全てを直す回復魔法
伯爵令嬢ドルシラは、婚約者である第四王子ルキウスの過酷な仕打ちに耐え続けていた。
ドルシラはドルスス伯爵家の次女で、艶やかな黒髪と鮮やかな赤い瞳を持つ美しい少女であった。賢く心優しい彼女は、幼少のころ馬車の事故に遭い、回復魔法の才能を開花させた。回復魔法の使い手の多くが教会に囲われていることを苦々しく思っていた王家は、王家の都合で使える回復魔法を求めて第四王子ルキウスとドルシラの婚約を結ぶことにした。
だが、この王子ルキウスは金色の髪と透き通った碧眼を持つ見目麗しい王子ではあったものの、母である王妃に甘やかされて育った、救いようのない愚か者でその上乱暴者であったのだ。幼い頃はまだ、ぬいぐるみを投げつけられたり宿題を押し付けられたりする程度だったのだが、成長するにつれドルシラに手を挙げるようになっていた。
宿題や面倒なことなどを押し付ける相手にしても、何人もの従者から身分も役職も低い者を選べばいいものを、まだ身内ではない婚約者に押し付ける時点で彼の知性の低さが透けて見えた。
ルキウスは年々暴力的になり、気が障るとすぐに怒鳴りつけたり、ドルシラを叩いたりするようになった。残念ながらこの国では男尊女卑が根強く、公の場でなければ特に問題視されない。王家や従者たちはルキウスの体面を守るため、社交界にあまり出さなかったり教会関係者の前にルキウスを出さないことなどを徹底的していた。身分に守られた王子は、何の考えも持たず好き勝手に振る舞っていた。
ドルシラは当初、麗しい王子が婚約者になったことに喜び、王子と仲を深めようと努力した。しかし、王子は愛する母親や自分と同じ金髪碧眼を持たないドルシラが気に入らないようだった。
ドルシラは王子が王位継承争いがらみで暗殺されないかしらと思ったりもしたが、ルキウスの愚かさと人望のなさゆえにその危険はないと悟った。むしろ、「ちょうどよい無能な予備」として、王家に価値が認められているような雰囲気すらあった。
ドルシラは王子との結婚を望まなかったが、父である伯爵は娘を政略の駒としか見ておらず、助けにはならなかった。ろくに会ってくれない母も「お父様に従いなさい」と言うだけだった。修道院に入るにしても多額の寄付金が必要で、身ひとつで駆け込んでも回復魔法の使い手として使い潰されるだけだろう。父親や母親が資金を出す可能性は皆無だった。
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ある日、ドルシラはルキウスの命令で、ある侯爵の傷を癒すため王城の一角を訪れていた。ルキウスは自由になる金を欲し、ドルシラの回復魔法を金で人に貸し出していたのだ。初老の侯爵は舐めるような視線を向け、ドルシラは不快感を覚えながらも言葉を交わした。
「回復魔法が必要と伺いましたが?」
「そうだ。古傷があるんだ、直してくれ。」
太った侯爵はパツパツの服を脱ぎ、脇腹の傷を見せた。突然の脱衣に固まってしまったドルシラを見て、侯爵はニヤニヤしながら言った。
「いやぁ昔女に刺されてな!よろしく頼むよ。」
「古傷、ですか?」
ドルシラは当惑した、古傷が治せるか分からなかったからだ。今まで生傷は治せたが古傷も治せるものだろうか?だが、ここで失敗すればルキウスの顔に泥を塗ることになり、彼はドルシラを殴るだろう。
「事前に言ってくだされば、古傷が治せるか確かめておけたのに…」ドルシラは内心で苦々しく思いながら、緊張を抑えてドルシラは侯爵の脇腹に手をかざした。ありったけの魔力を込めると、みるみるうちに侯爵の古傷が消えていく!まるで若者の肌のようにツルツルになった脇腹に驚嘆しつつ侯爵は言った。
「素晴らしい!
王子には勿体ないぐらいの回復魔法ですな!
ワハハハハ!
王子にはお礼をすると伝えてくれ。」
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高等学園に入ったころ、ルキウスはある男爵令嬢を側に置くようになった、胸の大きさが目立つ男爵令嬢マリーナである。王子はマリーナのさりげないボディタッチや「さしすせそ」の会話術でルキウスをすっかり骨抜きにしていた。
「さすがです!」
「しらなかった!」
「すごいです!」
「センスがいい!」
「そうなんですね!」
人目を憚らずにイチャつく彼女の決まり文句を、ドルシラは何度も耳にした。ルキウスはマリーナが何度も同じ言葉を繰り返していることに王子は気づいていないのだろうか?
ドルシラは王子が愛人を持つことに何とも思っていなかった。むしろ、自分が相手をしなくて済む分、楽だった。しかし、このマリーナのポンコツ王子の話を笑顔で聴き続ける忍耐力、持ち上げて良い気にさせ続ける会話テクニック…
マリーナはただの愛人狙いの小娘ではなく、政敵からの刺客ではないかと危機感を抱いた。ドルシラはマリーナに苦言を呈するため、令嬢たちからマリーナの居場所を聞き出し、学園の中庭で彼女に話しかけた。
「マリーナ様、あなた伯爵家と事を構えるおつもりですか?」
マリーナは罠にかかった獲物を見るような表情を浮かべ、言った。
「うふふ、
きゃあ!ルキウス様助けてください!」
ドルシラの死角、茂みの向こうにいたらしいルキウスが、怒りに満ちた表情で近づいてきた。
「ドルシラ、お前、マリーナになにをしてるんだ!」
ルキウスはドルシラに殴りかかる。ドルシラは辛うじて避けたものの、腕を強く叩かれた。へたり込むドルシラにルキウスは怒鳴った。
「ドルシラ!次にマリーナに何かしたら、こんなもんじゃ済まないからな!」
ルキウスはマリーナを腕にぶら下げて立ち去った。マリーナは怯えた顔でこちらを振り返ったが、その目には愉悦が浮かんでいた。
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ドルシラは腫れ上がった腕に回復魔法をかける。教会での奉仕活動や王子の無茶振りで鍛えられた、彼女の回復魔法はどんな傷も跡形もなく癒せた。腫れの引いた腕をさすりながら、ドルシラはため息をついた。
「はぁ、回復魔法が憎いわ…自分の傷も完璧に治せてしまうもの…傷物になれば婚約を解消できたかもしれないのに…」
「お嬢様、元気をお出しください」
ドルシラを慰めたのは侍女のリサだった。リサはドルシラの乳母の娘で、唯一の味方であり、姉妹のように大切な存在だった。ドルシラの専属侍女であるリサは、彼女と一蓮托生の身でもあった。
この国では貴族女性の就業が認められておらず、ドルシラに結婚以外の選択肢はなかった。同世代の優良な男にはすでに婚約者がおり、ルキウスと婚約を解消できても、後妻や側室など弱い立場しか残されていなかった。場合によっては、ドルシラを舐め回すように見てきたあの太った侯爵の側室として売られるかもしれない。婚家に着いてくるリサのためにも、ドルシラは婚約を解消できなかった。
「もう一度、ルキウス様と二人きりの時に話してみるわ。」
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ドルシラは階段の近くにいるルキウスを見つけた。最近では珍しくマリーナを連れていない、ルキウスは一人の瞬間だった。この好機に感謝しながら、ドルシラは駆け寄った。
「ルキウス様、どうかお話をお聞きください!」
ルキウスは不愉快そうに眉をひそめ、ドルシラを無視して階段を降りようとした。追いすがるドルシラにルキウスは怒鳴った。
「ついてくんなよ!」
突然の怒声にドルシラの体はこわばり、ドルシラは足を踏み外した!階段から転げ落ちる中、彼女はとっさに何かを掴んだ。視界がぐるりと回転し…
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「ドルシラ様!ドルシラ様!」
「うっ……」
気がつくと、ドルシラはリサに抱かれていた。落ちてからさほど時間は経っていないようだった。
「ドルシラ様気がつかれましたか?階段から落ちたんですよ!」
「ルキウス様は?」
落ち着かない様子のリサは少し躊躇ってから言った
「ルキウス様は頭を強くお打ちになって……そこに……」
「頭を?いけない!急いで治さなければ!」
どうやらドルシラは階段を落ちる際、ルキウスを巻き込んでしまったらしい。大理石の床に叩きつけられ、頭部を真っ赤に染めたルキウスが倒れていた。ドルシラは必死に魔力を振り絞り、回復魔法をかけた。ドルシラの回復魔法は死後間もない者さえ蘇生できるほど強力で、ルキウスはすぐに意識を取り戻した。
「なんだこれ…イテェ……ティトゥスを呼べ!」
「ルキウス様、ティトゥスは昨年引退しました」
ティトゥスはルキウスに仕えていた老執事で、彼に気に入られていたが、腰を痛めて引退していた。ルキウスは大々的に送別会を開いたことを、ドルシラは送別会の準備を直前で全て丸投げされたため鮮明に覚えていた。
「も、もしや殿下は記憶を失くされた?!」
「回復魔法は健全な状態に戻すと言います……もしかして回復魔法とは昔の状態に戻す魔法なのかしら…古傷が治ることも自然治癒なら傷が残るような怪我でも綺麗さっぱり治るのも、そのせい?」
「頭に回復魔法をかけたら、記憶が巻き戻ったってことですか?!」
ドルシラは暗い顔で呟いた。
「5歳ぐらいなら再教育できる…試してみる価値はあるわね。」
その日、階段脇の部屋からは何度も硬い物で叩くような音が響き続けたという。
その後、ルキウスは5歳児のようになってしまったが、誰もドルシラを疑わなかった。実務は全く期待されていなかったため、詮索する者もいなかったのだ。王妃は既にルキウスに興味を失っており、ドルシラは献身的にお世話をすることで、「素晴らしい婚約者」だと讃えられた。
5年後、ドルシラとルキウスは結婚した。ルキウスはドルシラに尻に敷かれ、仲睦まじい夫婦として知られるようになったという。
回復魔法ってどういう方向性で直してるんだ?って思って書きました
自然治癒早めてるだけなら傷跡残るし
理想的な状態にするならどんどんイケメンになりそう




