第66話 歪な距離感
『ピーッ! ピー、ピーー!!!』
「……朝、か」
ネフの鳴き声で、エストは目を覚ました。
昨日は大量の魔力を使ってしまったせいで、まだ体が重い。体を起こそうとしても、ビクともしない。
そんなに魔力を使ったかな? と掛け布団を捲ると、お腹の上でシスティリアが眠っていた。
「……ん、なぁにぃ?」
眠たげに目を擦るシスティリアは、十秒ほど見つめ合った後、燃えるように顔を赤くした。
顔を俯かせようにもエストのお腹の上であるため、そのままの体勢で固まるしかない。
ピンと立てた耳の間に、エストの右手が伸びる。
左から右へ、優しく手を動かした。
青く透き通った髪は、するすると指を抜ける。
小さくても筋肉のある手で数回撫でたあと、毛に覆われた獣の耳に触れた。
嫌がる素振りを見せない彼女は、思いやりに溢れた指先で耳を撫でられる。
それから数分ほど、目を閉じてなでなでを堪能していた。
「どうして僕のベッドに?」
「……ひんやりしてて、気持ちよかったから」
「正直だね。よく眠れた?」
「……当たり前よ」
「よし。それじゃあ死体の回収に行こう。オークの死体もそうだけど、あの冒険者も気になる」
エストの手が頭から離れると、システィリアが寂しそうに見つめる。
テキパキと用意を始める姿を見て、ブンブンと首を振って目を覚ます。
追加料金を払って二人分の朝食を食べると、昨日の洞窟へ一直線に歩いた。
夏場とはいえ、午後から夜にかけて戦っていたおかげか、死体に虫が湧く前に冷凍することが出来た。
最奥にあった冒険者の亡骸も回収すると、騒がしい帰り道を辿る。
「アンタの魔術、でたらめよ! オークに殴られて傷ひとつできないなんて、どんな硬さしてるのよ!」
「守るための魔術は得意。すごいでしょ」
「凄いからおかしいのよ! あと……足引っ張って悪かったわね!」
「システィリアは居ても居なくても変わらなかった。でも、君が居たから蜂蜜が採れた。だから居て良かったよ」
「蜂蜜分の価値しかないって言いたいの!?」
「うん。あと、今朝は耳を触らせてくれた」
「アンタねぇ……! ふんっ!」
仲が良いのか悪いのか。
言い合いながらギルドに戻ると、ギルド職員達が一様に胸を撫で下ろしていた。
中ではギルドマスターも待機しており、予想通り喧嘩しながら帰ってくるのを見て、ホッと息を吐く。
「よく帰ってきたな。システィリア」
「……当然よ。コイツが……ったもの」
「なんだって?」
「なんでもないわ! それより、オークの上位種が居たの。普通のオークより一回り……いや、二回り大きくて、コイツの話によれば戦いながら笑ってたって」
「本当か!? 悪いが二人とも、奥に来てくれ」
ギルドマスターのただならぬ様子に、彼をよく知るシスティリアも驚いた。
大きな声の報告はギルド中に響いており、冒険者達もオークの上位種に反応していた。
ただその中には、ギルドの外に放置されている、明らかに大きいオークが氷漬けにされているのを見て、あの二人が倒したことも知れ渡る。
思わぬところで株が上がるシスティリアだが、当の本人は奥の部屋へと導かれていた。
ギルドマスターの部屋に入ると、二人はソファに座った。
マスターが棚から本を選んでいる間、手持ち無沙汰になったエストが手のひらアリアを作った。
「凄い再現度……やるわね」
「ありがとう。今は速さを極めてる」
「……アンタ、二秒くらいで作らなかった?」
「二秒じゃ遅いよ。パッと作れないと」
「作ってどうするの?」
「眺めて満足」
「それだけ?」
「うん」
途中から一気に生産性の無い会話になると、図鑑のような本を手に持ったマスターが、二人の対面に座った。
そして差し出されたページを見ると、ちょうど昨日戦ったオークの絵が描かれていた。
「お前らが戦ったのはコイツか?」
「うん。ビックリするぐらい賢かった」
「だろうな。これはエルダーオークだ。オークの上位種で、等級はAランク。単独討伐報告はまだ上がっていない」
「じゃあコイツが初の単独討伐者ね」
「……システィリアは戦っていないのか?」
「ええ。エルダーオークに殴られて気絶してたもの。というか、洞窟に居たのを倒したのは全部エストよ。アタシは歯が立たなかった」
ありのままを報告する彼女に、エストは関心した。
普段の様子からプライドが高いと思っていただけに、ここまで正直に言うと思わなかったのだ。
「なによ。虚偽報告は懲罰対象よ?」
「君の心は綺麗だね。好きだよ」
「は────はぁっ!? な、ななな、何言ってるの!? アンタ、お、おかしくなったんじゃない!?」
突然の告白に、システィリアは飛び退いた。
信じられないほど顔を赤くしているが、その尻尾は千切れそうなほど激しく振っている。
これにはマスターも苦笑いをこぼし、わざとらしく咳払いした。
「オホン。いいか? 話を聞け」
「……はい」
「それでエルダーオークだが、近年のダンジョン活性化の影響だと踏んでいる」
「妥当ね。少し考えたら分かる話だわ」
「……活性化?」
「アンタまさか、知らないの?」
「知らない。活性化ってなに?」
どこかで聞いたことがあるような、ないような。
でも一度しか聞いた覚えのない言葉であり、思い出せても価値は薄いだろう。
そんなエストの疑問に対し、冒険者のプロであるマスターが答えようとすると、システィリアが先に説明を始めた。
「五年前、大陸にある全てのダンジョンが魔力異常を起こしたの。一部のダンジョンでは形式から変わり、現れる魔物も変わった」
「形式から、ね」
「そう。でも、形を変えないまま中の魔物が増殖したダンジョンが殆どだったの。冒険者は総出で対処に当たったけど、溢れ出した魔物が沢山の街を襲ったわ」
大量の魔物が押しかけてくるなど、地獄絵図と呼ぶに相応しい。
いくらエストでも、規模感が街となれば容易に死ぬ未来が見えた。
「それには魔女に要請がかかるくらい、大変な被害を出したの。帝都の学園長がレッカ、リューゼニス、ユエルの三国を守ったことは記憶に新しいわ」
「……あの時か。推薦状に書いてたっけ」
「で、殆どのダンジョンは落ち着いたのだけれど、溢れ出した魔物はチラホラ残ってるのよ。それが昨日のエルダーオークってワケ。そうでしょ?」
「ああ。完璧な説明だった」
胸を張って鼻を鳴らすシスティリアは、いつの間にか用意されていた紅茶に口を付けた。
彼女が自信満々に語れるほど有名な話なら、なぜこの部屋に呼び出したのか。真の狙いが読めないエストは、数秒で考えるのをやめた。
「ここらが本題だ。実はまた、ダンジョンの活性化が確認されている」
「……嘘、でしょ?」
「そこでお前らには、対処と調査に当たってほしい。これは指名依頼として出すから、報酬は弾むぞ。やるか?」
活性化の被害を詳しく知らないエストは、それをよく知るシスティリアに任せた。
現状、臨時パーティのリーダーなので、面倒事は彼女に押し付けようというのが真の狙いだ。
じっくり考え始めたシスティリアは、報酬という言葉に釣られず、生存確率の高い方を考えている。
しばらく待っていると、顔を上げた彼女がエストの裾をつまんだ。
「アタシ……役に立てないかもしれない」
「光魔術があるよ」
「……ううん、知ってるでしょ? アタシの腕が中途半端なのは。だから言ってるのよ」
「じゃあ鍛えたらいい話」
「でも……」
「そんなに悩むこと? 君が受けないなら、僕一人で受けるよ。旅の途中だし丁度いい」
弱気になるシスティリアに、エストは冷たく言い放った。
ここで成長する機会を逃すなら、一生中途半端のまま。停滞を選ぶ者を、エストは容赦なく切り捨てる。
何せエストは、変わり続けようと。知り続けようと思ったから旅に出たのだ。
ここでシスティリアが受けないのなら、お別れするまで。
「その以来、受ける。アタシは……変わりたい」
「分かった。ただ、急ぐ必要はない。前回みたく急激な活性化じゃないからな。あくまでも、ダンジョンに小さな異常が見つかった程度だ」
「じゃあ──」
「だからお前を呼んだ、システィリア。俺はずっと、お前に成長してほしかったんだよ。だが、お前には師と呼べる者も、友と呼べる者も居ない。そうだろう?」
先生やライバルという存在は、向上心を燃やす燃料となる。
人は成長する時、往々にして向上心を燃やしている。
ただ楽しくて。強くなりたくて。お金が欲しくて。
それぞれの理由が高みへ至る糧となり、師は道を示してくれる。
マスターは今日、エストの登場を奇跡だと思った。
システィリアと歳が近く、それでいて実力が上であり。
適度に彼女を燃やすことができるその扱いは、正に求めていた存在を凝縮したようなもの。
道と燃料はある。あとは本人の意思次第なのだ。
「エストから学べ。代わりにお前は、培った経験を共有しろ。お前たちは互いに持っていない物と、持っている物が違う。双方の成長する機会だと思っているぞ」
マスターの言葉に頷くと、システィリアは立ち上がった。
その顔には、確かな向上心が宿っており、学ぶ姿勢が溢れている。
そして彼女は、エストに右手を差し出した。
「その……これからよろしく、エスト」
「うん。よろしく、システィリア」
手を取ったエストは、小さく微笑んだ。
その目には、お前からたっぷり知識を吸い取ってやるという、強い知識欲を込めて。
「……システィでいいわよ」
「どうして?」
「どうしてって……よ、呼びやすいでしょ?」
「確かに。じゃあシスティで」
「やったぁ! ──じゃなかった。今のは聞かなかったことにしてちょうだい!」
完全に本心が出てしまったのだが、エストはその意味に気づいていなかった。
今までとは明らかに違うシスティリアの様子に、マスターは大きなため息を吐く。娘同然の子どもが、親の前で寸劇をしているのだ。
成長とは、かくも悲しいものかと項垂れるマスターなのであった。




