3. 断罪の黒
リーカス=クーフはセダンの後部座席で、隣にいるロングシャツ、ロングスカートの女に質問する。
「ソルロア=アーダかエレノア=フェンか、どう呼べば良いですか?」
「どちらでも好きに呼べば良いわ。でもエレノア=フェンの方が良いな。」
「どうして?」
「肉体はエレノア=フェンだし、私の夫はウォルス=フェンだと自覚してますから。」
エレノア=フェンは、パブロアの魔杖をナイフで整形していた。堅い。木の枝が、徐々に、T字型の杖らしい杖に削られていった。
「ロッドにするのかと思ってましたが、ケインなんですね。」
「こだわりがあるわけではないわ。私の記憶で、こうなっただけよ。」
リーカス=クーフから目的を聞き、黒ずくめのスーツ2名を借りて、国会会議室に向かう。しかし途中、改札口で呼び止められる。
「お待ち下さい。」
エレノア=フェンらは、入館証を持っていない。
「急いでいるの。」
「入館証をご提示ください。もしくは、あなたの上司や知人をお呼びください。」
エレノア=フェンは面倒そうに歩み寄り、警備員に手をかざして、呟いた。
「…罪渦。」
1人しかいなかった警備員は意識を失って倒れ、その隙に改札口の入り口を飛び越えて通る。音が鳴るが気にしない。
「簡単に死なないでね。」
国会会議室に行くと、ギグリア大統領ガァク=イルターナが答弁している。
「我が国の資産は多くはありません。観光客のためにインフラを拡充をしなければなりませんが、時間がかかります。そのため、他の事に手を回すのが、後回しになっています。」
エレノア=フェンは、それに割って入る。
「この半島は、カルア人のものではない。ガリア民族のものだ。観光客のためだけの飲食店など必要無い。彼らの食料は、時に我々にとっての毒物だ。私達とは相容れない。そのことに気付け。生物として違い過ぎる。」
議員が叫ぶ。
「何者だ?!警備員を呼べ!」
エレノア=フェンは、力強く続ける。
「我々には我々のアイデンティティがある。長所があるんだ。それがパブロア魔術だ。今、それによってこの国を取り戻す時が来たのだ。他国に支配されるのではなく、自国の威信を回復するために、皆で身を削ろうじゃないか。」
エレノア=フェンは迫りくる警備員に目もくれない。遂に無抵抗で捕まったかと思いきや、黒い霧を足元から発して拡散した。
「黒霧・付与昏送…これは2つの魔術の合わせ技。結構な大技だよ。」
警備員が倒れ、周囲の者もふらつき、倒れる。会議室の出入り口で待たせていた協力者2名は、黒い霧が消えるのを待つ。エレノアの手招きを合図にして、ギグリア大統領ガァク=イルターナを台車に乗せ、段ボールを被せて、そそくさと立ち去る。
ギグリア大統領ガァク=イルターナは、見知らぬクルマで目を覚ました。すると、自身が後ろ手に拘束され、さらに足首も固定されていることに気付いた。これは、ドゥヤドオマの神術・ヨミドライト操作術(土壌操作術)だ。かなり精製された土を使っているため、量は少ないが硬い。見知らぬ男女2名に問う。
「お前達は何者だ?なぜこんなことをする?」
男は逆に質問する。
「見覚えありませんか?」
「?!…リーカス=クーフ?」
「そうですよ。分からず屋のあなたに、強制的な手段を取らせてもらいました。ギグリアをあるべき姿に変えるために、あなたに自主クーデターを要求します。」
「自ら武力を用いて、強引に国家を変えろと言うのか?何を勘違いしてるんだ?そんなことして良い訳が無いし、その必要も無いだろう!」
ガァク=イルターナはテロリストの要求が想像できる。エレノアは溜め息をつく。
「まあまあ、落ち着きましょう。カルア人はこの国に必要無いんですよ。彼らと私達は圧倒的に違うんです。私達は肉食性が強く、カルア人は草食性が強い。彼らの好物で我々は食中毒を起こしてしまう程に違うんです。見た目も内面も違い過ぎるのだから、締め出した方が良いに決まってますよ。」
「それはそうでしょう。しかしカルアは、ギグリア国内に軍事基地を3か所も作ってしまっています。基地全てを破壊できますか?そもそも、軍事的な解決手段で、カルア人を締め出せますか?」
「それは確かに分かりません。しかしカルア軍中将を拉致することも可能です。ケリアーンの軍事力を借りれば、難易度も下がるでしょう。」
「リスキー過ぎますよ。他の要求は?」
「パブロア魔術の再興です。我々ガリア民族は脆弱すぎます。ですから他国に侵略されない強さを獲得する必要があるわけです。そのために公に魔術の存在を認め、研究所を開設するのが良いでしょう。」
ガァク=イルターナは難しい顔をする。
「倫理的な問題は克服できますか?悪魔のコントロールは可能ですか?」
「それらの問題は、些末な事ですよ。そもそも倫理観を大きく捉えすぎています。ガリア民族の特徴を考えて、適切な倫理観に変更する必要があります。」
エレノアは、ソルロア=アーダが昔から思っていたことを言う。一方で、ガァク=イルターナは溜め息をつく。30年以上前にも同じように否定されていたからだ。
「他に要求はありますか?」
「ケリアーン国と同盟を結びましょう。そうすれば、カルアを撤退させやすくなります。」
「内容はどうなるんですか?」
リーカス=クーフは説明する。
「ギグリアには、難民の受け入れ・エネルギー資源やヨミドライト鉱石等の輸出・農作物の輸入をお願いします。」
ガァク=イルターナは、今、回答することができないと感じた。だが部分的に知っている。
「断らざるを得ない内容ではないかと…。ヨミドライトは、まとまって手に入る良い鉱床が発見できているわけでもありません。誰かがご存知でしたら採掘できるでしょうが、そういった報告は受けていません。」
「あるはずです。調査の後、輸出すれば問題ありません。」
「…私一人で即断即決できる話ではありませんね…。」
「クーデターについて、どのように感じましたか?非現実的ですか?」
「パブロア魔術で力を手に入れられると考えれば、ポジティブに働きますね。しかし歴史的経緯を考えれば、ネガティブに働くでしょう。そもそも本質を理解しなければ、どうしたら良いのか分かりません。判断材料が足りませんよ。」
エレノアは知っている。
「パブロア王家は生け贄を多数求めていたので、魔術の高い能力を公表できませんでした。その生け贄に対しても無駄使いしたくないという考えが強くあり、閉鎖的になっていたのです。私は専門家として、パブロア魔術の再興をするべきだと判断します。カルア人の追放については、どうお考えですか?」
「…軍事関係の見識は浅いですが、力関係からして不可能と言えるんじゃないかと思います。可能と言うのであれば、その根拠を示してください。そしてそれを判断するに相応しいのは私より、統合参謀長や陸軍中将です。」
軍関係者が判断した後、大統領が許可するのが通例だ。このままでは、即刻の自主クーデターには至らない。リーカス=クーフは答える。
「すでに統合参謀長から可能だという言葉を頂いてます。」
「…な、ならば可能でしょう。」
大統領は、驚きつつも信じる。
「ケリアーンとの同盟に関しては?」
「こちらは外務省高官と意見を調整する必要があるでしょう。即刻、軍事的にカルア人を追い出すことが可能でしたら、ケリアーンと手を組むのは有りです。しかしそうはならないでしょう。」
「なぜ、そうはならないのですか?」
「カルアとの調整は速やかですが、ケリアーンとは時間がかかります。」
「くだらない。スパイがいるだけでしょう。」
エレノア=フェンは、誓約書を手に取った。
「即刻、自主クーデターを実行してください。」
クリップボードに誓約書を挟み、万年筆と共に突き出す。
「…。」
ガァク=イルターナは無言の返事をした。断りたい。
「誓約書を音読後、サインしてください。そうすれば、すぐに解放してあげましょう。」
誓約書には、読めない文字のタイトルがある。その下を音読する。
「『私、ガァク=イルターナは、パブロア魔術の再興のために尽力する。さらに、エレノア=フェンとケリアーン国に協力し、ギグリア国内のカルア人を一掃することを誓う。上記の誓いを破った場合は、いかなる処罰も受ける。』ですか。処罰とはどういったことですか?」
「これはパブロア魔術で作られた誓約書です。あなたがこれらの誓いを守らない場合は、最悪、死にますよ。」
「書かなければ、帰らせてもらえないんでしょう?」
「すぐに帰りたければ、サインしてください。」
「不可能です。先程言った通り、現状、判断材料が足りませんので、後日改めてサインできる内容に変更をお願いしたく思います。」
エレノア=フェンは、あからさまに不機嫌になる。
「何を言ってるんですか?判断材料は全て与えたでしょう。今日サインしてください。そうでなければ、あなたはここで死にますよ。」
「…分かりました。サインしますので、拘束具を外してください。」
リーカス=クーフは、拘束具としての砂を容器に回収しつつ、ボソッと告げる。
「逃げようとした場合は、私が窒息死させますね。」
ガァク=イルターナは、真実味を感じ、すぐに誓約書にサインをした。自由の身となり、すぐに下車して場所を確認した。クルマはすぐに走り去る。
「ここは、大統領官邸近くの人通りの少ない住宅街か…。すぐにサインして終わることを前提にしていたのか。」
ガァク=イルターナは、誓約書の内容と現実的な課題に思考を巡らせ、そもそも自分には一つの選択肢しか見つけられないことに気付いた。青空の中の暗雲は、とても速く流れていった。