第59話 てくてく歩いてく
「……暑い」
日が昇って少ししてから目が覚めた。
通気性が良すぎた安宿は外気が入り込み、部屋の中が蒸し風呂のような温度になっている。
全身に張り付いた服が気持ち悪く、エストは即座に水魔術で体を洗い、服も洗浄した。
「ミツキみたいに、常に魔術を使えるようになるのは良いかも。ちょっと真似してみよう」
壁に立て掛けていた杖を手に持つと、単魔法陣を足元に出した。
主に循環魔力に魔力を注ぎ、術の持続力を強化する。
風域と絶対零度を掛け合わせ、極限まで弱体化することで、足元から冷風を出す新たな魔術を開発した。
上級魔術は基本的に、大量の魔力を消費するため、威力を抑えて持続力を上げることで初級魔術を複数回使うよりも長持ちさせられる。
エストの足元から冷たい風が吹くと、靴に霜が付いた。
「あ、冷たすぎた。これって、気づかなかったら足が凍るのかな」
適性のせいか、温度を下げすぎてしまったようだ。
好奇心から足を凍らせようとするエストだが、もし仮に後遺症が残った場合、魔女とアリアから死ぬよりも恐ろしい叱りを受けると考え、首を横に振った。
「そろそろ行こう。ここで二泊はちょっと怖い」
荷物を持ったエストは、宿を出てギルドに向かった。
早朝は寝ている冒険者が多いためか、片手で数えられる人数しか来ていない。
屋台が出るまで時間があるので、ギルドで朝食を食べることにした。
注文してから数分経ち、珍しいことに受付嬢のミーナが配膳してくれた。
運ばれてきたのは、暑い夏だといえど、スープと堅パンサンドだ。
早速エストが食べ始めようとすると、前の席に座ったミーナが手に顎を乗せて話し始めた。
「実はこのパン、私の手作りなんですよ?」
「へぇ、ミーナさんってパンも作れるんだ」
「最近始めたんです。美味しいですか?」
「ん……この感じ……蜂蜜? 美味しい」
「よく分かりましたね! そうなんです、生地に蜂蜜を練り込んであるんです! 上から掛けるのも好きなんですけど、量の調節が難しいじゃないですか。ですので、生地に直接入れてみたんです!」
隠し味という程ではないが、パンの秘密に気づいてもらえたことに、ミーナは嬉しそうに語った。
「蜂蜜って高くなかった?」
「ふふっ、最近は暑くなってきたものですから、蜂が活発になっているんですよ。おかげで安く入荷できました」
「そうなんだ……ごちそうさま。美味しかった」
「ありがとうございます。今日から出るんですか?」
「うん。ユエル神国に行ってみようかなって」
「南下ですか……あっちの方が暑いですよ?」
「大丈夫。僕の魔術と相性良いから」
そう言って宿で作った術式を改良した魔術を使うと、ミーナの顔に優しい冷風が当たった。
ギルドの蒸し暑い空気に慣れていたミーナだったが、その快適さを知った瞬間、出発しようとするエストの肩を掴んだ。
「……約束してください」
「なに?」
「今の魔術……どうにかして魔道具にしてください。ウチで高く買い取ります。絶対に!」
必死の形相で懇願されると、エストも顔を引いて頷いた。
今まで大人しい印象が強かっただけに、その剣幕に面食らってしまった。
「わ、わかった。やるだけやってみる」
「本当に……お願いします」
「うん。それじゃあ、またね。行ってきます」
「はい! 行ってらっしゃいませ!」
人気の受付嬢にギルドの外まで見送ってもらうという特大サービスを受けながら、エストは帝都を出た。
草原に吹く風が気持ち良いが、魔術の練習も兼ねて新作魔法陣を展開した。
暑さを忘れられそうなほど快適になると、軽い足取りで昨日と同じ道を往く。
今日中には森を抜け、次の街に進みたい。
だが、馬車で行っても半日はかかる距離のため、森で一泊する予定だ。
単独での野営は初めてのため、エストはワクワクしている。
「お昼ご飯どうしようかな。ゴブリンの肉は美味しくないし、オークでも居たらいいんだけど」
馬車の旅では得られない経験を求め、エストは徒歩での旅を決めている。
そのため、食料は買い込むか現地調達に限り、料理の腕も試される。
この気温では肉はすぐに腐るため、現地調達が余儀なくされる。
アリアに仕込まれた調理技術も、寮生活で鈍っているので、感覚を取り戻すにも時間が要るのだ。
ご飯のことを考えながら歩き、三時間。
昨日よりも深くなった森に入り、魔物と遭遇した。
『グキャッ!』
「氷針……そうだ、ゴブリンの眼は薬の材料になるんだっけ。貰ってくね」
単体で現れたゴブリンを即座に始末すると、氷で出来た瓶を二つ作り、それぞれに眼球と右耳を入れた。
残った死体は焼却し、森の養分にする。
腰から瓶を提げたエストは、魔力感知を広げた。
周囲に人や魔物の反応が無いのを確認すると、森の空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
「……落ち着く」
立ち止まってリラックスしていると、エストの肩に小さな鳥が止まった。
淡い緑色の羽根が美しい、街の中でも見かけるほど一般的な鳥だ。
「可愛い。君たちの森にお邪魔してるよ」
人差し指で頭を撫でたら、鳥は頭に移動した。
よほど居心地が良かったのか、鳥も羽繕いをして休み始めた。
「落ち着きすぎでしょ。ほら、行くよ」
エストは再び歩き始めたが、鳥は動かない。
ここまで動物に好かれるのも一種の才能かもしれない。そう思ったエストは、どうせなので鳥を乗せたまま進む。
穏やかな空気が感じていると、前方から強い魔力を感じ取った。
常に周囲に殺気を放つソレに向かって、エストは怯む素振りすら見せずに歩いて行く。
頭上の鳥は翼を広げたが、飛び立たない。
どうやら、この場所の方が安全と判断したらしい。
『グゥ……フゥ…………』
「ダンジョンのやつよりちょっと大きい?」
低い唸り声を上げて近づいたのは、オークである。
豚に似た顔を持つ、中型の巨人。
その筋力はゴブリンとは比にならず、木の幹のような棍棒で殴られれば、生身の人間は即死する。
等級はCランク。
しかし、単独撃破ラインはBランク。
Cランクになった冒険者が死亡する例は後を絶たない。
「そういえば……凍らせたら肉って保存できたよね。これだけの量があったら、贅沢しても二日は食べられる……よし」
にんまりと笑顔を浮かべるエストは、杖を構えることなく魔術を使う。
棍棒を振り上げたオークの体が、刹那に凍った。
振り上げた姿勢のまま動かなくなったオークの首を落とし、焼却……しようとして、やめた。
体重の百倍はあるオークの胴体を引き摺りながら、凍った頭部の切断面に、氷のナイフを入れるエスト。
二時間ほど歩きながら頭を弄っていると、エストは頭上で眠る鳥を起こし、肩に移動させた。
「鳥さん、見て。オークの被り物。ちょっと臭いけど」
『ピッ……!』
「カッコイイでしょ」
おもむろにオークの頭を被るエストに、鳥は小さな悲鳴を上げた。しかしエストはそれを褒め言葉と捉え、頭上に鳥を戻そうとした。
だが、鳥は断固として肩から動かない。
「まぁいっか。でもこれ、大きすぎる。お昼ご飯の時に調節しよっと」
マジで? という顔で見つめる鳥を肩に乗せたまま、オーク頭の少年は歩いて行く。
幸い、他の人間に見られなかったからいいものの、もし見つかっていればどのような反応が返ってくるのか。
意外にも、その時は早かった。




