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CRASH

作者: ムネディ
掲載日:2026/08/18

 金曜日の夜だった。

 オフィスビルの明かりは、まだ半分以上が点いている。

 拓海はエレベーターを降りると、肩に掛けていたノートパソコンのバッグを下ろし、大きく息を吐いた。

「また最後まで残ってたの?」

 聞き慣れた声に振り返る。

 自動販売機の前に沙織がいた。手には缶コーヒーが2本ある。

「そっちこそ」

「私はもう帰るところ。はい、お疲れさま」

 差し出された1本を受け取る。

「ありがと」

「今日の結果、悔しかった?」

 拓海の指がプルタブにかかったところで止まった。

 今日行われたのは、会社が年に1度実施している新商品アイデアコンテストの最終プレゼンだった。

 部署や職種を問わず社員が応募でき、採用されれば実際の商品化が検討される。

 最終選考に残った5案には、拓海と沙織がそれぞれ個人で出した企画もあった。

 採用されたのは、沙織の企画だった。

「悔しくないって言ったら嘘になる。でも、お前の企画のほうが良かったよ。最後のプレゼン聞いて、これは負けたなって思った」

「珍しい。拓海が素直に負けを認めるなんて」

「負けた上に嫌味まで言われるのか」

「褒めてるんだけど」

 沙織が笑い、拓海もつられて笑った。

 2人は同期入社だった。

 営業企画部の拓海と、商品企画部の沙織。

 初めて会ったのは7年前の4月、入社式の日だ。

 式を終えた新入社員たちが研修室へ移動したとき、拓海の隣の席に沙織が座った。

『ここ、いいですか?』

『どうぞ』

『ありがとう。佐伯沙織です』

『水野拓海。よろしく』

 最初は、それだけだった。

 ところが午後のグループ研修で同じ班になり、印象はすぐに変わった。

 よく笑う人から、遠慮なく意見を言う人へ。そして、簡単には引かない人へ。

 拓海の提案に最初に真正面から反論したのも沙織だった。

 腹が立った。

 同時に、面白いとも思った。

 配属先は別々になったが、2人の関係は途切れなかった。

 沙織が考えた商品企画に拓海が販売側から意見を出し、拓海がまとめた市場分析に沙織が企画側から注文をつける。

 仕事以外でも同期の飲み会ではよく話した。

 気づけば周囲から「また2人でやってる」と笑われるようになった。

「何?」

 沙織の声で拓海は我に返った。

「入社した頃のこと思い出してた」

「どうして急に?」

「お前、研修初日から遠慮なかったなと思って」

「拓海にだけは言われたくない。私の案に『面白いけど、誰が買うの?』って言ったでしょ」

「そんな言い方したっけ?」

「した。何、この人って思ったもん」

「最悪の第一印象だな」

「そうでもないよ。少なくとも、気になる人ではあったから」

 拓海は沙織を見る。

「それ、どういう意味?」

「7年前の話。自分で考えて」

 沙織はコーヒーを一口飲み、それ以上は教えてくれなかった。

 翌週。

 沙織の企画を商品化するためのプロジェクトチームが発表された。

「……ちょっと待って」

 社内ポータルを見ていた沙織が、隣の拓海を見た。

 商品化プロジェクトリーダー、水野拓海。

 商品企画担当、佐伯沙織。

「何で拓海がリーダーなの?」

「その言い方、地味に傷つくな」

「そうじゃなくて。これ、私が出した企画でしょ?」

「分かってるよ。俺だって名前を見たときは驚いた」

 コンテストで評価されたのは、あくまで沙織のアイデアだ。

 しかし実際に商品として市場へ送り出すには、原価や価格、販売計画、営業部門との調整など、企画とは別の仕事が必要になる。

 営業企画で複数の商品立ち上げに関わってきた拓海には、全体をまとめる役割が与えられた。

「商品そのものはお前が中心だよ。俺は営業や市場調査も含めて、商品化までの全体をまとめる」

「……私の企画なのに」

「そこは変わらないって」

 沙織はまだ納得しきれない顔をしている。

「勝手に変えないでよ」

「必要なところは変える」

「ほら。そういうところ」

「始まる前から喧嘩するなって」

「誰のせいよ」

 拓海は苦笑した。

 そして、その予感は見事に当たった。

 プロジェクトが動き始めると、2人は何度も衝突した。

 沙織は採用された企画の魅力を守りたい。

 拓海は市場調査や営業からの意見を反映し、実際に売れる商品へ仕上げたい。

 目指す場所は同じなのに、そこへ向かう方法が違った。

「このパッケージは変えたくない。コンテストでも、商品の世界観が伝わるって評価された部分だから」

 会議室で沙織が言う。

 拓海は市場調査の資料を開いた。

「でもターゲット層への調査では、何の商品なのか分かりにくいって意見が多い。営業からも同じ指摘が来てる」

「だからって説明を増やしたら、他の商品と同じに見えるよ」

「売り場で手に取ってもらえなきゃ、その特徴を知ってもらうところまで行かないだろ」

「分かってる。でも拓海は売りやすさを優先しすぎ。私が作りたかったものから、どんどん離れてる」

「商品として成立させるのが俺の役割だからな」

「だったら、私の企画じゃなくてもよかったじゃない」

 会議室が静かになった。

 拓海も言い返しかけたが、周囲のメンバーの表情を見て思いとどまった。

「……10分休憩にしよう」

 廊下へ出ると、少し遅れて沙織もやってきた。

「怒った?」

「少し」

「私も。でも、さっきのは言いすぎた。ごめん」

「俺も言い方が悪かった。お前の企画を別物にしたいわけじゃない」

「分かってる」

 沙織は小さく息を吐いた。

「拓海だから、余計にムキになるのかも」

「何で?」

「認めてもらいたいから」

 思いがけない言葉に、拓海は黙った。

「入社してからずっとそう。拓海が相手だと、負けたくないし、適当な仕事をしたくない。ちゃんと見てほしいって思う」

「それ、俺も同じかもしれない」

「え?」

「お前が相手だと、こっちも本気になる」

 沙織は少し驚いたあと、照れたように笑った。

「じゃあ、似た者同士か」

「認めたくないけどな」

「私も」

 2人は笑って会議室へ戻った。

 プロジェクト開始から1か月。

 試作品が完成した。

 社内での評価は高く、2人も手応えを感じていた。

 しかし外部モニター調査では、予想を大きく下回る結果が出た。

 商品の特徴が伝わらない。

 ターゲットが曖昧。

 購入したいという回答も、想定を大きく下回った。

 企画は一度白紙に戻された。

 会議終了後も、沙織は席を立たなかった。

「帰らないのか?」

「拓海こそ」

「リーダーだからな」

「私は発案者だから」

 沙織は資料を見つめたまま続けた。

「私のせいだね。拓海が変えようとしたところも、かなり押し切った」

「違う」

「でも――」

「お前1人の責任じゃない。最終判断したのは俺だ」

 拓海は向かいの椅子に座った。

「俺たち、相手に負けないことばかり考えてたんじゃないか?」

 沙織が顔を上げる。

「お前は企画を守ろうとして、俺は自分の判断が正しいって証明しようとした。相手の意見を聞く前に、否定する理由を探すようになってた」

「……悔しいけど、その通りかも」

「まだ悔しいのかよ」

「拓海に正論言われるのは悔しい」

「そこ?」

「そこ」

 沙織が少しだけ笑った。

「やり直そう」

「白紙だよ?」

「だからいい。今度は俺の案でも、お前の案でもない。2人で作ろう」

 沙織はしばらく拓海を見つめ、それから頷いた。

「うん。一緒に作ろう」

 会社を出ると、夜の街には仕事を終えた人たちが行き交っていた。

 駅へ向かって歩いていると、沙織がふいに口を開いた。

「私、入社式の日のこと、結構覚えてるんだ」

「さっきも話しただろ」

「研修で拓海に反論されて腹が立った。でも配属先が別だって知ったとき、ちょっと残念だった」

「それは初耳」

「それからも、拓海が結果を出すと悔しかった。でも誰かに褒められてると、少し嬉しかった」

 沙織は前を向いたまま続ける。

「変だよね。ライバルなのに」

「俺も似たようなもんだよ。お前が社内表彰されたとき、本気で悔しかった。でも他の同期に負けるより、お前に負けるほうが納得できた」

「それ、褒めてる?」

「かなり」

「分かりにくいなあ」

「あと、お前が会議にいると面倒なのに、いないと物足りない」

「それは全然褒めてない」

 沙織が笑う。

 その横顔を見ながら、拓海はようやく気づいた。

 ライバルだから気になっていたのではない。

 気になっていたから、誰より負けたくなかった。

「沙織」

「何?」

「今から飯、行かないか?」

「打ち合わせ?」

「仕事の話は禁止」

 沙織の足が止まった。

「それって……デート?」

「そのつもりで誘ってる」

 今度は誤魔化さなかった。

 沙織は少しだけ目を丸くし、それから笑った。

「入社して7年もかかったね」

「悪かった」

「私、結構待ったんだけど」

「……待ってたの?」

「そこまで言わせる?」

「いや。ごめん」

「だから、そこで謝らない」

 沙織が拓海の隣へ戻ってくる。

「行こう。明日休みだし」

「仕事の話は禁止な」

「破ったほうが奢りね」

「それなら絶対勝つ」

「また勝ち負けにする」

 肩がわずかに触れた。

 これまで何度も同じ距離を歩いたはずなのに、今日は妙に近く感じる。

「拓海」

「ん?」

「私、最初に会った日の『気になる人』って、たぶんずっと変わってなかった」

 拓海は思わず沙織を見る。

「それ、今言う?」

「さっきのお返し」

「じゃあ俺も言っていい?」

「何?」

「俺もだよ」

 沙織は一瞬黙り、それから照れ隠しのように前を向いた。

「……遅い」

「7年だからな」

「長すぎ」

 それでも、沙織は笑っていた。

 7年前の入社式。

 偶然隣に座ったところから始まった。

 何度も競い、何度も衝突し、それでも互いから目を逸らさなかった。

 ぶつかることは、壊れることではない。

 衝突したからこそ、初めて見えるものもある。

 2人の間で本当に壊す必要があったのは、ライバルという言葉で隠してきた気持ちだったのかもしれない。

 それが今夜、ようやく音を立てて崩れた。

 ――CRASH。

「何食べる?」

 沙織が聞く。

「何でもいい」

「それ一番困る答え」

「じゃあ沙織が決めて」

「私が決めたら文句言わない?」

「今日くらいは」

「明日からは言うんだ?」

「たぶん」

「やっぱり腹立つ」

 そう言いながら、沙織は笑っていた。

 拓海も笑う。

 仕事では、これからもきっとぶつかる。

 けれど今夜からは、隣にいるその人をライバルと呼ぶだけでは、もう少し足りなかった。

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