Ver.3.3.0 雪の音、雨の香り、思い出すは憂い花
『どうして俺から離れるんだ……!』
『もう……無理なんだよ』
寂しさと儚さと怒りをぶつけたような声。その上からかぶさる様にして震えた声が返る。
しんしんと降り積もる雪の中、活気に溢れた駅前の少し外れた小さな公園。
その中で男女が二人。じっとその場で立ち尽くしていた。
二人の間には十メートルほどの距離が空いている。
女性は背中を向け、男性の視線から逃れるように顔を伏していた。
私はその様子を画面越しにぼーっと見つめ、濡れた髪にドライヤーを当て続けていた。
「なんのドラマなんだろう」
二人の雰囲気から恋愛ドラマだということは見てとれる。
かなり、重苦しい空気が漂っているけれど。
シャワーで温まった体に扇風機の涼しい風とドライヤーの風が交互に当てられる。
最近変えたばかりのヘアオイルの匂いが鼻先をかすめ、心地よい気分だ。
疲れきった体に溶け込んで、絶妙な眠気が誘われる。
「ふぁ~……」
何度も何度もあくびが出る。
一週間の折り返し地点。
残業続きで疲れ果てた体。こんな状態であと二日も持ってくれるのだろうかと心配になる。
『~♪』
悲壮感漂うBGMが流れ始め、窓の外ではしとしとと大粒の雨が闇夜に降り注いでいる。
雨音はヒーリング効果もあるというのに、いまは物悲しい音楽と相まって気が滅入ってしまう。
ベランダに打ち付けられている雨水を眺めていると、男性がゆっくりと話し出した。
『俺はずっと待っていたのに』
その声に気づいて耳横でごうごうと鳴っているドライヤー止め、私はまたテレビへと視線を戻した。
『どうして俺から離れるんだ』
ドラマの中の季節は現実とは正反対。一面に広がる雪景色。
身も凍えてしまいそうな夜空の下、あたたかそうなマフラーに顔の半分を埋め、目に涙を溜めた男性が映っている。
こんな暑い時期に冬のドラマ……?
珍しいとは思ったが、もう夜更けとなる時間帯。よくある再放送だろうと推測した。
『やっと会えたのに』
初めて見るドラマのはず……なのに、私はこの俳優さんに見覚えがある。
誰だったっけと思い出す間もなく記憶は引っ張り出された。
「星川くんだ」
この間、はるちゃんとの話題にあがった人物――星川流星。
その名をぽつりと呟いた。
綺麗、と感嘆の声が漏れてしまいそうになる美しい顔立ち。まっすぐに見つめる灰色の瞳。高くもなく低くもない、透き通った特徴的な声。
こんなところでお会いするとは。
ちょっとした感動が押し寄せる。
だけど今目の前に映っている彼は、前に画像で見せてもらった時よりもずいぶん幼く見えた。
たしか年齢は私と同じ28歳だったはず……結構古いドラマなのかな。
定番のクリスマスソングは場を壊さない程度に小さく鳴っている。明るい歌声と音色はこの場にそぐわない。状況も相まって歪な関係が強調されているように思えた。
星川くんは女性に向かって声を絞り出す。
『もう……離れたくない……』
『……』
その言葉にずっと背中を向けたままの女性が反応した。
首元にある白いマフラーを手袋に包まれた手で優しく握りしめたのち、頬に一筋の線がつうっと伝う。
彼女は小さく嗚咽を漏らした。
『……』
ほうと白い息が上がる。
星川くんは力強く拳を握ると、一歩、また一歩と歩みだした。
『あかり……』
たった一言。
名前を呼んだだけなのに。
演技のえの字も分からない素人の私ですら、彼に引きこまれてしまう。
『好きだ』
私はあかりでもなんでもない。
愛おしくて、切ない……だけど甘さのある言葉はこちらがどぎまぎしてしまうほど。
あかりに対する気持ちが声とともに運ばれていく。
彼女たちの間に何があった?
物語に集中したいのにその謎がずっと居座っていて邪魔になる。
あかりからの返事はなく、良いところでCMが挟まった。
今のうちだとチャンネルを手に取り、あらすじにざっと目を通した。
学生時代から想い合っていた東堂(星川くん)とあかり。
お互い、自分の気持ちを伝えることなく、高校卒業を迎えてしまう。
『好き』――たったその二文字を伝える勇気があったらよかったのに。
その後、東堂は地元の有名私立大学、あかりは都会の大学へ進学した。
遠く離れてしまっても気持ちはずっと変わらなかった二人。
社会人となり、就職先で運命の再開を果たすが、東堂に待ち受けていたものは到底受け入れ難い現実だった。
東堂は離れていた時を取り戻すために、あかりに近づくが――?
運命の赤い糸は実在するのか?話題の監督が描く王道のラブストーリー。
この夏、あの二人が帰ってくる。
※このドラマは20XX年12月の再放送です。
「え!?」
近づくが――なに!?
その続きが気になるんですけど……!
ポチポチとボタンを下に押し続けるが、どうやら公開されているあらすじはここまでのようで。
7月の新ドラマとして続きが始まるからいま再放送してるってこと?
「全っ然、分からん!」
これだけの情報量で理解しろという方が難しい。今まで追ってきた人向けすぎる。
『過去のエピソードは動画サイトで配信中!※有料』と大々的に宣伝されていた。しかし、そのためだけに課金するのもなんだかなぁと手が引いてしまった。
【最終回 20分拡大】と書かれているし、オチを見てしまった後に最初から見直すかと言われると……あと普通に解約するの忘れそうだし。
結局何の情報も得ないまま、私は二人の行く末を見守ることにした。
『俺は……』
『……』
あかりはマフラーを一層強く握ったまま黙り込む。
彼女はいま、何を思っているんだろう。
東堂は雪の上に跡を残しながらあかりの元へ近づいていく。
『あかり』
ぎゅむ、ぎゅむと雪が鳴る。
手を伸ばせば触れそうな距離まで近づくと、東堂は壊れ物に触れるようにぎこちなく腕を上げた。
「……」
見ているこちらがドキドキしてしまい、目が離せない。
『東堂くん……』
東堂の指があかりの肩に触れそうになる――その直前にあかりがやっと東堂の名を呼んだ。東堂は目を丸くし、伸ばしていた手を止めた。
やっと名前を呼ばれて嬉しいような悲しいような。そんな表情をしている。
あかりの記憶を辿る様に過去の出来事が断片的に流れ始めた。
高校時代の二人。大学を卒業したあとのそれぞれの成長。そして、家庭の問題。
両片思いの二人がここまでこじれていたのには訳があったようだ。
あかりには縁談の話が持ち掛けられており、それを断れないでいた。
縁談相手はよりにもよって父親の取引先の息子。
最悪なことにその息子の性格は横暴だという。その横暴っぷりを見せつせられるようなシーンが続いた。
「うわ〜……ないわ……」
こちらから破談をもちかければ、どのよう結末を招くのか。
会社は倒産させられ、家族は路頭に迷うだろう。あかりの周りを調べ上げられて、周囲に迷惑をかけることは目に見えている。
家族のため、友のため。そして、東堂のため。
あかりは東堂への確かな気持ちを諦めて、彼との関係を断ち切ろうと決心していた。
決心していたはずなのだが――
『ひっく……』
目元から頬、頬から地面へ。涙が途切れることはない。
彼女は今日の雨のように泣いている。
じわり、じわり。私の視界が揺らぐ。
「……」
鼻がすん、と音を立てた。
あれ、私今……泣いてる――?
私の目には東堂と同じく、大粒の涙が溜まり始めていた。
すこしでも動かしてしまえばいまにでもあふれ出してしまいそうだ。
ハッピーエンドであってほしい。
二人には自らの幸せを掴んでほしい。
『私は――』
東堂の震えた手があかりの華奢な肩に触れた。
俯いたまま振り返らないあかり。唇を噛みしめ、苦しい表情をする東堂。
その表情にきゅっと胸が掴まれた。
『あなたが――』
消え入りそうな声で紡がれるあかりの言葉を待つ。
『ずっと――』
さあ、結末やいかに。
『Yeah!!みんなはもう食べた!?チーズかつバーガー発売中!!今ならお得なセットも――』
「なんでよ!!」
突如として重い空気をぶった切って乱入してきたファーストフード店のCM。
テンション高めなナレーションに雰囲気を破壊されて苛立ちを覚えた。
ティッシュを乱暴に手に取り、決壊寸前の目元に沿える。
「今いいところだったのに!」
空気を読まんかい!
あかりは、東堂は……どうなるの!
しかもちょっとおいしそうなのが悔しい。
「ありえない……」
普通こういうときってCM挟まないもんなんじゃないの……。
早く終わってくれ……と切に願うものの、長々とCMは続く。
化粧品、お酒、車に転職サイト。
私以外の視聴者も、もういいよと呆れている頃だと思う。
「まだか……」
まだまだCMは終わらない。まったく視聴者をじらしてくれるなぁなんて思いながら机に突っ伏した。
毎話追っていたわけでもない。たった数分見ていただけだというのに、私の心はすっかりドラマの世界に奪われていた。
テレビの騒がしい音に交じって雨音が聞こえてくる。
雨風に打たれてさわさわと。木々が泣いているみたいだ。
きっと二人もこんな気持ちなんだろうな、と柄にもなく詩人めいたことを思った。
「いまの上手かったかも」
そんなことを言っていると静かな時間が流れ始めた。
長かったCMがようやく明けたようだ。
私は待ってましたと即座に反応して顔を上げた。
シーンは再び、CMに入る前に戻される。
『東堂君――』
あかりは東堂との関係を断ち切るつもりでいる。
しかし――
『私はあなたがずっと――』
東堂の『好き』という告白があかりの固まった決心を簡単に揺らがせた。
「……っ!」
画面が切り替わる。
私とあかりの目はまんまると見開かれた。
『……そんなのずるい』
あかりの喉がきゅうっと小さく鳴り、本音が涙とともに零れ落ちていく。
東堂は後ろから抱きしめるようにあかりを包み込んでいた。
あかりは彼の気持ちを受け止めるように震える彼の手を握った。
『もう離したくない』
抱きしめたまま微動だにしない東堂。辛そうなのにどこか吹っ切れた様子でいるあかり。
そして――
あらぬことがフラッシュバックしてしまい、ドラマどうこうの話ではなくなってしまった私。
『……あかりが好きだ』
『……私もだよ、東堂くん』
甘い二人の間に挟まれて私はぎこちない笑顔を浮かべると画面から即座に視線を逸らした。
このまま見続けると非常に良くない。精神上良くない。
『愛してる』
一番盛り上がったであろうドラマの甘い甘いワンシーン。
それなのに私の頭の中は今一番思い出したくない出来事で埋め尽くされている。
東堂くんの勇気あるその行動が。
あの日、あの時、あの場所で。
私を助けてくれた勇崎麻央の姿と重なってしまった。
「……」
向き直って抱き合う二人と恋愛ドラマに合った切ないラブソング。演出の凝ったエンドロールが流れだす。
感想を抱く暇もなく、顔に火が付いたと錯覚するような熱さに襲われる。
決して東堂のような想いのこもった抱擁ではない。
……ないのだけれど。
「いやだぁあ……忘れたい……」
あの日、急な仕事が舞い込んだせいで絶対に起こるはずのない出来事が起こった。
躓いた私を怪我しないようにと後ろから支えてくれた勇崎麻央。
私はあの瞬間に魔王の優しさとぬくもりに直に触れてしまった。
だから好意が芽生えたとか、そういう話では誓ってないのですが。
『ずっと一緒にいよう……』
エンドロールが流れ終わった後も東堂とあかりのセリフは続いていたが、右から左へと頭の中を通り過ぎては抜けていった。
あとは視聴者の想像にお任せしますと二つの影が重なる。
その様子に見とれるわけでも、感動するわけでもなく。ただ目に映しているだけ。
はっとした頃にはいつの間にか番組は終了していた。
甘い雰囲気を残したまま、ぽつんと寂しく部屋にとり残される。
「……ドラマは面白かったけど」
もうあれから何日も経ったというのに記憶は鮮明に残っている。
細かい動作、表情、感情、しぐさ――そのどれもが私の心を突き動かした。
筋張った腕は頼もしく、柔軟剤の柔らかな香りは私を優しく包んだ。
「……魔王、ねぇ」
なにより、あの安堵した表情が忘れられないでいる。
「心配してくれた、のかな」
――先輩大丈夫ですか?顔赤いですよ?
はるちゃんがとどめの一撃をおみまいしてくれたのも覚えている。
今の私も当時の私も変わらず顔は赤いまま。
今日はいい加減、元に戻ってほしいものだ。
異性として好きとかそういうのではない。
好意を寄せたわけではない……のに、一時の感情に振り回されているような気がして何度も気を逸らしたくなる。
「はぁ」
今期に入ってからもう何度目のため息を吐いたのだろう。
幸せが逃げていくというが、本当だろうか。
止みそうにない雨は、この気持ちを綺麗さっぱりと洗い流してくれるのだろうか。




