第96話 贈られてきた物
夏の陽射しに目がくらむような魔女の森。
毎日鍛錬に勤しみ、魔術の勉強が息抜きとすらなっているシスティリアの元に、一通の手紙が届いた。
魔女から『システィリア宛じゃ』と言われ、首を傾げながら手紙を開いたとき、口をぽかんと開けた。
「誰からだったの〜?」
「……ひ、一人しか居ないわよ〜っ!」
覗き込むアリアに背を向け、システィリアは自室に走って行った。
リビングに取り残されたアリアが魔女の方を見ると、ニマニマしながら目で追っていた。
部屋に戻ったシスティリアは手紙を机の上に置くが、本文を読んでいいか分からず、ベッドに腰をかけたり立ち上がったり、部屋の中をグルグルと歩いている。
そうして数分ほど考えた末に、ベッドのふちに座り、枕を抱きしめながらそっと読むことにした。
宛名には愛称で書き始めたのを直した形跡があり、本文に入る前からクスッと笑う。
『システィ●リアへ。
君と別れてから半年と少しが経って、そっちは夏になっていると思うけど体調は崩してないと信じてるよ。僕はまだ、起きたら隣にシスティが居ないことに違和感があって、最近は大きな犬(狼だと思うけど)と一緒に寝てるんだ。
僕の方は毎日寒くて季節が恋しくなるけど、体を鍛えるには良い場所だと思ってる。システィには来てほしくないけどね。風邪引いちゃうから。
実は居させてもらってる家の横に、システィや師匠、アリアお姉ちゃんの像を造ったんだ。毎日決まった時間にポーズを変える魔法陣を作ったから、かっこいいシスティも可愛いシスティも思い出してる。
魔術の鍛錬はものすごく、ものすご〜く大変なんだけど、君を思うとやる気が出て、先生にも褒められるくらい上手くなったよ。本当にありがとう。
勝手な感謝の気持ちとして、白雪蚕の糸で作ったローブを贈るね。作った人に聞いたら、買うなら豪邸が二つ建つ値段はするって言われたローブだから大事にしてね。
穴でも開けたときには、尻尾の毛で遊ぶから覚悟すること。
それじゃあ、これからも体に気をつけて頑張ってね。早く迎えに行くから、待ってて。
エストより』
驚くほど真っ直ぐな言葉の数々である。
システィリアはそっと手紙を机の上に戻したあと、ベッドにダイブした。
足をバタバタと暴れさせ、ちぎれんばかりに尻尾を振り、顔全体を真っ赤にしながら悶絶している。
まさか自分をそんなにも思ってくれていたなんて、彼女は欠片も思わなかった。欲張っても大切にされているくらいで、心の支えになっていることは知らなかったのだ。
荒い息を枕に吐き出し、必死に感情を抑えようと両手で耳を塞ぐ。
しかし、言葉以上に素直な文章を思い出してしまい、熱が冷めることがなかった。
「……ばか。ばかばかばか! 何よこの手紙ぃ! 絶対あたしのこと好きじゃん! そうなんでしょ!? どう読んだって、どう読んだって…………ラブレターじゃないの」
寂しい。会いたい。毎日思い出してる。
ただの“仲間”に送る言葉とは思えず、これまで秘めていたシスティリアの感情が爆発する。
「あたしだって好きよ! じゃないとアンタの部屋に住んでないもん! あたしだって毎日アンタの横で寝れない生活が嫌だし、尻尾の手入れも雑なのよ! っていうかどうしてまたローブなのよ、バカじゃないの!? アンタなら櫛でも贈ってくると……あ、まさか」
自分で手入れをしたいから、櫛は贈らない。
エストの気持ちをシスティリアへの愛情と捉えるなら、それぐらい高度な思考の末にローブを選んだと言えば納得がいく。
でも、エストなら何も考えていない可能性すら有り得ることを、彼女は知っている。
あの男なら深く考えている風に見えてその実、空っぽの思考で動いていることがあり、『楽しければいいやの精神』は、エストを表す言葉として最も適しているのだ。
「はぁ……何よアイツ。普段はスカしてたってワケ? ムカつくわね。いや、しょっちゅう『好き』って言ってたような気もする……」
エストが感情を表に出さないせいで、好きのベクトルが伝わらないのは日常だった。人にも、食べ物にも、魔術にも。等しく同じトーンで『好き』と言うので、システィリアは全て同じものと捉えていた。
しかし今回の手紙を読むと、その『好き』は『ラブ』の方ではないかと考えられる。
「……それは会った時に聞きましょうか。ラブの方だったらどうしようかしら。やっぱりまずは健全なお付き合いから……できない気がする」
本能から来る衝動を抑えられる気がしない。
思えば、エストと出会って一年が経った。
実際に旅した半年という時間は、両者にとっての宝物であり、非常に濃い経験だった。
もし、今目の前にエストが現れたら。
飛びついて抱きしめ、そのまま押し倒す未来しか見えないのだ。
彼の首に鼻を付けて魔力の匂いを吸い込み、脳が蕩けるような感覚に酔いながら本能に身を任せる。
彼よりも早く大人の体になるシスティリアは、想像にかたくない。
「ダメ、ダメよ。あたしから手を出したら負けを認めるようなもの。ここまでアイツが好き好きオーラを出したなら、アイツから言ってくるまであたしは隠し通す。それがレディの駆け引きなの」
大人ぶりたいお年頃である。
少しでもエストより大きく、成長していることを示したいのだ。
魔術という面では適わないと分かっていても、他の面では圧倒的に上だと。
レディたるもの男を引っ掛けてこそ。
そんな思いを胸に、システィリアもまた手紙を書いて送ることにした。
ただ、その前にローブが気になったので、重たい足取りでリビングに戻ったシスティリアは魔女に聞いた。
そうして亜空間から取り出されたローブは、純白の糸で編まれた生地に真珠のようなツヤがあり、肌の表面が滑るような触り心地は、手が離すことを拒むほど気持ちがいい。
しっかりと耳の形に作られたポケットを見れば、それが誰の所有物かを分かりやすく教えてくれる。
「ほう、とんでもない生地のローブじゃな」
「綺麗だね〜! あ、尻尾用の穴もある!」
「これはシスティリアが予想より大きくなったことの想定じゃろうな。かなりゆったり作られておるし、穴のボタンは閉めておいてよいじゃろ」
「……こんなの受け取っていいのかしら?」
見て満足。触って満足の出来は、もはや芸術の域である。
これほどの代物、着れば目立つことは間違いない。
システィリアは外で着ることができるのか、少しの間悩むことになる。
「おぉ、柄が内側に施されておるの。なるほど、無地を装ったのか。薔薇と狼……なんじゃコイツ、露骨すぎんか? これは本当にエストの指示か? おぉん?」
「ご主人キレすぎ。でも、内側のデザインは意味深だよね。ウチも次に会ったら拳の百や千が落ちるかも」
「やめなさいよ二人とも! 別に他人には見えないんだからいいでしょ? エルミリアさんは懐中時計貰ってるし、アリアさんは……まぁ……ほら、ね?」
「あれ? 確かにウチだけ貰ってないな〜?」
このデザインなら、裏返さない限り違和感はない。
白雪蚕から取れる糸は凄まじく丈夫とのことで、あの日貰ったローブより性能は格上らしい。
ただ、システィリアは氷熊のローブに愛着が湧いており、最終的な決断として、エストの前で新しいローブを着ることにした。
「アリアさんに何か作れって言おうかしら?」
「ドラゴンの角でも折ってこいって言おう」
「……アイツならやりかねないわ」
「まっさか〜、ご主人は……うわ『マジでやりそう』って顔。そ、そんなに強くなると思うの?」
魔女は小さく唸り、天井を見ながら言う。
「死ぬか成功するかの二択じゃな」
「お土産を買って帰るようにしましょ。エストのアリアさんに対する気持ちも、センスも分かるわよ」
「無難じゃな。ついでにわらわの分も」
「じゃあウチ二個〜!」
「え……あたしも欲しい。いいのかな」
「いいのいいの〜、エストは女の子の頼みを断る男じゃないよ。多分」
そうして話をまとめたシスティリアは、部屋にローブを飾ると、手紙の返信を書き始めた。
少し奇を衒って、一部を獣人語で書いた文章は、エストが分からないと信じて恥ずかしい気持ちを込めている。
「手紙のお礼と、ローブのお礼と、心配のお礼と……お礼しすぎね。まぁいいわ、感謝しているのは確かだし」
魔女に手紙を預けてから外に出たシスティリアは、剣の素振りをしようとして止め、溜め息をこぼす。
「はぁ…………早く会いたい」




