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家の隣に魔王が住んでいる!  作者: 白鈴サキ
Version3 それぞれの変化
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Ver.3.10.0 ハッピーサプライズ!

 私は当時の自分と重ねてしまって――。

 過去の記憶に思い耽った後、私は小さくため息を吐く。

 


 勇崎さんは……まださすがに来ないか。

 気にかけている人物はまだ姿を見せていない。

 私は空っぽの前の席を見つめながら、最後に見た勇崎さんのの後ろ姿を思い浮かべていた。

 結局、金曜日も何時まで残っていたのか分からない。ポーカーフェイスな勇崎さんではあるけれど、先週は誰が見ても分かるほどひどくやつれた顔をしていた。

 あまり無理はしないでほしいな……。


 徐々に出勤してくる人も増え始め、来てほしくない日常が訪れようとしている。今週も今日も含めてこれからあと五日間も頑張らないといけないと思うと気が重い。

 

 そんな中、今になって睡魔が私を襲い始める。

 やっぱり、もうちょっと家で横になっていればよかったと後悔してももう遅い。

 うとうとと眠気がやってきて、最初のうちは抵抗していたものの、「まだ時間あるし……」と机に顔を伏せればあっという間だった。瞼はすっと落ちていった。

 

「おはようー」

「おはようございます」

「休日なにした?」

「週末はパーっと飲みに行きません?」


 他部署から聞こえてくる会話は、今では心地の良い雑音として聞こえてくる。


「……」

 

 呼吸が深くなっていき、視界が暗闇へと落ちていく。

 私の意識はしばらくもしないうちに、現実と夢の間に挟まれた。


 

 ――実はマグさんに 聞いてもらいたいことがあって

 ああ、これは昨日の会話だ。

 鮮明な記憶が夢となって目の前に現れた。

 私の目の前で立ち尽くしているカインさんの表情は、ひどく苦しそうだった。

 私は昨日伝えた言葉を声に出そうとするけれど、喉の奥で何かが突っかかって出てこない。必死に身振り手振りを交えて、伝えようとする。

 私の呼吸はどんどんと荒くなっていき、それでも声に出そうとしていたら、バチっとそこで電源が落ちた。



「――はっ」


 がくっと腕の隙間に顔がずり落ち、衝撃で意識が浮上する。

 視界がぼやっと広がっていくのと同時に、さっきまで無音だった世界に雑音が混じりだした。


「ゆ、夢か……」


 昨日の光景がそのまま出てくるなんて、なんか……変な感じ……。

 夢から醒めたあと、声が出なくて焦っていた時の苦しさだけが今も尚、残っている。

 私は呼吸が少し乱れていることに気づいて、深呼吸を繰り返した。


 すごいリアルだったな……。

 一時の映像は時間が経つにつれ、不思議な感覚を残したまま、記憶の中へと溶けていく。

 

 そんなことより……!

 私は急いで顔を上げ、辺りをきょろきょろと見渡した。

 寝落ちしていた姿を誰かに見られていたらと思うと、恥ずかしくて仕方がない。

 しかし、周辺は変わらず空席が目立っている。

 この姿を誰かに見られた可能性は低そうだ。幸いにも、私のチームに関してはまだ誰一人として出勤してきていなかった。

 ほっと胸を撫で下ろす。

 良かった〜……。武藤にでも見られていたりしたら揶揄われるに決まってる。「顔に跡ついてんぞ」とか平気で言う。あいつなら。


 それでも、そろそろ時間的に誰かしら出勤して来るだろうと出入り口に目を向けてみると――


「あ――」


 タイミングよく、ぼやけた視線の先で見慣れた人物が執務室に入ってくるのが見えた。

 その人物はすれ違う人と挨拶を交わしていて、私の視線には気付いていない。

 紺色のジャケットを左腕にかけ、手提げ型のビジネスバッグを持つ手は軽やか。窓越しに入る朝日も相まって、こちらに向かってくる整然とした姿は柔らかい光を帯びていた。

 その人が私の傍に着いた頃には、ついに――

 

「おはよう」


 ぱちりと目があった。

 

「おはよう、ございます」


 寝起きの私とは正反対の落ち着きのある凜とした声。月曜日だというのに億劫さを感じさせない、すらりと伸びた姿勢。

 颯爽と目の前に現れたのは、他でもない――勇崎さんだった。


 勇崎さんは視線は外すと、手に抱えていたジャケットを椅子に掛け、デスク横のフックに鞄を預けた。

 すぐに業務用のスマートフォンを手に取った後、画面を確認しているのか立ったままじっと見つめていた。

 パソコンの電源が入り、無機質な起動音が鳴る。そこでやっと、彼は席に着いた。

 

「……?」

 

 あれ――?

 座った後も準備の続きに取り掛かっている勇崎さん。そんな彼を見ながら私はぱちぱちと瞬きを繰り返す。

 

 えっと……なんだろう、この違和感は。

 勇崎さんの横顔が目に入った時、私は何かに気づいたのだ。頭のどこかで「今日の彼はいつもと違う」と捉えている。

 けれど、特段、勇崎さんに変わった様子は見受けられない。

 いつも着ているスーツ。落ち着きのある色をしたネクタイ。

 髪型は――全体的に少し短くなったような気もするけれど……この違和感の正体ではないと思う。

 じゃあこの違和感は、一体なに――?

 

 勇崎さんの方向からプルタブが開かれた音が聞こえてきた。きっと、いつも飲んでいる缶コーヒーを開けたに違いない。

 空調の風にのってコーヒー独特の香ばしい匂いがほのかに鼻先を掠める。少しだけ甘ったるい。

 大人な味わいを感じる匂いが漂う中で私は、勇崎さんが執務室に入ってきたところから彼の姿を思い返し、違和感の正体を突き止めようとしていた。

 服装、髪型、持ち物……他にこれといって普段とは違うような部分はない。

 分からないなぁ……勘違いではないと思うんだけど。


 私が悶々と頭を悩ませている傍で、缶コーヒーを一口、口につけたところで勇崎さんのモーニングタイムは秒で終わりを迎えていた。

 仕事に取りかかろうとしているのか、すぐにキーボードがカタカタと鳴り出したのだ。

 ぴたりとその音が止んだと思えば、


「武藤、今日の取引先は――」

 

 次は電話をかけていた。

 電話越しの武藤と話をしながらもマウスのクリック音が時折聞こえてくる。手元でメールを確認しているのだろう。

 どれだけ器用なんだこの人は……と、思わず感心をしてしまう。

 始業時間まで時間はあるというのに。相変わらず、忙しそうだ。

 そのまま違和感の正体を探るように勇崎さんを観察し続けていると、


「――遠慮しておく」

 

 武藤が電話越しに何か冗談を言ったのか、勇崎さんの声色が一瞬――ふと、緩んだ。

 私はその変化を見逃さなかった。

 勇崎さんを捉えている目がゆっくりと見開いていく。


「あー……」


 そういうことだったんだ――。

 

 少しだけ口角の上がった顔は先週よりも穏やかで。

 顔色は――見違えるほどずっと良い。

 心なしか普段よりも声が明るいような気がしなくもない。

 気づいた時には私の口角も自然と持ち上がっていた。

 

 今日は、なんでこんなにも明るいんだろう。

 この週末にリフレッシュできたのかな。

 それなら、よかった――。

 

 違和感の正体はこの明るさだったんだ。

 外見じゃなくて雰囲気だったかー。いやー、意外と分からないものなんだなぁ。

 謎が解決し、一人でうんうんと納得するように頷いていたのも束の間――。

 私の中でまた一つ。

 気になることがぽこんと生まれ落ちた。


 そもそも勇崎さんって休日は何して過ごしているんだろう……?


「……は?」


 なんで私はそんなこと気にしてるの――!?

 自分が疑問に思ったことなのに、どこからこの興味が出てきたのかが不明すぎる。

 これ以上、考えないように心がけていたけれど、気にすれば気にするほど興味が湧いてくる。

 頭を抱え、「考えるな、考えるな……」と唸る私をさておいて――


「その件は俺がやるから武藤は今の分を――」

 

 勇崎さんは今も武藤と電話をしていた。


 気にならないで欲しいけど……絶妙に気になる……!

 なんなんだこれは。

 結局、考えなかったところでモヤモヤするのは分かっている。

 気にしないことを諦めた私は早速、いの一番に思いついたことから考え始めた。

 

 デート……とか?

 案外、彼女にはベタベタだったりして。

 

 ″彼女に甘える勇崎さん″

 

 字面だけでもなかなか想像がつかないというのに。

 笑顔を見せたり、いつものように刺々しくなかったり……私たちには絶対見せないであろう、奇跡的な一面を彼女に見せていたりするんだろうか。

 逆に俺様系だったらどうしよう。

 その後も考えをやめなかった私の思考はだんだんとエスカレートしていき――

 

「ぷ……」

 

 ついには、架空の彼女の元で子供のようにあやされ、膝枕をしてもらっている勇崎さんの姿を浮かべてしまっていた。


「ふ……」


 ぜ、絶対にない……!それだけはない!だめだ、笑い声が……!

 このままでは渦中の人物に不審がられると思い、漏れ出ていた口を慌てて素早く塞ぐ。

 見られたくもなかったので、隠れるようにしてデスク下で笑いを堪えた。

 

「……ふう」


 危ない危ない……。

 勝手に妄想繰り広げておいて、勇崎さんのイメージを木っ端微塵のめちゃめちゃにするところだった。

 

「ん゛んっ……」

 

 私は咳払いを一つすると、真面目に考えを改めた。

 趣味を満喫している、とか?

 

 というか――勇崎さんの趣味ってなに!?

 手掛かりの一つもないのは、勇崎さんがあまりにも自分に関することを話さないからだ。

 なんせ彼は、自分の歓迎会ですらも簡単な挨拶と自己紹介しかしなかったのだから。分かるはずもない。

 

 うーんと机に肘をつき、考える。

 趣味、趣味ねぇ……何が好きなんだろう……。

 映画鑑賞、音楽鑑賞、スポーツ観戦。最近流行りのガーデニング、DIY……。思いつくどれもがイマイチしっくりとこない。

 サブカルが好きだったりして。例えば、アニメとかゲームとか。

 読書とか一番ありえそう。勇崎さん、落ち着いてるし。イメージにもぴったり合う。

 晴れやかな休日――。

 丁寧に豆を挽き、コーヒーを淹れ、香りと味を嗜みながら、窓辺で日差しを浴び、お気に入りの本を読む。気持ちの良い風が部屋全体に吹き通り、爽やかな午後のひと時を感じる……そんな少し憧れのある生活をしているのかも。

 さすがに今の季節に窓辺は暑いけど……。

 特別な休日ではないけれど、ほっとするひとときを楽しみにしてる――うんうん、ありえそうだ。

 しかしどれだけ私の中で候補が出てきても、本人の口から答えが出るまで正解はない。

 武藤なら何か知っているのかもしれない。なんか知らないけど仲良さそうだし、たまに二人で飲みに行ってるらしいし。忘れてなかったら、今度、聞いてみよう。

 それにしても――

 私は立ち上がっていた勇崎さんを見上げながら思う。


「相羽さんは今日遅れてくるって連絡があった」

 

 プライベートが謎に包まれた男――勇崎麻央。恐るべし。

 あまり自分のことを話したがらない人なのか、そもそもそんな話をするタイミングがないからなのかよく分からない。

 逆にこの、「ミステリアスな感じが良い!」と聞こえてくることもあった。

 ミステリアス……私にはただの魔王にしか見えないけれど、勇崎さんのことを影から慕う、一部の女性からは魅力的に映っているのかも。

 そう考えると、隣人が勇崎さんだと知ったあの夜――あの時、私が見た上下スウェット姿の……デコピンスタイルはかなりレアだったのかもしれない。

 オフの時間はあの恰好がマストなのかな。メガネもかけてなかったし、いつもとは違う雰囲気ですごい新鮮だったのを覚えている。あと目つきの悪さにさらに拍車がかかっていたことも……。

 ミステリアスとはかけ離れ、ラフな格好をした彼の姿はまさにギャップの塊。

 クールな姿の延長線を思い描いている人がいるとしたら、イメージとかけ離れてしまうのかもしれないけど。

  

「柊さんには伝えておく。武藤も――」

 

「――!?」


 突然、私の名前が聞こえてきて、びくりと肩が跳ね上がる。

 ノートパソコンがパタリと閉じられた音に反応して、私も我に返った。ことんと缶が机に触れた音がした。

 

 う、うわぁ……。

 さっきまで黙々と他人の休日について興味津々だった自分にドン引きしてしまう。

 なんでこんなに勇崎さんのこと考えてたんだろ……。

 

 現実に戻ってきた私はやれやれとため息をつき、仕事で使うソフトを立ち上げようと画面に目を移した。視線は右下に表示された時刻をかすめた。

 始業時間の十分前。あと少しで始まっちゃうなー。

 背筋を伸ばした時、そこでやっと、あることを思い出した。


「やば、忘れてた……」


 日頃のお礼とお疲れ様の意味を込めて、渡そうとしていたお菓子の存在を。

 机に備え付けられているキャビネットの下段を引き出すと、小さな箱は奥深い広いスペースの奥へとしまわれ、ひっそりと佇んでいた。それと鞄の中にしまっていたお菓子の詰め合わせをゴソゴソと取り出すと机の上に置いた。バラエティパックとシックな色合いの四角い箱。これは今朝、途中のコンビニで買ってきたもので勇崎さんに渡すのはこの四角い箱の方だ。


 渡せる時間、あったかなぁ……。

 先週の彼のスケジュールを思い出す。

 超過密に詰め込まれた予定の数々――日中、席にいることは少なかった。

 一抹の不安がよぎる。

 今日も似たような感じだったらどうしよう。

 急いで今日の予定を確認するが――


「うわぁ……」


 全然空いてない……。

 ぴっちりと敷き詰められたスケジュール。それは終業時間を過ぎてもはみ出していた。そのうち会議が約半数以上を占め、席にいる時間はちょっとばかり。

 その少しの時間も作業があるだろうし、貴重な時間に邪魔をされても迷惑な気がする。

 明日以降渡す……?でも、明日も結構入ってるな……というか、今週もうぱんぱんじゃん……!

 

「……」

 

 私は少し考えたあと、ぐっと拳に力を入れた。


「よし……」

 

 まだ、間に合う。今しかチャンスはない。

 箱を持ち上げると、中でかさりと小さく揺れた。箱の中身はチョコレート。ほろ苦い甘さが売りだと書いていた。

 コーヒー好き(であると思う)勇崎さんにはぴったりだと思い、選んだ。

 ふう、とゆっくりと息を吐ききる。

 勇崎さんと面と向かって話す機会はそう多くもないので、緊張しているのかもしれない。

 手に汗がじんわりと滲んでいる。


「じゃあまた、戻ってきた後に」


 電話が終わる。

 勇崎さんがスマートフォンを耳から離したその隙を狙って――私は思い切って声をかけた。


「勇崎さん……!」


 思い切りが良すぎたせいで、声が予想以上に張った。

 ちょっと恥ずかしい。


「――どうした?」


 勇崎さんから一拍あって反応があった。

 私から話しかけることが稀だからか、少し珍しそうな反応だ。

 すみません、朝っぱらから……そんな大したことじゃないんです。仕事の話でもないんです……。

 なんとなくサプライズ感を出したかったので箱を背中に隠したまま、私は急いで勇崎さんの席に寄った。

 

「なんだ?」


 私が傍に行くと勇崎さんは体を横に向け、私を見下ろした。


「えっと――」

 

 相手に感謝の気持ちを伝えるという行為は、今になって少しの恥じらいを持たせてくる。

 視線が交わると同時に、体温がぐっと上がったのを感じた。


「急にすみません」


「いや、大丈夫だ。何かあったのか?」

 

「いえ、実は――」

 

 こんなことをするなんて私らしくないな、と思う。

 好意を寄せているわけでもない。親しい仲でもない。

 それでも土曜日に思いついた、お礼をしよう″という気持ちは本物で――。

 今、こうして行動している。

 労わりたいという気持ちが、私を動かしたのだ。それも、前は苦手だと思っていた人だというのに。

 

「……」

 

 詰まる言葉。いつの間にか下を向いていた視線を持ち上げる。

 私の言葉の続きを勇崎さんは静かに待っている。急かすこともなく、不思議そうな眼差しを向け、じっと待ってくれている。

 言っちゃえ、柊真――!

 ここで言わねば女がすたる。「何しに来たんだ?」で終わってしまう。

 私は息を飲みこむと、ついに、背中に回していた小さな箱を勇崎さんの前に差し出した。

 

「最近ずっと私たちのために動いてくれてたので、その……お礼です。これを、どうぞ……!」

 

 ″至福のひと時。ほろ苦い、甘さをあなたに――″

 パッケージに書かれたキャッチコピー。高カカオ使用の大人びたチョコレート。

 甘すぎず、苦すぎず。

 日頃多忙の勇崎さんの疲れを少しでも減らしたくて。

 そして、私が勇崎さんにお菓子を渡す理由にはもう一つ、別の理由も籠められていた。


「あと――」

 

 その理由は、伝える予定ではなかったというのに――。

 先ほど見た夢が、先週の記憶が――ふと過ぎ去っていき、私の口は自然と動いていた。


「これ食べて元気になってくれると嬉しいです」


 メガネ越しに見える、ほんのりと青みを帯びた綺麗な瞳の中には、口をへの字に曲げ、少し照れくさそうな顔をした私が映っている。

 言った――。

 言っちゃった――。

 高鳴る鼓動が相手に伝わってしまうのではないかというほど、私の心臓は脈を打っていた。

 一方で勇崎さんは、差し出された小さな箱と私を交互に見た後――

 

「……」


 固まったまま動かない。


「あ、あのー……」


 慌てて声をかけてみたけれど、なぜか上の空。

 いまは私と箱の間――何もない、無の空間を見ている……ような気がする。

 

 まさか、チョコレート嫌い……とかじゃないよね?

 「甘いもの食べられません」とかじゃないよね!?

 あわあわと焦り出した私は、急いで勇崎さんの好みを思い出していた。

 そういえば、知らないのは趣味だけじゃなかった。私は勇崎さんの好きなものも嫌いなものも知らない。

 唯一わかるものといえば、コーヒーのみ。いつも買ってきているからコーヒーは好きなんだと思う。それ以外はまるっきりだった。

 もしかして――嫌いなもの引いちゃった……?

 絶対、こういうの好きだと思ったのに……!ああ、やっちゃった~!

 私は……一番やってはいけないミスを犯してしまったのかもしれない。

 さらりと流れる冷風が私の背筋を冷たく撫でた。


「勇崎、さん……?」

 

 あまりにも反応がないので名前を呼ぶ。

 これで嫌いだったらどうしよう……切腹もんだわ……。いや、魔王だから闇の魔法で消し去られるのかも。

 誰か、私がやられたら蘇生しておいて下さい……。

 「お嫌いでしたらすみません」――そう言おうと口を開いた時、

 

「――いいのか?」


 勇崎さんは私よりも先に言っていた。少しばかりの不安が混じったような声。

 まるで「本当か?」と念を押すように、勇崎さんは聞いてきた。

 はっとしたような表情をしていたので、まさか……ぼーっとしていた?

 

「……はい!それは勇崎さんのために買ってきたものです!」

 

 なんでなんだろう……とてもあたたかい気持ちが湧き上がってくる。

 

 「あと、あれはみんなで食べましょう」


 机の上にあるバラエティパックを指さしながら私は言った。

 甘いものにしょっぱいもの、なんなりとござれ。これはみんなで残業中に摘まめるように買ってきたものだ。

 あと少し――あと少し頑張れば繁忙期を乗り越えられるからこそ。

 こういった些細な行動でも、みんながすこしでも気を楽にしてくれたら――という思いが強かった。

 たとえ小さなことでも、私が元気を与えられるならそれで良いと思ったのだ。


「柊さん――」


「は、はい!」

 

 勇崎さんは差し出した箱を手に取りると、私の名前を呼んだ。

 緊張して返事をした際に見た目の奥には、曇りのない朝日が差し込んでいて、まるで水面に映るきらめきのように輝いて見えた。

 そして――

 

「ありがとう」


 さらりと前髪が揺れる。

 普段と変わらない表情――だけど、勇崎さんは魔王らしからぬ珍しい言葉を言った。


「……いえ!」

 

 やっぱり――少しずつ、変わっている気がしてならない。

 どうしてだろう。

 瞳の奥で揺れた暖かな光は――少し笑っているような気がするのは。


 始業開始のチャイムが鳴る。

 二人して時計を見上げ、勇崎さんは言った。


「ラスト頑張るか」


「頑張りましょう!」

 

 いつの間にか、最初に感じていた恥じらいは無くなっていた。

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