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家の隣に魔王が住んでいる!  作者: 白鈴サキ
Version3 それぞれの変化
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Ver.3.9.0 きまじめ勇者と卑怯者

 遡ること一週間前――

 事の発端は残業中に起こった。


 時刻は十九時過ぎ。

 いつもに増してバタバタと忙しなかったせいで疲労はピークを迎えていた。この時間になってやっと仕事の目処がつき、終わりが見えてきた中で私が一息ついていると、

 

「またあそこかよ~……」

 

 武藤が机に項垂れるようにして倒れたあと、掠れた声を絞り出し「はあ……」と気持ちを吐露していた。

 私はそんな武藤の様子をちらりと見やったあと、励ましの意味を込めて言葉をかけた。


「あとちょっとで帰れるから頑張ろう」


「そうだけどさぁ……もう何回目よ?」


 武藤は体を起こすと前髪を掻き上げ、もう一度大きなため息を吐いた。げっそりとした表情がさらに悲壮感を漂わせている。目線は手元にあった一枚の紙に向けられていた。


「ああ……またそれかぁ……」

 

 武藤が手に持っているそれは別チームから依頼のあったものだ。どうやらまた間違いを見つけてしまったらしい。

 

「ちゃんとしてほしいよね」


 「何回目?」と武藤が文句の一つでも言いたくなる気持ちも分かる。このような出来事は繁忙期に入ってからというもの、初めてではない。似たような光景をもうかれこれ何回も見ている。幸い、それらの間違いは大事にならないものでよかったものの、処理の手間が増えてこちらとしては迷惑でしかなかった。

 さらに、私たちに無駄な時間と労力を使わせているというのに、向こうは一向に改善しようとする姿勢が見受けられないのだ。

 

「毎回、毎回……適当すぎるんだよ……」


「まあまあ……」


 頭を抱える武藤を宥めているとふと照明が遮られ、影が落とされた。恐る恐る視線を上げると、勇崎さんが席から立ち上がっていた。

 私と武藤を交互に見たあと、何か言いたげそうに顎に手置いている。その姿にどきりと緊張が走った。


「えーと……」

 

 喋り過ぎたのかも……。

 「喋る前に手を動かせ」って、絶対に言われる……!

 私は口を固く結び、怒られる心構えをしていたが――


「少し言ってくる」


 予想は大いに外れ、勇崎さんはそのまま席を離れて行ってしまった。

 私がぽかんと呆けている間にも勇崎さんの後ろ姿はみるみるうちに遠のいていく。

 心なしか怒りが滲み出ているような……。

 どうやら行き先はここから少し離れた場所にある、問題のチームが固まっている島らしい。

 

「麻央ちゃん〜マジで助かる……」


 引き攣る笑顔を浮かべる私を置いて、武藤は拝むように勇崎さんの後姿に両手をこすり合わせていた。

 結局、その呼び方は許されてるんだ……。

 

「――で、今回はどこ間違ってたの?」


 武藤は私の問いかけに反応する。すると、急激に眉尻と口角は下がり、しょぼくれてしまった。デスクの繋ぎ目に置かれたラックの間を通して書類をひらりと渡され、「ここ」と指を差した。


「もうその紙見たくない……」


 私の手に書類が渡ると武藤はまた机に顔を伏せてしまった。伏せたまま「誰が処理すると思ってるんだよ〜」と唸っている。


「どれどれ……」


 裏返してみるとシンプルな書式の中に妙にでかくバツ印が書かれていた。

 一応、腹いせのつもりなんだろうな……。

 そう思った途端、笑いが込み上がってきた。

 「これ書いたの武藤でしょ」と突っ込む前に犯人からくぐもった声が聞こえてくる。


「作った人見てみ……」


 だらんと片手を上げてこちらには見向きもせず、机と話していた。

 だめだ。もう武藤には気力がない……。

 私は言われた通りに作成者に目を通す。そこには噂で聞く人物の名前が記載されていた。


「えぇ……菅野さん……」


 呆れ混じりに声を顰めて呟くと武藤は顔を起こし、「ありえないよな」と肩を竦めた。

 

 菅野さんとは別チームのリーダーだ。

 私よりも一回り年上で、良く言えば社交的。悪く言えば……軽薄。周りにいる同世代の人とは違い、菅野さんはその人たちよりも落ち着きのない印象がある。元々、私は他のチームと関りが薄いのもあって噂程度でしか本人のことは分からないが、不真面目なところが見受けられるという話は部内で有名だ。

 こんなこと言うのは悪いけど……そんな人でもチームリーダーとして配属されているのはきっと、年功序列というものなんだろうか。


「直接言ってやりてぇ……」


「俺がもっと昇進してたらなぁ」と続けて武藤はぼやいた。

 どれだけ文句を言いたくなっても菅野さんが相手となったら、私も武藤も直接苦言はできない。

 リーダーという立場上、今回の件で改善する気はないと判断して、勇崎さんは動いてくれたのだろう。


「あとは勇崎さんに頑張ってもらおう……」


 うちの魔王様に任せるしかない。

 机の向こう側を覗き見てみると菅野さんは眉を顰め、腕を組み、とても注意を受ける側の態度ではなかった。

 うわぁ……あんな感じの人なんだ。絶対チーム替えとかしないでほしい。

 勇崎さんのことを「自分より年下だから」――と舐めているんだろうか。

 そんな態度取っちゃって……勇崎さんを怒らせたら怖いぞ〜……。

 なんせ相手が相手でも――と考えたところでふと、私の中で小さな不安が過ぎった。


「……大丈夫、なのか?」


「なにが?」


 思っていたことをうっかりと口に出してしまっていた。疑問を浮かべる武藤に「いや、なんでもない」と慌てて否定をする。

 うまく言ってくれる……よね?

 年齢が上だろうが先輩だとか上司だとか……そんなことお構いなしにあの人は「いい加減にしてください」とか「ふざけてるんですか?」とかストレートに物申す。

 その姿が容易に想像できてしまった。

 菅野さん相手であろうとまたいつもの如く、勇崎節を発動してしまうんじゃなかろうかと心配になる。

 今回は穏便に済むように願っていると、


「それにしても――わざと迷惑かけてんじゃねぇのって思うレベルなんだけど」


 名探偵にでもなったつもりなのか、武藤は顎に手を当て、自分なりの推理を説いた。


「まさか~。だとしたら何目的によ」


 さすがにそんなことはないと思いたい。

 万が一、武藤の推理通り、ただの嫌がらせが目的なのだとしたらタチが悪すぎる。社内問題にもなりかねない。

 

「大体、誰をターゲットにしてって話」


 だけど――私は推理を否定する傍らで、菅野さんならやりかねないと思ってしまっていた。

 噂や人柄で判断するのは良くないと分かっている。

 分かっているけれど、先ほどの態度を見てしまった以上、どうしても菅野さんの評価は良くない方向に傾いてしまっている。

 

「それは――分かんねえな」


 私の質問に名探偵はすぐに考えを放棄した。にへらと笑い、後頭部を掻いている。

 なんだ、適当言ってただけだったのか。それならよかった。

 まったく……変なこと考えさせないでよ。


「はいこれ、返す」


「いらね〜」

 

 私は預かっていた紙を半ば強制的に武藤に押しつけて、自分の仕事に向き直った。

 武藤からチラチラと視線を感じるけど、無視を貫く。


「柊、これ……やってくれない?」


「今度飲む時、全額奢ってくれたらいいよ」


「自分でやります……」

 

 あと少し。あと少しだけ頑張れば帰ることができる。

 明日できるものは明日に回して、さっさと帰ろう。今日も晩ご飯はコンビニで済ませて……お風呂はシャワーだけでいいや。

 そんなことを考えながら案件に取り掛かろうとマウスに手を置いた時――


「お前にだけは言われたくない」

 

 緊迫感のある言葉が耳に飛び込んできた。

 まだ人の多いフロア内に波風が立ち、ざわっとどよめきが生まれた。


「ん?」


「……?」


 驚いた私はばっと顔を上げると、同じく武藤も顔を上げていてはたと目があった。

 互いに怪訝な顔を見合わせ、首を傾げる。


「この声って……」


「ああ……」


 声の主は――菅野さんだ。

 怒声とまではいかないが、その声色から不満をぶつけていたのは明らかだった。

 私は席から半身を乗り出して、先ほど覗き見た付近を確認してみたものの、魔王の背中が見えるだけで状況はよく分からない。

 まだ話は続いてるみたいだけど……どんな話の流れで、さっきの言葉が出たんだろう……?

 私は声を小さくして武藤に聞く。


「どういうこと?」

 

 武藤も同じようなことを思っていたようで、「さっぱり……」と手を横に振っていた。

 勇崎さんが注意を受けるほどのミスを犯していたとは到底思えない。あの人の仕事に対して真面目な面を考えると、菅野さんの発言はどうも腑に落ちない。彼の仕事に対する姿勢、業務の質は完璧といっていい。それに勇崎さんは他人から仕事のことで指摘されるような人ではない。

 ましてや菅野さんみたいにサボっているわけでもあるまいし……。

 その後も息を顰め会話に耳を澄ませてみるが、勇崎さんと菅野さんの会話が私たちに聞こえてくることはなかった。


 

 

 

 仕事に集中できないまま、ぼんやりと時間だけが過ぎていった。

 いつの間にかこちらに戻ってきていたのか、勇崎さんの席から椅子が引かれた音が聞こえてきて、そこでやっと私と武藤は重い顔を上げた。

 

「勇崎さん、おかえり」


「ああ」


 武藤は先ほどのやり取りをさも聞いていなかったように振る舞って見せた。けれど、普段のあっけらかんとした笑顔は消え、張り付けた笑顔が彼の動揺を表していた。


「今後、同じことが起こらないように伝えた。それでも変わらなかったらすぐに言ってくれ」


「ありがとうございます」


 勇崎さんはさっきの出来事を何の気にも留めていないようだった。普段と変わらない様子を見せ、私はさらに困惑した。

 さっきのはなんだったんだろう……。疲れすぎて幻聴でも聞こえてしまったのかと疑いたくもなったけど、武藤も聞こえていたので疲れの類ではない。

 疑問だけがずっとこの場に取り残されている。

 

「早く片付けて帰りましょうぜ〜」


「そうだな」


 勇崎さんは大体こんな時、ため息を漏らしているはずなのに……。

 席に着こうとする勇崎さんを、私は再び見上げる。

 

「――。」


 あ――。

 椅子に腰を下ろした時に見えた彼の表情に、私は動かしていた手を止めた。


「……」

 

 気迫のある瞳はどこか虚ろで、横顔は翳りがあった。

 飲み込もうとしてるけれど、うまく飲み込めない……何かを考え込んでいるようだった。普段と同じ様子に見えて、何かが違う。

 今の彼の顔色を見て、決して明るい……とは例えられない。


「あ〜何食おうかな〜」


「ほら、さっさと片すぞ」

 

 パソコンの前に座った勇崎さんの姿は、目の前にあるモニターのせいで見えなくなってしまった。

 席に着くや否や、すぐにタイピング音が聞こえ始める。

 私は少しだけ体を横に出して、遠くを見つめ目を細めた。

 先ほどまで勇崎さんが居た場所――菅野さんが椅子にふんぞり返り口元を歪め、不敵な笑みを浮かべていた。


 なに、あの笑顔……。 

 私はその厭味ったらしい笑顔に不快感を抱いたあと、さっき武藤が言っていた言葉が思い出された。

 

 ――わざと迷惑かけてんじゃねぇのって思うレベルなんだけど


 何の気もなしに思いついた事を言っただけ……だったのかもしれない。けれど、武藤はどこかで思い当たる節があって出たんだと思う。

 当の本人はまったく気づいていないけれど……。

 

「勇崎さん、これ終わったらなんか食いに行きません?」


「また今度な」

 

「絶対、今度っすからね」


「……考えておく」


「いっつもそればっか!」


 これは私の推測になる。

 きっと菅野さんは自分が気に入らないからという理由で勇崎さんのことを突いたのだと思う。

 元はといえば自分たちのミスのせいだというのに「お前にだけは言われたくない」はおかしい。

 

 なんか……やだな。気分入れ替えてこよ……。


「ちょっと自販行ってきます」

 

 私は一言言い残し、社内にある自動販売機に向かおうと席を立つ。

 出入り口に辿り着くためには、渦中である菅野さんチームの島の横を通らなければならない。

 ひさひそと話す二人の男性の姿が見え、私は嫌な予感を感じ、その横を通る前になると歩みを遅めた。

 ――私の予感は見事に的中していた。


「菅野さん、勇崎さんになんて言ったんですか?」


「輪を乱してるくせにって言ってやったよ」

 

 菅野さんは年下の部下ににやにやとご満悦で答えている。

 よくもそんなこと恥ずかし気もなく言えるな……と私は呆れ、見下ろしながら進む。

 幸い、話が盛り上がっている彼らには、近付いている私の存在に気付いていないようだった。


「さすがにいいすぎですよ~」


「調子にのってるからだよ」


 胡麻をする部下。誇らしげに語る菅野という男。

 遠のいていく声に胸の奥がざわざわとする。

 やっと扉の前に着いたところで、ふう……と息を吐き切った。


 あの人たちは勇崎さんの何を知っているというのだろう。

 ――”輪を乱している。”

 たしかに4月初めの――彼が本社に戻ってきたばかりの頃はそうだったかもしれない。私も無愛想で冷たくて、何を考えているのか分からなくて苦手だと思っていた。

 勇崎さんは立場など関係なくはっきりと告げるし冷たいところもある。きっぱりと切り捨てるところもある。

 でも、仕事に一生懸命取り組んでいる姿やリーダーとして常にチームのことを気にかけ、自ら動いて守ってくれている姿を私たちは何度も目にしている。

 実際、注意を受けた人たちや関りの薄い人たちには、いまだ不愛想な人として映っているのかもしれない。

 けれど、菅野さんは違うはず。 

 同じリーダーという立場上、定例会や会議など定期的に行われている場で何度も顔を合わせている。そこで勇崎さんの報告を聞いているはずだ。


 

 ――武藤と佐藤さんは次の商談向かってもらって構わない。あとはこっちで処理しておく。

 勇崎さんが武藤や佐藤さんに負担にならないように上にかけあっていること。

 

 ――柊さん、相羽さん。ここまでで大丈夫。

 本来であれば私がやるべき仕事。残業しないようにと勇崎さんがこっそりと済ましていたこと。


 

 私には……私たちにとって勇崎さんは、信頼できるリーダーであり、尊敬もしている。


 ――調子にのってるからだよ。

 

 だからこそ、私は菅野さんの発言を許すことができなかった。


「何も知らないくせに……」


 私は溜まった気持ちをチカチカと点滅する自販機の前で吐き出した。

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