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第95話 あ、空間!


「先生、できたよ。この魔術は空間把握だ」


「その通りだ。よく半年で辿り着いたな」


「早く帰りたいからね。でも、まだまだ足りない。この魔術を軸に、転移とか覚えないと」



 季節が変わり、雪の降る日が減った夏。

 一年を通して極寒の氷獄では季節があまり機能していないが、エストにとっては春のような芽吹きを感じさせた。


 ジオから渡された魔法陣の解読に成功し、遂に時空魔術の基礎である『空間把握』を習得したのだ。

 これは魔法陣の形をとっているが、厳密に言えば技術である。


 今までの魔術にはない三次元の理解が求められる時空魔術は、やはり一線を画す特異性を秘めている。

 しかし、同時に分かったことがあるのだ。


 十一年と半年。認識が間違っていた。



 それは──



「僕の適性は時空属性。この魔術を使った時、魔力が溶け込むような感覚がした。これは適性魔力の証拠だって、他の魔道書にこれでもかと書いてあった」



 手のひらの上に時空魔術の魔法陣を出すと、くるくると回して遊ぶエスト。

 氷を使った時とは違う、魔力が喜んでいると形容してもいい感覚に、初めて魔術を使った子どものように笑みを浮かべる。


 輝いた瞳はいっそう幼く見え、ジオは初めて年相応の反応をしたなと頷く。



「そうか……やはりお前に託してよかった」


「適性ってこういうことなんだね。この一体感を他の魔術で味わえるなんて、みんなが羨ましい」


「普通はお前の方が羨ましいと思われるがな」



 手当り次第に家の空間を覚えていったエストは、おもむろに魔法陣を弄り始めた。

 どうやら、構成要素に関しては感覚的要素を含めて理解したらしく、立体魔法陣を円盤状に落とし込む練習をするようだ。


 そう、ここまでは先人が発見している。


 しかしエストはそれを前提とした魔法陣を組み始め、二人が何十年、何百年にも渡って煮詰めてきた知識を踏み台にしたのだ。


 事実、既に平面化には成功しており、構成要素の一つに『不定形魔力』を入れることで完了している。



 これが適性(才能)かと、ジオは言葉を失った。



 時空魔術の習得が、あまりにも早すぎるのだ。

 魔力の変性という事象自体気づけずに死んでいく魔術師が多い中、彼は子どもの身でありながら自力で発見し、あまつさえ操ることに成功している。


 恐ろしいのは、変性に対する高い理解度だ。


 液体、固体、気体という基本の形を超えた、雷の姿をとることができる広い知識は、ジオの知る限りどの魔道書にも記されていない。


 きっと想像を絶する経験をしてきたに違いないと思い、自然と口角が上がる。



「先生、教えてよ。亜空間の作り方」


「ったく、しょうがねぇなぁ。本来なら自力で見つけろって言いてぇが、お前の才能に免じて教えてやる。鼻かっぽじってよく聴け」


「耳かっぽじって聴くね」



 そうしてジオはスラスラと亜空間の魔法陣を紙に描いたが、ほんの小さな悪戯心が魔法陣の一部を書き換えた。


 これはかつてジオがとある少女に魔術を教える際、先人の知識を過信しないために施した罠である。


 その間違いに気づき、自らの手で直せてこそ魔術師というもの。

 興奮しながらも冷静さを失わないエストでも、これには気づけまいと紙を渡した。



「……なにこれ」


「亜空間の魔法陣だ。キーワードは空間拡張クロスニ。亜空間自体はこの魔術の応用だ、お前なら分かるだろ?」



 ニヤニヤしながら渡してきたジオに、エストは珍しく感情を優先した反応を示す。



「わ、わかるし。これぐらい余裕だし」


「適当に頑張れ。この魔法陣から亜空間の開け閉めまで出来たら褒めてやる」



 だが、ジオが渡した魔法陣は悪戯と言うには度が過ぎる細工がしてあった。

 その手で書き換えたのは一部だが、《《空間の閉め方》》を表す魔法文字が全て消えている。そのため、エストは自力で閉め方を見つけなければならない。



「そういや、魔法文字の起源は知ってるか?」



 さも何もないように問うジオ。



「獣人語の元だっけ? 魔法語族の獣人語で、獣人語の派生で人族語。だから、人族語も分類的には魔法語族」


「ああ。一歩戻れば、魔法語は精霊の言語だ。精霊語とも言うな。まぁ、人族語が後発だと知っている人間はかなり少ない。あまり喋るなよ」


「ヤダ。喋って何かするのは獣人嫌いだけでしょ? でも僕は獣人が嫌いじゃないから喋る」


「お前なぁ……せめて貴族の前では黙ってろ」


「罪になるのは嫌だけどさ。でも露骨に嫌な顔をするよ?」


「それは許す。むしろ積極的にやれ」



 面白い魔術の発案者に、獣人の魔術師は三割を占めるのだ。

 そう、三割。

 魔術学園に入学できない獣人であっても、その楽しさや面白さを共有できる。


 ジオもエストも、魔術をある種の娯楽だと思っているため、彼らは獣人嫌いが嫌いなのだ。


 エストの方には違う思いも秘めているが、総合して同じ意見なので問題はない。

 ただ少し、過激に反応するかもしれないだけ。



「なるほど……空間を押し広げる感じか。そういえば師匠も言ってたな……ペタペタ広げてるって」



 たった数分で空間に穴を作って広げることに成功したエストは、広げた穴が亜空間になっていると理解した。目には見えないような小さな穴だったが、魔力を伝って感じる世界が、同じ時の流れを持った別の空間だったのだ。


 例えるなら、中の見えない箱の側面に穴が空いており、そこへ手を突っ込んだような感覚である。


 箱の中は同じ時間の流れを持っているが、観測はできない。つい顔を突っ込んで景色を見たくなるエストだが、中に空気が無ければ危ないと判断し、好奇心をグッと抑えた。


 だが、亜空間への接続が成功しても、作った穴がすぐに閉じてしまう。

 これでは物を仕舞うにも凄まじい速度が要求される。



「穴の維持……いや、閉じ方を理解したらいけるな。こういう時は……よっ!」



 エストは氷の剣を作り出すと、一切の躊躇なく自身の左腕を貫通させた。

 床に血が飛び散ってシュンが反応するが、即座に水魔術で掃除され、腕の傷も光魔術で治療した。


 穴の閉じ方。

 それ即ち、傷口の塞ぎ方である。


 あろうことかエストは、空間の穴を傷口とみなすことで、光魔術で使う構成要素を魔法陣にねじ込んだ。


 すると、その魔術は面白い結果を招く。




「できた! 見て先生! 穴を広げたり塞いだり、少ない魔力で使える方法を見つけた! ほら、ほら! 杖も机も、簡単に入るよ!」




 なんと、ジオが普段使っている術式の改良版が生まれてしまった。

 光魔術との組み合わせは試したことがなかったのか、意外な親和性にジオも目を見開いている。


 その手にある魔法陣より、よっぽど有用だと思ったのだ。



「おいおい、嘘だろ……? 信じられん」


「ちょっとテンション上がってきた! 氷龍に見せてきていい? いいよね! 行ってきます!」


「あ、おい! 死ぬなよ!」



 亜空間の使い方を即座に理解したエストは、杖だけを亜空間に入れて飛び出して行った。


 数時間後、今度は右腕が食われたエストが帰ってきたことは言うまでもない。

 頭を冷やすにはちょうどいいと、乾いた声でそう言っていた。


 冬以外は休眠するはずだが、なぜかエストの腕を食った氷龍は起きていた。

 そのことは魔力の放出量からも分かっており、ジオは不思議そうに紙にまとめている。


 今は調子に乗ったエストが反省を終え、初心に帰って魔力操作の基礎からやり直しているところだ。



「先生、僕はバカかもしれない」


「今更だな。だが、それは必要なバカだ。優れた魔術師は往々にしてバカな一面がある。お前にもそれがあっただけだ」


「優れた魔術師か……それが褒め言葉?」


「は?」


「だって言ってたじゃん。亜空間の開け閉めまで出来たら褒めてやるって」


「……ンなこと言ったか? 知らんな」


「汚いなこの人。トイレのあと手を洗ってなさそう」


「洗っとるわボケ!」



 エストの脳天に拳骨が落ちた。

 目尻に涙を浮かべたエストだったが、真に褒めてくれる人は別に居ると、ジオからの褒美は断った。

 それに、亜空間の使用は道中に過ぎない。


 目標としている転移は、文字通り別次元と思えるほど難易度が高く、失敗が死に繋がる危険な魔術だ。


 こんなところで調子に乗っていられない。

 目指すべきものは明確にしているので、エストはじっくりと煮詰めていくことにした。


 だが、今の喜びをどうしても共有したい。

 遠い遠い魔女の森で、厳しい修行をしている一人の女の子と。



「そうだ、システィに手紙を書こう。時空魔術については……書かないでいいや。そんなことより、怪我とか病気とかしてないといいけど」

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