すようにそう言った奏だが、明るい調子とは裏腹にとても憔悴しているように見える。まず眼の下の隈に視線がいく。ファンデーションでも隠せない黒さがそこに陣取っていて、色素を失ったかのように青白い肌を強調していた。コーヒーの入った紙コップを持ち上げる動きも緩慢で、吐息も沈むように重く全身から気だるさが伝わって来る。

 悪霊の仕業かと思った望だったが、それはすぐに奏自身によって否定された。

 「しかしそれは困ったな。明日は大学の創設祭なんだ。ここ三日ろくに寝ないで行った編集作業を徒労で終わらせたくはない」

 「編集作業ですか?」

 「ああ…言ってなかったかな。私、映画研究会に入っているんだ。それで今、創設祭で発表する作品の編集をしているんだよ。中々いい出来だと思うから、二十七号やヒギナちゃんに是非とも見てほしいな」

 ハンバーガーにかぶりついていたヒギナが名前を呼ばれて顔を上げる。口の周りにべったりとソースをつけた半妖の姿に笑みが零れない者はいないだろう。勿論それは、嘲笑や失笑の類とは違う朗らかなものだ。滑稽と感じさせない子供のような愛らしさが彼女にはある。ただ笑われている者は何故自分が笑われているのかを理解できない。だから彼女は眉を顰めて不機嫌を表した。

 「何が可笑しい?」

 「いや、何も可笑しくないよ。ヒギナちゃんは可愛いなぁ、って実感したのさ!ほら、お姉さんフライドポテトいらないからヒギナちゃんにあげる」

 「ん…」

 ヒギナはフライドポテトに近付いて鼻をひくひくと動かせた。奏と三回対面しているのだが、彼女はまだ警戒を崩そうとはしない。それでもフライドポテトを受け取ったのは食欲のせいか、奏の人間性がそうさせるのか。

 ところでヒギナの横に座っている望は、彼女たちの会話を聞いてちょっとした疑念が湧いていた。

 「そう言えばヒギナって何歳なんだ?」

 「んぐ……たぶん、ひゃぞえふぇじゅふにゃにゃに…なる」

 ヒギナが口一杯にフライドポテトを頬張りながら自分の歳を答えた。そのせいで聞き取りづらかったが恐らく、数えて17になる、と言ったのだろう。それは刀に封印されていた期間も合わせてなのか気になるが、奏が居る手前聞くことが出来ない。

 「って知らなかったのかよ」

 引き気味に奏が反応した。彼女の中でヒギナと望は友達以上恋人未満という関係になっているのだろう。ヒギナが半妖であることは勿論、リリナに施された紋様のせいで望とヒギナが一定以上離れられないことも知らないのだ。とは言えおそらくヒギナが何か普通ではないと勘付いてはいるだろう。しかしそれを無粋に聞いたりはしない。音在奏とはそういう人間だ。

 「ええ、まぁ」

 ストローを口で遊ばせながら言葉を濁す。ヒギナのことを教えるべきなのか、望は悩んでいた。奏は二年前、駮神社の神木によって命を奪われかけている。今では笑い話となっているが、彼女の中に超常の存在への本能的な恐怖があったとしてもおかしくはないのだ。つまりヒギナが半妖と知って奏が嫌悪する可能性も、そのせいでヒギナがさらに人間不信に陥る可能性すらあるのだ。

 そんな悩める青少年の思慮を知らない奏は楽しそうにヒギナを構っていた。だが、突然テーブルの上に肘をつける。それから頬杖をつきガラス窓から外を眺めながらぼやいた。

 「しかし、何で私が狙われたのかなぁ。霊感がある人間に霊が感応しやすいってのは分かるけど、それほど強いわけでもないのに…」

 勘違いされがちだが、霊は霊感が強い人間に好んで憑依するわけではない。それも一つの要因ではあるが、生活環境や外見や性格が生きていた頃の自分と似ている者に進んで取り憑くのだ。つまり、己の不運や恨みを自分のことのように共感してくれそうな人間を選ぶ。そうして意識を同化させ、魂を共鳴させ、生命力を吸い取りあわよくば体を乗っ取るのだ。もっとも人に憑依することが出来る悪霊はそう多くはない。基本的に、人間の負の感情や自然に浄化する正常な魂、そして同じ悪霊を吸い取って力をつけたものだけが人に憑り付くことが出来る。

 リリナは、涙で三途の川が出来そうなほど可愛そうな運勢の持ち主だね、と奏を評していた。それは恐らく駮神社の神木に命を奪われかけたことも鑑みてのことだろう。超常を感じとれる力は少しあるが、それでも二度も命を脅かされることなんてそうはないのだ。

 ヒギナがフライドポテトを食べ終える。満足そうにお腹を擦る動作はこれ以上食べられないと言う合図だ。その合図を受けて望が立ち上がる。彼は精一杯の感謝を美しい一礼で表現した。

 「御馳走になりました!」

 「ん?ああ、気にしなくていいよ。悪霊から守ってくれるんでしょ?安いもんだよ」

 奏は気にするなと手を振る。億年金欠病の望の眼にはそれが、慈愛に満ちた神のように映っていた。

 ファーストフード店を出て、お天道様のご機嫌が良い空の下を三人は歩く。目的地は奏の通う大学。これから映画研究会の部室で部員たちとの話し合いがあるらしい。

 「話し合いが終わったらすぐに睡眠をとって下さい」

 眼を擦る奏に望が言った。

 「ふふ、言われなくてもそうするよ。しかしそれは私の体を気遣っての言葉なのかな?」

 「それも、まぁ、あります」望は頬を掻きながら続ける。「霊に対する抵抗力って生命力や精神力なんですよ。つまり体調や精神状態に左右されるんです。そのため、力の強い霊はポルダーガイスト現象を起こして人間を恐怖させたり、最悪物理的に怪我を負わせたりすることもあるんです」

 「成程。今の私の体調はすこぶる悪い。魂が抜け落ちそうなほどには」

 「はは、魂が落ちたら交番に届けておきますよ」

 「謝礼はやらないからな」

 二人の他愛もない諧謔(かいぎゃく)を真に受けたヒギナは、がくがく震えながら奏の後ろにつき、地面を食い入るように見つめながら歩くのだった。


気付けばほぼ一年。

霊や超常の存在の設定はこの小説独自のものです。現実世界の定義とは少し違いますのでご了承ください。


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