Ver.4.2.0 強敵エンカウント
「ふんふふ、ふっふ〜」
鼻歌を交えながらトイレから出た。最近よくショート動画で流れているBGMということと、サビの部分だけを知っていて曲名は分からない。
なぜ歌いたくなったのか。理由は分からない。ただ、歌いたくなったからだ。
広々とした店内は明るい声で溢れかえっていて、私の鼻歌は華やかな声と共に辺りへと溶け込んでいった。
みんな楽しそう。今日は金曜日だもんね。
私もさっきから足取りが軽くて妙に気分が良い。これが華金パワーか。
「かえり道は〜」
行きは店員さんに連れられて、なんとかトイレにたどり着いたけど……。問題は帰り道だった。
「どっちだ……?」
覚えている。覚えているはず。……たぶん。
えーと、うちの会社は……。
「こんなところ通ったっけ?」
断片的に覚えている構造を思い出してなんとか歩き出したが、かなり怪しい。
「ここだ!」と思って開けようとしたところも中から全然知らない人が出てきて、咄嗟に手を引っ込めた。
テーブル席に座っているお客さんの顔なんて覚えていない。あそこに飾ってある絵は見たような気もするし……。非常に困った。
うーん……。ちゃんと思い出すしか無い。
たしか、
「左に曲がって……左に曲がる?」
何か違う気がする。分からないけれど。直感的に。
「……まあいっか」
歩いていればいつか着くと思う。漫画のセリフにも″人間は心理的に左を選ぶ的″なことが書いてあったし……左に曲がっちゃえ。
適当に歩いて、気分次第に角を曲がる。
浮ついた足取りはその後も止まることなく、左に曲がり続けていた。
「あれ……ここ、さっきも見たような……」
もう何度も通った気がする角を曲がりかけた、その時――
「おっと」
「――わ!」
近づく影に気付かず、危うく人とぶつかりそうになってしまった。
間一髪のところでお互い身を引き、怪我をすることはなかったけれど、危険なことには変わらない。
私は急いで頭を下げた。
「すみません〜……」
「こちらこそ、申し訳ない――って」
なんだかどこかで聞いたことのある声のような……ないような……。男性の声は酔っているのか声がだいぶ浮ついている。
そして、この男性は私と近しい人物であることが分かった。
なぜならば、
「柊さん?」
と、私の名前を呼んだからだ。
「……はい?」
ゆっくりと顔を上げて、姿を確認する。
するとそこには――
「よっ」
鼻歌混じりに歩いていた私よりもさらにうえをいくご機嫌具合で、笑顔を浮かべる菅野さんの姿があった。
「あー……」
こんな所で会うなんて……。
会いたくない人ランキング、堂々の第一位なんですけど。おめでとうございます。
そしてとてもタイミングが悪い。
「どうも〜……」
結構な量を飲んでいるのか菅野さんから強いアルコール臭が放たれている。うわぁ、反面教師にしよ……とだいぶ失礼なことが過ぎった。
菅野さんは私にそんなことを思われているとはいざ知らず、
「どう?送別会、楽しんでる?」
と、絶賛店内迷子中の私にこの場の感想を求めてきた。
「……はい。すごく、楽しいです、けど……」
私はここから立ち去りたいので適当に感想を述べた。
早く戻りたい……。
戻りたいのに菅野さんが通路を塞いでるせいで通るに通れない。……まあ、この先で合ってるかどうかも分からないんですけども。でも菅野さんが曲がってきたということは、ここを曲がるのが正解なのかもしれない。
会釈をしてさっさと立ち去ろう。
話はそこで終わりだと思っていたのに。
「ではまた〜」とにこやかな笑顔を振る舞うつもりだったのに。やはり菅野さんは一筋縄ではいかない。
菅野さんは私の期待を裏切り、思いもよらぬ発言をした。
「こんなとこでなんだけど、柊さんとは一度話してみたかったんだよね〜」
……なんですと!?こっちは全然話したくないのですが!?
後頭部を掻きながら菅野さんは「ははっ」と笑っている。
「そうだったんですねーうれしいですー」
思ってもないことを言うと、人はこんなにも棒読みになるんだ。
ここは付き合うしかないのだろうか。どうにかして断れないだろうか。
菅野さんは一応、立場的に上の人ではあるので私から断りを入れることは躊躇ってしまう。
「どうかした?」
「い、いえ……」
いろいろと考えた結果、選択肢はない。
ここで断った所でまた勇崎さんに飛び火しちゃいそうだし……。仕方ない……こんな場所で長話にはならないだろうし、少しだけなら……。
「あそこうるさいからさぁ、話できないよね〜」
「賑やかですよねー」
「柊さん、結構飲んだ?」
「それなりには……あはは」
しかしこの後――
私の決断はやはり間違いであった。
と、後悔することに。
*********
「まだ若いし……うちの会社でずっと居るつもりなの?社員とか目指してる?」
「まだ先のことは考えてませんねー。社員化は目指してますけど……」
「もっと上を目指してもいいんじゃない?」
「そうですねー」
「そういばさっきうちの事務の子がすごい声上げてたけどあれ何?俺、びっくりしちゃったんだけど」
「ちょっとしたハプニンがあったんですよね~すみません〜……」
「課長のテンション見た!?」
「は、はい……うちの武藤も珍しいって言っていました」
「武藤?あー……武藤くんね!うんうん、彼もねぇ……若いのに頑張ってるからさぁ――」
長い……長すぎる……。
立ち話だしすぐに終わるだろうと思っていたのに。
菅野さんの口は止まることを知らない。一方的な会話は途切れることなく続いている。
私は終わりの見えない会話に付き合う羽目となってしまった。
三十分以上は話しているのではないだろうか。
話の内容は主に社内の話とこの送別会の話。しかも、今後のキャリアプランにまで口出しをされる始末。おせっかいにもほどがある。
唯一良かったという点を上げるとするならば、職場の話しかしてこないところだった。プライベートの話を振られた時には、無礼だとか関係なく速攻でこの場から逃げるつもりでいた。
「俺の中の柊さんの評価は高いよ~」
「本当ですかーありがとうございますー」
「柊さんはテキパキ仕事してくれるって、上から評価も高いからね~。そのうちどこかの部署に取られちゃいそうだよ」
「あはは……」
「ずっと営業部にいてくれないかな〜なんて、俺は思ってるんだけどね」
「そこは人事にお任せですね〜」
いい加減、この場から離れたくなってきた。
この人も適当に相槌を打たれて虚しくならないんだろうか。そもそも、私のこの棒読みに気づいていないのでは……?
いつになったら止めてくれるんだろう。いっそのこと「そろそろ戻ります〜!」とか言っちゃう……?
「うちのチームは仲良くやってるだけで、仕事の出来は……ねぇ?」
「そうなんですかー……」
それはもちろん実感しておりますとも。あなたたちが繁忙期に起こしたミスの数々……私が忘れているとでも?
「使えない下が居ると、上も苦労するんだよ……」
もういいや……戻ろう。
なんかムカついてきたし、ずっと立ちっぱなしで足も疲れてきたし。
理由をつけてこの場から逃げよう。はなすコマンドはもう終わりにしたい。
私の頭の中はにげる方法で検索をかけているというのに、菅野さんはその間もずっと喋っていて一方的な会話は止まることを知らない。
そんな時――
奥の方に見える襖が開かれて、一人の女性が出てきた。部屋の中が見え、見知った光景が目に入る。
「……!」
絶対、あの部屋だ!百パーセント合ってる!!あの女性も別のテーブルで見た……!
やっと戻るべき場所を見つけられて、希望が湧いてきた。
さて、あとは適当に理由を付けるだけ。棘もなく、いざこざも生まず……うまく言わなければ。
「そうそう、上と言えばさぁ――」
ほとんど話も聞かず考えて込んでいた矢先――菅野さんが急にため息を吐いたかと思えば、今度は不適な笑みを浮かべ始めた。
何か嫌な予感がする。
「君のとこのリーダー、勇崎くん。彼って本当に難しいよねぇ……扱いが」
語尾を強めていっているのはわざとなんだろうか。
半分以上聞き流していたせいで話の前後がわからない。
「ええと……」
だけどいま、勇崎さんの名前が聞こえてきたような気がする。
私は思わず眉を顰めた。
「愛想悪いし、仕事できるからって強気に出てきてさ……すごく苦手なんだよ。俺、仮にも先輩だよ?普通そんな態度取れる?絶対舐めてるとしか思えないんだけど。大体さぁ――」
聞き間違いかと思ったけど、聞けば聞くほど勇崎さんに対する愚痴だ。酔いで微睡んでいた菅野さんの目を見ると、あの時と同じく、ひどく蔑んだ目をしていた。
「柊さんも負担じゃない?あの突き放してくる感じとかさ……。同じ立場から言わせてもらうけど、あんなんじゃリーダー失格だわ。チームの雰囲気ぶち壊し。それに他部署の子だって「話しかけなんですけどすっごいこわかった〜」って怖がってたし……みんな怖くてもの言えなくなっちゃうよ」
「そう思うでしょ?」――同意を促すような視線。私はすぐにそれから逃れると、返事をしたくなくて口を固く結んだ。
その他部署って誰のことなのよ。まさかとは思うけど、仕事中に関係のない話を振った子じゃないでしょうね?
菅野さんは何も答えない私を見つめた後、また小さくため息を吐いた。
「……ま、自分とこのリーダーの愚痴なんて言えないよね。……でも、俺でよければいつでも相談に乗るからね?」
不満が積もりに積もっていく。無意識のうちに握っていた手はわずかに震えていた。
なんで好きでもない人との長話に付き合った挙句、一番触れて欲しくない話題を強制的に聞かされなければならないんだろう。
菅野さんの口から勇崎さんの名前が出たのが癪に触る。こんなことならさっさと退散すれば良かった。
「柊さん」
革靴の音がこつんと鳴る。
菅野さんは私の前に一歩踏み出し、声を潜ませて言ってきた。
「あんなやつのとこじゃなくてさ、「菅野さんのチームに行きたいです」って言ってくれない?」
その一言が私の堪忍袋の緒を切った。
「嫌ですけど?」
「――え?」
私は呆気にとられている菅野さんの横を通り過ぎる。
馬鹿馬鹿しい……今日がエイプリルフールだとしても言わない冗談を私が言うわけないじゃない。
「柊さん……?」
もう顔も見たくないけれど私は一度だけ後ろを振り返り、口を開けたまま放心している菅野さんに向かって言った。
「言っときますけど、私が菅野さんのチームに行くことはぜっ……たいにないです!断言できます。ありえないです。万が一行くことになったその時は――会社を辞めます」
「……ちょ、ちょっと」
「勇崎さんのこと何も知らないくせにチクチクチク……やり方が汚いといいますか陰湿といいますか……はあ。……本当にリーダーなんですか?一番、頑張ってるのはあの人ですよ?」
「……」
「それに勇崎さんはああ見えて、とても……とても、優しい人ですから……!」
菅野さんは私を引き止めようと手を伸ばしていたが、そのまま固まってしまっていた。
私は我慢していた全てを菅野さんにぶつけると前へ向き直し、歩きだす。
「なによ……むかつく……」
カツカツと鳴るヒールは今の気持ちを表しているようだった。
もう後ろを振り返ることはない。これから菅野さんと話すことがあったとしても今度は冷静でいよう。
「疲れた……」
大きく息を吐く。
言ってやった、という事実が少しだけ収まらない気持ちを鎮めてくれた。




