愛なるモノは難しいのです
下記の、二人が結婚する原因となった話を読んでた方がわかりよいかも知れません。
婚約破棄ですか、私は構いませんが、親族の皆様がお認めになるか伺ってから叫んだ方がよろしいのでは?
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「貴女を愛する事を赦していただけるでしょうか」
夫となった人が私の右手を取り、朱を刷いたように頬を染めてそう問うて来た時、私は返す言葉を持ちませんでした。
私は精霊の娘リフィラ。ギリアム侯爵家のユーシェア様に嫁ぎ、夫婦と呼ばれる関係になりましたが、私の役目はいずれ当主となる子を生み出してこの家門の血に宿る加護を調整する事。そして、その子を成人まで健やかに育てる事です。
婚姻の儀からそれなりの日数が経ち、婚姻後の雑事を終えてギリアム侯爵家に戻った私は、決められていた手順で収集してあった要素を以て、子の繭をつくり上げる所までは対応が済んでいます。この繭が十月十日を越えて孵るまでは、力を注ぎ続けるだけなので、やや手持無沙汰になるでしょうか。
形式上は侯爵夫人になりますので、求められれば女主人として家政の取り仕切り等も行う心算でしたが、今問われたのがそういう事でないのはさすがにわかります。
わかりますが。
ではこれ、どうしたら良いのでしょう…?
「え…ぇと、私と閨事をしたい、と、の、お申し出でしょうか…?」
なんとか捻り出した言葉が大変淑女らしからぬ発言と言動だったと気付いたのは、ユーシェア様が更に朱を濃くして目を逸らしてからでした。
何より、夫婦で使用する主寝室で、お互い寝衣に身を包んだ状態でするには……いや正しいのかも知れませんが、やや情緒に欠けるのではないでしょうか。今更ではありますが。
ちなみに、繭が孵るまでは夫婦と共に主寝室で過ごす決まりになっています。力の注ぎ易さと、情を馴染ませるのに都合が良いからだそうです。
「い…いずれはそのように、とも考えておりますが」
「ぇぁ…そう、なのですね…?」
「あっ…あのでもそれは今すぐとかではなく、まずはもっとお互いの事を知るためにデートなどもうちょっと軽い所からで良いのですが、あ…ぅ…えーと…なんと申しましょうか…形式だけの夫婦ではなく、お互いを愛し合える…慈しみ合える夫婦に…なりたいんです」
あたふたとしながら、そう言葉を重ねるユーシェア様に、そう言えばこの方はこういう生真面目な方だったなあと思い出す。
婚姻までに顔を合わせたのは片手で足りる程の回数でしたが、それでも私に対して真摯であろうとしてくれた事は伝わっていました。
ですから、私もユーシェア様に対して真摯でありたいと思います。
「ユーシェア様はおわかりの事と思いますが、私とそういう関係を構築する必要はないのですよ?」
「それは、はい、承知しています」
「でしたら」
「ですが、必要がないからと言って、そうである事を禁止されているわけではありませんよね?」
ユーシェア様に想う女性がいるのであれば、その方との関係を深める方が良いのではありませんか、と言おうとした私の言葉を封じるように紡がれた言葉に、私は思案します。
確かに、夫婦ではあるが愛し合う必要はない、と教えられましたが、それを禁じられてはいません。
「私は貴女を愛したい…いえ、違いますね、貴女を愛しているのです」
「……」
「ですから、先の言葉は『貴女に愛を捧げる事を赦していただけるでしょうか』と訂正します」
すでに愛してしまっているので、と訂正された言葉に、私は今度こそ言葉を失った。
どうしたらいいのかわからない。
子に注ぐべき愛は教えられた、その愛は私にも与えられた、だからわかる。
けれど、そうでない愛は、わからない。好ましいと思う気持ちはわかる、好ましくない気持ちもわかる。でも多分、ユーシェア様の言う愛とはそれだけではないのだろう、と言う事もわかる。
教わるような感情ではないのかも知れないけれど、教わりもせずにわかるものとも思えない。
困惑する私に、ユーシェア様は先程までの熱を少し収めた様子で穏やかな微笑みを向けてくれる。
「戸惑わせてしまってすみません……ただ、貴女に気持ちを伝えたかっただけなのですが」
「いえ…私の方こそすみません、そんな事を、考えた事もなかったので…」
「そう、ですよね……では、考えてみていただけますか?」
「考える…」
どう考えればいいのだろう、と思考を揺らしながら、ユーシュア様の左手に捕らえられたままの右手薬指に嵌められた指輪を眺める。
私の指にある夫婦の証たる指輪は、ユーシェア様の髪色と同じ淡い金の色をしています。ユーシェア様の指輪は私の髪色と同じ銀の色。
「急がなくても良いので、リフィラ様が私に想われる事が嫌ではないか、まずはそこから」
「ユーシェア様に、想われる事……」
想われる、と言うのがどのような状態なのかがよくわかってはいないけれど、おそらく嫌ではないだろうと思う。
「えぇ、それが不快であったり嫌だと思われるのであれば、私は貴女への愛を忘れる様努めます」
「忘れる、のですか?」
「育てなければいずれは消えるモノですからね、それが早いか遅いかの違いです」
「育てる……想いを?」
忘れたり、育てたり、感情と言うのは随分と自由なモノらしい。
わからないけれど、ユーシェア様が急がなくても良いと言うならば考えてみようと思う。
包まれたままの右手のあたたかさが、なくなってしまうのは少し惜しい、と思う程度にはユーシュア様との時間を快く感じているようなので。
なにせ夫婦になったばかりで、私の役目が終わるまではまだ20年程あるのだから。
「考えてみます」
「…! ありがとうございます」
「少なくとも、今こうしている事は快いと感じています…ですが、それ以上は…」
考えた事もないモノと向き合うので、時間がかかってしまうかも知れませんけど、と先置いた言葉に、ユーシェア様は笑みを深めて待ちます、と答えてくれた。
その笑みに、少し胸が温かくなったような気がした。
ユーシェア様の熱が、うつったのかも知れません。
想われる事、想う事。私の存在意義の外にある事。
それを知って、育んでいけるのであれば、きっと幸福な事なのでしょう。
***
「ユーシェアさ…」
「呼び捨てにしてください、とお願いしましたよね、リフィラ?」
さま、と続けようとした唇に、手袋に包まれた指がそっと押し当てられた。
今夜はギリアム侯爵家主催の夜会の日。ホスト側としての挨拶が一段落した所で、一度休憩室に下がりませんかと呼びかけようとした所でした。
こちらを注視する人達は多くなく、見ていた人達は微笑ましいものを見たという表情の方ばかりですが、それに一層羞恥を煽られる心持になります…。
「ちかいです……ユーシェア…」
こちらを覗き込むようにしているユーシェアの手を退けながら、目線を外す。
頬が熱を持っている気がしますが、気取られていないと思いたい。
ユーシェアから想いを伝えられた夜に、一つ約束をしました。
敬称なしで呼び合う事。
おかしな事ではありません、夫婦ですから。だと言うのに、うっかり敬称をつけてしまうので気をつけなくては。
敬称をつける度に距離を詰めて注意されるので、とても気恥ずかしいし……と思っていたのに、またやってしまいました。
私の手に逆らわず、一歩下がるユーシェアに、安心しつつも少し寂しさを感じ…その感情に困惑してしまう。
最近よくある感情の揺れを収めるように、一度深呼吸。
「一度休憩室に下がろうと思うのですが、どうでしょう?」
「あぁ、そうですね…人の波も一段落しましたし……」
そう言って周囲を見回したユーシェアを、少し離れた所から呼ぶ声がありました。
先ほど友人だと紹介された方々のようです。
「あちらの話を聞いてから向かうので、リフィラは先に休んでいてください。」
「わかりました」
友人同士の交流にわざわざ首をつっこむ必要もないでしょう。
お言葉に甘えて、先に休憩室に下がる事にします。
会場広間から一区画ほど奥まった所に、休憩室は用意されており、休憩室外には警備兵が二人、室内にはメイドが数人控えていて、軽い飲食や化粧直し等の対応をしてくれる事になっています。
室内に用意された二人掛けソファに腰かけて、温かい紅茶をいただいていた私に人が近づいて来ました。
夜会の早い段階で挨拶した、親族の女性。名前は確か…
「コリーン様でしたね、私に何か御用ですか?」
私の前に立つ女性は、その手に水の入ったグラスを持っていました。
こちらを見下ろしたまま、唇を硬く引き結んだ表情をしており、機嫌が悪いのか気分が悪いのかどちらだろう…と思案している目の前で、コリーン嬢はグラスを振り上げ、中身を私にかけようとして来ました。
ただの水ですが、故意に向けられた水。
それは、私に施された守りの術によって、全てそのままコリーン嬢に返されました。
ばしゃり、とコリーン嬢のドレス胸元辺りを濡らした水は、何事かを叫ぼうとしていた口にも少なからず入ったようで、彼女は濁った音をさせた後で盛大にむせ始めました。
しゃがみこんでむせている彼女の背をさすりながら、こちらに向かってきていたメイド達に拭く物と飲み物を用意させます。
「落ち着いてください、まずはお顔を拭いて…」
「こ゛の゛…と゛ろ゛ほ゛う゛ね゛こ゛か゛…!」
顔から出るモノが大体出ているような顔を拭くように、とタオルを渡そうとした私に、水を通したような濁声で向けられた言葉。
えー…それは落ち着いてからちゃんと言うのではダメだったのですか…?
と思いながら、とりあえず彼女の顔面にタオルを押し当てます。メイクも大変な事になりそうですが、一旦顔の水気を取るのを優先しましょう。
まだもがもがと音を出しているのを気にせず、力強く顔面を擦れば、やっと静かになりました。
メイド達はドレスの胸元を拭い、汚れたタオルを回収した後、コリーン嬢を近くのソファに座らせています。近くの卓に水を置いた所で、私の指示を伺って来たので、この後の身繕いに必要そうな物を確認しておいてもらうように頼んでおきます。
コリーン嬢が喉を潤して一息ついたのを確認してから、改めて用向きを尋ねる事にしました。
「それで、何の御用でしたか?」
「あんたに文句言いに来たのよこの泥棒猫!」
「どろぼうねこ……ああ、さっきそう言ってたんですね」
ごぼごぼした音に紛れてよく聞こえてませんでした。で、泥棒猫ってなんですか?
笑顔でそう応え、先程座っていた向かい側のソファに戻った私に、コリーン嬢は眦を吊り上げて更に続けます。
「あんたがいなければ、私がユーシェア様の妻だったのに! ポッと出のくせに私の恋人を奪うなんてサイテーよ!」
おっと話が通じない人のような予感がします。大丈夫かなこれ?
コリーン嬢はギリアム侯爵の親族。私とギリアム侯爵家直系子息との婚姻によって、加護が強化される立場の未婚女性。
私がギリアム侯爵家に嫁ぐ事が決まった10年前の時点で、親族間での婚姻は成されない事が決まっていたはずです。
ですので、私の婚姻相手が誰であろうと、彼女がユーシェアに嫁ぐ事はなかったはずなのですが。
どう返事をしたものか…と首を傾げている所に、ご友人との歓談を終えたらしきユーシェアが休憩室にやって来ました。
彼女の声が扉の外まで届いていたらしく、状況は把握しているご様子。
「私の婚姻は、リフィラが嫁いでから決まる予定だったから、恋人も妻予定の相手もいなかったんだけど……君は、どちら様かな?」
「ユーシェア、お疲れ様です」
「お待たせしました、リフィラ」
隣に座っても? と問われたので、どうぞと返し、控えていたメイドに私と同じ紅茶を頼みます。
ぼんやりとユーシェアを目で追っていたコリーン嬢は、恥じらうように顔を俯けましたが…メイクを直しに行くように勧めた方が良さそうな気がしてきました。なかなか…ひどい事になっているので…。
「あの、コリーン嬢…お話は後でちゃんと伺いますので、メイクを直していらした方がよろしいかと…」
言い終えない内から睨まれた。メイクの崩れ具合も相まって、大変迫力がございます。
「あぁ、コリーン嬢だったのか、随分と…その、斬新なメイクをしているから…誰なのかわからなかったよ…」
「ユーシェア様…」
申し訳なさそうに目線を逸らしながら言うユーシェアを、コリーン嬢は目を潤ませて上目遣いに見ていますが……なかなか直視が厳しい状態です。
私はメイドを呼んで、手鏡をコリーン嬢に渡すよう頼みました。
手鏡を渡されたコリーン嬢は悲鳴を呑み込んで化粧室へと急ぎ向かいました。メイドを一人付き添わせたので、斬新メイクとはお別れして戻って来る事でしょう。
「リフィラの方が大変だったみたいですね、一人にしてしまって申し訳ない」
「気になさらないでください」
「それにしても、コリーン嬢の認識は問題ですね……加護を軽視しているリストに名はなかったはずですが、他家とのつながりについての認識が甘いのでしょうか……一度、改めて加護の強化についての話と、この先に控えている他家との婚姻について通達をしておく必要がありそうですね」
「そうですね…今のギリアム侯爵家で親族間の婚姻などすれば、他家の反感を買いかねません」
精霊の娘を娶った家門では、強化された加護を持つ者を他家と縁付かせ、その家門の加護が今以上に弱まらないようにするのもの重要な役目。
加護自体を信じていなかったり、軽視している者には警告と実地で体に理解してもらったが、他家との縁付きを軽視している者にも何らかの対処はした方が良さそうだ。
その辺は、ギリアム侯爵閣下も含めて後ほど相談しよう、と言う事になった。
「あまり休んだとは言い難い事になってしまいましたが、そろそろ戻らないといけないですね」
「そうですね…」
そう言えば、コリーン嬢は戻ってこなかったなあ、と思うと同時に、先程の彼女の言葉を思い出す。
「あの…ユーシェア」
「はい?」
「コリーン嬢との事…ごめんなさい、私が嫁いだ事で貴方達を別れさせる事になってしまったのでしょう?」
精霊の娘との婚姻は形式上の話なので、他の女性と睦まじくする事も、子を生し育む事も認められているとは言え、同家門の相手となれば話は別だ。そこはどうしても他家との繋がりが優先される。
婚姻できる程度に離れた親族同士の恋は、平時であれば認められるモノも、今のギリアム侯爵家門では婚姻を赦される事はない。
そんな所まで私が責任を感じる必要はないのだけれど、知ってしまえば罪悪感を感じないわけにもいかない。
そう思って見つめた先で、ユーシェアは絵に描いたような困惑顔をしていた。
あれぇ…?
「……あー…コリーン嬢がなんかそんなような事を言っていましたね…」
「えぇ、恋人だったと…」
記憶を探るように中空を見つめながら、ユーシェアが絞り出すように声で呟く。
組んでいた腕をほどいて、目線を落とし、右手で軽く眉間を揉みながらユーシェアが続ける。
「恋人であった事実はないから、気にしなくていいですよリフィラ」
「え…そうなんですか……?」
「えぇ、何だったら、私は彼女に嫌われていると思っていましたし」
曰く、姿を見れば逃げ、物陰から睨むように見ていたり、話しかければ不機嫌そうな顔をして余所に行ってしまったりと、まともに交流した記憶がないそうだ。
「彼女が私の事を好いてくれていたのだとすれば、あれは照れ隠しだったのかも知れませんが……あの交流とも言えない時間しか経てない相手から、恋人扱いされるのは…理解できない、と言うより、恐ろしいですね……」
だって恋人と言う事は、相思相愛だと思われていたと言う事でしょう…? とやや血の気の引いた顔で言うユーシェア。
私は何と言っていいのかわからないまま、ユーシェアの肩に手を置く事しかできなかった…。
「愛とか恋とかって…難しいですね」
「難しいですね…」
可能な限りわかりやすく伝えるようにしますね、とユーシェアが真面目な顔で伝えて来るのが、すこしかわいいなと思ってしまったのは内緒にしておきます。
多分仲睦まじい夫婦になるはず。
虫の繭は『孵る』ものではない事はわかった上であえて書いてますが、うまい言い回しが思い付いたらしれっと変更するかも知れません。




